<講義の様子>
今回は赤ちゃんから大人へと成長する過程で、自己の認識が変わっていく様子を神経科学的に理解しようと試みる開先生の講義でした。
前回の原先生の精神分析学的に自己の変容を理解しようとする試みとはまた違ったアプローチを聞くことができ、また新鮮な気持ちで講義を聴くことができました。聴講している学生もまた違った自己の変容に対するアプローチを興味深そうに聞いていたと思います。また前回授業をしていた原先生も一緒に講義を聞いていたことで、変容というテーマの繋がりを感じやすかったと思います。可能であれば前回まで授業をしていた先生が次の先生の講義を聴きつつ、オーガナイザーをしてもらえるといいと思いました。
<「変容」というテーマ講義での共通点は何か?>
前回と今回の講義の共通点としてあげられるのは、目に見えないものとして自己や心に着目し、それがどのように変わっていくか、または発達的変容を遂げているのかを証明しようと試みた点です。
精神分析学ではヒステリーが治癒した=自己が大きな変容を遂げていると定義し、その治療から欲求が「私」の変容を条件づけていると考えています。そして、欲望が精神のかたちを決め、ヒステリーは欲望がゆがんだ形で表に出た結果だと言っています。
一方、認知発達神経科学では、時差を付けた自己の映像とリアルタイムの自己の映像を見せてどちらの映像を長く見ているかで、自己認識が赤ちゃんから大人にかけてどのように変わっているかを調べたり、赤ちゃんの語彙の数を心の発達と考え、この時に脳で何が起こっているかを調べるといったアプローチから自己の発達的変容がどのように起こっているかを調べています。
どちらも目に見えないもの(自己や心)が変わっていく、または形作られていくことを証明するために、ある定義を立て、それを目に見える条件として検出しています。
しかしながら、検出できている条件が本当にその定義に当てはまっているかどうかは曖昧な点が多く、他の検証が必要であるようにも感じられました。しかし、それはまだまだ学問的に発展する可能性が秘められていると思いました。
<質問>
今回の講義で個人的に興味深いと思ったことは、赤ちゃんから大人にかけて自己認識の時間軸に広がりが見えてくることです。これを結論づけている実験は、まだまだ他の検証が必要であるとは感じましたが、もしこれが本当であれば、この広がりは何を意味しているのでしょうか。過去、現在、未来の自己認識の広がり、これは人の心や認知の発達とつながっているのでしょうか。他者との関わり、他のことへの興味の広がりとも解釈できるのでしょうか。
授業の冒頭で、脳の構造的な成長、シワ(溝)の形成、視覚野でのシナプスの数は生後約1年以内に成人と同程度になるという研究が示されました。しかし、自己認識の時間軸の広がりは乳児~幼児~児童~成人にかけて徐々に広がっているようにこの実験では感じられます。構造的なダイナミックな成長と、認知や心の成長には明らかに大きなタイムラグが存在しています。したがって、もしシナプス数や脳の構造といったダイナミックな構造変化が心や認知を形成していないとすると、何が私たちの認知の発達に重要なのでしょうか。(脳のダイナミックな構造を伴う成長も重要だと思うのですが、それだけではないように思えます。)神経ネットワークの複雑性、または経験などによって統合された秩序あるネットワーク構築なのでしょうか。視覚野のシナプスの数は生後8ヶ月をピークに減少傾向にあることから、シナプスの数を上手く減少させることが認知の発達に重要なのでしょうか。手が5本できる発生の時、必要のない部位の細胞がアポトーシスを起こすように、認知を発達させることにも計画的なシナプスの減少は重要なのでしょうか。
まだこれらは答えがある問いではないと思いますが、先生は研究を通して考えていることを聞かせていただければと思います。最後に、赤ちゃんに見られるこのような変化は、変容という言葉とは正確には異なると言い、発達的変容と先生はおしゃっていましたが、
どのように異なるのでしょうか。先生の講義録を書く際にとても言葉の使い方で悩むことが多いので、時間があれば聞かせてください。