ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第10回 12月18日 中井 真木

装いと力:服装から平安貴族社会を読み解く

歴史学は、事象に普遍性や繰り返しを見出したい誘惑に争いながら、事象の唯一性・一回性を追究し、人の営みの複雑さに迫ろうとする学問である。装いは時に他者の支配に用いられ、人間関係を固定し、また時に抵抗の象徴となり、人間関係を変容させるが、その力学が具体的にどのように発露するのかはまったく多様である。約千年前の貴族社会を事例に、服装と権力や財力の関係について、ともに考えてみたい。

講師紹介

中井 真木
明治大学大学院特任准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。服装文化を中心に平安・鎌倉時代の歴史を研究している。著作に『王朝社会の権力と服装―直衣参内の成立と意義』(東京大学出版会、2018年)等。
授業風景

2024年度学術フロンティア講義第10回では、12月18日に明治大学大学院特任准教授の中井真木先生をお迎えし、平安貴族社会における服装と権力、財力という観点から、「装う」について講義をしていただいた。

授業の冒頭に中井先生は一つの問いを提起する。「みなさん、歴史とは何だと思いますか。歴史学は何を目指すべきでしょうか」。この問いに対する中井先生の現時点での考えは以下のものである。すなわち歴史学とは「事象に普遍性を見出したい誘惑に抗いながら、事象の一回性を追求し、人の営みの複雑さに迫ろうとする学問」である。実際われわれは歴史に普遍性を見出す誘惑に駆られる。歴史的人物に「共感」したり、「教訓」を読み取ったりすることはそれ自体楽しいものだ。しかしわれわれがそうした視点でのみ「歴史」を語るとき、そこではもはや実際に起きた史実は対象化されていない。あるいは「公家は〜である」、「日本人は〜である」などといった言葉も、歴史を語るうえでよく見かけるものであるが、しかしこうした既存のカテゴリーの無批判な使用は、偏見や差別的言説を形成することになりかねない。したがって我々は、そうした普遍化の運動を常に批判しながら、具体的な史実へと目を向けなければならない。その意味で歴史学とは、過去の何かを「明らかにする」ことより、むしろ「問い続ける」ことにその本質がある。歴史的主張は、それが立ち上がった瞬間から問い直されなければならないのである。

そうした意味で、ある時代における「権力」を考える際にも、たとえば「なぜ男性/女性は権力をもっていたか/もっていなかったか」などといった問題提起は改められねばなるまい。フーコーの言うように、権力は所有物としてではなく、関係のなかでのみ生成され、それが及ぼす効果によって理解されるものとして定義される必要がある。われわれが以下で服装と権力の関わりを考える際にも、こうした態度は不可欠のものとなる。

以上の方針を踏まえつつ本講義では、「装束」をテーマに考えてゆく。装束に関して、歴史研究における通説は「日本史においては、装束はただ着飾るためのものではなく、衣服の材質、色、文様、また装身具の選択に至るまで、厳密な規定に基づいた『身分の標識』だった」というものだ(近藤好和、『装束の日本史:有識故実の基礎知識』)。これも大局的な理解としては必要なものであるが、こうした通説を批判的に思考する姿勢こそ重要であると中井先生は考える。以下に見るように、装束にはそれぞれに歴史があり、ゆらぎがある。ここで問われるべきは、それらの成立過程、伝承過程、変容、またその過程が人間の関係や意思決定のあり方にどのように作用したか、という点である。

具体的に「直衣」について見てみよう。直衣は基本的に私服であり、直衣での参内は原則禁止だが、一部の公卿には冠直衣での参内が勅許された、というのが通説である。しかし資料を詳しく調べると、トップの公卿である道長があたかも直衣着用の勅許を受けていないかのような描写が見出されたり、公卿より下位の殿上人が直衣で内裏を歩いていることがわかったりする。やはり直衣に関しても通説に安住しない考察が必要である。

そこで必要なのは、10世紀末〜11世紀の内裏の空間・時間に応じた服装規範の理解である。実際資料を細かく調べてゆくと、内裏にはより公的な空間・より私的な空間があったり、あるいは昼と夜で服装の規範が異なったりするということがわかる。さらに厳密には、この「昼夜」の区切りは清涼殿においては天皇の正式な食事(朝御前と夕御前の2回)を基準としたものであり、その意味でこれも現代の時間感覚とは異なるものである。当時の服装は、当時に独特の時間・空間的条件とともに装われていたのであり、これは単に「表裏」や「ハレ・ケ」といった概念を使うだけでは決して見えてこない様相だといえよう。

さらに服装の選択は、権力関係の揺らぎと関わる場合もある。道長と一条天皇が緊張関係にある時期には、道長が(やや致し方なくではあるが)、宿衣(直衣)のまま御前に参入する場面が記録されていたり、あるいは三条天皇と道長の融和期には、両者が直衣を共に着て弓を要るという場面があったりする。天皇と道長の変容する関係において、意思決定への関わり方の駆け引きなどもあるなかで、ある場面で「何を着て臨むか」ということは、小さくない意味をもっていたのではないだろうか。

その後12世紀になると、院政の展開や摂関の地位をめぐる混乱等のなかで直衣の勅許が許されるようになり、12世紀半ばには、天皇の身内や近臣の公卿にまでその対象は広がる。とはいえ婚姻関係なども複雑なこの時代において、誰が天皇の「身内」になるかという点は必ずしも明確ではない。ここで「直衣勅許を行使し身内の範囲を定める」という行為は、一つの大きな権力となるのであり、そしてこれを最大限に活用したのが、平清盛を中心とした平氏政権であったという。このように、直衣の着用は当時の権力関係を考えるうえで、一つの重要な意味を持っているのではないだろうか。

あるいは、「直衣」とは異なる装いとして「直垂」がある。直衣とは違い直垂はVネックのような襟をしており、上半身衣料を袴に着込めて着用する、活動的な服装である。通説として直垂は、もともと庶民や地方労働者の服装であり、そうした流れのなかに生まれた武士が自らの服装として着こなしていった、というのが通説である。とはいえこの通説と噛み合わないのは、「直垂」という言葉が資料に初めて登場するときから、それは派手な「美服」として描写されていることである。直垂は、単に地方庶民にルーツをもつ衣服としてだけではなく、12世紀における武士の新しい気運を反映した新鮮な装いとしても考察されるべきなのではないだろうか。

そして講義の最後には、直垂を着てpretendする公家についても取り上げられた。九条兼実『玉葉』によれば、藤原頼実が合戦中に直垂を着て逃げようとしたところ、武士だと思われ、あやうく殺されかけたという話がある。ここで興味深いのは、「武家装束」として捉えられることの多い「直垂」が貴族である藤原頼実によって装われている点である。これも「公家装束」と「武家装束」という二項対立的なカテゴライズではもはや説明しきれない例である。

講義の終盤には、装束の生産方法や染料などに関しても質疑応答があり、大いに盛り上がった。本来一回的でしかないものをカテゴライズしてしまう誘惑は、私たちの日常においても身に覚えがあるものだ。その意味で、中井先生とともに「歴史」を問い直す時間は、本講義の参加者にとっても大変有益なものになったように思われる。

(文責:TA田中/校閲:LAP事務局)

コメント(最新2件 / 11)

esf315    reply

服装が政治的、社会的に強く意味を持っていたために、駆け引きの道具のひとつとして使われていたという話がすごくおもしろかった。
高級ブティックに行く際の服装によって店員の態度が変わるという事例は、装いが力の発露となっている例の1つだと考えた。ブランド服を着て、自身の裕福さを示し売買で起こる駆け引きの時に自分に有利になるようにするといった点は平安貴族と同じであるが、すべての店員が客の服装によって態度を変える訳では無いという点は平安貴族社会とは異なると考えた。現代は平安時代ほど服装が強い意味を持たないため、他の事例でも同じような相違点が見られると思った。

kaki06    reply

歴史学において語られる主体について、それがあくまでもカテゴリを示す便宜的な言葉であることを忘れてはならないというお話に共感した。カテゴリは物事を考えたり、大きな流れを理解する上で欠かせない思考の型であるけれども、あくまで思考のために必要なツールであって、必ずしも現実とは一致しないことを絶えず振り返りながら覚えておきたいと思った。また、平安時代における服装と権力の関連性について、高校時代に古文で勉強した、服装と人の地位の関連について久しぶりに思い出した。権力を持つものは、その権力を確実に行使するために権威を感じさせられる存在でなければならず、そのためには視覚的な装いはきっと効果的であるし、不可欠でもあったのだろうと思った。

0524yuta    reply

今回の授業では、平安時代の貴族社会において服装がどのような意味を持ち、それが現実にもどう影響していたのかを学んだ。直衣がはじめは正装ではなく着る場所や時間を選ぶ服であったが、いろいろな事象の積み重ねや時の流れによりその持つ意味は変わり、権力を象徴するかのような服として捉えられるようになった。この事象は自分にとって非常に面白いと感じたことであった。歴史は一つ一つの細かな個性的な事象が積み重なって作られていくことがよくわかるからである。

tahi2024    reply

平安時代の服装は身分の階層秩序を固定化していたとのお話であったが、現代においても特に中学校や高校でその意味合いが感じられると思った。卒業式では生徒は学生の象徴である制服を着て自分が社会の中学生の役割を負っていることを示し、先生たちはスーツや着物で清廉な服装を装い、校長先生は背広を着てボスのような厳粛なかたいイメージを装う。これは、校長、教員、生徒という身分秩序を服装という媒体で表しているのだと思った。

Yukki35    reply

服を纏うことは、視覚に多くを頼る人間において、その印象を大きく変えることだと考える。そのため、装いを管理することで権力を管理する、と考えるのは自然であり、実際にそういう側面もあっただろうが、しかし過去の人間が大人しく管理されていたと決めつけるのは、それ自体もステレオタイプ的に過去の人々を管理しかねない。大切なのは、文献に記されたもの、記した人を唯一の事例として向き合い、そこから何が読み取れるかを知ることが大事だと感じた。

highriv21    reply

元々直衣や直垂のことは、高校のときの古典の授業である程度話を聞いており、多少身分の違いがあるということは聞いたことがあったが、ここまで厳しく決められているのは初めて知った。一番印象的だったのは授業中に見せていただいた「信貴山縁起」の本で、現代でも当時のものがあんなにはっきりと絵の内容がわかる状態で保存されていることに感銘を受けた。また、私は次のSセメスターから中井先生と同じように考古学を勉強する予定なので、実際に自分の先輩にあたる人がどのような研究を今しているのかを知ることもできていい機会となった。

awe83    reply

日常において装いが権力の発露(権力→装い)となる、あるいは現状の支配関係の変更の手段(装い→権力)となる事象としては、やはり高価な服装を身につけることが真っ先に思いついた。経済力がある(=そもそも優位性・支配力)→高級な装いをする→社会的地位(=周囲の人への支配力)というもので、例えばアウトドアを愛好する者の装備が、ワークマンや100円ショップのものなのか、モンベルのものなのか、あるいはより高級なものなのか、で他者との人間関係には多少影響を与えうることは容易に想像できる。資本主義社会である現代では装いである服装そのものの価値やブランド力が装いに権力を付す一方で、平安貴族社会では家柄などに基づく身分が中心的な価値観をなすためか天皇からの懇意が装いに権力を付すと区別して捉えられそうだと考えた。
また経済力だけでなく、流行に敏感、オシャレ・センスがある、"イケてる"といった要素も支配関係を生み出せる例だと思った。何となく芋っぽかったりださかったりすると潜在的にナメられることもありえ、特に中学・高校までの未熟で権力関係がわりあい見えやすい環境ではいわゆる「夏休み明けイメチェン」「大学デビュー」的なことを経て周囲からの印象が変わる(支配関係の変更)こともあるだろう。
平安貴族社会において特定の装いには許可が必要という、誰でもできることではない希少性、特別性が、その人を周囲から一目置かれる存在にしたて権力を与える。それは、天皇からの懇意も経済やセンスも同じことだと思う。

ak10    reply

これまで歴史を研究する目的はは過去の事象から教訓を見つけそれを現在に生かすことだと考えていた。そのため今回お話しされていた事象の唯一性・一回性を追究するというのは今まで持ったことのない考え方であった。しかし今回お話しされていた例を聞くと、確かに歴史の通説には当てはまらないことも多くあるのだと気づかされた。平安時代において装束は身分を示す標識という側面もあっただろうが、その規律は時とともに変化するものでもあるし、一律に決められた規律を破ることで自己を示すことができることもあるのだと今回の授業を受けて考えた。現代では規律で定められていたり、マナーであるとき以外は、決まった服装をすることは少ないと思う。これは自身が好きな服装をしようという自由な動きが広がりつつあるからだろう。

ouin3173    reply

服装という視点で権力構造の歴史を初めて学び、現代とは異なる規則や文化から社会的効果を生んでいることが面白かった。現代はむしろ固定概念や潜在的な支配被支配関係に抵抗する文脈で服装についての決められたマナーなどを厳しく守ろうとしない動きがあるが、相手に敬意や感謝を伝えるなどプラスの目的で服装のマナーという共通認識が利用されることもあるので、今後そういったバランスをどのようにとりながら服装の文化が変容していくのか興味が湧いた。

att1re    reply

まず,芯つよく,ゆえに先行研究への懐疑の念をなに憚らず節節に滲ませる先生の謦咳に接することができ幸甚だった。マスプロの授業ばかりを受けていると余計に有難い。そういう意味では歴史を研究することそのものの講義だったかもしれない。
稲田先生のご講義と較べるに,ハレとケ(という概念自体「慎重になりたい」とされていらしたが),非日常と日常という対比を汲取ることができよう。非日常の物事が装いの儀礼性を顕わにし,つぶさに見れば日常の物事が装いと切り結び難いゆえに,装いそれ自体をある程度曖昧にさせているといえる。

choshi70    reply

先生が授業の初めでおっしゃっていた歴史学の定義は、他の学問分野にも通じる極めて重要なものと感じた。その歴史学の定義にも重要な、テキストに即した具体性のある議論を実際に聞けたのは良かった。その具体的なところは私自身の知識不足もありなかなか難しかったが、それでも、通説に対して例外を出して反論するというやり方だったために何とか理解できた。できることなら通説側の言い分も聞いて検討してみたいものである。

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