ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 10月28日 鳥海不二夫

情報とどう向き合うか

新型コロナ禍で,我々は「情報」とどのように向き合うかを改めて考える必要性を痛感することとなった.
トイレットペーパーの不足をはじめとする様々なデマや,新型コロナ対策を巡る議論など新型コロナ禍で発生した情報を巡る様々な社会現象をデータから俯瞰するとともに,情報化社会において我々がどう「情報」と向き合うべきかについて議論する.

講師紹介

鳥海不二夫
2004年,東京工業大学大学院理工学研究科機械制御システム工学専攻博士課程修了(博士(工学)),同年名古屋大学情報科学研究科助手,2007年同助教,2012年東京大学大学院工学系研究科准教授.計算社会科学,人工知能技術の社会応用などの研究に従事.情報法制研究所理事.人工知能学会,電子情報通信学会,情報処理学会,日本社会情報学会,AAAI各会員.「科学技術への顕著な貢献2018(ナイスステップな研究者)」主な著書に「強いAI・弱いAI 研究者に聞く人工知能の実像」「人狼知能 だます・見破る・説得する人工知能」.
授業風景

2020年度第5回学術フロンティア講義では、10月28日に東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻准教授の鳥海不二夫先生にご登壇いただき、コンピューターやインターネットと実際の人間社会を結びつける計算社会科学という学問の観点から、新型コロナウイルス禍でのインフォデミックを題材に情報の本質に迫った。

計算社会科学とは、人間社会とコンピューターサイエンスを組み合わせることによって生まれた新しい学問である。人々の行動があらゆる形でトラッキングされてデータ化されることで、人間社会でのデータをコンピューターを使って処理できるようになったのだ。また、ウェブを使って観察や実験を行えるようになったことで100人、1000人単位で人を集めて実験をすることが可能になったことも背景の一つだ。さらに、コンピューターがより複雑な計算を行えるようになり、自然言語処理や機械学習などの高度の情報技術を用いることが可能になった。こうした情報技術と社会科学、数理手法を掛け合わした学際科学こそが計算社会科学なのだ。

新型コロナウイルスの感染拡大で、毎日情報をチェックしていた人もいただろう。当初は全くの未知で右も左もわからない状態だった。今は道ゆく人がほとんどマスクを着用しているが、マスクが必須になるのにも時差があった。コロナ禍では特に急激な変化に合わせた早く正確な情報収集が求められている。新型コロナを通して、情報収集の本質が露呈している。

そもそも昨今、情報を収集するということ自体に大きな違いが生じていた。元々は、必要な情報を見つけてくるのが大事だったのが、インターネットが発達したことで自分が見つけなくても誰かが教えてくれる状況になっている。したがって、溢れかえる情報を取捨選択する必要が出てきている。インフォデミックとも呼ばれる情報が溢れすぎる昨今の状況で、情報を得ることの本質が変化している。特にSNSの広がりは普段から受け取る情報量を激変させた。現にソーシャルメディアを30%以上の人が情報源として活用している。しかし、一方で信用度はそこまで高くなく、信頼はされていない。

こうして、昨今の情報の取得が変化したことを確認して、実際にツイッターの分析結果を見ながらコロナ禍のインフォデミックを分析した。「新型コロナ」などの言葉を含むツイートとそれをリツイートで拡散された数を見てみると、ツイートのピークは今年4月から5月に大きな山になっていた。そこからは慣れなのか、飽きなのか、第二波の頃にはツイート数はあまり伸びていなかった。新型コロナが人々にとって当たり前になり、「新型コロナ」を含むツイートをしなくなったのではないかと考えられる。

次に、「新型コロナ」に関連して呟かれた感情を分析した。一番顕著だったのが、「いや」という感情を含むツイートが全期間を通して多い、一方「恐怖」の感情は初期は一番多かったがいまは上位にも入っていない。同じネガティブな感情でも時系列に沿って内容が変化していることがわかる。最後に、ツイートされている感情が時間でいかに変化したかを10月1日を基準にして分析すると、10月と7月8月では感情の類似度は低いことが明らかになりました。7月以降、第二波やGo toトラベルなどが話題になったことで新型コロナへの危機感が戻りつつあったことの表れだったのかもしれない。逆に6月ごろには類似しており、第一波の後の少し油断している状態に似ていると言えるだろう。全体で見ると感染が拡大した2月とは全然違う感情になっていることがわかった。

ここまでSNS上の情報からコロナ禍での人々の感情の動向を分析しましたが、次に鳥海先生はコロナ禍の情報の中で顕著だった、ソーシャルメディア上で氾濫するデマに注目し、マスメディアとデマの関係を深めていく。

東京都の新型コロナ感染者数が急増した時にツイッター上で、「東京脱出」という言葉が流行しているというニュースを朝日新聞が取り上げた時があった。しかし、鳥海先生が調査すると東京脱出というハッシュタグのツイート数が増えたのは朝日新聞のツイート後でしかなく、その前には20件ほどしかツイートされていない「実質ガセネタ」だった。同様にサザエさんが不謹慎だというツイートもほとんどツイートされてなかったにも関わらず、大手マスコミに取り上げられ、それに有名人が反応したことで初めて拡散された。SNSの炎上が必ずしも個人の口から出まかせで出ていたものでもなくマスメディアが発信源になることもあるのです。デマ情報の含有している割合を調べると、NHKですら17%ほども誤った情報が流布していて、SNSは30~50%と高い割合で誤った情報が流布しているが、いろんな媒体でデマが拡散しかねないのだ。

デマを対処するにはどうすればいいのか。デマをくい止める上で大きな選択肢として「デマを否定する」ことがあげられるだろう。その効果について、コロナ禍でトイレットペーパーが不足するデマが拡散した例を取り上げた。実際にツイートを分析すると驚きの結果が判明した。実はトイレットペーパーが不足するだろうというデマはすぐに収束していたのだ。さらにトイレットペーパーは不足しないという情報は不足するという情報自体よりも数倍も多く出回っていた。では、実際トイレットペーパーが実際に不足したのはなぜだったのか。トイレットペーパーの売り上げとツイートのデータを照らし合わせると、デマを否定するツイートが拡散するツイートが増えた日と同じタイミングで売上は急増した。デマを否定するツイートが拡散されすぎることで逆に収まっていたはずのデマが流行しているように思われ、「デマに踊らされる人に買い占められないように買っておこう」という心理が働き、買い占めは起こってしまったのだ。デマを否定することは大事ではあるが、デマの抑制に効果的な反面、社会的混乱の抑制には繋がっていないことがわかっている。

では果たして、デマ・フェイクニュース対策は可能なのだろうか。ファクトチェックやソースの信頼性評価など、フェイクニュース対策の研究は進んでいる。一方で人工知能技術によってより高度なフェイク技術も開発されており、いたちごっこの様相を見せている。真実の二面性や、そもそも真実なのかどうかがはっきりと言いがたいものはフェイクと断言できないことなどもあり、フェイクニュースを単純に弾劾できない背景がさらに問題を複雑にしている。

そして、さらに驚きの話は続く。フェイクニュースは求められることがあるのだ。そもそも、人々が情報を拡散することは、正しい情報を伝えるためと思われがちだが、一概にそうとも言えないことが判明している。断片的に解釈をしたり、内容を詳しく読んでなかったとしても、情報を人に伝えるといういいことをして社会的欲求を充足するために、真偽に関わらず「拡散」している。この文脈において情報は、消費され快感を得るためのコンテンツに過ぎない。

このようなソーシャルポルノの拡散にフェイクであるかどうかの指摘は意味がない。ある情報が一定のコミュニティにとって都合のいい形で切り出されて拡散されるエコチェンバ―の局面でも、一部のコミュニティ内での騒ぎがあたかも世論が炎上しているように解釈にバイアスがかかってしまう。そして、「消費するためのコンテンツ」を求める大衆に応える形でマスメディアもフェイクニュースに加担してしまう。

これはそもそも、人間が全く合理的でないという重要な問題が背景にある。人はリスクがない状態で社会的に良い行動をしたかのような自己満足的行為に快感を得る傾向にある。簡単にできる「善い事」のために本当の合理的な情報の真偽は無視されてしまう。その他にも自分が知らない情報は他人も知らないような価値のある情報だと過大評価してしまう。因果応報や、正義が勝つ、自己責任論など、「人間の行いに対して公正な結果が帰ってくること」を信じてしまい、悪いことをした人には当然悪い面があると決めつけてしまいがちであったりなど、学問でも長らく想定されていた「合理的に処理できる人間」という像がそもそも誤りだったのだ。これはまさに行動経済学の教義であり、SNSの話題から社会科学へとまさに繋がっているのだ。

ここまで講義を進めていた画面に映る男性は、実は鳥海教授じゃないかもしれない。疑って同然のことであるが、それをわざわざ疑う人はいない。まさに情報を合理的に分析していないことの表れだ。情報を信頼するというのはそれだけ偏りがあり、根深い問題なのだ。

フェイクニュースは無くならないし、真実しか語らないメディアもあり得ない。フェイクニュースがある社会をあなたはどう生きますか?

(文責:岩永淳志)

コメント(最新2件 / 30)

musashi1825    reply

各個人がSNSなどで、根拠もないままに情報発信できたり、フェイクニュースなどが逆に好まれるがゆえに、マスメディアがその発信に加担したりと、情報が氾濫状態にある現在、これらとどう向き合うべきか、考える機会になりました。
特にこのコロナの状況の中で、確かに情報と向き合う機会が多かったように思います。授業の中で触れられていたように、コロナに効く消毒液や健康法など、トイレットペーパーの一件など、フェイクがフェイクを呼ぶような大変な混乱があったように思います。私自身はこの時に、誰もコロナについての「正解」がわかっていなかったことと、国家機関からの情報発信があまりにも少なかったことの2つが原因ではないかと考えました。そして、正解がわからない状況では特に、わかっているところまでを国家など情報の裏づけをしっかりと行うことができる場所からの情報発信が大切ではないかと考えました。
しかし、そのような体制がしっかり整備されたとしても、伝わっていくのは私たちの間なので、情報の正確性を適切に判断できるように、記事の見方などは学んでおく必要があるなとも感じました。

1k_neru    reply

twitterの話については僕も頻繁に利用するSNSなので、とても興味深かったです。SNSの信用度が低いけれども情報源としての利用割合が大きい理由については、授業での考察であった情報が玉石混交だからという理由の他に、その触れる情報の多さや、多様な人間が発信することで情報バイアスを被るリスクが低いことも影響しているのではないかと思いました。コロナウイルスに対する感情も最初は人ごとのような感覚だったものから4月あたりから本格的に緊張が走り、7月まで来るとダレてきたという流れが調査結果とも一致していて、世間の感情は相当揺らいでいたのだなと震撼しました。サザエさんの例にもあった通り、メディアによる扇動はありもしない情報を発信するだけでなく「特定の考えを持った集団がいる」という幻覚まで見せてしまうので、精神過敏になっているこんな時期だからこそ感情的に叩くのではなく何がデマで何がデマではないのか、それに対して自分が取るべき行動は何かを考えることが大事なのだと思いました。
フェイクニュースは何か団体が悪意を持って故意に偽の情報を流すことだと思っていたので、単に読み手に対する受けがいいから嘘だけど面白みのある情報を流すこともフェイクニュースにあたると知りました。また自分がただ楽しくてコミュニティの中で内輪ノリをしているだけでも度を超えるとソーシャルハラスメントになってしまうこともあることを知り、もう一度身の振り方を考えなければなと思いました。

spring1359    reply

 興味深いお話をありがとうございました。コロナをきっかけにメディアの在り方について考える機会が増えたような実感があり、タイムリーな講義でした。特に今年の春先にはコロナ関連の情報は錯綜しており、様々なメディアによってデマが拡散されていたことはかなり人々を混乱させたと思います。フェイクニュースとどう付き合うかといわれると、できるだけ多くの情報源を確保するといった対策になるでしょうか。
 さらに角度は異なりますが、誤情報だけでなく、拡散されるべきであるのに周知されなかった情報があるのではないかとも思います。情報への積極性と冷静な取り扱いがまさに試されている時代なのかもしれないと感じます。

mermaid592229    reply

大変興味深い講義をありがとうございました。
フェイクニュースに関連する講義はこれまでもいくつか受けたことがありましたが、これほどいろいろな面からフェイクニュースに関する分析をされていて、非常に参考になりました。私自身もデマを信じてしまう人がある程度いるのではないかと考えていたのですが、実際にはデマとわかっていながら信じてしまう人がいると考えて行動してしまうケースが多いという、デマの自己実現のような状態が起きてしまっているということがデータを通じてわかり、そういった視点を忘れないようにすべきと改めて感じました。
デマを拡散するのはある種の人間の本能的な欲求に基づくものであり、またその訂正も混乱の収束という面では効果を発揮できないとなると、本当にフェイクニュースに対応していくことは難しいことだと感じました。ただし、社会的混乱を抑えるために一つ取りうる方法としては、上記のように、どの程度の人がデマをデマと捉えているのかということを可視化するツールが存在すると、多少は現状を客観的に捉えることができるようになり、デマを信じている、存在しない人の存在を恐れて行動をするという傾向が収まるのではないかと感じました。また、現在でも行われており、人間はシステム1で動いているためにそれほど抑止効果はないにしても、より多くの人にフェイクニュースを拡散するとどのようなことが起きるのか、実際にはどのようなメカニズムが働いているのかといったことを実際の事例を交えて教育したり、SNSやメディア上で注意喚起を常に呼びかけたりという地道なことを進めることによって、少しでもフェイクニュースに対する意識を高めることができ、行動する前に一歩考えるきっかけとなる可能性もあるのではないかと感じました。
フェイクニュースに対応する方法はこれまでも多くの議論がなされており、非常に有効な対応策はまだ見つかっていませんが、その分自分自身でもどうしたら良いのか考え、自分の最適な行動が選べるよう、意識していきたいと思います。

kou0907    reply

私は人より情報を鵜呑みしやすいタチだという自覚がある。人から聞いた情報をそのまま信じ込んで影響を受けやすい。最近は情報を批判的に捉えるように意識しているが、それでも膨大な情報全てをファクトチェックをしているわけではない。なので私が日々得ている情報の中にも誤りが多々あるとおもう。ここで私が大事だと思うのは受信した情報全てをファクトチェックするのはむりなので(気が滅入ってしまうので)、せめて発信する情報は全て事実であることを確認してから発信することだと思う。自分の発言には責任を持つことは当たり前のことだが大事なことである、ということを学んだ。

mytm1187    reply

講義ありがとうございました。デマ情報が世の中に氾濫していることは事前知識として知っていましたが、なんでデマなんて流すのだろうかとか、真偽も確かめず広めるのだろうかとずっと疑問に思っていました。しかし、今日デマそのものを楽しむ人たちがいることだったり、真偽を確かめるには労力がかからないから誰もやらない一方でボタン一つで拡散できるために拡散はすると言った理由があることを知ることができました。トイレットペーパーの事例ようにみんながデマだとわかっていても対策を立てることができないという点が難しいと思いました。その一方でデマ情報を信じて無関係の人に誹謗中傷をした事件や震災次に被災地に混乱をもたらすようなデマが流れてしまっている過去がある以上、何の対策も講じないというわけにはいかないと思います。解決策としては現実味や効果は期待できないかもしれないが、リツイートのようにワンタッチで拡散できてしまうシステムを少し変える必要があるのではないかと感じます。また、デマ情報を流すことに対してリスクがなさすぎることも問題だと思います。もう少し情報源のない情報は信用しないといった判断力が受け手にあってもいいのかなと思います。もちろんこう言ったことがすべて解決されたり、ネットが世の中になかったとしても広まるものは広まると思うので、完璧な対策は不可能なんだろうなと考えました。

tetsuya1221    reply

SNSは情報の伝達という側面だけでなく、娯楽性のあるものであるという視点がとても興味深かったです。フェイクニュースというと情報が正しく伝達されないという真偽の面だけに注目してしまいがちですが、フェイクニュースそのものがコンテンツと化しており、真偽の狭間でみんなが熱中している「情報を扱うゲーム」のような様相をしているのだなと思いました。フェイクニュースによる不利益を減らすためには発信者だけでなく全てのゲームの参加者の心理に注目しなければならないということに納得させられました。
非常に学際的で様々な分野からの見方が紹介されていて面白かったです。

mizutatsu0116    reply

私たちは毎日、マスメディアやソーシャルメディアを使って情報を得ているが、よくよく考えてみれば、特にテレビや新聞から発せられる情報を疑ったことはほとんどない。にも関わらずそれらの情報の多くにもフェイクニュースが含まれているという事実には衝撃を覚えた。まずはこの事実を知れたことに大きな意味があると思うし、例えば同じニュースでも複数のソースから情報を収集し、その妥当性を考察するなど、正しい情報を意識的に手に入れるような工夫も必要であると実感した。
確かにこのコロナ渦でもトイレットペーパ不足のデマニュースを耳にした時、それを信じ込むことはなかったが、その後各店舗でトイレットペーパーの買い占めが起きているという事実を知って、私もトイレットペーパーを一応多めに買っておいた。この行動は私もデマに左右された証だろう。しかしそのデマを知ったきっかけはデマを是正しようとした動きが原因だったということを考えるとデマの訂正行動は一筋縄ではいかないように思う。またフェイクニュースは一定の需要があること、フェイクニュースを見破る技術が向上してもそれと同時にフェイクニュースを作る技術も向上していることを考慮すると、フェイクニュースが世の中からなくなることはないと思う。そうなれば世間や技術の力で正しく安全な情報のみを提供できる時代が来ることはあり得なくなり、私自身が情報を取捨選択するしか道は無くなる。まずは今日このような事実を知ることができたので、コロナ渦で正しい情報を得る必要性がますます増えていることを良い機会と捉えて、どうしたら良いか考えていきたい。

ultra100    reply

情報やフェイクニュースやSNSとどう向き合うかという話において、トイレットペーパー品不足デマの例がとても分かりやすかった。品不足だ、というデマは実はあまり拡散していなくて、むしろ、品不足デマを否定するツイートの方が拡散されていることには驚いた。つまり、人々はデマは信じていないけど、デマに踊らされる人がいるかもしれないという不安から、とりあえず買っとこうという行動に出るということだった。訂正情報はデマの拡散の抑制はできたが、社会的混乱は抑制できなかった。対処法として、否定する、ファクトチェックだけでは全てが済む話ではないということが分かった。また、データ分析として、ツイッターを利用して、世の中の声を追っていくという方法は面白いなと思った。科学技術が進展していくにつれて、フェイクの情報が錯綜するかもしれない危険な世の中が怖い気持ちもあるが、知識と冷静さをもって対処していきたい。

yasu1026    reply

今日のSNSとコロナの関係性を結びつけた講義は関心が持てた。自分たちが日頃から使っているサービスがCOVID-19の世界においてどのような変化をしたのか、どのような相関性をもって動いたのか、これを知る機会となってとても貴重であった。
SNSというある意味若い世代に対しては国勢調査や電話の世論調査よりも実態に迫っていると考えられる方法を用いること、これ自体は自分で考えたことはあったが、実際このような結果をみると改めて魅了された。

minami373    reply

情報過多でSNSを止めようかなどと時々考えていた私にとって大変考えさせられる授業でした。実際、ソーシャルメディアは情報源として活用はするものの信頼していませんでした。(SNSはコロナ禍で会えない友達の近況を知るためや、店舗の混雑状況などのリアルタイムの情報を得たいときに利用するといった形です。)テレビを軸として新聞をさらっと読み(軸としていなかったので挙手しませんでしたが読んではいます。)、その情報を信頼すれば良いと考えていました。そこでメディア発のデマの拡散も多いというお話を聞いて愕然とし、真実というものの難しさを痛感しました。
ソーシャルポルノに対する理解はやはり若者の方があると思います。そして、その世代間の差が、例えばトイレットペーパー不足騒動のときなどに、デマに踊らされるか否かに反映されていたように感じます。SNS上では商品確保に走る保護者世代に対してどこか呆れたような感想を述べていた人が見受けられました。一部の人のそれは、生活への責任感の薄さに起因するものかもしれませんが、やはり若い世代には不確実な情報を簡単に真に受けることに「恥」の意識を感じる人が多いのではないかと感じました。
各ツイートの感情分析など大変興味深い研究ばかりでした。「トイレットペーパーが不足する」のテロップとともにテレビでお話しされていたように、これからも様々な場所で研究結果を拝見できることを楽しみにしております。

kohei8192    reply

デマはそのものよりもむしろ否定されることで混乱を巻き起こすということが分かり、デマの対処に関して重要な視点が得られた。「withコロナ」という語が盛んに宣伝された時期があったが、SNS全盛の現代では「withフェイクニュース」の態度で生きていかなければならないのだと思った。

Ito Hiroka    reply

メディアによって人工的に作りだされる流行については、僕は前々から疑問を抱いていました。ツイッターを少しやっているので身に染みて感じたのですが、「面白い」フェイクニュース・コラ画像などの「娯楽のために消費されるコンテンツ」と、事実・真実を伝える情報とが混同していることが、混乱につながっているのではと思います。また、デマを単純に否定するだけではデマの影響を食い止めることができないという点も現代社会ならではの問題点だと思いました。デジタル化の進展に加え、なまじ民主主義が浸透してしまった影響で、どんなおかしな意見でもも議論の俎上に上がってしまう可能性があります。あきらかに議論の賛否を呼びそうな挑発的な意見(ここにはデマも、そうでないものも含まれるが)が大論争を呼び、話題になってしまい、むしろ多くの人の目に止まってしまうということもあります。ツイッター上の炎上商法、トランプ大統領の社会分断を煽る手法にも通ずるところがあるとは思います。せめて真剣な議論の場では、メディア的な「真実はともかく、人の興味を引くような意見」ではなく、「適切な知見に基づく正しい意見」が通るようになってほしいと願います。

cf1133    reply

興味深い講義をありがとうございました。「トイレットペーパーが不足する」というニュースが出回ったときに買い占めを行ったあ人の中には、デマだと見抜いたにも関わらず、買い占めによる品切れを恐れて結果的に買い占めを行った人も含まれるのではないかと思います。信憑性がない情報だとしても、不安な状況の中では、デマを信じない人まで巻き込んで大きな動揺につながってしまうのだなと感じました。誰でも情報発信者になれる時代だからこそ、情報を発信する側・受け取る側の双方に知識と冷静な判断力が求められる時代だと改めて気づかされました。

morita1016    reply

毎日様々な情報に触れている私たちにとって身近な話題で興味深かったです。特に「『存在しないデマが信じられている』という情報が拡散された結果、そのデマに踊らされる人々が発生すると考えた人々によって社会的混乱が引き起こされる」という話が印象的でした。
私たちはSNSを活用して気軽に様々な情報を全世界に向けて発信できますが、その気軽さゆえに生じる問題も多々あると思います。講義の中で「あるハッシュタグが盛んにツイートされているというニュースが報じられたが、実際そのハッシュタグはごく少数しかツイートされておらず、報道の後にそのハッシュタグが急増した」という話がありました。講義で触れられた件の発信元は某メディアでしたが、個人のSNS投稿がきっかけとなってフェイクニュースが広まり、混乱を引き起こす可能性も十分考えられると思います。フェイクニュースに踊らされないだけでなく、自らが(無意識のうちに)発信元にならないような注意を払うことも必要だと考えます。

TS34    reply

デマによる人々の行動への影響がとても興味深かったです。トイレットペーパーの品薄の例からわかるように、ある情報がデマであると見抜いても、その後に取る行動がデマに踊らされている場合の行動と変わらない可能性があるという事実がとても新鮮で、デマの否定が一概に社会的混乱の抑制となるわけではないところに難しさを感じました。
また、デマの広がり方を通してそもそもの情報源となるメディアが思ったより信頼できないものであると感じました。東京脱出のハッシュタグの例のように、ごく一部の少ない意見をあたかも拡散された意見であるかのようにメディアが報道しそれが実際に拡散の元となって炎上騒動を演出するという行為は、特にコロナという未知のものに直面した状況では人々に影響を与える危険があり、メディアの悪い意味での影響力の大きさが回見えました。一方で、人々がそのような炎上騒動をデマと知っていながら楽しむ節があるというのは上記のようなメディアのデマが減らない要因でもあり、デマの抑制を妨げることにもつながっているのではないかと感じました。結局は情報源の情報の信頼性を高めるよりも個人が情報の信頼性を正しく判断することの方が重要なのだなと感じました。

aim180    reply

「トイレットペーパーが品薄」という情報を鵜呑みにして買いに走る行為を「ゲーム理論的には正しいんです」とおっしゃっていたのが強く印象に残りました。よくあるフェイクニュースの話題では「冷静に判断しよう」「信頼できる情報源をチェックしよう」などという解決法が提示されて終わることが多いです。確かに個人レベルならデマを見抜きそれに揺さぶられないようにする、というだけで解決します。しかし、現代のフェイクニュースはあっという間に拡散し多くの人の目に触れます。そして、「このニュースは多くの人の目に触れた」という事実がともに拡散されていくことに本当の怖さがあるのだと思います。「自分は嘘だと思うが他の人は信じ込むかも知れない」ということを考えて行動する時代であり、今回のトイレットペーパー騒動はそれを気づかせてくれたと感じます。Twitterなどの匿名性の高い大規模な発信ツールの登場により、フェイクニュースが混じることを前提に動くことが求められる世界になったのかも知れません。「事実を知る」を超える、新しいフェイクニュースへの対処法を探す必要性を感じました。

fro1014cd    reply

大変興味深い講義をしていただきありがとうございました。個人的には情報に関するマスメディアやSNSの働きに興味を覚えた。メディアがあまり話題となってないものを取り上げる事で大きな問題につながったり、SNSが実態のほとんどない事への批判に溢れたりなど情報の伝達の複雑さについて考える機会になった。最近はネットにもっともらしいフェイクニュースが連なっていたり、珍しい例だと吉村知事がイソジンをコロナに有効な薬品として紹介した様に公的にデマが流されることもある。我々はファクトチェックなどを用いて情報の信憑性について慎重に判断せねばならないと思った。

yjiro1638    reply

今回の講義で、様々な情報に対する向き合い方について深く考えることができた。やはり印象に残ったことはフェイクニュースに対するものだ。フェイクニュースをフェイクだという情報が拡散することで、結果的にはフェイクニュースが拡散したものと同じ現実を迎えてしまうという逆説的な現象だ。情報を拡散するということの意味の大きさは、なかなか実感がわきにくいものだが、知識として持っていくことは重要ではないかと感じた。また、情報を娯楽の一部と考えている、というものは個人的にとてもしっくり来た。この話題の時、少し関係のありそうな話で昔2chで話題になった「きさらぎ駅」というものを思い出した。内容としては、本当のこととは信じがたいものであり、実際その当時掲示板にいた人もほとんど信じていなかったようだが、それでもその臨場感のある面白い話に乗ったらしい。それが一種の暗黙のルールとでもあったかのようだ。この話は分かりやすいかもしれないが、「ネタ」と本当に重要な情報との区別はだんだん曖昧になっている気がしている。

Ugetsu5    reply

デマそのものに踊らされるわけでなく、寧ろデマであると分かっているからこそ、結果としてデマを信じるのと同じ結果を招いてしまうという視点が新鮮でした。デマに対するファクトチェックも主要メディアでしばしば取り上げられるだけに盲信していた部分もあり、情報の取り扱いの難しさを感じました。
誤情報に限らず、最近はミスリーディングな記事もしばしば見られるように感じています(例えば、題名に『判子廃止への大反論』とあっても実際は「判子の廃止でなく使用頻度の低減を求める」という内容だったり、『クラウドゲーミングが主流になるか』とあっても実際は「据え置き型の家庭用ゲーム機が依然残り続ける」という取材内容であったり等々)。割合の違いは別にしても、どのメディアでも筆者の主観を含む部分が存在しうる以上は、記事に批判を加える必要があるのも事実であって、ある種板挟みのような感覚に陥っています。

フェイクニュースとは異なる部分ではありますが、人種差別的、排外的、抑圧的な政策を志向する政治家(トランプ氏の「ポスト真実」の政治など)が支持を受けるのも、彼らがある種のソーシャルポルノを提供していることにも一因があるのではないかと感じました。情報リテラシーを鍛える教育にも限界がある以上、(情報発信の制限などは表現の自由などに抵触することもあって、具体的な制度は思い浮かびませんが)相互寛容や冷静な情報処理を促すシステム作りは必要に感じました。

Kon1019    reply

コロナ禍初期、緊急事態宣言が出された頃のことを思い出しました。自分は一人暮らしでマスクや紙類その他色々なものが不足するという情報を耳にしても悠長に構えていて急いで買いに行くようなことはなかったのですが、いざスーパーやコンビニなどに行ってみるとあらゆる商品が棚から消えていて驚きました。幸い実家からマスクなどは送ってもらえたのですが、こういう時はもっと慎重に行動せねばと思った記憶があります。
「モノが足りなくなる」というのはフェイクニュースで、「それを鵜呑みにして行動する人」もあまりいないのに、「それを鵜呑みにして行動する人が多いのではないかと考えて買い占めにはしる人」によって実際に「モノが足りなくなる」という現象が起こってしまっていたということを知り、とても興味深く感じました。そういった現象が起こることを知った上で、ゲーム理論的(個人の利得を最大化する)に考えるとやはり急いで買い出しに行くべきだし、だけどそれによって現象が加速化するという悪循環し、社会的に行動した結果一番損をするという状況で、難しい問題だなと感じました。
コロナ関連だけでなく、こう行った人々の行動をSNSなどのビックデータから自然言語処理を行って分析し、シミュレーションを行ってある程度解析的に予測するというのは今後より一層重要視されるような分野だなとも感じました。

yuki28    reply

日々マスメディアから情報を得ており、また、SNSを利用している私にとっては今回の講義は身近で興味深いものだった。マスメディアから得る情報は正確だと思いがちだが、実際は記事にあるほど大した出来事ではなかったりデマだったりするのだと分かった。講義の中で触れられていたトイレットペーパー不足や東京脱出タグの例のようにデマは簡単に広がるのだと感じた。SNSなどのソーシャルメディアは簡単に情報を入手、発信でき便利である一方で、その情報は必ずしも正しいわけではなく、フェイクニュースを拡散させようとする人々もいるのだということを理解して、その情報が本当に正しいのか考える必要があると思った。

Polaris_737    reply

大変興味深いお話をしていただき、本当にありがとうございました。
今回のお話の中でも特に印象に残ったのが、デマをデマだと認識しているのにも関わらず、結局はデマに踊らされている人と変わりのない行動をしてしまう場合が多々あるということでした。
自分は、このようなことが起きてしまう原因は、他者への信頼のなさであると考えています。このような行動を取る人の多くには、「自分は事態を正しく見抜いているが、他の無知な人間が暴走してしまうから自分も同じ行動を取らざるを得ない」という、他者への侮蔑的な発想が根本にあり、それがトイレットペーパー騒動のような事態を引き起こしてしまっているのではないでしょうか。我那覇潤氏は「思想としての<新型コロナウイルス禍>」(河出書房新社, 2020)のなかで、このような事態を防ぐためには個人単位のメディアリテラシー以上のものを持たなければいけないと述べており、自分もこの考え方には賛成です。
一方で、現実問題として、たとえ自分がデマをデマだと見抜いたとしても、生活必需品が品切れになると困るため、ある程度買いだめをしなければならない、ということは事実なので、メディアは情報の発信に細心の注意を払うべきだと考えます。

GFree59    reply

Twitterは(ほぼツイートすることはありませんが)自身も利用していることもあり、ある意味今までで一番身近に感じながら講義を聴いていました。フェイクニュース、デマが広がった時のSNSの情報の内訳についての話では、多くのSNS利用者は、情報を受信する能力については一定のレベルまで達しているものの、発信することや発信、拡散することによる影響について推察する能力はそれほど高くないので、性質として情報の受信・発信の両方が根幹にあるSNSにおいては上のような受信と発信の能力の差異がTwitterのデマの拡散で浮き彫りになっているのではないかと思いました。そうした面も含めて、ネットの使われ方が変遷するとともに求められる情報リテラシーがますます高くなっているように感じました。TwitterがRT機能の制限を期間限定ながらする、見出ししか確認していない記事の共有の前に警告を表示する等の、誤情報・不確定情報の拡散を防止するシステムを導入しているように、個人の意識だけでなくSNSのシステムも変わっていくのだろうと思いました。

sandy67123    reply

人間の手に追えない問題はマクロの問題ばかりだと考えられがちだが、まさに情報の扱いというものこそが現に人間の手におえてないな、と強く感じた。個々人が正しい判断をするための基礎となる知識を蓄えるだけでなく、社会全体でも(フェイクニュースに圧力をかけるというよりかは)正しい情報の居場所を明示するシステムを共有しなければならないと思った。そして、自分はまさにリベラルな視点で物事を判断し、常に発信することに対して慎重かつ敏感になることを意識しようと思う。

somanypeople    reply

デマが広がるのは人々の無知や悪意のためというよりむしろ人々が情報を娯楽として消費していくためという視点が非常に面白かったです。たしかに「面白いなら嘘でもいい」という考えは私にもあり、割とありえない冗談を言うこともあります。それが冗談であるか否かは文面だと特に伝わりづらく相手が勘違いしてしまうこともしばしばあったことを思い出しました。情報を発信する側はこれを発信して信じた人にどのような影響があるか、というところまで想像する責任があると思います。(拡散も然り)
また、情報を受け取る側は全てファクトチェックするのは困難なのでそれぞれのメディアの特徴を捉え、情報の娯楽性という側面を念頭に置いた上で正しく情報を取り入れるべきだと思いました。

1mae61    reply

ソーシャルポルノという概念を初めて聞き、今まで感じてきた違和感がある程度実体化したように感じました。使用するSNSはTwitterとInstagramのみですが、デマが広がりやすいと個人的に感じているTwitterの使用方法には気をつけなければならないと改めて実感すると共に、文章主体のSNSだからこそそのような側面もあり、正しい情報を素早く拡散することもできると気づきました。
デマに踊らされる人の起こす行動による自分への損害を恐れて同じような行動をしてしまうというのは自分にもあてはまります。

taki3    reply

とても興味深い講義、ありがとうございました。Twitterは非常に身近なツールであり、そこでの情報の拡散のされ方や話題の移り変わりの速さなどは常々気になってきたところであるが、そうした現象に対して研究が進んでいると言うことは意外に思い、非常に興味がもてた。SNSで誤った情報が全く拡散されていない、もしくはほとんど拡散されていないのに、誤った情報が拡散されている!と人々が騒ぐことで逆に社会により大きな影響を与えているのは、言われてみれば確かにそうであり、はっとした。ゲーム理論的には誤った情報を信じる人がいると考えて誤った情報への対策をした方が有利なのは確かであるが、そうなると一度拡散されてしまうともはや人間には情報をコントロールできず社会に混乱をもたらしてしまう。情報の取り扱いについて社会全体として何か対策法を考えていかねばならないように感じた。

LP37    reply

(提出が遅れましたことをお詫び申し上げます。今回の講義資料を参考にコメントを書こうと思っておりお待ちしていたのですが、資料は公開されないのでしょうか?公開されないのであればお手数おかけしますがそのような説明を講義内かLMSで頂きたいです。どうかよろしくお願いいたします。)

自分はよくTwitterやネットニュース(LINE NEWS,ロイターなど)で情報を入手して新型コロナウイルスについて3月以降色々と考えてきたので、今回の講義内容は非常に興味深い物だった。様々なニュースを読む中で、一部マスメディアが市民の不安を煽るような報道をよく行っていることに対して不信感を抱いてきた。例えばトイレットペーパー買い占めや東京脱出についても、一部のネットユーザーの間でしか広まっていなかったことを大きく取り上げてしまうことで広く知られるようになり、それらの行動を抑制するどころか促進してしまう結果となった。
自分は、一部のマスメディアは報道の自由・表現の自由を大義名分に不適切な情報発信を行っていると感じる。TVであれば放送倫理・番組向上機構が存在するが、もっと活発に活動していただいたり、新聞社に関しても同様の機関を設置したりすることで、不適切な情報発信を抑制することができないだろうか。
世間にはフェイクニュースや煽動記事を好む人も数多くおり、そのような人の意識を変えようと試みたり、例えばインターネット上で「これはフェイクニュース」とバッジをつけたりすることはあまり意味がない。したがって、情報を発信する側の改革が必須なのではないかと考える。

kamiwafu8746    reply

Twitterを普段から利用している私にとって、東京という人口集中都市に住んでいる私にとって、デマ情報のもたらす社会的被害は身近な話題であった。SNSを利用する人々にとって真偽はさして重要なものではないという話は実体験に符合するものであった。とすれば、新世代の情報教育のなかでこどもの時分からリテラシーをつけさせることが不可欠であると考えた。

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