中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 東大×南大共同フィールドワークin東京【11月】2011年度

空間と記憶

今年11月私は貴重なチャンスを得て東京大学へ一週間交流訪問することになった。今度のプログラムの重要な一環として、東大生との共同研究が提出され、初めて行なわれた。研究テーマ「空間と記憶」は3月東大の先生かたがたが南大で講演してくださったテーマ講義「記録と記憶」を絞ってきたものだと私はそう見ている。初めて「記録と記憶」というテーマを見たときとほぼ同じ、「空間と記憶」に触れた折、私は正直戸惑った。なぜならば、「空間」と「記憶」という二つの結構抽象的な概念を繋がるのはなかなかおもしろいが、と同時に難しいとも思うからである。しかしながら、東大の学生たちと検討した後、テーマを「空間の記憶」と「記憶の空間」との二面に分けて研究する道がだんだんはっきりするように見えてきた。さらにテ―マを具体化するために、討論の上で日本の神社という極日本的な場所を選定した。そして、日本人は「神社」という空間をどのように「記憶」し(つまり「空間の記憶」)、人々はどのようにして神社という空間を他の空間から区別し認識しているのだろうか(つまり「記憶の空間」)などの問題意識に基づいて、インタービューを通して共同研究を行なうことにした。続いて今度の共同研究のプロセスをまとめながら、それを通じて「空間と記憶」に対する認識を述べたいと思う。

うちのチーム4は日本の神社という空間を選んだから、11月8日の火曜日に明治神宮へ調査に行った。明治神宮は大正9年に明治天皇を祭って、彼を祭神として、神道的な実践を日本国民統合の支柱として建立された神社である。まず目に入ったのはやはり鳥居で、さすが明治神宮の鳥居、思うよりも大きくて太い。しかも一つだけでなく、何個もある。もともと日本の神社は一つだけの鳥居を持つと思っていた。そして、もう一つ印象深いのは砂利道である。インタービューのとき、「その道を踏みしめる音を聞くと、なんとなく快くなれます」とあるおばあさんがこう言ってくれた。まったく同感だと思う。砂利道に沿って、もう少し奥にはいると、涼しくて、山の奥に入った気がしてたまらない。道端を見たら、太い木がたくさん植えてあり、ふと中山陵のことを思い出される。中山陵とはほぼ同じ風景であるが、南京の中山陵は山の中腹に建てられ、都市の中心部から結構離れているのに対して、明治神宮は賑やかな繁華街渋谷の近くに位置している。その日は立冬の日で祭りがあって、普段より参拝客が多いそうである。

明治神宮を見物した後、神宮境内でインタービューを開始した。後の東大校内でのインタービューと合わせて13組みを行なった。主として、日本人は「神社」という空間をどのように「記憶」しそこを訪れているのか?つまり、普段及び今日は何のために神社へ来たのか?などの質問を出したのである。答えによると、彼らにとって神社という空間はおおむね5類に分けられる。すなわち、神聖なる空間、都会のオアシスとしての空間、教育現場としての空間、地域交流の場としての空間、観光スポットとしての空間。神聖なる空間というのは、神社に行くと落ち着き、神社を「宗教的な神聖な場所」としてとらえていて、「俗から切り離された聖なる場」として認識し、記憶している。鳥居をくぐったり、参道を歩いたり、一連を儀式的な行動をとることによって、そこが非日常的な場として特別な場としての意味合いを持つようになった。答えによれば、木に囲まれた神社という空間を「都会の喧騒からは一歩離れた憩いの場」といして利用する人も少なくないそうである。このような人の多くは「明治神社には自然が多くて好き」といって、彼らにとって、神社は周囲の音や景色を遮断し、空間的にも都会から切り離された場となっており、都会にいることを忘れさせるオアシスの機能を持っているといえよう。また、明治神宮で中学生も何人かを見かけた。インタービューによれば、日本の伝統文化を体験させるために、先生が明治神宮を教育現場として選定したのである。チーム4のメンバーの中にも小中高の遠足や修学旅行といった学校教育の中で神社に訪れたことがあった人がいる。中でも、厳島神社や日光東照宮、京都、奈良の有名の神社など、日本の歴史を学習する上でも重用といえる場所が選ばれる傾向が高かった。そして、夏祭りや秋祭りなどのとき、普段あまり会えない近所の人々との交流の場所として神社も利用されている。インタービューの時、ドイツ人や中国の台湾からやってきた観光客も出くわした。彼らによると、神社は日本の代表的な場所だから、観光リストに加えたのである。

前述のインタービューの結果をまとめて分析し、うちのチームは若者世代と年配世代では神社に対する意識にあまり差がないことがわかった。若者世代にも70世代のように「神社に行くと、ここが昔どんな人が来たのかなと歴史に思いを馳せる」といった意見もあり、世代を超えて、神社という場は「空間をもって時間に替える」、つまり、「時間の流れを凝縮した、古き良き場所」と認識されていて、神社という空間は「記憶」の蓄積によって生まれたものだということが分かった。

今度の共同研究を通して、東大生と一緒に神社を歩き、討論し、「空間と記憶」に対する理解も少し深くなってきて、たいへんいい勉強になったと思う。

(南大学生 M2/チーム4)

 

 

 

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