ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第4回 03月14日 関谷雄一

信頼関係の成り立ち──「囚人のジレンマ」の先に何があるのか

知らない人と仕事をしなければならない時、その人を信頼するか否か私たちは大いに迷う。職場や社会で信頼関係を築いたり、人から信頼されたりするようになる等、理想的な人間関係を構築するには弛みない努力と時間が必要だ。そんなに待っていたら何も始まらないではないか。そんな疑問も出てくるだろう。講師が経験した異文化のフィールドにおける2つの実話(開発 & 災害復興)に基づいて、信頼形成の動態的様相について考察する。

講師紹介
関谷雄一
東京大学大学院総合文化研究科・准教授 専門分野:アフリカ地域研究・応用人類学
授業風景

3月14日

 人類学において信頼という概念がどのような役割を果たしているのか、主に理論的側面から確認するのが1日目の講義の目的である。まず人類学で語られる信頼のうち最も基礎的なものとして、ラポールが挙げられる。ラポールとは相互信頼の関係を指し示す概念であるが、文化人類学においてはフィールドの人々と築く信頼関係を指す語として用いられている。

 またモース『贈与論』において語られる贈与交換の法則も、社会的信頼と密接な関わりがある。モースは人が贈与する理由を、お返しが道徳的義務行為であり、また贈り物に込められた送り手の霊的本質が促す古巣への帰還であると見なすことで説明しているが、こうした贈与交換の法則はまた、社会的信頼を醸成する人類社会の根源的な社会統合の原理でもある。但し例えば見知らぬ人に突然コーヒーを手渡されたところでその人と友達にはなれないように、贈り物をすることが必ずしも信頼と結びつかない例も多いが、こうした現象は近代化以降の特徴であると言える。

 またアメリカの人類学者M.サーリンズは人々の互酬性について、一般的互酬性・均衡的互酬性・否定的互酬性の3つのタイプに分類しているが、こうした互酬性が成り立つのは人々の間に一定の信頼関係が存在しているためである。但し功利主義的に利益を得る目的で行われる交換における否定的互酬性に関して特に顕著なように、市場原理に基づいて行われる買い物行為は信頼関係とは比例しない。この点を踏まえるのであれば、互酬性があることがそのまま信頼関係の成立に結びつくわけではないことが理解できる。

 具体的な例としてはクラとポトラッチを挙げることができる。クラの場合は首輪と腕飾りの交換が単なる交易を超えて複雑な社会的現象となっており、それは当然ながら他の島との信頼関係にも関わってくる。一方ポトラッチの場合は贈与される側はその贈り物の量に圧倒されるのであり、そこには信頼関係というよりも恐怖を伴う従属関係が発生していると言える。こうした互酬性に関して、そもそもなぜ人々は贈与を行うことで互酬性を築こうとするのかという点が問題となるが、それは根本的には人と関わりたいという欲望、人と関わらないと生きてゆけないという状況に起因すると考えられる。

 但し個人にとっての信頼関係と集団にとっての信頼関係は必ずしも一致しない。例えば親族などの人間関係において、相手を中傷することで好意が伝えられるような二者間の関係が成立する場合があり、そうした関係を文化人類学では冗談関係と呼ぶ。また相手との接触を禁じられ表敬行動をとることが義務付けられるなど、親密さよりも社会的距離を保つ二者間の関係は忌避関係と呼ばれるが、これらの関係ではいずれの場合も個人間の関係と集団全体のそれぞれにおいて、表面的には異なる様相が表れている。

 そしてここまでの人類学における信頼の議論を踏まえた上で、講義の後半ではゲーム理論の紹介が行われた。手初めにケーキの分割問題に触れた後で、ゲーム理論における基本的な概念であるナッシュ均衡とパレート最適が紹介された。ナッシュ均衡とは各プレーヤーが互いに対して最適な戦略を取り合っているという状況を指し、パレート最適とは資源が最大限に分配されている状況を指す。

 これらの概念はいずれも各プレーヤーが合理的に振舞うことを前提としているが、マルバツゲームの場合は引き分けという理論的解答が存在するのに対し、囚人のジレンマの場合はそうした解が存在しない。二人の人間が共に協力する方がよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなるというのが囚人のジレンマであるが、もし理論的な結果が導かれるのであればナッシュ均衡、即ち両者の裏切りという結果に至るはずである。しかしこうしたジレンマにおける選択を被験者に100回繰り返させたフラッド=ドレッシャー実験では、100回中69回が両者の協力という結果を示し、ナッシュ均衡という考え方が必ずしも正しくないことが明らかになった。

 一方で日本の研究者らが提出した反復囚人のジレンマゲームにおいては、多くの場合において両者が裏切るという結果が示され、フラッド=ドレッシャー実験とは異なる結果となった。また他人をすぐに信頼するひとほど他人に対してより敏感な評価を下すという「信頼のパラドクス」という現象も確認されており、こうした事例からも、ゲーム理論における信頼関係には合理的な解というものが存在しないことが改めて理解されるだろう。

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3月15日

 二者間のジレンマには、一方の被験者にとってどのような状況が好ましいのかという優先度に基づいた4つのパターンが存在する。協力をC、裏切りをDとし、(自分の選択・相手の選択)という形で状況を表すことにすると、自分は妥協したくないが相手には妥協してほしい行き詰まりゲーム(DC>DD>CC>CD)、自らにとっての利益がそのまま優先度となる囚人のジレンマ(DC>CC>DD>CD)、自らの利益を重視しながらも両者の裏切りという最悪の事態を回避しようと試みるチキンゲーム(DC>CC>CD>DD)、両者の協力を最善としつつも個人的利益の追求にも意欲的なシカ狩りゲーム(CC>DC>DD>CD)という4種のジレンマを確認することができる。

 そして講師が直接経験したアフリカの開発現場におけるジレンマについても、こうしたパターンを参照しながら考えることで、状況を整理し理解を深めることが可能になる。例えばニジェールにおけるJOCV(Japan Overseas Cooperation Volunteers)の開発支援現場においては、現地住民の自立した農作業に必要な農業技術の教育を重視する日本側と、金銭的・物質的支援を強く期待する現地の小学校の校長たちとの間でズレが生じていた。そうした中、JOCVの指導下で運営されていた学校農園のマンゴーがすべてトカゲに食べられてしまうという事件が発生し、自らの教育的立場が損なわれたと感じた校長たちはJOCVに活動の停止を申し入れ、結果として支援事業は中止となってしまった。この際の両者の判断をそれぞれ協力と裏切りという形で整理すれば、一連のやり取りが結果的には行き詰まりゲームの展開をたどったことが明らかになる。

 但し理論上は最適解の存在しないジレンマゲームであるが、この事例では相互の裏切りという結果の後に更なる展開が存在した。活動停止後に着任したJOCVの後任者は全学校の校長をまとめて相手にするのではなく、各学校に対して個別に対応を行うことで活動を再開させたのである。つまりこの場合では二者の協力と裏切りという図式に加えてランダムな第三項を導入することで、一つの解を導き出したのである。

 このようなゲーム理論の図式は、開発現場の例以外に関しても当てはまる。例えば東日本大震災後に福島から東京へ避難してきた人々へのインタビューでは、「いいとこ二泊三日」という言い方が避難者の間で広く共有されていたことが明らかになった。「いいとこ二泊三日」とは、親戚の家に身を寄せようとしても肩身が狭く、また親戚の側も避難者の受け入れを負担に感じるため、泊めてもらおうにもせいぜい二泊三日が限度であるという自嘲めいた言葉であるが、この際に避難者とその親戚の間で交わされるやり取りはシカ狩りゲームとなる。つまり二泊三日という結論は、両者が抱えるジレンマゲームが最終的に落ち着く所の折衷案なのである。

 なおこうしたインタビュー調査においては、別の形でも信頼が関わっており、それはネットワーク作りの問題である。講師が行ったインタビューでは、東日本大震災の自主避難者にインタビュアーを担当してもらったのだが、同じ避難者という身分のためにインタビュイーもより積極的に話してくれることがあった。但しこの場合、講師がインタビュアーを利用しているとも言える側面があり、この点に関しては更に別の形で信頼が問題になると言える。

 また講師はチェルノブイリへの訪問も行っているが、旧ソ連・ウクライナの原子力政策が当初の政府の情報秘匿とそれに対する強い批判のために、最終的には情報公開と被災者保護という政府・市民両者の協力状態へと移行した(囚人のジレンマゲーム)のに対し、日本の原子力政策は残念ながら両者の裏切りへと向かう行き詰まりゲームの様相を呈している。また災害復興のための研究者―被災者間の協力に関しては、最悪の状況を何とか回避しようとするチキンゲームとなっており、いずれにせよ難しい局面を迎えている。

 今回の講義では様々な例をジレンマのパターンに照らし合わせて確認したが、日中のパートナーシップを同様の図式で考えることもまた可能である。例えば南京大学と東京大学の学術交流のような日常レベルの交流においては、基本的には両者の協力という選択になることが好ましいが、実際には必ずしもその通りにはならない。プレーヤーが人間である以上、交渉においてジレンマはつきものである。しかし少しでも想像力を持つことができれば、両者の裏切りという選択肢以外に、両者の協力という選択もあり得るという事実に気づく瞬間が必ず存在するはずであり、そうすることで我々は幸せになることができる。結局は想像力をもって人の気持ちを汲むということが、人間の信頼関係にとって最も重要なことである。「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」。

(文責・田中雄大)

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