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お知らせ

皆さま

震災の影響で、残念ながら第三班の派遣が見送られ、さらに、高橋先生のご出張もかなわない事態となりました。このため、本シリーズの最終講義である高橋先生の「記憶のエチカ」を、駒場の情報教育棟4階の国際会議システムを利用して南京大に講義を中継することになりました。日時、場所は以下の通りです。

日時:2011年3月24日、25日/10:00~13:00
場所:情報教育棟4階遠隔講義室

当日は、南京大学学生と東大学生との討論も行われます。南京へ行けなかった第三班の学生のみなさん、また、すでに帰国した学生のみなさん、最終講義を是非聞きにきてください。
なお、高橋先生の講義資料は、LAPホームページよりダウンロードすることができます。
URL:http://www.lap.c.u-tokyo.ac.jp/ja/nanjing_lectures/memory_and_documents/110324/
ダウンロードの際にはPW:t-lap を入れて下さい。

第四週のみなさんを派遣できず、教員側も大変残念に思っています。その分を、遠隔講義を通して少しでも補うことができれば幸いです。

石井 弓
 

掲示板

今日の南京[全件一覧]
12

UT student2011/03/24 22:20:48(0票)


博士1年の杉谷です。

今日は駒場情報教育等の遠隔講義室で、高橋哲哉先生の「記憶のエチカ(倫理)」と題する授業がありました。ユダヤ人思想家ジャンケレヴィッチが、アウシュビッツを忘却しようとする流れに抗して、赦しの不可能性と、ルサンチマンに支えられた記憶の義務を主張した、というような内容だったと思います。このように書くとなんだそれだけか、という感じですが、ジャンケレヴィッチの引用がなかなか情念のこもった?文章で、いろいろ考え、感じさせられる講義でした。また明日もあるので、時間的精神的に余裕のある方はぜひ参加されると良いのではと思います。
LAP staff2011/03/23 19:36:37(0票)

3月21日、石原孝二先生による講義「記憶と人格(自己同一性)」(前半)が行なわれました。本日は「人格概念をめぐる思想」として、人格というものがこれまでどのように考えられてきたかについての紹介がなされ、その後「記憶のメカニズム」として、人間の脳の中で刺激がどのように記憶として残されているのかについての解説がなされました。(更に時間が残ったので、次の章の冒頭にも入りましたが、このまとめでは次の記事に回します)


講義中の石原先生

1. 人格概念をめぐる思想
「人格」とは、「道徳的行為の主体としての個人」、即ち責任の主体であり権利を有するものとして定義されているが、「人格」を「人格」たらしめているものは一体何だろうか。責任を持つ「人格」の要件としては、まず意思を持つこと、身体の同一性及び自己の同一性が保たれていることが求められる。この、「自己の同一性」(即ち、昨日の自分の行為を自分のものと認識できること)のためには、記憶が重要となる。


「昨日お酒を頂いたんですが、
お酒を飲みすぎて今日授業ができなかったとして、もし昨日の行為をちゃんと記憶していなかったら、

それが自分の責任だという判断ができない」というわかりやすい説明

以上のような考え方はロック以降の近代哲学で確立した。ロックは、人格の本質は意識であるととし、人格の同一性は記憶に依ってつながっているとした。また、ヒュームはその時々に断片的にある感情や知覚について、それらを統一するものが記憶であるとした。カントは意識し、考えるということがあらゆる自分の表象に伴うとし、意識を自分のものとして考えられることが、動物には無い人間の能力であるとした。このような「意識」を強調する考え方に対し、フロイトは「無意識」を仮定した。過去の抑圧された経験などを原因とするヒステリーなどは、無意識を意識化することで治療ができる。

2. 記憶のメカニズム
記憶にとって重要な器官は、海馬と大脳皮質、及び扁桃体などである。記憶のシステムは、まず海馬に刺激が保持され、数週間記憶の痕跡が形成される。その中で消えなかったものが、新皮質に移り固定されることになる。更に、主体としての意識や自覚を前提としたエピソード記憶に、感情が伴うと、恐怖や情動に関する機能を持つ扁桃体と海馬が連絡し、強い記憶となって忘れにくくなる。


一口に「記憶」と言っても分類すると実は多様

快・不快に基づく行動パターンと記憶の関係について、恐怖刺激とその後の心拍数を調べる実験を行なった結果、扁桃体(恐怖を感じる)損傷の場合恐怖刺激への反応が無く、海馬(記憶を掌る)損傷の場合恐怖刺激を覚えてはいないが刺激には反応することがわかった。以上のように、記憶と感情は密接に関係している。
では、不快な記憶を忘れることで自分にとって心地よいアイデンティティを構築できるのだろうか。トラウマやPTSDなどは、不快な記憶を消すことが出来れば解消できるのだろうか。今のところこのような技術はないが、将来的には可能になるかもしれない。その場合、記憶を消すことの倫理的な問題が問われることになるだろう。


質疑応答の様子



今回の震災によるPTSDや、震災をめぐる都知事の発言なども参照し、わかりやすく、かつ考えさせられる授業だったと思います。PTSDについては、翌22日に更に詳しく解説して下さいました。子供の頃の自分と今の自分は、記憶で完全に繋がっているとはいえない(子供の頃の記憶が全てあるわけではない)が、では同一の人格であると言えるのだろうかといった問いも、非常に面白いものでした。
私個人としては、これに更に記録による記憶の補完を盛り込むとどうなるのかについても興味をひかれます。例えば、小さい頃の写真に写っている自分の様子(カメラの方向いて、と言われても無視していた)を見て、親はいつも「あんたは昔からこうだった」と言うわけですが、それを参照することで自分は小さい頃の自分との自己同一性を確保し続けられているのです。ビデオ映像や、日記・昔の作文などならよりその傾向は顕著でしょう。「小さい頃の自分は今の自分と同じ」とは言えませんが、「小さい頃の自分は間違いなく『自分』だった」と言えるというのが、(言葉遊びのようですが)私の考えです。皆さんのお考えはいかがでしょうか。
(文責:赤木)
LAP staff2011/03/22 17:13:33(0票)


皆さま

震災の影響で、残念ながら第三班の派遣が見送られ、さらに、高橋先生のご出張もかなわない事態となりました。このため、本シリーズの最終講義である高橋先生の「記憶のエチカ」を、駒場の情報教育棟4階の国際会議システムを利用して南京大に講義を中継することになりました。日時、場所は以下の通りです。

日時:2011年3月24日、25日/10:00~13:00
場所:情報教育棟4階遠隔講義室

当日は、南京大学学生と東大学生との討論も行われます。南京へ行けなかった第三班の学生のみなさん、また、すでに帰国した学生のみなさん、最終講義を是非聞きにきてください。
なお、高橋先生の講義資料は、LAPホームページよりダウンロードすることができます。
URL:http://www.lap.c.u-tokyo.ac.jp/ja/nanjing_lectures/memory_and_documents/110324/
ダウンロードの際にはPW:t-lap を入れて下さい。

第四週のみなさんを派遣できず、教員側も大変残念に思っています。その分を、遠隔講義を通して少しでも補うことができれば幸いです。

石井 弓
UT student2011/03/20 20:20:49(1票)

みなさま

東京大学文科一類1年の中村奈菜美です。
地震や原発事故などで予定通り帰国できるか心配でしたが、今日無事に日本に帰国しました。

成田に到着して携帯の電源を入れると、当たり前だけど待ち受け画面のカレンダーが3月20日になっていて、南京行きの飛行機の中で携帯の電源を切ってからもう1週間もたったんだと改めて実感しました。

この1週間、頼りない私が、楽しく、新鮮な驚きにあふれた毎日を送れたのも、南京大学の学生の方々や東大の先生方、先輩方のおかげです。ありがとうございました!!

今回の集中講義は「記憶と記録」という文系的なテーマを掲げていました。その中で理系の渡辺先生と酒井先生が講義なさった第3週はちょっと特殊だったと思います。今回の講義は、理系の視点から文系的な問題を考えるという専門の枠にとらわれないリベラルアーツらしい視点を持っていて、言葉を使った観念の世界で物事を考えがちな文系の私にとって具体的な事実に基づいて「記憶と記録」という抽象的なテーマに迫って行くところが面白かったです。

講義はもちろんのこと、私が勉強になったのは南京大学の学生の方々の勉強に対する姿勢です。南京大学のみなさんは、びっくりするくらい日本語が上手で、日本人の私が聞いても一生懸命聞かないときちんと理解できないような講義を聞いて理解し、討論会の時も積極的に質問をしていて、私も頑張ろう!と2年生に向けて気持ちが引き締まりました。また、南京大学みなさんが南京の街を案内してくださったのもとても楽しかったです。ブログに写真も載っていますが、南京は古い歴史を持つ街である一方、経済も発展していて東京のような高層ビルもたくさん立っていました。しかし、東京よりも人々がのんびりとしていて、マイペースだけど一人ひとりが毎日元気でパワフルな街だという印象でした。個人的には私の故郷の鹿児島に雰囲気が似ていて好きです!

昨日の夜は、南京大学の皆さんにお礼の意味も込めた宴会をしたのですが、その際には南京大学の皆さんからお土産をたくさんいただきました。ありがとうございました!どれも素敵なお土産でとってもうれしかったけれど、私が一番うれしかったこの1週間のお土産は、南京大学の学生さんや東大の先輩方との出会いです。皆さんの優しい心遣いやディスカッションでの問題の核を捉えた発言、勤勉さなどなど、1週間一緒に過ごしてみて学問ではないけれど大事なことをたくさん学ぶことができました。学問の面でも人間的な面でもまだまだひよっこの私ですが、一歩ずつ進んでいって皆さんのような大学生になりたいです!

長くなってしまったけれど、南京大学のみなさんとはこれからも連絡を取っていけたら嬉しいです。ぜひぜひメールください!みなさんからメールが届いたらパソコンの前で飛んで喜びます、きっと!!(笑)


それではみなさんありがとうございました!謝謝!!

中村奈菜美

LAP staff2011/03/21 16:41:09(0票)

 
上海経由で昨日帰国しました。
その際に上海博物館に寄りました。
そこで発見した「酒井先生と博物館の関係」について、簡単にレポートします。

上海博物館には、中国の歴史の様々な側面が分野ごとに大量に保存(記録)されています。青銅器館、玉器館、石像館、陶器館、絵画館などなど。みなさんも上海にお立ち寄りの際はぜひ見に行ってください。
上海博物館
まず入ったのが青銅器館。そこには紀元前1300年に作られたものから古い順に様々な青銅器が展示されていました。その中には文字が書きつけられているものもあり、古くから使われていた象形文字を、目の当たりにすることができます。
      紀元前11世紀に作成された酒器

                              青銅器の写真を撮る酒井先生

その中で酒井先生が立ち止ったのが、この青銅器。紀元前6世紀に呉王夫差に贈られたものです。

立ち止まること30分。酒井先生が何を見ていたかというと・・・

青銅器それ自体ではなく、繰り返しのパターンを作っている渦巻き模様です!


ハート形の模様の中にも渦巻きが。そして先端にはさらに小さなハートが入れ子状に刻み込まれています。この青銅器の制作方法は外側の型に青銅を流し込み、内側の型をはめ込んだそうですが、どうやってこのような細かい模様を作ったのか、まだ明らかではないし、現在の技術では復元不可能だとのこと。酒井先生はこのようなパターン化された模様の中にこそ、人間の言語活動を感じるとのことです。人間言語のサガのようなもの、そして、酒井先生のものの見方を、博物館の中で垣間見ることになりました。

その後、石像館にも行きましたが、酒井先生が注目するのは・・・

やはりこの石像のパターン!細かな仏像がひとつの碑の中に何百体も刻み込まれています。


パターン模様に目をキラキラさせながら(私はくらくらしながら・・・)博物館を後にしました。
最後におまけです。上海のレストランに入ったとたん、酒井先生が注目したもの・・・

壁一面の蝶々の標本。チョムスキーの「蝶々集め」とはこのことだったのかと、実感しました。手前の椅子と比較すると、蝶々の大きさがよくわかるかと思います。酒井先生の講義を追体験するような上海でした。

石井 弓
LAP staff2011/03/20 15:56:01(1票)

3月19日の夜、第二班の学生交流最終日、「春水塘」(漢字うろ覚えです)にて南大の学生さんたちへのお礼の宴会を開きました。

食べ物の話、酒の話、研究内容の話、趣味の話、マンガの話、音楽の話、社会の話、年齢の話、血液型・星座の話……本当に沢山の話題が次々に飛び交って、最後の夜に相応しいにぎやかさだったのではないかと思います。
勢いに飲まれてあまり写真を撮っていませんでした。皆さんの心のカメラに期待します。

赤木がいた方

向こう側



最後に名残を惜しみつつ、南苑ロビーで集合写真を撮りました。ロビーの光の加減で黄色っぽいですが……。
集合写真
もしも元の写真を欲しい方がいらっしゃいましたら、この記事へのコメントでもメールでもかまいませんので、連絡を下さればお送りします。

皆さんにとって今回のプログラムが意義深く思い出深いものであることを願っております。

(文責:赤木)
LAP staff2011/03/20 15:37:52(0票)

3月18日の午後、講義終了後の酒井先生と、歩いて鶏鳴寺・城壁まで行ってきました。中国は初めてとのことでしたが、既に慣れたご様子で身軽に道路を渡っておられました。

鶏鳴寺といえば、入口でもらえるお線香に高い塔、そして裏から続く明代の城壁など見どころ沢山ですが、酒井先生は色鮮やかな仏像群を熱心に見ておられました。毘沙門天が左手に握り締めていた(?)動物が犬のようにも猿のようにも、ともすると獣魔のようにも見えたり。(ということで帰ってから調べてみたところ、鼠だったそうです!そういえば灰色でした)

上の方で、建物の前にある金属製の何かに、中国の方が必死で硬貨を投げ入れていました。日本で言うところの鳥居に硬貨を投げて載せることに近いのでしょうか?
鶏鳴寺にて
写真小さくてごめんなさい。中央の黒っぽいものの周りで飛び跳ねていました。

その後塔には登らず、城壁に出ました。古い城壁と新しい近代的建造物、それに湖の取り合わせはどこか不思議な光景です。
ビルを背景に
ビルと城壁
更に湖
湖も綺麗に見渡せます

城壁の途中には城壁に関する展示室があります。明代の模型もあるので、現代の地図と照らし合わせると興味深いです。
模型
あのへんに南京大学が……などと考えるのも楽しい



おまけ
帰り道でウサギを売っていました。いくらくらいなのか聞いてみればよかったかな?
うさぎ
まるまるとして可愛らしい
(文責:赤木)
LAP staff2011/03/20 15:14:57(0票)

講義中の酒井先生
石井さんの質問に答える酒井先生

本日の講義では、まず記憶と記録について、酒井先生による定義がなされました。
それによると、記憶とは過去の事象が失われないように保存すること記録とは文字や非言語的シンボルを使ってある事象が一定期間保存されたものを指すとのことです。DNAは経験を書き込めないことから、記憶ではなく記録であるとされました。

続いて、社会主義的言語観と、自然科学的言語観の相違について説明してくださいました。
前者は音や手話が言語という社会的な慣習としての構造を介して記録や意味と結びつくものであり、そういった結びつけるための約束事が成立すればそれは言語であるとするもの。
後者は音や手話は人間の脳という生得的システムを介して意味と結びつくものであり、言語は人間の脳の中に生まれつき備わっているシステムを利用しているとする言語観です。

チョムスキーは、見たこともないはずの、意味も成していない「文章」でも文法的な正誤は判断できるという人間の脳の特性から、言語を行動主義から論じることの限界を指摘し、生成文法という仮説を打ち立てました。様々な言語は全て、結局は同じ「人間の脳」が使っている「普遍文法」であるとし、脳科学的な側面から言語を論じようとしたとのこと。この、「言語学は科学だ」という主張に、酒井先生は感動されたそうです。

チョムスキーの言語論は、言語から意味をも切り捨て、人間のあらゆる言語は階層からなる同じパターンの抽象的な樹形図に表わすことができるとしました。

こういった、同じ構造がスケールを変えて(スケール不変性)繰り返されるフラクタル構造が、人間の言語を支えているとのこと。このフラクタルは、自然界にも多く見られる形の根本であり、また、例えば音楽などの文化的作品にも見てとれるそうです。
運命
交響曲第5番『運命』を例に。だだだだ~ん♪

こういった文責から、人間の言語は必然的に数学であり、物理学である、というのが本日の講義のまとめでした。

チョムスキーの理論はとても難しいそうですが、それをわかりやすく漫画にしたお勧めの入門書を紹介してくださいました。日本語版もあるそうです。この本にまとめてある、「研究対象は無闇に広げず絞り込むこと」などといったチョムスキーの研究方針は、非常に有用であり重要であるとのことでした。
スーパーマン仕様
理論の難解さはもとより、チョムスキーの授業は板書がまず読めないとか

講義中は学生一人ひとりに要所要所で意見を求めていました。講義一辺倒でない、参加型の授業になってすごく良かったと思います。「英語では一種類の単語でしか表現されないけれど、日本語では複数の単語が当てはめられている事物の例」など、南大の学生さんには難しい日本語の演習になりそうな問いも。(ちなみに解答例はこちらを反転→人称名詞(I/私・俺・僕)や米(rice/稲・米・ご飯)など
授業中
何だか楽しそうな講義風景

授業内では主に日本語と英語の比較が例として挙げられていましたが、これを日本語と中国語にすると、また面白い発見があるかもしれません。生成文法といった新しい言語の捉え方も、皆さんの刺激になったのではないかと思います。皆さんが、今回の授業の内容を、「記憶と記録」というテーマとどうリンクさせ、考察を深めるのか楽しみです。
(文責:赤木)
UT student2011/03/19 19:22:30(1票)

はじめまして。南京第2班の杉谷です。

3月17日に行われた、酒井先生の一日目の講義と討論会の様子をまとめておきたいと思います。記憶が薄れないうちに。以下の内容は私のノートをもとにしたものなので、いろいろと問題があるかもしれませんが、ご指摘いただければ幸いです。

*********

私たちはふつう文系と理系ということを漠然と考えていますが、先生によればそれは、主観的/客観的、個別/普遍、そして歴史性(一回性)/再現性という両極間に存在します。人間はふつう、主観的かつ個別的な、その意味で文系的な存在と考えられていますが、人間の合理的行動には普遍性と再現性があるため科学の対象にもなりえます。

しかし科学といっても、人間を動物の一種として見る生物学・動物行動学的視点、あるいは機械の方から人間に近いロボットや人工知能を作ろうとする工学的視点のいずれも不十分であり、言語学と脳科学が不可欠である、というのが先生の主張でした。言い換えれば、人間を動物とも、機械とも決定的に分かつのが、人間の言語(活動)と、それを支える人間的な脳ということになります。


講義中の酒井先生。熱が入ると早口に?

では、人間の脳と言語はどういう関係なのか。先生は、脳のなかに心が含まれ、心の中に言語が含まれる、という三段階の階層構造をなしている、という立場を提示されたように思います。そしてその説明のために、脳の働きだが心の機能(知覚、記憶、意識)ではない例として反射や呼吸を、また心の働きだが言語(統語処理、意味処理、音韻処理)ではない例として感情、精神病、動物の心を、それぞれ挙げていました。

講義の後半は、このような言語が、人間の生得的能力であり、かつ人間に特有の能力であることを、他の生物との比較によって浮き上がらせるものでした。それは、一方では生物進化を連続的なものとみる見方への批判、他方では動物に言語使用が可能であるとの見方への批判という二面からなされていたと思います。とりわけ重点は後者にあって、動物の言語使用とは、外部にある言語を操って人間に喜ばれるような模倣をしているに過ぎないのに対して(チンパンジーやClever Hansの例)、人間の言語とは人間の脳の中に生得的に備わっている能力であり、トレーニングなしで乳幼児が習得できる、という特徴を持ちます。これを、自然言語と呼ぶ、というところで、一日目の講義が終了しました。


講義は一人ひとりに質問をしながら進められました。写真は質問に答える橋場さん


*********

討論会には、石井さんと酒井先生が来てくださいました。

前半は、渡辺先生の二日目の講義に関するまとめでした。内容は、おおよそ下で赤木さん、大屋さんにまとめていただいた通りで、植物においてDNAを記録と見るならば、ではいったい何が記憶なのか、という問題を討論しました。環境変化の情報を受け取り、それを未来に向けて使っていく、という活動そのものを記憶しているとみるならば、ということから出発して、大きく分ければ二つの問題が出されたと思います。一つは、記憶と記録の線引きの問題で、環境の永続的な変化が遺伝子変化をも引き起こす現象(エピジェネティクス)はどう捉えればよいのか、そもそも脳のない植物では、記憶と記録は同一ではないのか、いや何か線引きができるのでは、というような議論でした。もう一つは、このような記憶の捉え方には、記憶が「過去の保存」であるという直観とズレがある(より現在、未来に重きが置かれている)という問いで、植物の記憶を考えることは、人間が当たり前に考えている記憶という概念に対する見方の変更を迫るものではないか、というような話になりました。

酒井先生は、この討論をうけて、二日目の講義の最初に以下のような考えを述べられました。つまり、記憶も記録も過去の事象の保存であるが、記憶が「記銘、保持、想起」という人間の脳における現象であるのに対して、それが何らかの形で表象されて、かつ一定期間保存されたものを記録と呼ぶ、したがって階層構造としては記録は記憶に含まれる、という考えです。これも一つの図式としてありうると思いますが、私としては、植物という科学的なアプローチが一般的な対象において、あえて「記憶」を考えようとする渡辺先生と、言語にあえて極度の抽象化を行うことで、完全に科学性の内側で解明しようとする酒井先生の、きわめて興味深い対比だなと感じました。

後半は酒井先生が議論をずっとリードしておられたのと、私もノートを取っていなかったので、文字で再現するのにかなり限界があると思います。先生の主張は、一つは言語においてコミュニケーションが重要であるという考えは、ある意味文系的な偏見であって、実はそれは二次的なものに過ぎないということ、もう一つは、自然言語というものには生成的な多様性(クレオール語のように)があって常に複雑化していること、また日本語、方言、個人語のように見れば階層的な多様性も存在している、ということだったと思います。


真剣に講義を聞く学生さんたち

*********

最後に疑問と感想をいくつか(私の個人的な考えですが)

文系の人間としては、理系は普遍的、再現可能という割り切り方は少し納得できませんでした。理系の実験だって、条件はその都度変化するし、全く同一時間に行われているわけではない。そうすると、そこに共通のものを見出すのは一つの抽象化なので、文系は抽象度が低い、理系は高い、という違いから言えば個別/普遍などと対比しうるかもしれない、とは思いますが、個人語というレベルで考えれば皆の言語がすべて違う、というような意味で言えば、文系も理系も同じ危うさの上に乗っかっているというのが私の実感です。

言語にはコミュニケーションは不要だ、という考えや、生物学的な発声器官の変化と言語とは直接関係ない、という考えは、科学的な割り切ったものとして理解はできますが、しかし人間がどういうわけか、まず音声的に言語を獲得した、ということの重要性はあるのでは、と思います。これに関連する疑問ですが、先生が言語の機能として挙げられた「音韻処理」は、手話を自然言語とする人のなかではどうなっているのか、知りたいと思いました。

階層性によって脳、心、言語を考える、というくだりでは、アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊』 原題"Ghost in the Machine"の「ホロン」という概念を思い出しました。この本はなかなか面白くて、また行動主義的心理学批判という点だけ見ればチョムスキーと共通点もある気がします。興味のある方に読んでいただければと思って名前だけ挙げておきます。

*********

以上です。これまでのを見ると写真をいっぱい使ったりしていて私もできればそうしたいのですが、いま時間の制約と、手元にデータもない、ということでメモ程度のことしかできませんでした。このブログですが、もし余裕のある時に写真を使ったり、あるいは先生の使われたPPTを挿入したりなど修正できる仕組みになっているとうれしいです。

杉谷
LAP staff2011/03/20 12:16:49(0票)

3月16日、上海の虹橋空港から帰国される渡邊先生のお見送りに、新幹線で上海に行って参りました。1時間程度で到着。
新幹線速度
多分最高速度はこの瞬間

石井さんお勧めの「小南国」というお店で昼食を食べてきました。調べてみたら銀座にもチェーンを出している模様
昼食
最初に頼んだ小エビと渡邊先生

中華民国初代教育総長・北京大学学長などを勤めた蔡元培の故居に行ってきました。
蔡元培
写真だと毛沢東の名の方が目立ってますが……

旧租界の一角はオーダーメイドスーツのお店が立ち並んでいました。ウィンドウを覗き込みつつ歩いているうちに見つけたもの。
のび太!のび太じゃないか!
の、のび太としずかちゃん!?

あまりうまくご案内できませんでしたが、南京とはまた違う上海の面白さを感じていただけたなら幸いです。
夜景
ホテルからの眺め
(文責:赤木)
LAP staff2011/03/19 01:58:39(0票)

第三班の皆さま

 

刈間先生から連絡がありました通り、大震災の影響により、第三班の南京派遣を中止せざるを得なくなってしまいました。

南京で皆さんの到着を待っていた者としては、残念で仕方がありません。

刈間先生をはじめ、LAP関係者は何とか派遣を実現しようと尽力しましたが、協議の結果、皆さんの安全を第一に考え、このような決定をせざるを得なかったことを、どうかご理解下さい。

 

既に配布しましたチケットについては、キャンセルの手続きを行います。

また、振り込まれた活動費等をどうするかについては、大学の経理課と相談の上、連絡致します。

連絡できるのは来週になりますので、メールをチェックしておいて下さい。

石井 弓

 

LAP staff2011/03/18 00:11:41(0票)

3月15日、渡邊雄一郎先生の講義「植物が示してくれる記憶、記録」(前半)が行なわれました。

植物が次世代を残そうとする営みについて、前日(14日)の茎頂分裂組織のお話との関連から、分裂組織があれば植物は再生できるという点を、身近なニンジンなどを例に解説して下さいました。一部が切られて無くなるなどの非常事態には、次の世代がある分裂組織で再生をしていこうとする共通性が、植物には見られるとのことです。
台所でよく見られる光景
台所などでお馴染みの光景です



ここまで書いて(ネットの調子の関係で)一時保存していたのですが、大屋さんが丁寧に紹介してくださったので、あとは写真を中心に簡単にまとめます。

絵文字:星 染色体の関係で三毛猫にはメスしかいないというお話
一方のX染色体に白色と茶色、もう一方のX染色体に白色と黒色の毛の遺伝子が乗っているからだそうです。(隣の席で石井さんが猫の話に身を乗り出していたのが印象的でした絵文字:猫

手前に手が入ってしまったのですが、良い感じなので掲載

絵文字:星 人と植物との関係は、文化や記憶が関係している
同じ桜の花でも、日本とカナダでは大分印象が異なります。カナダはあくまで数ある春の花の一つとして愛でるという。

チューリップとかと一緒に植えられても、確かに違和感が

絵文字:星 ラジオ体操する植物
植物が光の方へ葉を向けようとする動きを高速再生したものに、更にラジオ体操の音楽を合わせると、何と植物がラジオ体操しているかのように。中国の学生にも通じるネタだったようで、渡邊先生も嬉しそうでした。

私の印象としては、一時期流行った、音楽に合わせて動く花のおもちゃを思い出しました
(名前忘れました)

絵文字:星 その他
厳しい環境で育った果実は、逆に子孫を残すため懸命に糖分(糖分が高いと凍りにくいので、環境の変化に強い)ということの例として、1つ400円もする、非常に過酷な環境で育てられた美味しいトマト(トマトの原産地である南米は砂ばかりで乾燥している)のお話などもして下さいました。学術的なお話も、食べ物を始めとする身近な題材を例にとっていただけたことで、日中双方の皆さんにとってもわかりやすい内容になったのではないかなと思います。
感想や質問などは、LAPホームページの渡邊先生のページ(日本語)(中国語)へ書き込んでみてください。

教室の様子

(文責:赤木)
UT student2011/03/17 01:18:30(0票)


第三週TAの大屋 愛実です。

一昨日、昨日に行われた渡邊先生の講義内容と討論会のようすについてまとめさせて頂きます。
(私の勝手な解釈も含まれているかもしれません、申し訳ありません。)

記憶と記録という文系で扱われそうな題材について、渡邊先生は植物という生物学的な観点からお話してくださりました。

植物において記録と言えるものは遺伝情報で、遺伝情報を記録とした時に記憶とは何か?という事を聴講者それぞれが考えさせられる講義でした。

遺伝情報から私達はたんぱく質をつくり、生き物として形づくられますが、
その遺伝情報は全て使われているわけではありません。
たとえばミジンコは人間より遺伝情報を沢山持っていますが、使っている部分がわずかなのであんなに小さな生き物なのです。

どのように遺伝情報を選択して使っているか、というところに記憶の働きがあります。
植物をとりまく様々な環境変化を植物自身が記憶し、そこからどの遺伝情報を使うかを選択して
植物はしなやかに時代を生き抜いてきたのです。

見た目によらずたくましく生き抜いてきた植物があったからこそ人間は生きることができているので、
その恩恵に感謝し、自然によって生かしてもらっているという謙虚な姿勢を忘れないようにしたいものです。

講義の中で印象に残ったのが、植物は厳しい状況にいるほど試行錯誤を繰り返して長生きするということでした。
現在、日本は地震という大災害に見舞われ、厳しい状態にあります。
そんな中で中国を始め世界中の方々が支援してくださっています。
そのことに感謝しつつ、植物のように試行錯誤を繰り返して
みんながより強く生きていけることを願っています。

討論会では文系の学生さんから科学的な事象についての質問が多く寄せられました。
遺伝子操作については、研究の現場だけでなく日常生活でも行われているのか
めしべとおしべの違いは何か、それらがなかったらどうやって植物は生きていくのかなどなど。

実際にみんなで梅も見に行きました。
中国にとっての梅、日本にとっての桜、どちらも特別な愛情をもって
それだけで梅林や桜並木を作ります。
それに対し欧米は庭園の一部だけ桜になっているものが多いそうです。

花を見て“美しい”という共通の感情を抱くことによって
南大と東大の学生さんの間の心も通じ合ったような気がしました。

まだ植物における記憶が何なのか結論が出ていないのでこれから酒井先生の講義内容と合わせてみんなで理解を深めて行きたいです
LAP staff2011/03/17 01:12:35(0票)

本日、酒井邦嘉先生が無事到着されました。
明日から2日間講義をご担当いただきます。
渡邊先生が脳をもたない植物から記憶・記憶についてお話し下さったのに対し、酒井先生は「脳から見た人間言語の記憶と記録」をお話し下さいます。様々な観点から記憶と記録について考えるチャンスになると思います。明日が楽しみです。

石井 弓
LAP staff2011/03/17 01:04:18(1票)

渡邊先生の第二回目の授業の後で、先生と学生のみなさん(南大・東大)と南京の梅花山へ行きました。本物の梅を見ながら先生のお話を聞きたいという、南大の皆さんからの提案です。梅花山には様々な種類の梅が咲き乱れていましたが、午前中の講義の影響か、それぞれがどうしてこうやって咲いているのか、いつもとは違った視点から眺めることができました。

梅花山にて渡邊先生と

梅花山の隣には明の最初の皇帝である朱元璋の墓があります。帰りにはこれを参観。700年の歴史を体感しました。朱元璋の墓はユニークな動物たちであふれていたので、そのいくつかを紹介します。


墓を守る石獣の道(ラクダ)

石獣の麒麟と渡邊先生と劉さん。麒麟もちょっと笑ってる?

龍の石造(建物の水はけ?)
石の動物たちはそれぞれユーモラスな顔をしていて、700年前の中国人たちの想像力に感動しました。

石井 弓
LAP staff2011/03/15 03:18:58(1票)

3月14日、渡邊雄一郎先生の講義「植物が示してくれる記憶、記録」(前半)が行なわれました。

「DNAという記録さえあれば生きられるのか」という仮説に対し、「それをどう生かすか」が問題であるということ、そして、「ミジンコの持つ全情報は人間のそれよりも多い」という興味深い事実から、「情報を持っているだけが全てではない」、「少ない記録をどう生産的に使うかが大切である」ことが説明されました。「記録の量と活動の質(≒記憶)は別物である」そうです。

実際に南京大学に落ちていた枝を手に、植物の「記録」を担う茎頂分裂組織について詳しく解説して下さいました。先端(茎頂)が常に次世代を担い、一方でその下部は植物の体を作り、大人の記憶を担当している様は、「若い世代をいろいろな世代が盛り上げている」人間社会の様子と重ねられるとのこと。
葉っぱを持って説明
この枝、休み時間に拾って戻られたのでびっくりしました。

また、植物の「性」について、飯野先生・清水先生のご講義に少し言及されつつ、「植物には2つと言わず8も12も『性』がある」こと、異なるものと出会い子孫を残すことが性差の本質であり、植物はそのために非常に多様な工夫をしているというお話もして下さいました。

植物は様々な「記録」を持っているが、それをどう用いるかは常に適材適所であり、例えば葉にも花と同じ「記録」はあるが、葉としてあるためにそれを抑えている――即ち記録の中の記録で制御(調節)しているそうです。様々な植物を例にとって説明して下さり、植物を見る目が変わりそうです。

また、朝顔のつぼみを用いた実験も非常に面白いものでした。朝顔の花のつぼみは、折りたたみ傘のような形にねじられているわけですが、予め開いた形から畳まれる傘と異なり、花のつぼみは一度も開いたことが無いにも関わらずあの形になっており、そして綺麗に開くという事実。これは記録だけで説明ができるのかどうかわからないけれど興味深いとのことでした。
傘がわかりやすい
石井さんの傘が大活躍。わかりやすかったです。

最後に、黄金比を導くフィボナッチ数列と植物に見られる数との不思議な符合から考えられる、「植物は数を数えられる?」という仮説は、聞いていて講義記録の写真を撮るのを忘れるほどにどきどきする面白さでした。

専門的な用語(「オゾン層」や「シアノバクテリア」など)を中国語に訳して説明して下さり、南京大学の学生さん達の理解の助けになったのではないかと思います。シアノバクテリアについては、何とシャーレに入れて日本から持ってきて下さいました。
シアノバクテリアに見入る
シアノバクテリア、授業中に回してくださいました。鮮やかな緑色!

長々と失礼致しました。後半の講義も楽しみにしております。
(文責:赤木)
LAP staff2011/03/13 23:40:10(0票)

石井です。

大変な状況の中、本日無事に第二班全員を迎え入れることができました。
夕方日本人どうしで食事を済ませた後、渡邉先生のお部屋でこれまでの状況と、これからどうやっていくかについて、情報交換及び話し合いをしたところです。
中国では日本の状況がなかなか把握できず、大変不安でしたが、今日到着したみなさんから現地の情報と、何より元気な顔を見ることができて、ほっとしました。
また、訪中の中止もあり得る中、こうして全員が集まり、集中講義に参加することの意義は大きいと思います。
明日からまた精一杯頑張りたいと思います。
LAP staff2011/03/13 08:51:02(0票)

南京の第一班は予定通り搭乗手続きを済ませました。(石井)
UT teacher2011/03/13 06:32:34(0票)

13日(日)は、東大派遣の学生にみなさんの第一班の帰国日であり、第二班の南京到着日です。福島原発の事故の影響が心配されますが、いま(北京時間、午前5時半)の時点では、成田空港がその影響を受けたという報道は出ていません。

予定通り、南京にいる第一班は、午前6時にホテルを出発する予定です。第二班の学生の皆さんは、今後の情報に注意をしてください。
                          (刈間文俊)
UT teacher2011/03/13 01:42:53(0票)

13日に訪中する人は、家を出る前に、LAPからのメールが来ていないか、もう一度、確認をしてください。訪中する人に関連して、なにか事態に変化があったときは、13日の朝までにメールを送ります。
                   (刈間文俊)
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