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日誌

今日の南京
12
2014/04/06

3月27日 特設講義 刈間文俊先生『映画と字幕翻訳』

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 先週の食事の際、南京大日本語学科学生がした、ふとした質問がきっかけとなり、刈間先生が急遽映画字幕の翻訳に関する特設講義を開講することになりました。

昨今、中国のネットには、字幕がついた海外映画やドラマが多くあります。これらの字幕は、ボランティアにより制作されたものです。南京大学にも字幕翻訳のボランティアの仕事をしている学生たちがおり、彼らは自分で翻訳のスキルを磨きながら、字幕の翻訳作業を行っています。そこで、刈間先生は彼らにご自身の翻訳・字幕制作の経験を伝えることを目的に、実習を含んだ特設講義を企画、開催しました。

講義では、先生はまず日中映画字幕の歴史について簡単に紹介されました。サイレント映画時代は、日本映画には活弁士がつくことに対し、中国映画には字幕がついていました。こうした状況はトーキー映画の登場により変化し、日本映画にも字幕がつくことになり、他方中国映画では吹き替えが流行しました。吹き替え、字幕それぞれに長所があり、吹き替えは映画の内容を分かりやすく伝え、他方字幕は観客に外国の生の情報・雰囲気を直接に感じさせます。

刈間先生は学生時代に山崎剛太郎先生について、字幕翻訳の仕事を始めました。その当時、字幕制作は一回の映写で字幕を完成しなければならず、失敗は許されません。35ミリフィルムに字幕を入れる方法は、フィルムに一コマずつ(1)金属の型で打つ、(2)薬品で脱色する、という2つの方法がありました。1970年代から80年代の中国映画は、費用の安い(1)の方法が多かったようです。

字幕の歴史の概説に続いて、刈間先生は映画字幕翻訳・制作の技術と考え方を解説されました。映画の主役は映像、画面であり、字幕はあくまで情報を追加するための補助です。また字幕は単なる翻訳ではなく、字幕には映画構成の一部としての「演出」が求められます。つまり、字幕は観客に「読ませる」ものではなく、会話の流れの中で、登場人物の感情の変化や展開される主張を明示するものでなくてはなりません。このような字幕を作るには様々な技術と工夫が必要です。例えば、読みやすい字幕の目安は1秒に4文字で、良い訳は言葉を短くするのではなく、ポイントをつかみ、瞬時に感情や言葉の背景にある意味を提示することが求められます。

授業の後半には、陳凱歌監督に依頼されて刈間先生が字幕をつけた『捜索』2012年)を実践例として、受講者たちにも実際に訳してもらいながら、翻訳のポイントを説明しました。このような実習を通して、受講学生たちに、いかに監督の意図を尊重し、映画の登場人物の心理を分析し、その性格を的確に表現した字幕をつくるか、その実践方法を教授されました。

(白佐立)






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2014/04/06

渡邉正男先生「日本における文書の廃棄と再利用」

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 南京大学集中講義「排泄」の第三週、三月十九日、二十日は、東京大学史料編纂所の渡邉正男先生に「日本における文書の廃棄と再利用」と題して、廃棄物リサイクルの典型である「紙」の文書作成、保管、廃棄、再利用の一連の過程について、具体的な事例を挙げながらご講義いただきました。

 一日目の講義では、主に律令国家において朝廷や幕府の文書の廃棄の仕組みと、「紙背文書」の再利用の方法についてのお話でした。東大寺正倉院宝庫に所蔵され保管されている「正倉院文書」は、今でこそ珍重されておりますが、文書が作成された当時から継続して重要な公文書として大切に保管されてきた訳ではありません。律令国家において公文書は一定の期間が過ぎると廃棄され、裏紙を活用する「紙背文書」として生まれ変わるか、漉き返され「宿紙」として再利用されていました。正倉院文書はその前者で、一度廃棄され、紙背文書として金光明寺の写経所にて再利用され、そしてそれがいつの間にか東大寺正倉院に移り、元禄六年に穂井田忠友(1791-1847、考古・古典学者)によって正倉院の宝庫整理の際に発見・整理され、現在に至るという経緯を辿っています。本来国によって永久保存版として残されるはずであった「庚午年籍」が現存せず、不要なものとして廃棄され紙背文書として再利用された「正倉院文書」が偶然残ったことは非常に貴重だと言えます。ゴミとして廃棄された「紙」であっても歴史学者にとっては紙背に重要な文書が隠されている可能性があるので、紙背に書かれた文書の方がお宝になるということは非常に興味深いものでした。他にも、鎌倉幕府における訴訟関係文書の保管・廃棄の例として、「壬生家文書」に所収さている「関東下知文書」と「富吉荘雑掌申状案」などを挙げ、幕府と朝廷に文書の保管体制があったことが明らかにされました。紙背文書には、編纂された史料からは分からない情報が隠されている可能性があり、本講義で挙げられた史料を通して、その時折の読み手や時代の価値判断によって表が裏として、裏が表として扱われてきた「紙」の変遷を辿りました。

 二日目は、使用済みの和紙を漉き直して作る「宿紙」(漉返)についてお話いただきました。「宿紙」とは所謂再生紙のことですが、天皇の意思を伝える国の最高権威を持つ紙文書である「綸旨」は、宿紙で作るという習慣がありました。太平記の中に出てくる「謀綸旨」を作成するために「宿紙ヲ俄ニ染出シ」て作るという記述から、宿紙には色がついていたことが分かります。色が付いているといっても鮮やかな色ではなく、再生される以前の紙に書かれた墨が混ざるために色が付きます。近世になると、漉き返し紙ではないのに故意に紙を黒く染めるようになります。それは、次第に綸旨は薄墨色でなければならないという価値観に変わったからであり、真っ黒な紙も存在しました。また、中世では紙が潤沢でなかったために、日本国内最大の製紙技術を持つ図書寮紙屋院の人々は、時に外記日記や写経の紙を盗み、漉き返してしまったということは、あちらこちらの史料から読み取れました。

 一度は廃棄され、元来世に残されるはずではなかった「紙」史料を通じて、中世の人々の心理状態さえも垣間見ることができ、「廃棄」されるものが必ずしも余計なものではないということを改めて学び、改めて自身の価値判断が大切であることが強調され、好奇心に駆られると共に身が引き締まるような講義でした。
(麻生高代)







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2014/04/06

田中知先生「放射性廃棄物と『排泄』」

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今日から、原子力国際専攻・田中知教授の「放射性廃棄物と『排泄』」が始まりました。受講生の多くが文系であることから、田中先生には専門的な話を分かりやすく説明していただきました。講義は「原子力を理解する──原子力エネルギーの利用原理」、「自然放射線──私たちの身の周りの放射線」、「放射性廃棄物の種類──放射線廃棄物の発生と種類」、「“放射線廃棄物”(資源?)の再利用──高速増殖炉と核燃料リサイクル」、「放射線廃棄物の処分──現在の処分技術が想定していること」によって構成されます。

講義の概要は地域文化アジア日本2年生、原伸太郎のレポートを転用します。

 

原子力エネルギーを利用する際に生じる放射性廃棄物には、文字通り廃棄物として、利用ののちにすぐ処分してしまうほかに、再処理を通してもう一度利用したり、熱消毒などの線源利用に充てたり、将来何らかの形で処分できるように分離変換を行ったりするなどの処置が行われている。そこで重要となるのが、何が廃棄物であって何が廃棄物でないのか、即ち何が再利用可能であるのかの見極めである。原子力発電後の生成物の内訳は、ウラン2389395%を占め、そのほか1パーセント前後の割合で、ウラン235、プルトニウム、核分裂生成物が存在しており、このうちウラン235、プルトニウム、ウラン238は発電終了後もなお核分裂をさせることができるため再利用が期待されるものの、それぞれを分離するのが難しいということが問題点のひとつとなっている。一方、核分裂生成物は安定状態に向かって放射能を発散しながら反応を続け、くわえて反応物だけでなく、周縁として原子炉に用いられている金属も中性子を吸収することで全て放射性廃棄物に変わってしまう。これらは気体・液体・固体といった状態の違いや危険性のレベルに伴い、埋設処分など、1000年または10000年単位の長期間での処理がなされる。

放射性廃棄物の特徴は、大きく三つ挙げられる。それは、量的に少ないという点、主に人間の身体へ影響しやすいという意味で高い危険性を有する点、放射能減衰つまり無毒化までに途方もない長期間を要するという点である。特に三つ目に関して、捨てることが10000年単位の行為であるのに対し、生きることが1年単位、1日単位での行為であるというジレンマが常に付いて回るように思われる。排泄物を人の身体から遠ざけることは重要であり、放射性廃棄物の場合も、ガラス固化体や多重バリア、地層処分など慎重に慎重を重ねた処理が行われているが、5万年後にそのシステムが正常に働いているのかどうか、正確に予想できるのかには疑問が残る。

 

田中先生は十数回の中国訪問歴があり、中国の歴史、地理について豊富な知識をおもちで、南京にもこれまでに7回来たことがあるそうです。自由時間ができると、先生は一人で南京の町を歩き回っておられました。新街口の路地に民国23年(1934年)に建設された集合住宅を発見したと、興奮して教えてくれたのがとても印象的でした。授業の最後に、先生は和歌をお詠みになり、授業に参加者にお送りくださりました。

 

 紫金山 春の緑に 月冴えて

 南と東とに

 大きく学ぶ

 

田中先生、お忙し中ご出講していただき、ありがとうございました。
(白佐立)








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2014/03/14

横尾英史先生『廃棄物管理と国際資源循環の経済学』第2回

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今日の授業の始めに昨日の授業への疑問点と興味点について先生が質問して、学生さんと少しディスカッションをしていました。
次に、環境影響評価について教えてくれました。外部費用をどうやって計るかということは環境経済学の一つの重要な課題です。簡単に言うと、 廃棄物からの悪臭」というマイナスの価値を価格に換算したいということです。それについてヘドニック法と仮想評価法を紹介しました。
そして費用便益分析をしました。柏市の家庭での分別排出政策をイロイロ市に導入するべきかという質問を提出しました。
次に、ベトナムのハノイ市を事例としてベトナムの廃棄物管理、リサイクル政策の実態を紹介しました。ハノイ市はごみ分類の政策がないけど、ごみ分類をする人は少なくないです。それはジャンクバイヤーという職業をする人々が生計のためにしなければならないからです。(趙程縁)






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2014/03/13

横尾英史先生『廃棄物管理と国際資源循環の経済学』第1回

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今日は東京大学新領域創成科学研究科国際協力学専攻の横尾先生が授業をしました。テーマは「廃棄物管理と国際資源循環の経済学」です。

まずは、廃棄物を排出するとはどういうことかについて教えてくれました。不要になったものの価値は0で、邪魔なものの価値はマイナス0で、すなわち、価値がないものを「ごみ」と呼びます。言い換えると「廃棄物」です。そして廃棄物の処分方法についても紹介しました。主に「埋め立て処分」と「野積み処分」という二つの方法です。

次は、柏市を例にして日本の廃棄物管理、リサイクル政策の実態を紹介してくれました。例えば、ごみ出しカレンダー、ゴミ袋、柏市リサイクルプラザ、柏市のリサイクル率とごみ処理費用などを紹介してくれました。

日本の廃棄物管理の情況を紹介した後、フィリピンのイロイロ市を事例にしてフィリピンの廃棄物管理、リサイクル政策の実態も教えてくれました。たくさんの写真を見せながら説明していました。特にごみの山を見た時、私はちょっとびっくりしました。こういう所に住んでいる人がいるのは想像できないと思います。

授業中、学生さんとのコミュニケーションも活躍して、そして先生の話の面白さで笑った時もたくさんあります。

では、明日の授業を期待しています。(趙程縁)






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2014/03/12

共同研究グループディスカッション

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月曜日から、共同研究が始まりました。
月曜は昼食や仙林キャンパスから鼓楼キャンパスまでの移動に時間がかかったので、白さんが共同研究の意図と方法を説明した後、一時間ほど各チーム街歩きをして終わりました。

火曜日午後はずっと各チーム街歩きをしてもらい、気になったこと・現象を採集してもらいました。

そして今日は集中講義は休みなので、終日共同研究の日でした。
午前10時から、各チームで、採集してきたメモ・写真を、それぞれグルーピングしてもらい、関心の方向性を探ってもらいました。
2時間ほどグルーピング作業をしてもらい、その後経過報告をしてもらいました。

当初の予想以上に、多くのチームが実際に南京の街を歩いて得た情報に則して考えられており、スタッフとしては一安心。
屋台や個人商店に焦点を当てたチームや、交通整理をしているおじいさんにインタビューをしたチーム、犬の放し飼いなど日本と異なる生活の仕方に着目したチームなど、
それぞれ実際に街を歩いて自分の目で観察したからこそ得ることが出来た視点があり、今後の展開が楽しみです。


今回は東大生1人と南大生1人の2人1チームとしましたが、これが功を奏したのではないかと思います。
ただ、フィールドワークはほとんどの学生が初体験で、中にはフィールドワークをするための「アタマ」を使うのに苦労する学生もいます。
でも、そのように少し苦しんでみるのも、良い体験ではないでしょうか。

午後は各チームともまた街に繰り出しました。
学生のみなさんが、少しでも、実体験に則して南京の、中国の「肌触り」のようなものを感じとってくれればいいなと願っています。(新田)

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2014/03/12

林少陽先生特別講演「作為日本現代思想史的“世界史”話語」

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3月11日(月)、18時半より南京大学高等研究院報告庁にて、林少陽先生の特別講演が行われました。
「作为日本现代思想史的“世界史”话语:以柄谷行人为中心」というテーマでご講演され、多くの学生さんたちが集まりました。

歴史学系馬俊亜先生のご挨拶。

ご講演は、柄谷行人の『世界史の構造』をめぐって、柄谷が同書を書くに至った経緯を、日本の思想史的文脈から考えるという内容でした。
まず戦前の京都学派の「世界史座談会」(1937年)や、マルクス主義そのもののもつ「世界史」を叙述する志向を取り上げ、それらはいずれも先進的、目的論的である点で共通することが示され、また同様の構造をもつフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』に対する柄谷の批判、及びその後の『世界史の構造』に至るまで、柄谷が一貫してそのような先進的、目的論的な「世界史」叙述を批判してきたことが指摘されました。
このように見ることで、『世界史の構造』刊行後の、「なぜ世界史なのか?いま世界史を検討する意味は?」といった多くの読者の反応に対し、一つの思想史的背景からの解釈が示されました。


また、他分野や初学者のため、前半では丁寧に西田幾多郎や京都学派、柄谷行人や宇野弘蔵などをキーワードにして思想史的背景を説明されるなど、とても配慮の行き届いたご講演でした。


このように、ご講演自体は日本思想史がテーマでしたが、特に中国人学生に向けた講演であることから、マルクス主義あるいは社会主義の正確な把握を呼びかけ、その現代的意義を語るなど、日本思想史を素材に中国の学術界の状況を再考する契機となるように工夫されており、学生さんたちにとって、とても刺激的だったのではないかと思います。(新田)

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2014/03/11

O’Dea先生”Body, Mind, World”第2回目

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 2日目のO’Dea先生の講義テーマは、metaphysics(形而上学)、心と体がどのような関係にあるのかというものでした。昨日よりも更に深い哲学的理解が求められる内容で、決して容易ではなかったとは思いますが、O’Dea先生の様々な視覚資料を用いた丁寧な説明で、東大生・南大生ともに理解を深めることができたと感じています。また、今日の講義でも、インタラクティブな活動が多く盛り込まれて、聞き手が参加しやすい形式になっていました。講義では、まずデカルトの二元論が再提示され、更にその問題点に関して、O’Dea先生からいくつか質問が投げかけられていきました。特に今日の議論の中心は、デカルトの二元論の根拠として挙げられた①DivisibilityCertaintyConceivability3点でした。O’Dea先生からそれぞれの根拠が丁寧に説明された後、これら3つの問題点とは何かをグループで話し合いました。やはり哲学に馴染みの薄い学生にとって、この課題は非常に頭を悩ませるものであったと思いますが、次第に学生たち自身からいくつかの問題点が指摘されていき、非常に鋭い意見も出されていたかと思います。最後に、心は肉体つまり脳と全く関連のないものであると捉える二元論的認識に一定の疑問を呈しながらも、その具体的な関係性に関する理論は未解決のままであるという結論が述べられ、一連の講義は終了しました。
(田中祥子)






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2014/03/10

O’Dea先生 ”Body, Mind, World” 第1回目

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講義初日の午前にO’Dea先生による”Body, Mind, World”の第1回目の講義が行われました。今日の主なテーマは認識論(epistemology)、つまり「私たちは世界をどう認識しているのか」でした。講義の雰囲気は、トピックの難解さにも関わらず、終始和やかに進んだという印象である。すべて英語で行ったという点と、特にテーマが哲学を専門としない学生たちにとっては非常に難解なものだったという点で始まる前は多少のハードル感じていた学生も多かったかと思います。ですが、O’Dea先生はこの難しい内容を非常にわかりやすく提示してくださり、おかげで聞き手は皆、理解を深めることができたと感じています。また、講義中心とはいえ、合間に数度のグループ討論の時間が設けられ、非常にインタラクティブなものになりました。日本人学生・中国人学生はともに積極的に討論に取り組んでいました。スライドでは、多数のビジュアル資料が使用され、特に映画『マトリックス』の一場面で、現実だと信じてきた世界に対する確証が揺らぐ瞬間が映し出された時、すでに自分たちに知覚に対して疑いの目を持ち始めていた私たちが、さらに深い哲学的迷路に導かれたように感じました。幾度かのグループディスカッションのあと、確証できる答えのないこのテーマに、O’Dea先生から一応の解決策が与えられて安堵を覚えた学生もいるのではないでしょうか。最後に、明日の講義の準備として、今度は「私たちの心とはなにか」という問題が提示され、今日の講義の締めくくられました。
(田中祥子)







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2014/03/08

古米弘明先生 二日目の講義

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 古米弘明先生の二日目の講義は、初日に出された質問表に答えることから始まりました。なぜ四日市では夜中に喘息が起きたのか、水俣の水銀汚染の海域の埋め立てはどう行われたのかという質問に、具体的にお答えになっていました。埋め立て地が公園になり、新しい街づくりの場所となっています。



 今日は「都市の水代謝における上下水道システム」です。水の量と質をどう確保し、つきあっていくのか、自然系と人工系の水循環がうまく調和した都市独自の水利用システムを作り出すことが大事です。



 「水収支」という概念で、定量化と数量化により分かりやすくすると、状況が見えてきます。東京を例に、都市の水循環の全体像が明らかになります。都市の「水収支」の絵を描くことが大事で、北京や天津といった地下水を多く使う都市も、この絵が必要でしょう。



 日本では1960年代に水道が急速に整備され、ほぼ98%となり、水系感染症患者数が大幅に減りましたが、これからは再整備が急に必要になります。下水道の役割も時代とともに変わり、汚水に加えて雨水対策も重要になってきました。



 「水の再生・再利用と水環境保全」では、一人当たりの水使用量と汚濁の排泄量から下水処理の目標値が計算できます。再生水の利用がポイントになりますが、どこまで費用をかけるべきか、東京の具体的な事例を紹介した上で、皆で考えてほしいと、討論の時間が設けられました。



 水の安全は中国でも関心をもたれています。次から次へと質問が出されました。南京市へのアドバイスや水処理のコスト問題、ダムの自然への影響から原発の汚染水にいたるまで、時間をオーバーして質疑応答が続きました。



 50年後を見て目標を立て、分かりやすい情報と知見をきちんと伝えていく;人為的なことをやれば、環境に変化が起こる、自然への影響を正しく評価して、利点と欠点を把握して対応していくことが大事です。古米先生は、出された質問をその場でパソコンに入力し、スクリーンに映しながら答えていきます。まさに分かりやすい情報の発信を実践しておられたのが、印象的でした。



 この日も同時通訳の学生さんは、科学用語の洪水をみごとにさばいて大活躍でした。ご苦労様でした。(刈間)




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