ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい
第12回 01月08日 河原 ノリエ
The Power of BEAUTY
一生かかっても、直接見ることができないものは自分の顔である。鏡に映る自分の顔は他者から理解されるためのディスプレーであると同時に、自己理解の装置でもある。生後間もなく鉄板ストーブに落ちて負った顔の火傷の移植手術を19歳で受けた。世界が一変したときに気が付いた。自分の視線こそが、自身を世界から排除していたことに。ひとは皆、ありたき自分とあり得る自分に折り合いをつけて生きていく。美しくなることには、ひとが,
よりよく生きていくことを鼓舞する力がある。それは困難ななかにあるほど意味をもつ
- 講師紹介
-
- 河原 ノリエ
- 東京大学東洋文化研究所特任准教授・UICC日本委員会広報委員長 昭和36年富山県生まれ 昭和60年早稲田大学美術史学科卒業 平成15年日本医師会総合政策研究機構客員研究員 平成16年独立行政法人産業技術総合研究所研究支援アドバイザー(平成23年まで) 平成18年東京大学先端科学技術研究センター人間支援工学研究員をへて 平成22年東京大学先端科学技術研究センター総合癌研究国際戦略推進部門 平成27年より東京大学大学院情報学環・学際情報学府特任講師 平成30年 順天堂大学医学博士号取得 乙第2429号 令和3年より東京大学東洋文化研究所特任准教授 令和4年度よりマレーシアにてBEAUTY(Bringing Education and Understanding to You) プロジェクトを進めている。
- 授業風景
2024年度学術フロンティア講義第12回では、1月8日に東京大学東洋文化研究所特任准教授の河原ノリエ先生をお迎えした。
河原先生は東京大学で2011年から「アジアでがんを生き延びる」という学際的な授業を行われている。この授業では、がんを単なる疾病としてのみ捉えるのではなく、社会を映す鏡としてもとらえ、経済、文化、社会などさまざまな観点から考察を行っているという。今回の講義では、こうしたガンの啓発活動を始め、これまで先生が行われてきたさまざまな実践活動についてご紹介いただきながら、「粧う(よそおう)」ことが個人や社会にもたらす影響についてお話していただいた。
現在、先生はマレーシアにおいて「BEAUTY」(Bringing Education and Understanding to You、あなたに伝えたい)というがん啓発活動を行われている。この活動は、美容を切り口としながら、人々の健康意識の向上を目指すものである。マレーシアは中華系、マレー系、インド系などさまざまな民族が生活しており、言語や文化も多様である。そうした多様性を受け入れるおおらかな国柄がある一方で、健康課題に対して深刻に向き合う風土はあまりなく、がんの死亡率が高い状況にある。実際、啓発活動を行ってもなかなか人々に響かず、仮に検診を受けてくれたとしても、異常が見つからなかった場合怒り出す方もなかにはいるという。
こうした課題に対応するために始まったのが「BEAUTY」の活動である。このプロジェクトにおいてがん啓発の役割を担うのは、地元の美容師である。普段は健康に無頓着な人でも、美容院で鏡の前に座り、整えられた自分の姿を見る瞬間には、背筋が伸び、自分のからだに目が向くようになる。そうしたタイミングを活かし、美容師が検診を勧めたり、スマートフォンで登録できる健康管理システムを案内したりするという仕組みだ。デジタルなシステムをただそれとして提供するのではなく、美容師とのコミュニケーションのなかで提供することで、自然に受け取ってくれる人がかなり増えているという。実際活動開始から3年が経過し、現在では約22万人がそのシステムに登録している。こうした事例は、現代の情報社会における人間的な繋がりの必要性と可能性を感じさせてくれるものである。
さて、河原先生はなぜこうした活動に取り組むことになったのか。そこには個人的な経験が関わっている。先生は一時期4人の子どもの育児に専念されていた期間があり、大学を卒業後40歳になるまでは、学術的な活動は一切行っていなかったという。そうした中、2000年12月に東京大学で「知の光」というイベントが開催された。このイベントは「新世紀を迎えるにあたり、東大がどのような知を社会に発信できるか」について考えるもので、安田講堂に教授たちが集まり、ライトアップが行われた。当時、先生は4人の子どもを連れてイベントに参加した。そこでは当時学長であった蓮實重彦が「この知の光を社会へどう開いていくか」について語っていたという。帰り道、本郷の並木道を歩いていると、娘から「ママは母親業だけをして、社会に対して何かを還元しているのか。恥ずかしくないのか」と鋭い問いかけを受けたという。その言葉に先生は大きな衝撃を受けた。その後、娘の提案で渋谷に向かい、カウントダウンイベントに参加することになる。するとそこでは多くの人々が集まり、賑やかな時間を過ごしていた。その光景を見て先生はふと考える。「この渋谷の雑踏における人々の知と、15分前の本郷における教授たちの知は、いかにして繋が(りう)るのだろうか」と。
個人にとって知とは、ただ提供されるだけのものではない。提供された知を自らの経験において連関させながら、自分固有の問題系の中で捉え直すことでこそ、知は生きたものとなる。先生は自らの経験に立ち返り、自らが世間に対して発するべき問いを考えることになる。「これだけは世に言わないと死ねない」という問いはなんだろう、そう考えるとき、先生を突き動かし続ける一つの原体験があった。それは生後8ヶ月のとき、鉄板ストーブの上に落ちて顔半分が焼けてしまったという経験である。この事故のせいで、街を歩いていても、容姿に指を指されたり、バカにされたりすることもあったという。しかし19歳のときに移植手術を受けると、世界が一変した。気がついたのは、自分の視線こそが自分を世界から排除していたということだった。ありたい自分と、あり得る自分に折り合いをつけながら、自分自身を受け入れること。そうした意味において「自己の美しさ」を手に入れることで、個人はよりよく世界と関わることができるのだ、ということに気付かされたのである。
この経験は「人間存在とは何か」、「自分の体の情報は誰のものか」という問いを先生に抱かせることになった。というのも当時移植手術を受けた際、手術の写真が無許可に学会で使われたという出来事があったためだ。こうした出来事に対する違和感は、19歳から40歳までずっと先生のなかに残っていたものであったという。先生のあらゆる活動の根本には、こうした実存的な問題意識があるのである。
さて、そうした一つの転機を迎えたのち、先生はさまざまな実践活動に取り組むことになる。2007年には南京でガン予防の会議を開催。資生堂に依頼したところ、資生堂は南京まで同行してくれることとなり、その結果、プロジェクトには注目が集まり、大きな成功を収めた。この経験を通じて先生は、「美容」はどんな状態にある人のことも豊かにすることのできる力を持っていることを実感したという。
また、ワシントン大学で始まったプロジェクト「DO IT」では、障害のある子どもたちが夏休みの間に1週間ほど大学で授業を受けるという取り組みが行われている。先生が担当した回では、資生堂とマガジンハウスへの企業訪問を行なった。資生堂ではプロの方に化粧をしてもらい、きれいになった状態で銀座の街を歩きマガジンハウスに向かう。マガジンハウスでは、企業訪問を行なったのち、とびきりの写真を1枚撮ってもらい、その写真をそれぞれのプロフィールとして使ってもらうというものだ。
参加者のなかには引っ込み思案な生徒や重度の障害を持つ生徒もいたが、資生堂を訪れる前と後でその表情はまったく異なるものだったという。資生堂のコーポレートメッセージとして「一瞬の美しさが一生の美しさを作る」というものがあるが、まさにその言葉通り、一瞬でも自分の自己イメージが美しく確立されれば、人は強く生きていけるのである。この自己イメージとは、「人からどう見えるか」という外的なものではなく、自分自身の内から自分を肯定する原動力になるものである。
また、JICA草の根プログラムというプロジェクトでは、がん検診の啓発を目的に中国のハルビン市を訪れた。年配の方が多かったこともあり、最初は誰も協力してくれようとしなかったが、「美容講習会を開きます」という提案を行うと、皆ウキウキした顔で集まってきてくれたという。そこで先生は資生堂のクリームを渡し、「次回の講習会までに、家族でお互いに塗りあってください」と伝えた。これにより、家族内においてお互いの健康状態・身体情報を交換する習慣が生まれ、健康意識は飛躍的に上がったという。医者が警告するのではなく、美容家からの切り口だからこそ届けられるメッセージがあることを実感する経験であった。
講義の後半では、化粧療法についてお話しいただいた。たとえば、資生堂は戦争によるやけどや傷跡、生まれつきのあざ、がんによる見た目の変化など、見た目に悩みを抱える人々に向けて化粧商品の開発を行ってきた。こうした取り組みの背景には、「粧う」ことで心身機能やQOLの維持向上など健康寿命の延伸をめざすという目的がある。実際、化粧をすることで外見の変化に対するネガティブな感情が軽減され、就労を継続するうえでの自信を持つことができたり、外出の回数が増えたり、宅急便を受け取れるようになったりするといった声も少なくない。
また、化粧は介護現場でも注目を集めている。実は化粧は五感を刺激し、脳を活性化させる効果があることが明らかになっている。また、化粧をする動作は、字を書いたり食事をしたりする動作の3倍程度の筋力を使うという実験結果もある。ある介護施設では、月に2回化粧教室を開いた結果、患者が身の回りの行動を自分でできるようになったという事例もあり、総じて介護費用の削減にも繋がっているという。化粧はこうした点からしても、人を支え、よりよく生きるための原動力になりうるのである。
今回の講義は、化粧の意味や多様な観点から見る生命科学の可能性について考えさせられたと同時に、自分自身の体験・関心に目が向く契機となったように思う。先生のお話は非常に惹きつけられる切実さがあり、参加学生からも積極的に質問がでた。先生がまさに体験・実践されてきたように、切実な響きを持つ言葉は人を動かし、時を超えて知の光を伝えていくのだと感じた。河原先生、ご講義いただき本当にありがとうございました。
(文責:TA田中/ 校閲:LAP事務局)
コメント(最新2件 / 14)
- 2025年01月08日 20:41 reply
はじめに授業の本題とはずれてしまうが、先生はマレーシアで行っている取り組みには感銘を受けた。美容院に行くとダラダラした生活を送っていたとしても、その時だけは背筋の伸びるような気持ちになる部分をついて、人々の健康のために検診を促すという取り組みは、プラン的にとても工夫的だと思うとともに人としてもすばらしい取り組みだなと感じた。
資生堂と協力して美容への人々のこだわりを利用して健康への意識を変える取り組みもとても工夫的だと思い感銘を受けた。医師が健康を諭すよりも美容家が健康を諭す方が効果的ということに現れるように、人々が美しくなりたいという感情は非常に強力であることを知ったが、それはルッキズム的思考が人々に根付いているからなのではと思った。先生が掲げる「美しくなる」はwell-beingなどをよりよくしていくことだと思うが、先生の力で健康意識が上がった人々はルッキズム的な意味合いでの美しくなるを目指しているのではないかと思う。そのため今回のお話を聞いてルッキズム的思考はそれほどまでに強いのかとも思った。メイクや美容の力で健康的になったり自分に自信がついたりすることは本当にすばらしいと思うが、人々に根付く根本的なルッキズム的思考は変えられないではと少し残念に思った。
- 2025年01月08日 22:48 reply
いわゆる「ルッキズム」は主に他人の評価基準としての美を追い求めるが、きょう紹介された美の装いは、主に自分の認識の中で、自分が自分のまま美しくなるという観点で化粧を考えていたと思った。しかし、自分の中の美の観点も、例えばマーケティングによる需要の掻き立てられや、精神状態の悪化に伴う醜形恐怖症など、その時々で外部の影響を受けるので、そこの境界は意外と曖昧なのかもしれないとも考えた。
- 2025年01月09日 08:12 reply
私の弟も発達障害のようなところがあり、両親は非常に苦労していたのですが、思い返すと当時は(今もかもしれませんが)、母親と父親の間で常に喧嘩が起こっており弟のみならず一家として全員が孤独な状態に陥っていたなと感じます。自分ではどうにもできないがしかし周囲からは厳しい視線で見られ、その上産んで育てている責任のようなものも感じ雁字搦めのような状態でしたが、そんな中で母はアルバイトを始め、それによって少々元気になった、というほどでもないですがメンタルが保たれていたような気もします。こうしたことからも化粧というツールのみならず、人に見られているという意識があるということが何かしら社会との繋がりを感じさせて人を落ち着かせる効果を持つのだなと感じました。一方で過剰な視線により疲れてしまうこともあり、適切な位置に落ち着くのはなかなか大変なことのように思います。興味深いご講義ありがとうございました。
- 2025年01月10日 15:19 reply
自分は女子ながらメイクをしたことがないし、正直面倒そうだと思っているけれども、人間の身体部位の中でも顔はコミュニケーションや他者との関わりの中で一番重要な部分で、そこを美しく保ちたいと思う欲求だったり、実際に外見から美しくあり続けることは、すごく大きな意味を持ちうるのだなと気付かされました。
質疑応答の中で醜形恐怖症などの自分の顔を嫌ってしまう状況についての話題もあったが、その中で先生がおっしゃっていた、自分の限界を認める・受容することについてのお話が特に心に残りました。自分の可能性とか未来を信じることと、限界を自覚して他者と協力したりある程度の諦めを持ったりしながら持っている力や資源を最大限活用することとは、バランスを取るのが難しいと思うが、後者は特に自分に欠けているものだったかもしれないと思わされました。
- 2025年01月10日 15:29 reply
化粧は経済的・心理的に余裕のある人の贅沢だと感じていたが、今回の講義で発展途上国の人々や、病気や生まれつきで見た目にコンプレックスを抱えている人、子育てに悩む人や高齢者など、余裕がないからこそ化粧が力を発揮する人々についてご紹介いただき、化粧の捉え方が大きく変わった。近年はメンズメイクなども流行り、より多くの人がメイクを楽しむようになってきているが「キレイになりたい」という人々の素敵な感情が過剰になり画一化に向かわないことを祈っている。
- 2025年01月10日 23:43 reply
これまでの人生で化粧をしたことがなく(多くの男性がそうだと思いますが)化粧といえば女性が社会のマナーとしてしっかりと行うものだと思っていたので、当然自分の見た目に関することであるためこだわりなどはあると思っていたのですが、他の知らせは見ないにも関わらず美容に関する情報は見るほど大事にしているのだなということに素直に驚くとともに、まだ私も女性に関して理解力が足りていないなと感じました。
「一瞬が一生」という資生堂の言葉は短い時間であっても美しい自己イメージを持てると他人にどう見られているか気にせず暮らしてくことができるという意味ですがその話を聴きながら、一日一日、一瞬一瞬をしっかり生きていくことが大事であるのという意味も含まれているのかなと思い少しこの言葉を頭におきながら生きていこうかなと思いました。
- 2025年01月12日 17:47 reply
「人をよりよくするというベクトルの美、ケア」「美容という回路を通して健康などwell-beingの意識を高める」「誰もが自分なりに美を求めている」といったことが語られプロジェクトとして動いていたことを知り、普段化粧や服装でよそおうことが好きな(レジュメp.23ではC型にあたる)女性である自分にとっては、共感でき有用そうだと思えワクワクした。一方で美しくなることがどの程度人間的に根源的なことなのか、今は商業で溢れかえっているために過度に美を追求する欲求が刺激されているのではという問いも抱いた。他の受講生がどれくらい共感しているのか興味があるのでコメント欄を見るのが楽しみ。
また、自分の素顔があまり好きじゃないとしても、化粧して可愛くなれるなら素顔はなんだって構わない気がしてきて肩の気が抜けた。
先生の講義にとても引き込まれたので他の著作も拝見しようと思います。ありがとうございました。
- 2025年01月13日 16:46 reply
承認欲求とは一般に、他者から自身の容姿や性格など自身のさまざまな要素において認められたい、評価されたいとする欲求のことという意味で理解されているが、先生のお話を聞いて自分が自分を認めたい、評価したいとする欲求もあるのだと思った。確かに鏡によって確認するのは他人からどういう風に見られているのか、自分は社会的にどういう役割を負っているのかであり、鏡を見ることは他者からの視線を内在的に意識したことだと思う。しかし、評価基準が全くもって他者ではなく過去の自分であり、他者からの視線など全く意識していないような承認欲求は過度な整形などの事例に表れている。自分の視線と同時に他者の視線も持ち合わせて、他者からの評価も意識しつつ、自分もそれに対して完全とはいかないとまでもある程度認めてあげていることが肝要というか健康的な状態なのではないかと感じた。
- 2025年01月13日 22:49 reply
粧うことによるケアがその人や社会にとても良い影響を与える可能性を持っていることとても感じた時間だった。障害や事故等で自分の外見にコンプレックスがある人も、外見に気を使っている若い世代の人も、もう外見にそこまでこだわりを持ってない比較的大人な人たちも、どのような人にとってもやはり粧うことはその人の活力を引き出すことは容易に想像がつくし、美しくなろうとする努力が自己認識と成長を促すのだと思う。自分は化粧をしないので直接的におっしゃっていたことは当てはまっていないが、いい服を着るときはとてもテンションが上がるし、たまにスーツなんかを着るととても気が引き締まる思いになる。服を気にするようになってからコミュニケーションに自信を持てるようになった友人も知っている。外見を磨くことでその人の心身の健康が増進し、社会へのつながりを持ちやすくなるというのは非常に魅力的なことであると思う。粧う/装うことは、結果として外見を良くするだけでなく、自信や活力も装わせることにつながるのだと感じた。
- 2025年01月14日 15:57 reply
今回の授業を受けて自身の経験について考えてみた。私は普段メイクをして大学に来ている。高校ではしていなかった。私がメイクを始めたのは周りに合わせるためである。メイクをすることが面倒くさいと感じることは多くある。そのために朝早く起きなければならないのは正直苦痛だ。それでも、メイクをせずに外出できるかというと無理だと感じる。それは周りの目が気になるからだ。しかし周りの人はそれほど意識していないと感じる。私自身、友達がメイクをしていなくてもなんとも思わない。今日は朝バタバタしたのかなと思うくらいだ。それでもメイクをするのは、私の気持ちの問題なのだと思う。メイクをすると少し自分が綺麗になり、それが自信につながるのだろう。
- 2025年01月14日 20:30 reply
漫画『ブラック・ジャック』で、過疎地域で無免許医――という特徴自体は言わずもがな主人公にも該当するものであるが――ながら地域の医療を一手に引受けている人物が登場する回があったと記憶する。無免許といえば琵琶丸という鍼師も登場した。かれらを思うとどうも医療というものは「装う」ことと不可分な部分があるようだ,仮令それが学問・技術という両輪の飛躍発展によりあらわれづらくなったとしても。BEAUTY(Bringing Education and Understanding to You) プロジェクトが医術の東西,とりわけ東とどのようなかかわりにあるといえるか,あるいはそこに「装い」的なるものが介在していないか,という点で興味深く思った。
- 2025年01月14日 23:42 reply
今回の授業はこの一連のオムニバス講義のなかでもトップレベルに興味深かった。我々は他者の視線に晒されて生きている。また、その姿には自分自身の視線も注がれている。装う(粧う)ことは社会参加であると言われていたがその通りだと思う。装いが変われば社会に参加するモチベーションが変わるということも私自身経験したことがあるし、よくわかる。装いが視覚的なわかりやすい変化を生むことも、先生のやっていたプロジェクトにおいて重要な要素だと思った。健康や幸福などを志すことは長期的な視座が必要で簡単なことではない。簡単で分かりやすい装いから始めることによって人々の健康への意識を高めるということ、それが実践され効果を上げていることは納得できると同時に驚くべきものであると思った。誰しもが持つ美への意志が幸福への意志へ繋がっていく可能性を秘めていることは、今後の人生のためにも覚えておきたい。
- 2025年01月15日 00:35 reply
今まで痣などの生まれつきの他の人とは違う特徴ややけどなどのけがに対して化粧でカバーすることにより人々を支えているということは知っていましたが、化粧がリハビリにも効果があることは初めて知りました。確かに私も朝化粧をすると気分が上がるし、気持ちを切り替えるスイッチにもなると思いました。今の時代になってもまだ男性のメイクに対して否定的な意見もあるので、メイクをしたい人がメイクをできるようになる時代になればいいなと思いました。
コメントする
- 他の授業をみる
自分自身スキンケアにはかなり気をつけているので納得できるところも多く、BEAUTYプロジェクトの話や、子供を殺めてしまう母親への支援の話など、興味を引かれる話ばかりでとてもおもしろかったです。特に、専門家からのお話をしても効果がなかった時に美容師の方に目をつけたというのはすごく感心しました。ご講義ありがとうございました。