中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 南京大学フィールドワーク研修【3月】2012年度

「変容」の感想(第2グループ 2年)

南京での集中講義が終わり、日本に帰国してある程度の時間が経ちました。簡単にではありますが、講義や学生討論、プロジェクトについて振り返りたいと思います。

私は第二グループに参加し、伊藤徳也先生による周作人の「頽廃」概念に関する講義と清水晶子のクィア理論に関する講義を受講しました。どちらの講義もこれまで私があまり学んだことのないテーマでしたので、興味深く講義を聞き、学ぶことができたと思います。特に清水先生の講義では、「実際に自身の身体に加工を施す」という課題から、身体の変容について考えていく点が印象的でした。そこにたとえばクィア理論の学史や社会規範、セクシュアリティといった概念が関わり、身体がいかに変容するか、自身のアイデンティティがいかに変容するのかについて議論が進められていく。その一方で、変容というテーマのなかで「変わらないもの」という変化しないものについても言及があった点が興味深かったです。

講義のあとの学生討論からも大きな学びがありました。討論のなかで日本と中国の差異、特に人生観や社会に対する視点の違いについての言及があり、その根源にあるものについても考察したいと感じたことを覚えています。また、議論の形式からも学ぶところが多かったと思います。というのも、なぜ議論をするのか、そもそも議論をするとはどういうことなのかについて考える契機になったからです。相手が述べたことについて、その論理的な綻びを指摘することも重要なことかもしれませんが、それは時に暴力的なものになることもあります。特に一つの結論に至るという目的があると、特に顕著なものとなるよう二思います。しかし集中講義での討論は、各々が講義を受けてどのように考えたかを主眼に置いており、相手の主張について、より純粋に考えたという点で、改めて議論とはどのようなものか、あるいは批判とはどうあるべきなのか考えることができました。今後の大学の講義でも活かしていきたいと思います。その一方で、講義の内容に基づいたテーマについて討論をするという形式は、講義に参加すれば討論にも参加しやすい反面、講義に参加していないと討論へのハードルが上がってしまうのが、少し残念に思いました。また、討論会に利用した教室も、もう少し広い教室で、討論には直接参加しなくても、討論の様子を他の方も見学できるような形にしても良いのではないかとも思います。

最後に。プロジェクト全体についてですが、講義と学生討論での学生交流は良い勉強の機会になりました。また南京大学の皆様に南京を案内してもらい、そこで多くのことを見聞きすることができました。一週間という決して長くはない時間でしたが、多くのことを学ぶことができた、とても濃い時間だったと思います。ありがとうございました。

(文Ⅲ2年(第2グループ))

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