中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 南京大学フィールドワーク研修【3月】2010年度

南京プログラム学生派遣に参加して

 今回の南京プログラム学生派遣に参加して、私は極めて有意義な時間を過ごせたと思う。何よりも中国の学生と日中関係や歴史問題、学問のことなどを理性的に語り合えたことは素晴らしい経験だったし、中国の学生たちによる歓迎も大変丁寧で温かく、初対面の人々と初めて訪れる土地で会っているにも関わらず、安心感さえ覚えるほどだった。

 日本から派遣された学生と中国の学生との交流がこれほど活発に行うことができたのは、大学院生の参加の効果が大きかったように思える。それは、大学院生が学部生よりも多くの知識があるからや人生経験が豊富であるからではなく、議論の方法や作法を心得ているかどうかという小さな違いが文化背景の異なる2つのグループのコミュニケーションに大きな意味を持ったのではないかと考えるからである。

 中国で日本の学生と交流した学生のほとんどが大学院生だったが、中国の学生はいかに東京から来た学生を迎えるかということに気を使い、特に最初のころは意見をぶつけ合うということを積極的にしようとしなかった。一方、日本の学生は、中国の学生が日本語を話すことによってできる日本語母語者の言語的優位性と、学生によっては南京で受けた先生の授業をすでに受けたりすでに予備知識があることがあり、議論を行うよりも一方的に「答え」を教えたり、「経験」や「情報」として中国の事情を一方的に聞こうという傾向が最初の頃は強かったように思う。一方的に話しても一方的に聞き手に回っても、「交流」とは呼ぶことができないが、そのような状況の中で日本の大学院生が議論を整理したり、議論の背景を補足したり、日本と中国に共通する問題を指摘することによって次第に議論の土台を作っていたように見えた。

 また、現在の日本にいると中国に対して蔑視的な情報に触れる機会が多く、同時に南京という歴史的に難しい場所柄、その歴史への防御反応がナショナリスティックな感情に行きやすい。しかし、今回は中国を専門にする大学院生がいたことで、中国への蔑視にも日本へのナショナリズムにも距離を取りながら、みんな感情的なバランスをうまく取ることができたと思う。

 だが、今回の交流が成功したことの最大の功労者たちは、南京の学生たちだろう。南京の学生たちは、空港への迎えから食事、買い物の場所の案内、観光のガイドなど中国での私たちの生活の細部まで行き届いた世話をしてくれた。またそれだけではなく、私たちを「お客」として何度もご馳走してくれた。しかし、このことは同時に南京の学生たちの負担をも意味する。今後、このような交流会が続けられる場合(絶対に続けられるべきだが)、中国の学生の負担も考慮に入れて計画が立てられるべきだと考えている。東京大学から多くの教授が派遣され授業を行うプログラムの一環として学生もまた訪問するというコンテクストがあるために、中国の学生にとってやはり普通の留学生や学生訪問を受け入れる以上の責任を感じるであろうし、日本の学生も中国の学生からのケアを必要とする以上、今回のような中国の学生にとって負担になりえるような関係はそう簡単には変わることがないだろう。そのような背景が構造としてある以上、日本の学生を受け入れる中国の学生へのサポートもシステムとして組み込んでいく必要があると思う。実質的に現在中国の学生が行っている南京の授業の補助を授業のアシスタントとして中国の学生にアルバイトとして頼んだり、日本の学生を向かい入れる際の「交通費」を支給されるだけでも中国の学生の負担はより少なくなるように思う。

 今回の南京プログラム学生派遣は、留学生として日本に来ているわけではない中国の学生と交流することができて、実に刺激的な経験だった。日本語学科の学生だという理由もあるし、1週間しか会うことがないという事実が逆に余計な心配をせずにざっくばらんに話をすることができるようになったという理由もあるだろうが、私が感じたのは「近さ」だった。人生の様々な面での悩みを共有したり、意見が異なれば互いに考えを交換することができた。しかし、同時に「遠さ」も感じざるをえなかった。日本からは比較的簡単に中国に行くことはできるが、経済的な理由で中国から日本へ行くことはまだ難しい。また、両者の間にある歴史的問題や政治的問題が時に緊張をもたらすこともあった。南京プログラム学生派遣が今後も続けられ、このような距離を少しでも縮めていくことができることを切に願っている。

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明孝陵にて

(表象文化論専攻 博士1年(第二グループ))

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