中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 東大×南大共同フィールドワークin東京【11月】2010年度

日本と中国はどう付き合っていくか

 去る12月13日の午前10時から10時33分までの約半時間のあいだ、悲惨そうなサイレンが南京の上空を響き渡った。南京大虐殺遭難者記念館には5000人弱の軍民が集まり、日本軍に虐殺された遭難者の死を悼んで、世界の平和を祈る儀式が行われたそうだ。新聞や雑誌はそれに紙面の多くを割り当てた。

 そういう歴史的事件がゆえんで南京で日本語を勉強している私たちの立場はどうも微妙なのだ。友達から大学の専攻を聞かれて日本語だと答えると、話がすぐ日本軍の侵略に変わってしまった。われわれ日本語クラブも時々そんな目にあって、何かの催しを行ってもできるだけ目立たないように行動するのが慣例である。そうしないと、回りから変な目つきを浴びる恐れがあるからだ。

 今の中国では、若者はさておき、私の両親や祖父母の世代には日本のことというと、頭ごなしに批判するのが一般的な状況だ。というのは、上述した歴史的な悲しみが人々の心に住み着いているからだとは言えるでしょう。

 一方、船舶衝突事件や尖閣諸島の所有権の問題は日本でも中国でも大騒ぎになった。ここ数年和らいだ中日関係はまた緊張度が高まった。中国のテレビニュースでは中国政府が日本側に対する厳重声明や日本国内で起こった静座などが毎日流れていた。同時に日本も同じく中国で「盛ん」に行われた反日デモを大幅に報道していた。

 東京大学一週間体験はちょうどその敏感期間にあった。実に言うと、私も不安を抱きながら、東京へ旅立った。一度行ってはじめて心配する必要はないということが分かった。日本の政治、経済、文化の中心である東京は人々が政治への関心が少なくてほとんど自分のことに集中して、むしろ中国よりも安定な日常生活を送っているとのだ。国内の報道とは正反対で驚きのあまりだった。でももっと考えるとそれも当たり前のことだ。もしその間日本の方々が中国へいらっしゃったら、反日デモがいくつかの都市に限ってそれほど「盛ん」ではないという事実も分かるでしょう。しかも、両国間はいくら情勢が張っても、民間交流の中では相変わらず手厚く接待されている。

 結局、緊張度が高くなったというのは国と国との対立に限るだけで、1人1人の国民の間の対立ではないはずだ。従来、国際関係は国益次第なのだ。世界の国々は同じ国益で密接に結ばれる一方、異なった国益のせいで摩擦や衝突が相次いで起こっている。新しい世紀を迎えて以来、日本は低いながらも穏やかな経済成長を示したのに対して、中国はすさまじい発展を遂げている。このままのペースで行けば、日本が世界第2位の経済大国の地位を中国に譲り渡す可能性が強まっているという中国脅威論を賛成する人は日本だけでなく、世界中にもかなり多い。これは中国経済の量的発展を強調しすぎるからだ。全面的に見ると、中国が経済上日本を追いつく、追い越すには質的な成長を求めなければならないのだ。中国の電子産業や自動車産業などは日本のそれに頼って独立自主の道を探しながら発展している。それと同時に、小さな島国である日本は、石油、石炭などの資源や安い労働力などが中国から輸入している。だから、現在も近い将来も両国は互いに競争し合い、依存し合う仕組みで発展し続けるでしょう。経済発展の影響もあって政治の面では中日は互いに制約しながら国際政治の舞台に活躍するのが考えられるでしょう。だから、一時的に多少緊張度があっても当然のことだと思われている。

 したがって、中日交流というのは国益を最優先とする国家の交流と利益を目的としない民間交流との2つの体系に分けて考えていくべきだと思っている。中日の両国関係が氷河期に落ちても、両国の国民が数々の民間交流によってつながっているのだ。中国と日本ほど互いの民間団体が頻繁に交流している国はないといっても言いすぎではないでしょう。毎年行われている日本を感知する作文のコンテストや南京での植樹に通じた「緑の贖罪」や日本語図書贈与活動などがその最たる証だ。しかし、この前尖閣諸島の所有権の紛争で両国の民間交流プロジェクトの一部が遅延、キャンセルとなり、両国の民間交流関係者たちの間に不安が広がっている。でも私から見れば、中日関係が困難なときこそ、両国の民間交流を強めなければならないのではないか。

 中日関係の流れを見極め個人経験を元に、メディアの先導も中日交流の中でかけがえのない作用を発揮していることが明らかになった。一国のメディアは国民が他国を見る窓でもある。もしその窓に埃や塵などが厚く積んでいれば、部屋の中の状況が分からなくなるでしょう。つまり、メディアが隠さずに事実を伝えなければ、国民が自分の国のことも相手国の状況も知らぬままで愚民になる恐れがあるのだ。今両国のメディアともが報道の全面性にかけている。両国の衝突が報道されるのが常で自国政府に有利な情報だけ流したメディアはあくまでも政府の宣伝道具に過ぎない。だから、中日友好の未来は公開、公正、公平なメディアを作り上げることにもあるのだと考えている。

 最後でありながら、歴史を鑑として、透明且つ開放なメディアの先導によって、積極的な民間交流を架け橋に、中日友好が世世代代続けることを祈ってやまない。

(南京大学 4年 X.M.)

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