ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第7回 11月17日 西秋良宏

顔を知らない社会で生きる仕組み―考古学的な見方

 コロナ禍発生以降、行動変容がうながされている。ヒトの行動変容を通時的に明らかにすることを目指している考古学者にとって、この現象はきわめて興味深い。現在進行中の行動変容を自ら観察することなど希有な機会だからである。加えて、現在、推奨されている非対面社会のルーツは古代文明の成立にまで遡るのではないかとの思いも巡らせている。私が調べている世界最古の文明、メソポタミア文明が誕生した経緯をふり返り、対面しなくても生きていける社会の仕組みについて考えてみたい。

講師紹介

西秋良宏
専門は考古学です。考古標本、特に石器を用いた先史時代の文化史構築に取り組んでいます。中近東をフィールドとして、1984年以来ほぼ毎年、現地調査を続けています。扱っている時代は、化石人類にかかわる旧石器時代から、農耕牧畜が発生した新石器時代、さらには古代文明がうまれた青銅期・鉄器時代まで多岐にわたります。課題ごとにフィールドワークを企画し、そこで得た原標本を多面的に分析している点に研究の特徴があります。また、総合研究博物館に蓄積されている大量の考古学コレクションの整理、データベース化、公開発信もすすめています。人文社会系研究科で西アジア考古学を専攻する大学院生の指導をおこなっているほか、石器研究、世界先史学に関心をもつ各種研究員を受け入れています。
参考文献
  • 江上波夫「七千年の過去求めて 歴史の源・オリエント」『東京大学学生新聞』昭和31年5月14・21日、第259・60号。
  • 総合研究博物館の特別展サイト「空間博物学の新展開」(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/spatium/index.html)
  • ダンバー、ロビン『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学』(藤井留美・訳)インターシフト、2011。
授業風景

 第7回は、総合研究博物館教授で、同館長の西秋良宏先生に御登壇いただき、コロナ禍の現代と古代に共通する「顔を知らない社会で生きる仕組み」についてお話しいただいた。

 西秋先生は考古学者として、人間行動の長期的な変容を研究されている。人間には、狩猟生活から、農耕をはじめ、さまざまな技術革新を伴いながら都市を築きあげるまでに至る、幾万年にわたる行動変容の歴史がある。しかし現代、感染症の拡大によって未曾有のペースで行動変容が進んでいる。オンライン化がもたらした非対面の生活様式は、地理的な境界をこえて人びとをつなぎ、歴史上では類を見ないほどの変化を生み出しつつある。

 こうした変化は、考古学的にみても「非常に興味ぶかい機会」であると先生は語る。というのも、数万年単位の変化がわずか数年で訪れているためである。他方で、ひとが互いの「顔を知らない」まま生活する様式、すなわち都市文明はおよそ5500年前に古代メソポタミアで生まれた(シリア・ダマスカス)。この都市文明を現代の非対面の社会のルーツととらえて、都市社会の発生過程を考察するのが西アジア考古学の手法である(本学における西アジア考古学の歴史は1956年にさかのぼり、長い歴史に支えられている)。

 イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが脳の新皮質の分析によって算出した「ダンバー数」によれば、現代人が知人として認識できる人数は150人程度であるという。しかし、現代の大都市では、100万人をこえる人びとが共生している。原生狩猟採取民の集落の構成員が600人ほどであったことを考えると、これは驚くべき数字である。こうした変化は、どのようにして生じてきたのだろうか。都市において見知らぬ人びとが共生するために必要な条件とは、何であったのだろうか。

 まず、これまでの研究成果をふまえて西アジア先史時代の社会変容をまとめると、以下のとおりになるという。

  • 約1万年前:食糧生産(農耕牧畜)の開始
  • 新石器化の過程:最終氷河期が終わり、定住・農耕・牧畜・土器製作・都市形成等の革新が蓄積されていった
  • 約5500年前:都市の誕生
  • 約2000年前:数万人規模の巨大集落が誕生(メソポタミアのウルク遺跡、ブラク遺跡)
  • 約1000年前:ウル(神殿を中心とした、密集集落)

都市の発展は、つねに前の段階の地域を周縁化することで進められた。つまり、都市を中心に、農耕地域と狩猟地域が同心円的な構造をとる。また、農耕の起源にはオアシス説、人口説、信教説といったさまざまな学説があり、謎はまだ残っている。

 つぎに、都市で見知らぬ者どうしが暮らすしくみが、初期農耕牧畜村落や、都市の黎明期の発掘成果から分析された。講義では「リーダーシップ(価値観の共有)」と「信頼関係(私有財産の保持)」のふたつの点が指摘された。

 古代における「リーダーシップ」は、エジプトのアヘイマル遺跡内の井戸(紀元前3200年)から出土した環石(中心に穴の空いた円形の石)からも示唆される。この石は、かつて職杖maceという、指導者がもちいる道具であった可能性があるという。さらに、トルコのギョベクリ遺跡(紀元前1万年〜7500年)には、巨大な石柱が立ちならぶ一角があり、ここは「宗教センター」であったとされている。石柱の運搬には大変な労力が必要であるため、(うまく運べず放棄された石柱も発見されているが)宗教やリーダー的人物といった何らかの統率力が存在したと考えられる。神殿を中心として、都市の形成が進んだことからもわかるように、集住は宗教を求心力として進んだ側面もある。

 先史時代の「信頼関係」は、私有財産の所有と密に関わっている。農耕から得た余剰生産物を各家庭が安全に保つことができるかどうかという点が、社会の安定を左右するためである。たとえば、狩猟採取民と農耕牧畜民の家の違いのひとつには「家の形状」がある。前者が丸い家に住む一方で、後者(や私たち現代人)は四角い家に住む。四角い家は、備蓄や保管に適しており、屋内の空間も使いやすい。農耕の開始に伴い、屋内での貯蓄や、人間の活動が増えたこととこの形状が関係している。さらに、私有財産を保護するために、多様な工夫がなされてきた。その一例である「封泥」や「スタンプ印章」は、家のドアや容器を閉じるために用いられた。さらに、文字の誕生も私有財産管理のためであったという。約7000年前に出現した「トークン」と呼ばれるおはじき状の道具には、家畜を数える目的があり、やがて文字にとって代わられた。古代の文字文書にも、会計帳簿が多く見られるという。

 上記のふたつ以外にも、官僚制の発展や土器生産といった要因が、都市の発展には関わっている。古代の都市が現代の大都市に至るまでには、産業革命というあまりにも大きな変化を待たなければならないのではあるが、考古学の知見が現代文明に与える示唆の重要性は揺るがない。

 考古学者の西秋先生によれば、現代の人間生活の特徴は制度(システム)を介した人間の交流であるという。例えば、大学(教育)というシステムを通じて、オンライン授業で遠隔地の人びとがつながっている。その裏には、オンライン会議システムといった、異なるレベルのシステムがいくつも隠れている、と考えることができる。

 考古学は、物的証拠をかき集め、それらの事実から当時の暮らしや社会変化を綿密に推論していくものである。もちろん、そこから斬新な学説が生まれることもあるが、こうした「地に足のついた」アプローチは、「古代のロマン」といった通俗的なイメージとはすこし距離があり、地道な作業のように思えた。むしろ、こうした継続的な努力のなかにこそ、のびのびとした想像力が生まれるのかもしれない。すこしだけイメージの変わった「古代のロマン」に思いを馳せながら、本郷にある総合研究博物館にも足を運ぼうと思い立った(※上記の現代のシステムを介した人間の交流を図式化した模型も展示されている、総合研究博物館の特別展示「空間博物学の新展開」は2021年12月16日から一般公開予定。入館は事前予約制)。

(文責・TA松浦)

コメント(最新2件 / 19)

taisei0303    reply

顔を知らない社会で生きるためには、信頼関係が大事なのだと学びました。メソポタミア文明の時代から、大都市ではコミュニティの形成に信頼関係が欠かせなかったんだと思います。考古学とコロナ禍の関係を理解するのは難しかったのですが、歴史を学んだ上で現在の隔離的な世界を見つめ直すのは、興味深いことだなと思いました。

face1030    reply

考古学を専門にしている方のお話を聞くのは初めてで、強い関心をもって受講することができました。都市という視点では、はるか昔から顔の見えない状態で集団生活が営まれていたという考え方は、興味深かったです。現在のオンラインが増えた状況はこれまでにないものでありながら、メソポタミア文明の時代からルーツがあると考えてみる見方は、今の状態を色々な角度から見る一つの方法だと思いました。

q1350    reply

時代変遷における考古学的な対面の考え方は、非常に興味深かった。狩猟採集の時代において、対面のコミュニケーションが大部分を占める中、文明化が進み、人々は大きな単位の中で過ごすようになった。そのような状況においても権力が保持されて都市としての秩序が保たれることは、コミュニケーションにおいて、人々の考え方が時代、周辺の環境によって大きく変わっていったのだと思った。

sk0515    reply

考古学の考え方について理解することができました。過去の人類の行動を推測してそれを物的証拠で裏付けるという活動は短期的なもので考えると警察の捜査に似ているなと思いました。このコロナ禍において、対面での接触機会が減少したことは人類の行動を大きく変えました。過去のパンデミックにおける人類の行動を研究することは、現在のコロナ禍の解決、あるいは過去のより良い理解にもつながるのではないかと思いました。

ken0712    reply

考古学と言われると遥か昔に書かれた書物を解読しているというイメージがありましたが、実際は現地の赴いて遺跡を調査するというフィールドワーク的な調査も多いということは知らなかったです。私自身、昔の人が建てた建物や食器などの遺物を見ると何だかワクワクしてしまうのですが、そこから当時の人たちの暮らしや価値観、宗教観などを学問的に想像していくというのはとても面白そうだなと思いました。

赤尾竜将    reply

考古学的視点から現代社会の様相を考究するというのは、自分にとっては意外であったので、受講前から楽しみにしておりました。受講してみて、特にトルコのギョベクリ遺跡は機械などない時代にあれほどの巨大構造物を建設したというのは、宗教の力の強さを感じました。昔は科学も未発達で自然に対する畏怖や不安があったからこそ宗教への心酔・依存の程度も大きかったのではないかと勝手に考えてしまいました。

0326ema    reply

考古学的にここ数年の社会の変化を考えるということは今までに触れてこなかった考え方なので、非常に興味深かったです。特に、zoomでのコミュニケーションを模型で表すという考え方がとても斬新で面白かったです。関係性が可視化されると、zoomと対面の関係性の違いを考えやすくなると感じました。また、宗教の力によって古代の偉業が達成されたと聞いて、改めて同一の価値観を共有する団体の強さを感じました。コロナ禍においてもワクチンを打つか否か等の価値観が一種の宗教のように共有されていると感じるので、古代も現代も根本は変わらないと思いました。

samiru618    reply

現在の東京のように、大勢の知らないもの同士が暮らせている現状を当たり前に思ってしまっていましたが、たしかにお互いに危害を加えないという謎の信頼関係があってこそのもので、ある意味奇跡に近い状態なんだなと思いました。一万年も前にそのように知らないもの同士が暮らせるようになったのは、強いリーダーシップに加え、宗教が存在しており、みんなが同じ価値観をもっていたからだと聞き、納得しました。現在の日本の場合は、宗教の代わりに、輪を乱さないという教育や違反したら刑罰が下される法があってこそのものなのかなと考えました。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。やはり、入学時から薄々感じていましたが、自分のことを知らない教授の授業を受けたり、レポートを採点されたり、成績をつけられたりするのは不思議な感覚です。そんな社会が現状存在していて、普段は疑問を持たずに生活していることが、改めて面白く見えました。

mhy2135    reply

都市文明の発達とともに文字や階級、官僚制度、金属器なども発達が進んだ、という話は自体はよく見聞きするものであるはずなのに、それを集住のためのシステム構築と捉え、コロナ禍で非対面の会話が要求されてもそれが成り立つ現在の社会状況のルーツと考える発想は新鮮でした。知らないもの同士が共に暮らすための仕組みの1つとして、リーダーシップが挙げられていました。そこで、現代の日本には皆に共通の価値観を共有させられるだけのリーダーシップは存在しているのだろうか、と考えてみましたが、「日本人的な考え」「ナショナリズム」が普及しきっている現在はもはやリーダーシップでもって価値観を束ねる必要が昔ほどないのかもしれない、などと思ったのと同時に「ナショナリズム形成が国民国家統合に必要」という話をよく聞く現代からみて、リーダーシップでもって価値観共有をする、という根本は同じ手法が古代からすでにとられているのが面白いと思いました。

mehikari18    reply

コロナ禍になって、さまざまな活動がオンラインに移行し、わずか1、2年で非対面という形式でのコミュニケーションがデフォルトのようになったが、この現象を歴史学的な視点で見てみれば、人類がこれまで共同生活の中で築いてきた対面でのコミュニケーションを全てひっくり返すような大きな転換であることを改めて気付かされた。

lmn7    reply

空間博物学のモデルを使って示されていたオンライン授業のあり方の特殊性、そして都市文明のあり方との共通性がそれぞれあるという視点は新鮮で、面白かったです。オンライン授業という非対面の場の根本には、対面での人と人との関わりによって培われてきた人のあり方があるのだということを知流ことができて、自分の対面・非対面のコミュニケーションへの認識を一歩進めることができた気がします。また、今まで漠然と「発掘」のイメージしかなかった考古学の研究方法が発掘したものの素材の調査、ほかの発掘物との比較検討など多岐にわたるものであることや、考古学の研究スタイルについても知ることができ、興味が沸きました。

nv0824    reply

私は生まれた時からいわゆる都心部に暮れしていますが、まさに今回の授業の名の通り、“顔の知らない社会“で生きているという感じがします。10年以上同じ場所に住んでいても、近所付き合いというものがないので近くにどんな人或いは家族が住んでいるのかよく分からないままです。このように近所であっても人々が互いに関わりを持たないような暮らしの中でも、例えばゴミ回収の曜日が決まっていて、住民が皆、その曜日の決まった時間にゴミを出すということを徹底するなど、そういった決まり事をきちんと守って実践することによって住民1人1人の暮らしが守られているのだと感じました。

tugariz    reply

私達が全く見知らぬ大勢の人々を同じ仲間として暮らしていることは一見当たり前のように思われますが、それは都市文明という多人数の集住システムが生み出されたことに端を発していると知り、新しい見方を得ることができました。狩猟採集の時代には知人として認識できる人数の150人程度で共同体が構成されていたことになるほどと思い、また集住のきっかけとなった農耕の起源についても興味を持ちました。

L1F2    reply

とてつもないリーダーシップで人々を統率し、大きな建造物などを作ることができた理由として宗教あるいは共通の価値観があるということが印象に残った。今回の例では柱に刻まれた動物の様子から読み取れる人間中心の価値観であったが、近現代でこの中心を特定の民族に据えることで強力なリーダーシップを発揮した例は数多思い浮かび、納得できた。

jacky07    reply

顔の見えない人と集住するという現代の我々にとっては当たり前のことに疑問を呈し、それを都市システムの起源である古代メソポタミアまでさかのぼって検証するというのは方法論としてとても面白いと感じた。都市システム発達の契機として農耕が挙げられていたが、今回のコロナ禍はそれに匹敵する規模なのかは現時点ではまだ疑問が残る。メディアの発達など別の要因が関係しているのかもしれないが、今回の行動変容がこれ以後の未来にどのような影響をもたらすのか興味を持つことができた講義だった。

touko8230    reply

これまで古代文明について考える時、世界史の授業などでそれぞれの特徴などをただ覚えるだけで、そこで行き暮らす人々の生活に思いを馳せたことはなく、古代都市でも互いに顔を知らない人々が共同しながら生きていたのだという、時代や環境がことなるのみで現代と似たような状況だったことが新鮮な気づきでした。初期農耕牧畜村落における知らないもの同士がともに暮らしていくための仕組みとして挙げられていた、価値観の共有や信頼関係の構築などの痕跡は物的証拠として今に残っていますが、今の時代における非対面社会での協同の痕跡がどのようなかたちをとっていくのかについて考えなくてはならないのではないかと漠然と感じました。

yk0819    reply

農耕の起源に関して、説が複数あり定まらないのは面白いと感じるとともに、食べ物が豊富ならわざわざ初期投資の必要な農耕は行わないだろうという説を思い出した。封泥という私有財産を守るための仕組みの発見や遺跡に残る柱の意味の解明など考古学が行うことはとても幅広く知らないことが多いのだとわかった。全員が顔見知りというわけにはいかない都市で人々が秩序を保って暮らすためにはリーダーシップや宗教が必要だったという話は、都市で暮らすのが当たり前になっておりその起源について深く考えたことのなかった自分にとって新鮮だった。

DonnyHathaway21    reply

考古学の視点から現代社会を捉え直す試みが面白かったです。特に『顔』を知らない人々が共に暮らし、統率するために、強いリーダーシップか宗教を用いていた、というのは示唆的だと思います。現代社会では元首政治がほぼ崩壊し、民主政治に移行した一方で、グローバル化が進み、国家の中に様々な民族が共存しています。国家という社会の統率が、リーダーシップや固有の宗教的信念を共有する民族に依拠出来なくなったいま、統治それ自身の根拠が揺らいでいるのではないかと感じます。そういう意味で、上から与えられる共同性が無くなりつつある今、自主的に様々なことにコミットすることが求められていると感じました。

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