ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第4回 03月14日 村岡ゆかり

彩色材料と模写技法

「やまと絵」「和画」などと呼ばれてきた日本の伝統的な絵画、その起源は、5世紀頃の中国や朝鮮半島との交流によってもたらされた技術や美術品であると考えられている。その後日本独自の発展を続け、今では多くの絵画作品が遺されている。ここで使用されてきた彩色材料は、主に天然の素材から作られたものであり、現在のチューブに入った絵具とは材質も使用方法も異なるものである。日本の絵師たちは、彩色材料を巧みに使い、様々な技法を生み出し、確立していった。
しかしこれらの技法は、工房内や弟子などの絵師間での秘伝・口伝として一般に伝わることはなく、16世紀頃から数名の絵師によって書かれた技法書がわずかな手掛かりとして現代に残っているだけとなった。
古典絵画を精密に写す行為の一つとして、「模写」がある。模写は、原本資料の保存に一役を担っているだけでなく、日本古来より伝わる失われた技法を取り戻し、継承する行為としての意味もある。原本の制作過程を体現しながら行う模写は、彩色方法だけでなく、彩色材料を探ることも必要な工程の一つである。模写の技法を知ることで、日本の伝統的な絵画の彩色材料を理解し、考察することができるだろう。
講師紹介

村岡ゆかり
東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術専攻修士課程修了。東京大学史料編纂所史料保存技術室に所属。古典絵画を精密に写す模写の専門家。
授業風景

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【南京大学集中講義「色」第7講2016年3月14日】
「彩色材料と模写技法」
村岡ゆかり

本日(3月14日)より二日間に亘り、「彩色材料と模写技法」という題で講義をしてくださるのは、史料編纂所史料保存技術室に勤務なさっている村岡ゆかり先生である。史料編纂所は、30万点にも及ぶ歴史史料の原本および複製史料を収集・保存するだけでなく、積極的に公開・提供を行っており、現在、歴史研究の要となっている。なかでも、修理・影写・写真・模写という四つの分野で、複本の作成や史料の保存・修理を推進している史料保存技術室は、少人数ながらも日本で唯一の歴史学に関する総合的な技術組織である。

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村岡先生の専門は模写であり、史料編纂所では「東博摩本洛中洛外図屏風復元」(東京国立博物館所蔵)や「敦煌莫高窟第220窟東壁維摩経変相図帝王図」(莫高窟第二二〇窟東壁北側)など数数の復元に携わってこられた。今回の講義では、実際に史料保存に携わってこられた村岡先生だからこそご教授いただけるような、日本画復元のための微に入り細を穿つ、それでいて解りやすいお話が伺えた。

 村岡先生が扱っているのは、現在では「日本画」と呼ばれている日本の伝統的な絵画である。これは、5世紀ごろの中国・朝鮮半島との交流によって日本にもたらされ、そののち日本で独自の発展を遂げ、現在に至っている。使用されている彩色材料は、今の絵の具とはまったく異なり、基本的に天然由来のものであり、その使用方法もまた独自のものであった。彩色材料は現代の日本画家にも用いられている一方で、その技法は、工房内や弟子などの絵師間での秘伝・口伝であったため、16世紀頃から数名の絵師によって書かれた技法書がわずかな手掛かりとして現代に残っているにすぎない。そのため、古典絵画の復元を行うことは、今や失われてしまったかつての技法を解き明かすことと意味を同じくする。ゆえに、復元作業は、絵画を史料として保存することを可能にするばかりではなく、日本の伝統的な技法を後世へと伝えていく役割をも担っている。

試みに古典絵画の材料を並べてみれば、素材・筆・刷毛・接着剤(膠)・絵具などが挙げられる。今回の講義の中心ではなかったが、素材ひとつとっても、わたしたちにも親しみのある和紙・絵絹のほかに、現代では用いられなくなってしまった麻布・石・土といったものもあり、継承されているものがある反面、失われた技法もまたあることが感じられた。

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本題の彩色材料に関しては、①鉱物や土を砕いたもの(顔料)と②動植物由来のもの(染料)の二種類に大別できる。①に属するものには、群青・緑青・辰砂(しんしゃ)・丹・石黄・胡粉・雲母・鉛白・白土・金箔があり、②に属するものには、藍・臙脂・藤黄・墨がある。そのひとつひとつについて、実際の色や原材料の提示があり、原材料からどのようにして色を引き出していたかなども具体的にご教授いただいた。たとえば、藍は、葉を発酵させ、その際に出る泡を取り、乾燥させたものを利用していた。現在では、合成のものばかりになってしまったが、古来の方法による藍のほうが鮮やかに発色するという。こうして、作られた彩色材料は、混ぜることによって、さらに様々な色へと変わっていく。混色の方法は、近代の技法所に記載されている。十種を超える色について、どの顔料・染料を混色しているのか、実際の絵においてどのようなところで用いられているかを紹介していただいた。

 そのなかに、臙脂具(えんじのぐ)、丹具(たんのぐ)など「~具」と称される色がいくつか存在した。それは、すべて胡粉を混ぜて作られる色である。古典絵画は「胡粉に始まり胡粉に終わる」と言われるほどに、胡粉は重要な顔料だ。しかし、その胡粉を溶き、絵具として用いるのには複雑な工程を経なければならない。他の染料の溶き方とともに胡粉の溶き方についてもご説明があった。胡粉を絵具として使うだけで、どれほど多くの段階を踏まなければならないのか、以下辿っておきたい。

どの染料についても共通するが、まずは膠を溶く作業から始まる。そのために、膠をこなごなに砕き、膠鍋という専用の鍋で煮る。このようにして溶いた膠は接着剤として用いることなる。次に、胡粉を乳鉢に入れる。胡粉は粒子が大変細かいため、市販されているものを乳鉢に入れてみると塊になってしまっている。それを乳鉢で擂っていくのである。そうして、擂り終えた胡粉に膠を加える。それをまた擂り、さらに膠を加え、また擂る。その作業を繰り返して行くと、膠と胡粉が混ざり合って団子状になる。その際の固さは、耳たぶ程度がちょうどよいとされている。団子状になった胡粉は、乳鉢に幾度も叩きつける「百叩き」と呼ばれる工程を経て、皿へと移される。皿に水を加え、撫でるようにやさしく溶いたところで、ようやく絵具として用いることができるのである。しかし、これほど苦労をしてこしらえても、膠が腐ってしまうために、1日程度で使用できなくなってしまうのだという。いかに、古典絵画の技法が複雑であり、継承していくためには多大な労力が必要であることがここからも窺えよう。

最後に、先生がお話になったのは、絵具の性質を利用して、絵に用いられている彩色材料を科学的に分析する方法についてであった。調査は、調査対象への「非接触・非破壊」が原則となっている。方法としては、①顕微鏡写真、②蛍光X線分析、③可視反射分光スペクトル測定、④赤外線写真撮影、⑤デジタルカメラ撮影などがある。たとえば、顕微鏡写真では、混色する材料をそれぞれ確認することができるので、裸眼で単色に見える色も多種の材料で構成されていることを知る手立てとなる。蛍光X線分析では、材料に含まれる元素にX線を当てることで生じた蛍光X線によって元素の種類と量を検出することができ、用いられている顔料の特定に役立つ。そして、もっとも手軽に行える方法が、デジタルカメラ撮影である。これは市販のデジタルカメラを用いて撮影を行い、裸眼では確認でいない細部の様子を観察するために用いる。これらの方法を駆使することで、時代ごとの色づかいの特色や、今は変色してしまったものの元の色を知ることが可能となるのである。

古典絵画に用いられている彩色材料の独自性、そしてその材料を絵具として用いる複雑で繊細な過程は、意図的に継承を試みなければ失われてしまうものであり、残念ながらすでに失われてしまったものも多くある。しかし、村岡先生は史料の保存のため、復元を試みるなかで、現代における古典的な色や技法の継承者の役割をも引き受けていらっしゃるといえよう。明日の講義では、実際に模写の技法についてお話しいただくとともに、上げ写しと呼ばれる模写方法を実習させていただけるとのことだ。古典絵画の技法を、ごくわずかながら体験し、「継承」できる貴重な機会であり、非常に楽しみである。

(文・石川真奈実)

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【南京大学集中講義「色」第8講2016年3月15日】
「彩色材料と模写技法」
村岡ゆかり
 
 昨日に引きつづき、本日も史料編纂所資料保存技術室の村岡ゆかり先生の講義である。昨日が彩色材料やその使い方、さらにはその検出方法などに関する精緻 な講義であったが、今日は実際の模写技法に重点を置き、模写の意義を考え、さらには模写の実習を行うという盛り沢山な内容である。授業の本題に入る前に、 南京大学の学生から寄せられた質問への回答をしてくださったので、その始終を以下に記録しておく。
 
質問1:人の手で修復するのは時間がかかる。では、最新技術を用いて、機械による修復は可能になるのか。
回答1:すでに、高精細の写真による複製というものがある。これは、絹や板などに印画する(写真をプリントする方法)が開発されていて、本物と同じように 見える。ガラスケースの中にその写真が展示されていれば、本物と区別がつかないというような写真も存在する。では、なぜ人の手による模写が必要なのかにつ いては、今日の講義を聞いて答えを見つけてほしい。
 
質問2:複数の顔料を重ねて塗った場合や、顔料を厚く塗った場合は、科学的な検出は可能か。
回答2:重ね塗りであっても、厚く塗ってあっても検出は可能である。
 
質問3:時間経過による顔料の気化が発生しても、正確に検出できるか。
回答3:変色の場合は検出可能であるが、気化してなくなってしまったものに関しては検出はできない。
 
質問4:顔料に関して、顔料の色が時間によって変化するのであれば、もとの絵が描かれた直後の色を復元するのか、現在の状態の色を復元するのか。
回答4:元の絵が描かれた直後の色を復元する。
 
(その他にも寄せられた質問については、時間の都合上触れることはできないが、今日の講義を聞くことで答えが見いだせるものも多くあるため、答えを探しながら受講してほしいとのことであった)
 
 それでは、講義内容へと移っていこう。講義は、史料編纂所が行っている主要な模写の紹介から始まった。史料編纂所では、絵画・肖像画・屏風とあまたの模 写を行ってきた。では、模写をする目的はいったいどこにあるのだろか。その理由は、①文化財保存、②絵画研究の史料、③古典技術の保存という三点に大別で きるという。まず、①文化財保存についてである。文化財を傷めないためには、適切に管理された保存空間から出されないことが一番だ。そのため、原本に忠実 で鑑賞・研究に堪えうる模写を作り、模写を原本の代わりに展示・研究に用いることが、文化財の保護に繋がるというわけである。②絵画研究の史料には、ふた つの意味が含まれている。模写は一センチ四方単位で行っていくため、その過程で細部を観察しすることとなり、古典絵画が描かれた当時の表現技法や表現方法 が明らかになる。それは、学問的にも重要なデータとなるという意味がひとつである。もう一方は、史料編纂所が蒐集・作成してきた模写のなかには、すでに原 本が失われてしまったものもあり、そのような史料については、模写が研究をするうえで非常に貴重な史料となるということだ。③古典技術の保存とは、昨日か ら村岡先生が繰り返し強調なさっている点である。模写をするとはすなわち、当時の技術の修得や再現を行うことに他ならないからだ。

 模写を行うことに、以上のような重要な意義が潜んでいることを解き明かしたうえで、村岡先生の講義は実際の模写の工程の説明へと進んでいく。第一の工程 として、「ドーサ引き(礬砂引き)」が挙げられる。これは、明礬の溶液を紙などに塗っていき、繊維の隙間を埋めていく作業である。この明礬を入れる量にも 細心の注意が必要とされ、明礬を入れすぎると劣化を早めることとなり、また明礬が少なすぎると絵具が滲みやすくなってしまうという。工程ひとつをとっても 技術が要求されることが解る。次に、膠水をゆっくりしみこませるように紙に塗っていく。かつては熱いお湯に膠を溶かすのが良いとされてきたが、近年の研究 で25℃の水が最も膠を溶かすことができることが明らかになり、現在では低温のものが用いられている。
 
紙の準備が整えば、そのあとには描線を写す作業が待っている。写し方には、①念紙(ねんし)写し、②焼筆写し、③針穴写し、④へら写し、⑤臨写、⑥敷き写 し・上げ写しの6種類がある。①念紙写しは、椙原(すぎはら)紙を揉んで伸ばしたものに、日本酒に炭をまぜたものを塗った、現在でいう「カーボン紙」を用 いた方法であり、今も使われている。また、隣に移す対象を置き、それを見ながら移すという⑤臨写や、残像を用いる⑥敷き写し・上げ写しも、やはり現在まで 伝わってきている。しかし残りの方法は、残念ながら失われてしまったものである。
 
いずれかの方法で描線を写したあとは、彩色によって紙が伸び縮みを防ぐために、「張込み」と呼ばれる方法で紙を固定したのち、彩色を施していく。日本画に 用いられる絵具は透明感のあるものであるため、上塗りをして修正することが不可能であるという。ゆえに、彩色をする際は、少しずつ少しずつ色を重ね、本物 の色に近づけていかなければならない。そして、ようやく模写は完成する。
 
今日の授業では、「彩色する」と簡単な説明のあった工程であるが、昨日の講義を思い出してみれば、それぞれの絵の具を溶くことだけでも多くの手間がかかっていると気づかされる。「模写する」という一言には、厖大な工程――すなわち伝統的な技法が含まれているのである。
 
そして、村岡先生が実際に携わった模写について、ご紹介があった。模写には、現在の状態をしみや虫食いまで忠実に再現する「現状模写」と、原本が描かれた 当初の様子を再現する「復元模写」の2種類が存在しているが、特に復元模写について、村岡先生は二例を挙げながら、工程を説明してくださった。
 
一つ目は、千葉県佐倉市の歴史民俗博物館に所蔵されている『大和国額田寺伽藍並条里図』の復元である。この絵は、現在の状態では全体が薄茶色に見えてい る。しかし、蛍光X線分析をしてみると銅・鉛・鉄が検出されることから、実は緑青・丹・弁柄を用いていたことが判明する。そして、その結果に基づいて彩色 してみると、色鮮やかな山水画のような絵ができあがったのだ。見比べてみると、印象がまったく異なっている。
 
二つ目は、東京国立博物館に所蔵されている『洛中洛外図』の復元である。この原本は室町時代に描かれたとされているが、現在ではすでに失われており、江戸 時代に狩野派の絵師による模写が唯一の原本への手掛かりとなっている。ここからも、模写を行うことの重要性が透けてみえてくる。先生が行われたのは、この 模写の復元である。その一部の工程を以下に、紹介しておきたい。たとえば、この絵には多くの金箔が用いられているが、金箔を貼る前には下塗りが必要であ る。まず、当時の技法書などで下塗りは黄色系を用いるとされていることから、下塗りの色を「合わせ黄土」を用いると決める。また、雲の部分は、少し盛り上 がっていることや、同時代のものを修理したときに金箔のあいだからオレンジが見えたことから「起上胡粉」で塗ることにする。ちなみに、起上胡粉は、胡粉に 丹と膠をまぜ腐敗させたものであり、現在ではまったく用いられていないものだ。そして、そのうえにドーサを塗り、金箔を貼り、箔押えで押さえていくのであ るが、ここでも一工夫がある。当時の技法書によれば、麻布よりもビロード(現在のベルベット)で箔押えを作るようにと書いてあることを適用したのである。 このことから、復元作業とは、原本と真摯に向き合い、当時の技法を探り、決断をしていくという連続であることがはっきりと解る実例だった。
 
模写とは、贋物作りとはまったく異なるものである。模写を行うことによって、様々なデータが収集される。原本がいかにして作られたのかを常に考えなくてはならない模写は、間違いなく古典絵画研究の一翼を担っている。

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 そして、授業は実習へと進んでいった。実習は、先ほど少し触れた敷き写し(上げ写し)を行った。以下、その手順を簡単に説明しておこう。まずは、二枚重 ねにしたA4の紙を、斜めの方向に鉛筆に巻きつけ、長い紙の棒を作る。次に、原本を机にセロテープで固定し、そのうえに実際に描いていく新たなA4の紙を 重ね、上のみ机に固定する。そして、下には先ほど作っておいた紙の棒を貼りつけ、その棒を芯として、上まで巻き上げる。これで、巻き上げると、下にある原 本が見えることになる。その棒を上にあげたり下にさげたりすることによって、白い紙に残像によって下の原本の線が見えてくるという寸法だ。
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 南京大学の学生たちは、村岡先生と交流しながら夢中になって実習を行っており、正確な線画を最後まで書き上げている学生も多くいた。わたくしも少しだけ 体験させていただいた。最初はなかなか難しかったが、何度も上げ下げしていくうちに、白い紙の上に線が見えてくるようになったときには、伝統的な技法の創 意工夫におもしろみを感じた。南京大学の学生はもちろん、日本で暮らす人々にとってもなにか機会がなければ、一生知らずに過ごすであろう技法だった。
 
原画が残っていても、変色してしまっていれば、その絵から受ける印象はずいぶんことなってしまう。それは、『大和国額田寺伽藍並条里図』でも確認したこと である。村岡先生のような技術者のかたが、当時の技法書や最新技術を併用しながら、絵が描かれた当時の技法を再現しようとする努力によって初めて、わたし たちは、何百年も前の人が見ていたものと同じ色をこの眼に映すことができているのだ。これから復元された古典絵画を鑑賞するときには、施された彩色の裏に 潜む厖大な伝統的な技術に思いを馳せたい。
 
(文・石川真奈実)

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