ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 03月19日 酒井 邦嘉

脳から見た人間の言語の変容

2012年3月19日・3月20日

言語に規則があるのは、人間が言語を規則的に作ったためではなく、言語が自然法則に従っているからである——。こうしたチョムスキーの言語生得説は激しい賛否を巻き起こしてきましたが、最新の脳科学は、この主張を裏付けようとしています。私たちは、文法処理の時に普遍的に働く中枢(文法中枢)が左脳の前頭葉にあることを突き止めました。また、第二言語(英語)の文法の学習が進むと、脳の可塑的な変化によって文法中枢の活動がダイナミックに「変容」することが示され、人間の言語に普遍的な脳の「言語地図」が明らかになりつつあります。講義では、言語の「生得性」を正しく理解した上で、後天的に脳で「変容」される言語のしくみについて考えてみましょう。

講師紹介

酒井 邦嘉
東京大学 大学院総合文化研究科 准教授、理学博士。 1992年、東京大学 大学院理学系研究科 博士課程修了後、東京大学 医学部 第一生理学教室 助手。1995年、ハーバード大学 医学部 リサーチフェロー、1996年、マサチューセッツ工科大学 客員研究員を経て、1997年より現職。2002年に第56回毎日出版文化賞(中公新書『言語の脳科学』)、2005年に第19回塚原仲晃記念賞を受賞。研究分野は、言語脳科学および脳機能イメージング。言語を通して人間の本質を科学的に明らかにしようとしている。
授業風景

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学生の声

いろいろな分野で個人がもっとも関心を持つのは「脳から見た人間の言語の変容」だ。この授業の始まりに、先生は「右脳は幼児期鍛えられます」という広告を批判し、「左脳も大人でも鍛えられる」という自らの観点を取り上げた。これは当時の学生たちの興味を引き起こした。なぜならば、我々は科学書物や新聞から受け取ってきた観点は先書いてある広告のスローガンで、突然新しい逆の観点を言われると、なかなか信じられない気がするのだ。すると、先生がどのように自分の観点を証明するかが我々学生の関心を引いた。こういうような授業の教え方が今後講義のパターンになればと思う。ある分野についての日常事象(広告や現象)を先に取り上げて、それを手掛かりに自分の主張や発見を教えてくれれば、素人の皆さんによりよく分かってもらえると思う。
私自身が言語学専門で、これから院生になると、言語について深く勉強したいため、先生のテーマに親しみを覚えた。先生は理系出身で、脳科学の視点から言語の習得を分析した。これは私に言語学の勉強についてヒントを与えてくれたことだと思う。また、先生のいろいろな理論も印象に残っている。もっとも面白く思ったのは二つある。一つは「脳活動は学習の初期に上昇するが、熟達すると脳活動が節約される」という結論だ。これは熟達までの努力が必要だというのを意味しているだろう。中国では「一万時間理論」が有名だ。すなわち、ある技能についての学習は一万時間になれば、必ず達者になれるという意味だ。この理論は先生の結論に通じるだろうと思う。しかし、すべての才能は努力するほど向上するわけでもない。これについて、先生は「語学力の個人差には、脳活動に対する習得期間の効果だけでなく脳の構造にも関与する」という結論を出した、さらに左脳の優位性理論も教えた。これは左脳の優位性が強い人は語学学習に向くというのを意味するかどうか脳科学でまだ未知だが、何と言っても、先生の結論は私自身に励みのようなものに聞こえる。幼いごろからずっと英語の習得が同年生より早い私は左脳の優位性が強いかな、語学の適性を持つかなとさえ思っていた。これから、英語、日本語以外にもう一つの言語を勉強しようかなと思っている。

(南京大学4年生の感想より抜粋)

今度、酒井先生の講義で同時通訳を担当させていただきました。初めて同時通訳の仕事をしてとても緊張しましたが、実はすごく勉強になりました。酒井先生の講義のテーマは脳科学と言語の形成でした。これは私にとってまったく馴染みのない課題です。大学に入って日本語を勉強してから、日本語や日本の文化ばかり集中してきた。でも、今度の集中講義、特に同時通訳の経験を通して自分の知識不足をしみじみ感じました。文系と理系の間にはっきりとしている境目はないと聞いた時本当にショックでした。中国でもう定着している文系と理系がまったく違うものだという考え方に束縛されていた私にとって、もしや思想の解放かもしれません。

(南京大学4年生の感想より抜粋)

特に印象的なのは、酒井邦嘉先生の講義です。中国の大学では、日本語科には主に日本文化、文学、また言語学その三つの分野があります。その中では、文学が大好きです。それに対して、言語学には全然興味がなかったのです。言語学は、"が”と”は”の区別などのことばかりだと思いましたが、先生の講義を受けて、言語学への態度がくるっと変わりました。ぼくが研究する分野は文学にしましたが、文学と言語学は分けられないのでしょう。だからこそ、今度の集中講義はきっと将来の文学の研究に役に立つと思います。

(南京大学修士1年生の感想より抜粋)

講師インタビュー

石井       では、酒井先生お願いします。

酒井       私がやった時には日本の学生さんは帰っていたんですよね。それが頭に入っていなくて、いるんだと思って話していて。

全員       (笑)

刈間       すいません話が通っていなくて。

DSC02646_2zadankaisakai.jpg酒井       討論会もなかったですよね。そういう意味でちょっとこう、寂しい感じはしました。ただ今日、初めて南京大からの感想を見て、日本語学科というのは文学と日本文化と言語学の3つがあるわけだけれど、言語学の見方が変わったという感想がちらほらあったので、日本に接するというよりは、ユニバーサルな言語としての観点から考えてくるようになったというのは、きっかけになったのかなと今読んで初めてフィードバックが来た感じがしますね。それから中国は文理がはっきりわかれているから、言語学は理系の分類に入るというのが彼らにとっては新鮮だったということが書いてありましたね。言語は文系からアクセスしやすいけれど、サイエンスとして人間を理解する上では突破口になるので、人間というテーマがある限りは、いろんな切り口から言語ということを文系も知りたいと思うでしょうし、我々も文系の今までやってきた研究をベースにして研究を進めたいと考えているので、接点があるということを私も強く感じています。ですから文理の狭間と日中の狭間という二重の意味で私にとってもすごく刺激的だし、聞いている学生さんもそう思ってくれているなら、引き続き協力したいなと思っております。

石井       もう少し何か改善するとしたら? 先生が皆に与えて下さっている内容と、先生にフィードバックされている内容のバランスが悪いかなと思っていて。先生の方にもうちょっとフィードバックが返ると良いかなと。

酒井       南京大学の方は、この感想を初めて見て、どうキャッチしたのかなということが分かったんですが、あの場でもうちょっと討論が出来たらよかったかなと思います。去年の経験があるので今年は内容を少し割愛してゆっくりめに喋ったんですけど、もうちょっと討論の時間を確保できるように講義のデザインをできれば、3回目は更に良くなるかなと思います。

石井       午後に東大の学生がいなくても討論の機会を設けたりとか、そこまでは必要ないですか?

酒井       有りうるんじゃないですかね。東大から学生が来てないから討論会無しじゃなくてね。

石井       酒井先生の授業に出られていた刈間先生、何か。意気投合したというお話ですけど。

刈間       私は学生よりも楽しんでいたのかもしれないと思いました。脳科学から生成文法に挑むという考えは非常に私には新鮮だったし、結局二つに枝分かれした構造で話すという、あれは、私も自分が中国を話すときにそういう感覚を持っていたので、非常に刺激を受けています。日本語科の学生たちも日本語を学んでだいぶ使いこなせるようになっているので、もう少しそこに還元してあげるともう少し何か感じたかもしれないですね。おっしゃるように、あの学生たちの中で、先生の話した内容に関心を持った学生を集めて討論会をやったら面白かったかもしれないですね。多分外国語習得という問題と絡めて、彼らの質問をもうちょっと受けて、それに日本語科の関心を持っている先生と私を混ぜて討論をしたら、外国語習得ということについてもうちょっと面白い何かが。

DSC02648_2zadankaisakai.jpg酒井       そうですね、教える立場からというのも面白いですね。南京大学の講師陣の日頃の経験則とかたくさんあるでしょうし。

石井       有難うございました。

(2012年4月24日に行った南京集中講義意見交換会より抜粋)

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