ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第7回 11月16日 戸矢理衣奈

実務家との協働から「循環思考」を考える

筆者は実務経験を経て、文理を超えて全領域を学ぶ社会人向けプログラムである東大EMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)を受講したことが契機となり、東大に着任した。現在は生産技術研究所にて、「文理融合」に実務家を加えた「文理実」の協働を推進している。EMPでも「循環思考」はその中核をなす発想であり、長く企画運営を担当された横山禎徳氏(元マッキンゼー東京支社長)も同名の著作を記されている。今回は実務家の視点を加えた「循環思考」と東大での関連する活動を紹介する。

講師紹介

戸矢理衣奈
東京大学生産技術研究所/学際情報学府 准教授。東京大学文学部社会心理学科卒業。同大学院総合文化研究科、英国サセックス大学、国際日本文化研究センター、東大EMP等にて学ぶ。博士(学術)。(独)経済産業研究所研究員、㈱IRIS代表取締役を経て東京大学に着任。著書に『銀座と資生堂:日本を「モダーン」にした会社』(新潮選書)等。感性の変容や「感性産業」の経営史を専門とする一方、学内外を対象に領域横断による「応用人文学」を推進している。
参考文献
  • 東大EMP、横山禎徳・編『課題設定の思考力(東大エグゼクティブ・マネジメント)』東京大学出版会、2012。
  • 東大EMP、横山禎徳・編『デザインする思考力 (東大エグゼクティブ・マネジメント)』東京大学出版会、2014。
  • 戸矢理衣奈『下着の誕生:ヴィクトリア朝の社会史』講談社、2000。
  • 戸矢理衣奈『銀座と資生堂:日本を「モダーン」にした会社』新潮社、2012。
  • 宮崎徹『猫が30歳まで生きる日:治せなかった病気に打ち克つタンパク質「AIM」の発見』時事通信出版局、2021。
  • 横山禎徳『循環思考:ロジックツリーだけでは解決しない、複雑な問題を解決する技術』東洋経済新報社、2013。
  • 横山禎徳『社会システム・デザイン 組み立て思考のアプローチ:「原発システム」の検証から考える』東京大学出版会、2019。
授業風景

 第7回は、東京大学生産技術研究所の戸矢理衣奈先生にご登壇いただき、東大エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(以下、東大EMP)の活動と、社会システム・デザインという視座の核となる「循環思考」についてお話をうかがった。

 戸矢先生は、歴史学分野で美意識や身体意識に着目した文化史・経営史のご研究を重ねてきた一方で、経済産業研究所での勤務や起業といった実務面でもキャリアを積まれてきた。そして、東大EMPを社会人として受講したことをきっかけに、現在は「文理実」の経験を活かして同プログラムの運営と学内の異分野連携の推進にとり組まれている。

 講義の前半では、まず東大EMPのとり組みと社会システム・デザインの考え方の概要をご紹介いただき、後半では関連する実践事例や戸矢先生ご自身のとり組みについてもお話しいただいた。

 東大EMPは、2008年から開講された社会人向けプログラムである。開講の背景には、東京大学にビジネス・スクールをつくってほしいという経済界からの要請があった。同プログラムは、この要請にたいして「理系をふくめた最先端の知が揃っている」という東大の強みをいかして応答した経営学的な内容に限定されない「唯一無二」の学際的プログラムであるという。

 受講者は、官民からの出願をもとに選抜された25名程度で、その多くがみずからのキャリアの折り返し点において新たな能力や俯瞰的な思考力を求める40代前後の世代であるという。受講料は半年間で628万5713 円(税込/第28期)と高額であるものの、受講者には毎週金曜と土曜の濃密な講義にくわえて、講師陣の選書した計100冊ほどの課題図書が課せられる。同プログラムでは、思考方法の多様性をまなぶことが重視されており、この課題図書にも各分野の「根本的な発想がよくわかる本」が選ばれているという。なお、具体的なタイトルについては東大関係者にも明かせない決まりになっているとのことであった。

 現代のリーダーたちに必要とされるのは、未知の事象に直面した際に、その事象の本質をとらえて適確な課題を設定する能力である。そのため、受講生はすでに解明されていることがらについては課題文献で自習し、講義内では手を動かしながら複雑化した社会と混沌とした時代を切りひらくための「課題“設定”能力」を身につける。同様に今回の授業でも、重要なのはたんなる「課題“解決”能力」ではないと強調された。

 課題設定能力を身につけるために東大EMPで重視されるのが「社会システム・デザイン」の考え方である。これは2019年まで同プログラムの企画推進責任者をつとめた元マッキンゼー東京支社長の横山禎徳氏が提唱されてきた考え方でもある。社会システム・デザインは、社会がいくつものサブシステムから構成されており、人間はこれらのサブシステムをとり出してそれぞれをデザインすることができるという前提に立っている。このとき、サブシステムは「エンドユーザーへの価値創造と提供の仕組み」と定義される。重要なのは、通信業や小売業といった縦割りの発想から脱却して、縦割り的に考えられた従来の諸分野を貫く「横串」に着目した相互連鎖的なシステムをイメージすることであるという。

 本講義シリーズのテーマである「循環」との関連で、この社会システムが時間経過とともに変化する「ダイナミック・システム」である点も強調された。局所最適化はかならずしも全体最適化と一致するとは限らないため、社会システムをデザインする場合には、内部環境や外部環境の変化におうじて「つねに動いているもの」としてシステムをとらえる必要がある。

 各サブシステムは、技術ロジック(技術にどれほど影響されるか)と社会の価値観(社会通念上、変革がどれほど許容されにくいか)というふたつの尺度に照らして4象限図で整理できる。なかでも議論が難しいのは、技術の影響と社会の価値観の影響がともに大きいケースであり、その例として原発システムや国防システムが挙げられた。ただし社会システム・デザインの考え方は、このような難しい事例にも適用可能とされており、参考文献として授業では横山氏の著書『社会システム・デザイン組み立て思考のアプローチ:「原発システム」の検証から考える』が紹介された。

 社会システム・デザインにおいて、デザインとは一見バラバラではあるものの相互に関連しあう要素を、ロジカルな要素もロジカルでない要素も全体として調和し、望むべく機能するように「統合(Integration)」する作業を指す。こうした観点から必要とされるのは、分析力だけでなく、より良いシステムを生み出すための「発想力」である。例として、授業では「風が吹けば桶屋が儲かる」というよく知られた喩えが紹介された。風が吹けば砂埃がおこり、砂埃は人びとの目を悪くし、目を悪くした人びとはかつて職業として三味線を選んだ。当時の三味線には猫の革が必要とされていたため、三味線製作のために猫が減ったことでネズミが増え、ネズミたちに桶がかじられてしまう結果として桶屋が儲かるという話である。

 社会システム・デザインの核となる「循環思考」も、このたとえに類似した連関の想定とその具体的な検証を含んでいる。これは実際に手を動かしながら、上述の社会システム・デザインの具体的な流れを説明してみる思考法であり、つぎの5つのステップからなる。

  1. 対象となる事象から出発する「悪循環」を仮説的な見取り図として想定し、その根本にある「中核課題」を定義する
  2. その中核課題を改善するような「良循環」を考えてみる
  3. その良循環を駆動するエンジンとなるいくつかの「サブシステム」を抽出・決定する
  4. サブシステムごとの行動ステップを記述してみる
  5. 必要に応じて、サブサブシステムなどをツリー状に小分けに描き、より良いシステムへと作りかえていく

以上のように循環の変容を考えることによって、時間的な変化や連関的な影響をも考慮できるという。社会的現象のほとんどは、多くの事象との連関のなかで徐々により良くなるか、より悪化するかのどちらかであって、同じ状態に留まりつづけることはない。そのため、上述のようにさまざまなサブシステムの影響や変化を織りこむことが必要となる。もちろん完全なシステム連関を描くことは不可能であるものの、戸矢先生によれば、経験的に70%ほどの正確性のある見取り図がかければ、有効な社会システム・デザインになるという。

 以上をふまえて講義の後半では、関係者の実践や戸矢先生ご自身のとり組みについてさまざまな事例をご紹介いただいた。以下では、印象的なふたつの事例を抜粋して紹介する。ひとつは、東大EMPにも出講されたことのある元・医学系研究科教員の宮崎徹氏の研究開発実践である。さまざまな動物の血中に存在し、身体全体の恒常性を調整するタンパク質「AIM」の研究をすすめていた宮崎氏は、AIMが猫の腎臓病治療の鍵となることをつき止め、現在ではこの治療薬の開発に専念されている。この開発は、まさに学術的な「専門」から猫の腎臓病治療薬の開発という「非専門」への領域横断といえる。このような派生的な応用が可能になったのは、それまでの研究が医学分野の「中核課題」(AIM)に焦点をあてながら(個々の病気や臓器ではなく)からだ全体を俯瞰するシステム・デザイン的な視座をもって進められていたからではないかと、戸矢先生はご説明された。

 もうひとつは、生産技術研究所での戸矢先生ご自身の実践である。先生は、「東大の『文理融合』をより実効性のあるかたちですすめるためには、どのようにすればよいか?」という課題を設定し、さきに触れた社会システム・デザインの5つのステップを応用して考察を進めてきた。そこから抽出された中核課題は①「中間地帯」の欠如と②プロデューサーの欠如のふたつだという。すなわち、領域横断的な融合をすすめるためには、日常的に異分野と接触・交流のできる場(中間地帯)が必要であり、そのためには(研究者として必要とされる能力とはべつに)幅ひろい領域を俯瞰して適切なマッチングを実現するプロデューサー的な能力が必要になるという課題である。この観点から、戸矢先生は東大EMP内でも研究者が実務家の視点にふれて学問的知を相対化できるようにするための工夫や、同プログラムの修了生とのつながりの活用、「文化×工学研究会」の開催といった日常的な交流ネットワークの構築をすすめている。

 今回ご紹介いただいた社会システム・デザインの考え方においては、明確な課題設定と順序だてられた方法がもとめられる一方で、社会事象や思考の「循環」を前提としながら各サブシステムの連関や重層的な背景を重視する点が印象に残った。異なるとり組みを相互に活かしあう連関を考えることは、これからさまざまな場面で活かすことのできる重要な思考法であると思う。

(文責:TA稲垣/校閲:LAP事務局)

コメント(最新2件 / 6)

mayateru63    reply

我々学生はこれから現代の課題に立ち向かっていかなければならないとよく言われるが、私は課題への取り組み方は漠然としかイメージできていなかった。今回の話の一部である社会システムデザインと循環思考の話のおかげで少し具体的にイメージすることができた。また文理実融合の話も興味深かった。どんな知識がどこで役立つかわからないので今のうちに色々なトピックに満遍なく触れとくことは重要に感じた。

Taku0    reply

EMPという取り組みを初めて耳にした。近年表面的な知識を教養として効率的に吸収しようとする風潮がある中で、思考力の養成を目指して濃密なカリキュラムを組んでいるというその取り組みはとても興味深い。課題設定能力については、自分自身欠如していると思っていて、大学入学後特に必要性を感じていたので、今回そのヒントを得ることができてよかった。中間地帯、プロデューサーの重要性を改めて認識したが、現在その役割がどの程度社会や大学において枠としてあるのか、またどのように人材を育成するかといった疑問が生じた。専門か非専門かという話でもあったように、一定の専門性と広範な学問へのアクセスの両方が大切だと思う。駒場での学びに生かしていきたい。

YCPK4    reply

今回の講義はダントツで抽象度が高く、正直ついていくのがキツかったです…。
しかし、システムについての論のところは、私自身ロボットや生物というものに興味を以前より持っていたおかげで、なんとなく分かったような気もします。とくに、ダイナミックシステム、すなわち「過去の影響を受けながら、時間の経過とともに変化していくシステム」というのが良い言葉だな、と思いました。私たちは、未来を想像する時に現在の社会についての知識に頼りがち (カッコよくいえば、社会の発展をマルコフ過程としてとらえるということ) ですが、実際には、それまでの履歴すべてによって未来の状態が決まるという、ヒステリシスがあるということを忘れないようにしたいものです。
また、局所最適と全体最適についてのお話を聞いているうちに、なんとなく日本人はすぐに局所最適を目指してしまいがちな気がするが、それは日本人がいわゆる盆栽的な「職人芸」が得意であることと表裏一体なのかもしれないな、などということを感じました。
そして、東大がEMPのようなリカレント (=循環) 教育を本格的にやっているというのが少し驚きでした。大学を二周はしてやろうという個人的な野望があるので、東大のリカレント教育の取り組みも、今のうちから少しはチェックしておこうと思いました。

kent0316    reply

今回の講義で一番納得感のあったのは、問題設定能力・問題解決能力がかぎとなるということでした。しばしば受験などでは後者が目立ちがちですが、私は前者も同じぐらいの価値があると思っています。というのも、まず現状を改善するための課題を設定し、その課題に対して対策を練り実践しまたその結果を鑑みて次の課題設定をするというサイクルこそが、私が受験で学んだ最も大きなことなのです。そんな私にとって、この講義はとても腑に落ちる内容でした。

u1tokyo    reply

今回の講義では、東大EMPという制度についての紹介と、社会システムデザインについてのお話を聞くことができた。自分の印象に残っているのは、社会システムデザインについてのお話である。特に日本社会は個人レベルで極端に局所最適化が為されていると言われるように、社会システムは局所最適化であっても全体最適であるとは限らない(多くの場合、全体最適では無い)。この社会システムは動的なものであるが、社会システムのデザイン無しで大幅にシステムが変革することは稀である。ここで必要なのが社会システムデザインである。実際にEMPでは悪循環を良循環へと変革するという視点で手を動かしてシステムをデザインすることを学ぶことができる。とにかく手を動かして考えるのが大事だというお話が印象的で、自分もこれから社会や企業のシステムなどを見つめるときに既存の悪循環を切り口にして変革について考えてみようと思った。EMPプログラムも興味深いものだったので、将来社会人になったら是非機会があれば受講したい。

Roto    reply

社会システムデザインという概念によって社会問題全てを解決に導けるとしたら、とても画期的なことだと思った。実際に官僚キャリアの方も受講されているというから、この社会システムデザインの実践によって日本がより良い国になるのかもしれないし、それはとても素晴らしいと、浅学の自分にも理解できる。そこで自分が気になったのが、会員数が少ないことだ。社会システムデザインという概念を適切に理解しうるのが一年で25人なのか、インタラクティブな教育環境を維持できる限界が25人なのか、またはビジネス的理由なのかは自分にはわからないが、いずれにしても勿体無いことだと感じる。また25人に対し会費570万というと、自分のような一般人から見ると、EMPとはなにかフリーメイソンのような、高IQの方々の社交場というか、全く一般社会とは関わりを持たず、高みの見物を主としている組織なのかな、と感じてしまう。もちろんそのような側面があることは全く問題ないにしても、そこから送り出される精鋭が一年でわずか25人では、古代の哲人皇帝の時代ならまだしも、今の日本では、社会「全体」に与える影響としては、少しもの足りないのかな、と思った。

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