ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 03月17日 田中 知

核廃棄物と「排泄」

2014/3/17 - 3/18

人間は世界平均で年間約2.4mSvの自然放射線を受けている。このうち約70%は天然に存在するU、Thおよびそれらの子孫核種からの放射線による。天然にあるUの0.7%はU-235(半減期7億年)であり残りの99.3%はU-238(半減期45億年)である。U-235は中性子を吸収して核分裂する。この時、2個の核分裂片(核分裂生成物)と2個の中性子を発生し、同時に普通の化学反応に比べて約百万倍という200MeVの莫大なエネルギーを発生する。原子力発電所(軽水炉)ではU-235を約3-5%に濃縮して燃料として用いる。原子力発電所中で約3年間燃焼(核分裂)させる。使用済燃料中にはU-235が約1%、核分裂生成物が3-5%、そしてU-238が中性子と反応した結果できたPuが約1%存在している。再処理工場で使用済燃料中のPu、Uを分離回収し、Puは燃料として再利用するのが核燃料サイクルである。また、分離された核分裂生成物は放射性物質であり高レベル放射性廃棄物となる。これはガラスに固化したあと、地下数百メートルの安定な地層中に埋設処分することが最も安全であると考えられている。原子力発電所の運転等により核種の種類、量が異なる様々な低レベル放射性廃棄物が発生する。また、原子力発電所は40-60年の運転後廃止措置が行われる。これによっても低レベルの放射性廃棄物が発生する。低レベルの放射性廃棄物はその特徴に応じて、浅地中埋設、希釈放出などが考えられる。

講義では、天然にあるウラン資源の利用と変化いう観点で原子力を捉え、原子力利用に伴う核廃棄物についても概観した後、広義の「排泄」という観点から議論したい。キーワードには次のようなものがあろう。天然資源の核的変化、放射能の減衰、隔離・管理、廃棄物の有効利用、核変換による無害化、貯蔵(暫定貯蔵、長期貯蔵)と埋設、希釈放出の限界、自然放射線との比較、世代間倫理、処分の長期安全性評価における不確実性、NIMBY問題。

講師紹介

田中 知
工学系研究科原子力国際専攻教授。 東京大学工学部原子力工学科助手、同大学工学部付属原子力工学研究施設(・茨城県東海村)助教授、同大学システム量子工学専攻教授を経て、2008年より現職。2011年度日本原子力学会会長、福島県除染アドバイザーなどを務めている。研究内容は核融合工学、廃棄物工学、原子力社会工学など。研究論文は"Modeling of influence of lithium vacancy on thermal conductivity in lithium aluminate"(H. Tsuchihira、T. Odaとの共著)、"Release behavior of hydrogen isotopes thermally absorbed in lithium niobate"(K. Azuma、T. Oda)との共著。趣味は祭り、地理、歴史、旅行、人間臭いこと、梅干作り、学生さんとの議論である。
学生の声

東京大学超域文化科学分科3年生
 まさにこの二日間の授業は、核分裂反応という人間に必要なエネルギーを驚異的な効率で生み出すメカニズムの中でどうして「廃棄物」が生まれてしまうのかを学習することで、我々が「廃棄物」であると思っているものを問い直す講義であったと思う。より具体的に言うのであれば、「廃棄物」に対して持つ我々の二つのイメージに対して科学的な説明を与えてくれたと思う。一つ目のイメージは、「廃棄物」が持つ我々の生命・生活に対する有害性・危険性である。放射性廃棄物、原子力の文脈で語るのであれば、それはまさに2011年以降の日本に暮らす人々が毎日胸に抱いている感情そのものである。しかし我々は、放射能の脅威について科学的なリテラシーを持っていると言えるだろうか。この時代を生きる学徒として当時より一通り放射能について調べていた自分でも、田中教授の説明を聞いて、自らの無知を恥じることとなった。まずは、「廃棄物」の有害性に対する科学リテラシーをつけることでしか、我々が「捨てること」との正しい向き合い方は出来ないと強く感じさせられた。
 そしてもう一つは、「廃棄物」は不可逆的であるというイメージである。排泄物の肥料としての利用、ペットボトルのリサイクルなど確かに「廃棄物」の再利用は進んでいる。しかしこのような再利用が進む「廃棄物」には、この「廃棄物」が何であるかが非常に分かりやすいという特徴を持っているという仮説を立てることが出来る。これは技術的な問題であることに加えて、我々の想像力の、我々の感覚的な問題も含んでいる。我々の現代社会は、自らの生活行動が、いかなる「廃棄物」を生み出しているのかを想像することを極端に難しくしている。ウラン235とプルトニウム238の再利用のサイクルについて、ロジウムやセリウムなど放射性廃棄物に対する利用可能性の開拓などのいずれの科学的努力は全て、最も複雑な「捨てること」への真摯な向き合い方であると感じた。このような「廃棄物」への態度は非常に示唆に富んでいるのではないだろうか。

東京大学文科I類2年生
 放射性廃棄物の特徴は、大きく三つ挙げられる。それは、量的に少ないという点、主に人間の身体へ影響しやすいという意味で高い危険性を有する点、放射能減衰つまり無毒化までに途方もない長期間を要するという点である。特に三つ目に関して、捨てることが10000年単位の行為であるのに対し、生きることが1年単位、1日単位での行為であるというジレンマが常に付いて回るように思われる。排泄物を人の身体から遠ざけることは重要であり、放射性廃棄物の場合も、ガラス固化体や多重バリア、地層処分など慎重に慎重を重ねた処理が行われているが、5万年後にそのシステムが正常に働いているのかどうか、正確に予想できるのかには疑問が残る。
 また、日本では、原子力と言えばすぐに原子爆弾・原発事故という二つの大事件に結び付けられてしまい、いたずらにその危険性だけが注視されてしまう傾向がある。講義中に紹介された、放射能の健康被害を調査したインドのデータを見ても、ゆっくりと低い線量で被ばくした人の発がんリスクにばらつきがみられるなど、統計の母集団の少なさのためにいまだに健康被害に関しては不明な点があることが分かる。研究の難しさということも原子力について人々を啓蒙する際に伝えなければいけない現実であることは間違いない。

東京大学文科III類2年生
 原子力発電によって生み出される(排泄される)放射性物質がどのように処理されるべきか、人体にどのような影響があるのかを明確にすることが今後の主な課題である。中国では現在も原子力に関する研究が発展しており、優秀な人材が育成されている。一方で、日本においては福島の原発事故によって新たな局面をむかえ、これまでの原発のあり方、研究の面も含めて新たに考えなおされている。日本にいると日本の原子力発電や、日本における研究や研究者に目がいきがちであるが、実際には世界が協力し合って同一の課題をクリアしていくことが必要であると感じた。

東京大学文科III類2年生
 私が今回の授業で一番印象に残ったのは、先生が半減期について説明してくださった際の言葉の中で、「半減期がもっと短かったら放射性同位体はなく核兵器や原発などの原子力も存在しなかっただろう」というお話を聞いたことです。この観点は私自身が興味を持っている歴史とも関わりがあると思いました。歴史的に何か一つの条件が変わっていたら起こり得なかったことでこの世の中は溢れていると私は常々考えていますが、その発想がまさか半減期の説明と重なり合うとは思っていなかったので、とても驚き感動しました。
 2日目の授業の最後に先生が仰っていた原発の設計段階における注意点も今後のエネルギー政策を考えていく上で非常に重要だと思いました。たとえば、設計基準を満たすだけではなく「深層防護」の考え方を使うこと(福島の原発事故ではこの点で失敗があったということでした)、リスク論的な考え方を導入すること、人材育成をすることなど、様々な点に留意すれば、安全で環境にやさしい(エネルギー効率が良く少しの原料で多くのエネルギーが得られることや、有害物質が未来永劫同じ濃度で残り続けるわけではないことなどの観点から)エネルギーとして十分活用していくことができるということでした。今後、原発をはじめとするエネルギー問題についての報道に触れたり自分で考察したりするときは、この授業の最後のコメントを自分の視点としてきちんと持ちながら問題を捉えていきたいと思います。

東京大学理科I類2年生
 今回の講義で学んだことの大きなことの一つは、原子力エネルギーの技術発展とその利用には国際関係が大きく影響を与えているということである。この影響は今までの技術進歩において良い影響、悪い影響の双方を起こしていたのは事実である。しかし今後、核技術の研究コストの増加傾向や資源の減少に伴い、国際協力によらなければは点が難しくなってゆくであろう。そのためにも、国際関係を良好に保ってゆくことが重要かもしれない。
 さて次に、原子力エネルギーに関して、ある大きな問題の存在に気が付いた。それは放射線や放射性廃棄物などに関する正確な知識を持たない人々が原子力を恐れていることである。放射線は確か人体や環境に対して悪い影響を持つことがあり、それに対し恐れを持って接することは重要なことである。しかし、過度に恐怖感を持つことは、安全を確保するための技術の発展をも阻害するものである。これを防ぐためにも、原子力エネルギーに関する的確な情報発信を行い、理解を促してゆくことが重要であろう。

東京大学文科II類1年生
 僕が少々気になったことは劣化ウランやウラン238の再利用に関する研究が全て一国の政府が主導して行うことを前提として語られていたことです。たなっか先生がおっしゃっていたと通り、原子力の研究は兵器などへの転用の危険性があり、おいそれとは民間に技術公開できないかもしれません。しかし、後者せい廃棄物の分離施設や、廃棄方法など、景気への転用が難しい分野については、民間企業の政府に対するビジネスとして成立するのではないかと感じました。すでにこのようなことをおかなっている民間企業が存在し、政府が研究を委託しているのかもしれませんが、うまみのある市場を作り、より多く、より大規模な企業を引き込むことによって研究速度を上げることができるのではないかと感じました。

東京大学理科II類1年生
 今回の講義をきいて、私は原子力発電、特に高速増殖炉の可能性を感じ、原子力発電の「排泄」の変容に期待を持った。だが授業後に質問したところ、核反応が起きる条件、冷却材と核物質との相互作用など複雑な要素が組み合わさっており、それらのあらゆる面で安全性を確保するのは大変難しいことであると感じた。また、原発の安全性に関しても質問したところ、危険の想定が不十分であった福島第一原発の事故の反省をふまえ、安全性は十分に考慮されているというお話であった。それをうかがって、私は各地で行われている原発反対運動の主張とのギャップを感じた。デモなどを行っている人々が今回講義できいたような事実を知った上で危険であると判断したなら良い。だが、それを知らない気がしてならなかったのだ。放射性物質ときくだけでやみくもに怖がるのではなく、物質の特性や被曝量などを考えて科学的に認識することが大切である、と田中教授が繰り返し仰っていた言葉が印象に残った。私たちは、「何となくそんな気がする」という曖昧な感覚に従い、具体的な事実を検証しないで行動しがちだ。正確な事実を追い求め、自分で思考し判断することを怠ってはならないと自戒した講義でもあった。

東京大学理科III類1年生
 東日本大震災以降、テレビなどの報道を見ていると、しばしばSvの意味や半減期の意味を理解していないひとのコメントがみられ、一般大衆の理解がやはり不足しているというのが私の印象だったのだが、先生は授業の中で「日本のみなさんはよく勉強されていて私よりも知識のある人がいる」と肯定的に評価なさっていたのが印象的だった。理解しようとしている日本人は、震災前の何も理解せずにただ電気を享受していた彼らよりもはるかに、原発に向き合う身構えを持っているのだと思う。ただ、現在の日本で、放射線に対する関心が薄まってきていて、忘れがちになっているのがとても気になる。
 この授業では、原子力発電の仕組みは理解できたが、データに対する価値判断、倫理的側面の考察は各自に任される形だった。まだ震災後一度も東北にいったことがないので、実際に足を運んで、その場の様子を見て、深く考えたい。考えるには、正しいデータの正しい理解が重要であることを感じた。日本の復興の様子が、世界のロールモデルとなることを願う。

コメントする

 
他の授業をみる

Loading...