ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 11月01日 後藤絵美

イスラームと家―性別空間分離の過去・現在・未来―(2)

イスラーム教徒が暮らす家の特徴としてしばしば挙げられてきたのが、性別による空間分離の傾向である。婚姻外の男女(婚姻が禁止された関係を除く)の接触を制限したり、女性の美しい部分を覆い隠したりする行為は、イスラームの啓典クルアーンに由来するものでもある。一方で、そうした行為の実践のあり方は、時代や地域、個々人によってかなりの程度異なってきた。本講義ではエジプト・カイロの家とそこに暮らす人々に焦点をあてて、その多様性やダイナミズムを知るとともに、それらが生まれる背景について考えていきたい。

講師紹介

後藤絵美
西アジア・中東地域研究、イスラム文化・思想、服飾文化史。東京大学総合文化研究科博士課程修了。学術博士。平和中島財団奨学生としてエジプトに留学、カイロ・アメリカン大学女性・ジェンダー研究所に研究員として在籍(2003–5年)。東京大学東洋文化研究所助教(2013年-15)を経て、現職は東京大学日本・アジアに関する教育研究ネットワーク特任准教授(2015- )。主著『神のためにまとうヴェール―現代エジプトの女性とイスラーム』(中央公論新社、2014年)、共訳『「女性をつくり変える」という思想』(明石書店、2009年)。
授業風景

性別空間分離の現象がどこから来るのか、前回の続きです。

この現象をコーランを通して理解してみます。

33章53節(ヒジャーブの啓示)

「信仰する者たちよ、許可なくして預言者の家に、料理が出来あがるのを待たずに入ってはならない。もし呼ばれたなら入るがよいが、食事が終わったら立ち去り座って話し込んではならない。あなたたちのそのような振る舞いが預言者にとって、たとえ迷惑であっても、彼はあなたたちを立ち去らせることを遠慮するであろう。しかし、神は真実を言うことを遠慮なされない。また、彼女たちに何か尋ねる時はヒジャーブの後ろから尋ねなさい。そうした方があなたたちの心にとっても、彼女らの心にとっても汚れがない。あなたたちは預言者を苦しめてはならない。彼の後でその妻たちを決して娶ってはならない。」

これは預言者が信仰者たちと食事をしている時に、預言者の妻の手が男性の手に触れた事があった後での神様からの啓示です。慎みの無い(預言者の死後に妻を娶ろうとする)ものもいるので妻たちを隔てるべきという提言と解釈できます。

33章59節

「預言者よ、あなたの妻たちと娘たち、そして女性信仰者らに言え、ジルバーブを身体にまとうように、と。それこそ彼女たちが自分たちを知ってもらい、悩まされないための最短の方法である。」

これは、預言者の妻が用足しのために外出した際に嫌がらせする人がいて、彼らは「奴隷女性」にしか手を出さないと言っていた後に降りた啓示です。奴隷女性(戦争捕虜)と自由女性の見分けをつけさせる、守るためのものです。

これらの啓示について、後の信徒が抱いた疑問はここに示されているのは預言者の妻たちだけなのか、それとも一般の女性も適用されるのかということでした。実際、コーランの別の章(33章32節)では預言者の妻たちは特別で、他の女性たちとは同じではないとの啓示があり、ヒジャーブの命令は預言者の妻に特化しているとする学者もいれば、預言者への神の命令は一般の信者にも適用すると言う人もいます。

このように、コーランの解釈の可能性は多く、学者、また時代によって違う解釈が出てきます。そこでムスリム的道徳観は、先生からすれば、神様が何が一番いいのかを解釈するのは自分なので、一つに限らないですし、正しい解釈を求める人々の知的な取り組みの中で様々な形を取りえるということになります。

また、一般的に翻訳してはいけないと思われているコーランですが、正確には翻訳したらコーランでなく単純な解釈となる、ということです。

先生によると、男女の空間分離が必要という考え方は、コーランの文言の一定の読み方に由来するもので、普遍的で固定的なイスラーム文化ではありません。ムスリム的道徳観というのは、社会や言論、個々人の状況によっても変化し得ると捉えた方が理解しやすくなります。固定的に文化を捉えないことは異文化のみならず自文化の理解を深めるのに必要で、どれも豊かに見えてきますが、そのためにも様々な情報や知識の幅広い吸収が必要です。家という共有体験を見ることで異文化への発見があったり、イスラームに興味を持ってもらうための講義でした。

コメント(最新2件 / 27)

ma7    reply

生活の主要な一部を占める”家“を分析することで、その地域の文化や社会を探るというテーマの講義だった。イスラームの一般的な家は男女により空間の分離があるという話だったが、日本においても今でこそ少なくなってきているが、昔は(その時代の文化や社会に合わせて)男女による空間分離があったと思う。イスラームの文化や社会について全くと言っていいほど知識がないので、これからそれらの背景を探るのが楽しみである。と同時に、それによって見えてきたものと、日本での暮らしを結びつけて考え、自分の世界を相対化できたらと思う。

7vincent7    reply

授業を通して、イスラームにおける男女の性別空間分離を重んじる考えはクルアーンの様々である解釈の一部から生まれ、また過激派思想も同様に、クルアーンの一定の解釈に基づいて生まれたということを学び、いかに文言の解釈が及ぼす影響が大きいかを実感しました。
 また、そこから、異文化・自文化を理解するにあたり、特定の考えに捉われるべきでないということを実感しました。

nagi5    reply

大変興味深い講義でした。
特に印象に残っているのは、後藤先生が講義の終盤におっしゃっていた「ムスリム的道徳観は変化しうる。」という内容のお話です。正直なところ、私は今までイスラーム文化について無知で、勝手なイメージで、イスラーム教は厳格で、隅々までかっちりと決まっている宗教だと思っていました。
また、男女間の空間的分離の考え方は、啓典クルアーンの文言の一定の読み方に由来するものであり、普遍的で固定的なイスラーム文化ではないという事実に驚きました。
今回の講義を通して、”文化”について考える際に、無知故の勝手な偏見が意図せず働いてしまうことは非常に危険なことだと改めて感じました。今後”文化”について考える際は、正しい知識をもとに、柔軟な思考を大切にしていきたいと思います。

ya33    reply

コーランの解釈がイスラム学者の中でも一つに定まっていないのは意外だった。人によって解釈が違うということは、同じ神を信じているにしても、イスラム教信者内で他の点において信じている内容が違う可能性もあるからだ。しかもどれが正しいか一概に言えるような簡単な問題ではないだけに、何を信じるかの選択が難しそうだと思った。
また預言者に降りてきたという啓示についてだが、今回の内容を見る限り、本当に降りてきたというより(宗教を信じない私はもとからそれが本当だとは思っていないが)、預言者がその場その場で思ったことを、正当性を持たせ、根拠を作るために、神の名を借りている感が強いなと思った。だからそういった内容をすべて知ってまでもイスラム教を信じるのはなぜだろうと思った。ただもしかしたら積極的に信じているというよりも周りの人も生活や習慣も完全にイスラームに染まっているために、それを信じることを当然とし、内容がおかしいとかも考えないのかもしれないとも思った。

gb2017    reply

今までイスラーム世界でのヒジャーブ着用は、男性である宗教指導者が強制的に決めていて、ムスリムの女性にはあまり自由が与えられていなくて気の毒だなと思っていたが、エジプトなどでは実際には女性が自発的にヒジャーブをつけ始めたことを聞いて、自分の考えが正しくないことに気づけた。世界中ではイスラーム過激派によるテロが起きていて問題であるが、この国際問題を解決するにはまず私たちがイスラームに対する間違った偏見を捨て、その価値観の多様性を理解することが非常に大切なことだと思う。

AIL205    reply

前回に引き続き、非常に興味深い講義でした。
イスラームというと宗教規則の厳しいイメージがあり、ムスリムに対しては正直なところ「1つの宗教規則に固執する」というイメージがありました。それだけに今回、イスラームの道徳観やクルアーンの解釈に差異があることに驚きました。中でも19~20世紀における変化は印象的でした。都市部での人口増加という現象は日本でも見られた、あるいは見られることですが、それによりクルアーンの解釈に様々な変化が生じることは、イスラームに独特なことではないでしょうか。しかしそれを新鮮に思うのも、イスラームの慣習を漠然としか知らなかったためでしょう。この講義により、イスラームに関する知見が少しでも深まったと思います。
どの宗教にも当てはまるかもしれませんが、イスラームという枠組みは、ムスリムの人々にとって「大きな家」のようなものではないかと考えます。時代により「家」の構造が変わっていく点では、家族としての家と重なるところがあるかもしれません。

gene32    reply

環境、文化、宗教と空間利用の相互関係を見るという私にとって新しい視点で家を捉えることが出来、非常に興味深い講義でした。建築も西洋化が進む今日の日本においても、改めて伝統的な日本の家屋の奥深さを捉え直してみたいと思いました。

akioto0927    reply

前回疑問のままで終わった「ムスリムの道徳観」について一週間考え続けた結果、自分なりに「神に自分の身を捧げるわけだから不貞はよくないよな。」などと安直な考えに思い至ったのだが、講義で説明された性別分離の啓示については「預言者の妻を慎みのない男たちから守るため」という実際的なもので驚いた。もちろんそのような(預言者たちの)道徳観に基づいてイスラームの人々の家は作られているわけであるが、「ムスリムの道徳観」自体は人によって捉え方が違う相対的なもので、変化しうるものであるというのは面白い。これから先「ムスリムの道徳観」が変化すれば、彼らの生活は当然変わるだろう。宗教というのは家と同様、人々の生活に密接に関連しているのだと思う。

mk0806    reply

ヴェールはイスラム文化を象徴するものだと思っていましたが、それはあくまでもコーランの解釈の一つであり変化しうるというのが驚きでした。社会的な変化に応じてコーランの解釈も変化しうるのなら、今後コーランの解釈がどのように変化していくのかが気になります。

ma76    reply

コーランの解釈が一つに定まっておらず、今でも解釈次第で習慣が変わるということを知り、興味深かった。こんないい加減なものだから、過激派などが存在していることを考えると無責任でいい加減なものだと思う。
神の啓示が降った状況の説明が何個かあったが、預言者がその時その時に合わせて言っているようにしか感じられなかった。嫁に男たちが触って啓示が降ったとされるものなどは、自分の独占欲を満たすだけのための啓示なのではないだろうかと思う。
このような宗教にイスラムの人たちが従っていることを考えると非常に面白いと思う。

astonrin0514    reply

近年益々世間の関心が高まり関連したテーマを扱う講義も多いイスラームだが、「家」とりわけ「性別空間」という切り口は斬新に感じた。

後々疑問に思った点としては、宗派ごとに家の構造も違ったものになるのかということが挙げられる。
エジプトはスンナ派に属しており、講義で挙がったブハーリーの『真正集』もスンナ派のハディース集であると記憶しているが、シーア派が主流の地域ではまた違った解釈をされている可能性もあるのではないか、と考えた。
例えば、私の記憶が正しければ、十二イマーム派の法解釈では女性や女系血族にも一部相続権を認める立場が取られているが、スンナ派では可能な限り男性に限定して相続権を認める法解釈が為されていたと記憶している。この一点を以て女性の扱いの差異を比較できるものではないが、相続のような家族法の根幹をなす部分の解釈に違いがあるのなら、より生活に近い部分でも解釈がどこか異なっていても不思議ではないだろう。

何かの文献で、イスラームにおける男女の婚姻関係は「性交を求める権利」と「扶養する義務」による契約関係に立脚するものであると読んだことがある。
こうした観念が現代イスラーム社会にどれだけ根差しているものかはわからないが、少なくとも、我々日本人が自己の文化や宗教観といった色眼鏡を通して見ているイスラーム社会と、実際にイスラーム思想に基づき1000年以上も涵養されてきた思想・文化の間には、容易には越えられない大きな隔絶があるのだろうと、家という卑近なテーマを通して改めて実感させられた。

Kaiji827    reply

クルアーンの唯一無二の正しい解釈を求める過程で互いに矛盾することすらある多様な解釈が導かれたという一種皮肉な結果が興味深かった。クルアーンの非整然性が政治的に利用されてきたともいえるのかもしれない。解釈一つで多くの人生を、あるいは「家」の持つ意味をも変えることになるのが宗教である。この講義を端緒に、イスラーム以外の宗教の教義解釈の歴史にも機会があれば触れてみたい。

mdk216    reply

イスラーム文化には様々な制約があり、戒律が厳しい宗教だと思っていた。しかしイスラームについての解釈、またそこから学べることは奥深く、解釈の違いによってコーランに書かれている内容のもつ意味が多種多様に変わっていく様は学問として興味深いと思った。この授業で学んだことはイスラームのほんのさわりの部分で、小窓から外を覗くようなものだとは思うけれど、それでも自分の見識は前より広くなったのではと思う。

minorin7    reply

この講義を通して、性別間の空間分離が必要という考え方はクルアーンの一定の解釈によるものだと学びました。私の価値観ではありますが、女性が抑制されていることは女性の人権侵害にあたると思います。女性が抑制されないような解釈が生まれ広まり、イスラム圏の女性も自由になればいいなと思います。

0240ym    reply

エジプトの家が外から覗き込めないような作りになっているのは、イスラームにおける男女間の空間分離が必要という考えに基づいているというお話を聞き、世界の色々な地域の宗教、文化と家の関係を調べてみたいと思いました。
また、その空間分離が必要という考え方が、固定的なイスラーム文化ではなく、クルアーンの解釈の一つに過ぎないというお話が衝撃的でした。
イスラームといえば全身をヴェールで覆った女の人という印象が強かったので、
女性が西洋的な装いをしていた時期があったというのはとても驚きました。
と同時に、クルアーンの唯一解釈を求めようとするあまり、様々な考え方の違いが生まれ、過激派なども生まれてしまうのはとても皮肉で悲しいことだと思いました。

HSn1230    reply

コーランの内容に対する認識がイスラーム教徒の中でも異なっているのに驚きました。そもそもヒジャーブが何であるのかも詳しくはわかっていないというのが、独特な宗教観であるなと思いました。

ram168    reply

クルアーンの解釈が一定には定まっていなくて、その時期その時期によっての解釈の流行性みたいなもので大きく文化や社会の慣習が変化してしまうのは大きな驚きでした。どちらかというと、固定的なものが支配しづけているイメージであった中東の国にも多様な変化が存在しているのだなと感じました。解釈の相違が争点になっているという点では日本における憲法に似ているなと感じました。異文化理解にもっとも重要だと思われることを「固定観念を壊すこと」だというお話がありましたが、非常に今後の学習の参考になる言葉だなと感じました。まず、受け止めて、そして柔軟に組み替えて行くことを意識することを忘れないようにしたいです。最後に途中の挿絵で登場したかつてのカイロの街並みが非常に印象に残っています。まだあの街並みが残っている部分があったら、ぜひ実際に見にいきたいなと感じました。

oka430    reply

クアルーンの解釈は何通りもあるという話は衝撃的でした。しかし、いろんな解釈が出来るからこそいろんな国に広まり、世界三大宗教の一つとなり得たのかもしれないと感じました。クアルーンの自分達なりの解釈を見いだし、それにそって生活を送っているイスラームの人たちは無宗教の自分からはずいぶん新鮮に感じられました。かれらの「家」はわたしたちのそれとは物理的な側面はもちろん精神的にもかなり異なったものだと思いました。一度イスラームの国にいってみたいと感じました。

mthw509    reply

非常に興味深い講義でした。イスラームのコーランが、解釈によって捉え方がおおきく変わるのは驚きました。勝手にイスラーム圏は男尊女卑の風潮が強いのではないかと思っていて、女性のヴェールなどは強制されていると思い込んでいました。女性の信者の方でヴェールをかぶるのが大事だと解釈した人や、男性の信者の方でも預言者の妻にしか当てはまらないと解釈した人、色々いるんだと感じました。
今回の講義ででイスラームに対するイメージが少し変わり、中途半端な知識は国際情勢に対する自分の感想や意見の基盤を脆くするんだなと思いました。正しい知識を持った上で考えることの大切さを改めて実感しました。

Laco1925    reply

私は、前回の授業においてもっとも驚いたのは、芸能界の女性が率先して現在のような厳格な流れを築いたということだった。私は、それまで宗教とは常に世俗と対立するものだと考えてきた、つまり世俗の反宗教的な流れを宗教が非難するという形である。今回の授業ではその逆の例を知ることができた。これは女性たちから見ればどのような心境なのだろうか。厳格な宗教こそが人生において重要だと知ったのだろうか、それともこれも流行りの一つに過ぎないのだろうか。私はエジプトが西洋化していた時期に関しても同様の疑問を持った。これらの事情を考えると、やはり欧米諸国や日本のフェミニズム的意見は独りよがりなものと言わざるを得ないのかもしれない。

panda123    reply

私は今までイスラームに対する知識がほとんどなく、ISなどの過激派のイメージが強かったけれど、そういった固定的な観念を持っていては本当に異文化を理解することはできないと思った。前回と今回の授業を通して、家ということを題材にしてイスラームの文化についても学ぶことができてよかった。

ueup8    reply

これまであまり触れることの無かったイスラームについて知る良い機会だったと思います。
「家」に関連して、男女間で空間分離がなされているということ以上に、クルアーンの解釈によってそうするべきかどうかが変わるということは興味深く、また教訓めいたものも感じられました。日本ではクルアーンのように明文化された経典のようはありませんが、やはり時代時代によって異なる道徳観があるのではないかと思います。これからは文化や慣習に対して冷静に考えるようにしていけたらなと思わされました。

Sugaya79    reply

イスラム教の過激派はクルアーンを曲解して自分達の都合のいいように使っているという認識があったが、そもそもクルアーンの正しい意味は一つに定まらず複数の解釈があるというようにとても難しい問題であるとは思わなかった。まとめの「異文化や自文化の理解を深めるには自分が知っている断片的な知識をもとに固定的に考えてはいけない」ということをイスラームを題材として実感できた。

tsu2954    reply

クルアーンの文言は変わらないが、解釈には様々な変化があったというのにすごく納得した。数十年の間に女性がヒジャーブをつけたり外したりしていることに、説得力があった。ファッションとしてでなく、神の教えが変化しているとは驚いた。解釈の揺らぎに悪用の危険性を感じたが、道徳観の変化などどの文化でも起こりうることでイスラームが特別なのではないと思った。

ma7    reply

イスラームの典型的な家を見ることで、イスラームの文化を知ることが目的であったが、皮肉にもイスラーム文化は多様的で定義するのが難しいという結論であった。最近、イスラーム圏以外の学者がクルアーンを研究して解釈を加えていくことで、多様化が加速しているみたいである。色々なクルアーンの解釈が生まれてくる中で、どの解釈に依拠するかは個人によるので、今後自分なりにクルアーンを捉えなおすということが求められる時代になるのかもしれない。多様化というキーワードはイスラーム文化だけでなく、現代の我々の生活を説明するのにも使われる。個人に重きが置かれ、様々なライフスタイルが認められる現代となっては、私たちが自分にあったライフスタイルを見つけていくことが大切になるだろう。(先祖代々のしきたりや自己が所属する社会の掟など、生活を制限するものが現代において力を失っているように思われる)
宗教というテーマは以前から興味があったものの、授業などで習う機会がなかったので、とても興味深い講義でした。今後も宗教と人間との関係性について考え続けたいと思います。

grape22    reply

イスラーム圏の家における性別空間分離に関して、前回感じた「時代による変化はあるのだろうか」という疑問が今回の講義で解消されたように思います。一見男尊女卑的に見える男女の分離が、本来は女性の保護という側面をもっていたということからも、時代による変化は大きいものだと推測できます。一方で、男女が分離されていなければならないという考え自体がそもそも一つの見方にすぎないということに非常に驚きました。「イスラーム文化」がコーランに多様な解釈に基づく、変化のある文化だという点が興味深かったです。文化を固定化して捉えるのではなく、流動的なものとして見るということは、イスラームに限らず文化の理解において重要だと考えました。

ngnl0715    reply

今回の授業の中ではエジプトでの家の構造について詳しく学ぶところがあったので、文系でありながらも進学選択では建築学や都市工学系に進もうと思っている自分にとっては大変うれしい内容であった。

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