ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい
第4回 03月10日 廣瀬 通孝
情報技術と時間感覚
2011年3月10日~11日
コンピュータは記録の道具である。ライフログ技術はこれまでとは比較にならないほどの密度での体験の記録を可能にした。それに加えて、VR技術をもちいれば、その記録を高い臨場感で追体験することができる。未来についても同様、高度なシミュレーション技術は精度の高い予測を可能とするであろう。先端的情報技術を背景として、われわれの時間感覚はどう変容するかを考えてみたい。
- 講師紹介
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- 廣瀬 通孝
- 報理工学系研究科教授。 1954年鎌倉生まれ。1982年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士。東京大学工学部講師、助教授を経て、1999年先端科学技術研究センター教授、2006年より大学院情報理工学系研究科教授。専門はシステム工学、ヒューマン・インタフェース、バーチャル・リアリティ。著書に「バーチャル・リアリティ」(産業図書)、「空間型コンピュータ」(岩波書店)、「ヒトと機械のあいだ」(岩波書店)など多数。
コメント(1)
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興味深い講義をありがとうございます。
東大2年の前原です。
遅くなってしまいましたが、コメントを挙げさせていただきます。
もちろん先生も意識されてると思います、記録するという技術の危険性・問題点についてです。
一つは、コトの記録としてのデジタルミュージアムの利用の限界です。
例えばある電車の引退運行を、写真、音声、ツイートなどで地図上に膨大な情報を配置・記録するという試みがありました。
このような記録は有用ですが、しかしこれを利用する方法を開発・習得しなくては活用はできません。
当然ながら、記録で満足せずに利用の方法も追求しなくてはなりません。
なお、検索という方法に関しても自分は少し疑問があります。
検索にはキーワードが必要です。そしてキーワードが少しでも外れていた場合(例えば「廣瀬先生」と「広瀬先生」)、
必要とする結果に辿りつかない可能性があります。
そこにモノがあれば別です。図書館で「廣瀬先生」の本の横に「広瀬先生」の本があれば発見できます。
しかし検索結果は他の類似要素を隠し、横糸的な広がりを持ちえないという欠点があると思います。
もう一つは、全ての「記憶」を記録しなければならないという強迫観念です。
人はいつの時代も、誰でも、全ての自分経験を記録したい、忘れたくないと思うようです。
日曜日のレジャーで四六時中ハンディカムを回し続ける、そんな使命に駆られるお父さんの気持ちもよくわかります。
しかし、人間の記憶は忘れたり、錯覚したり、美化したりすることで形成されると思います。
そして断片的な写真や音楽やにおいによって、甘く追憶される。そういう性質を持っていると思います。
そのため、記憶の領域にまで記録を侵入させず、
あくまでライフログを実用領域にとどめておくという倫理観が必要だと思います。
明るい寝たきり生活については、ディスカッションで話題になりました。
明るい寝たきり生活、つまりベッドで寝ていても頭の中で考えることが具現化される。
でもそれは人間が身体性を失った状態であり、いわば夢を見ていたり、自分の本当の身体を忘れるほどテレビゲームの主人公と同化しているのと一緒です。
つまり、技術の進歩によって、ずっと自由で楽しい夢の中にいるという、明るい寝たきり生活が送れるようになるかもしれません。
みなさんはこの寝たきり生活をどう考えますか?
とはいえ、技術を悪というつもりは全くなく、技術は素晴らしいものです。
私はこれを使いこなす側が常に意識し続けなくてはならない、
記憶と記録の峻別に関する倫理観といった、考え方の構築の必要性を感じたということです。
テーマに直結した、非常に考えさせられる、
そしてワクワクする内容でした。
ありがとうございました。