中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 南京大学フィールドワーク研修【3月】2012年度

南京大学集中講義「変容」について(第1グループ M2)

「変容」とはそもそも何を意味しているのだろう。この講義では「変容」の訳語としてmetamorphôsisというギリシア語があてられている。この語は変化(meta-)と形(morphê)からなる言葉で、文字通りには姿形が変わることを意味する。ところで、単に着替えをすることを普通は変容とは呼ばないが、昆虫の変態のことは英語でmetamorphosisと呼ばれる。このように考えれば、「変容」とは外見の変化以上の意味が込められている。

そのなかでも特徴的な意味を取り上げるならば、一つは存在の仕方の変化である。では、存在の仕方の変化という観点からは、「変容」は何が問題となるのだろうか。渡辺先生の授業を例にとって考えてみたい。この授業では植物・環境・人間の三者が取り結ぶ関係の中での変容がテーマとして扱われた。例えば盆栽は、植物が自らの存在の有り様を、人間の美意識に従って変容させられたものである。この変容は、受動的であると同時に能動的な性質を併せ持つ。盆栽として植えられた植物は、本来の自然なあり方とは異なるあり方を、人間の手によって強制されている。盆栽の側から見れば、この変容のきっかけは受動的に与えられたものである。だが、人為的な介入に適応して変容するさまは、やはりある種の能動性である。この両義性は、桜が気温の変化に対応して春に花を咲かせることにも見られる。

この受動性と能動性から見えてくるのは、「変容」が関係性の概念であるということである。盆栽は人為的な介入とそれに適応しようとする植物の力の相互作用によって生まれるものであり、桜の開花は桜の木と外気温との連関によるものである。原先生が講義した「悩み」の問題系も、この関係性という視点から捉え直すことが出来ると考えられる。というのも、外部で生じた問題を解決しようとするがうまくいかないときに精神病を患うと考える精神分析では、患者が問題となる対象、具体的には父や母といった他の人間と、いかなる関係を取り結ぶかが中心的な問題となるからである。討論のテーマにもなったフロイトの「すべての愛は反復である」というテーゼは、主体からある他者との関わり方、しかも両者ともに何らかの変化を伴う関わり方を問題としている。「変容」は、自己と他者の存在のあり方を相互に変えていくものとして考えることができるだろう。

「変容」という言葉に込められているのは、自立的で独我論的な変化ではなく、常に自分ではないものと触れ合いの中に置かれることによって生じる変化である。授業や討論も含めた今回の南京での一週間の滞在は、この「変容」という言葉が持つ様々な射程を学ぶ大変貴重な機会であった。このような貴重な体験を与えてくれた方々に感謝したい。

(M2(第1グループ))

Loading...