中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 東大×南大共同フィールドワークin東京【11月】2012年度

受講した講義に関する考え(南大3年)

中国の教育は日本の教育に比べ
決定的に何か足りないものが存在する

共同研究では本当に多くのこと学ぶことができました。この点からいえば、東京大学で授業を受けたことも、とてもよい経験になりました。中でも、特に印象深かったのが、二つのゼミでした。私は初め「ゼミ」と聞いて、中国のように普通の授業とあまり変わらないのだろうと思っていました。しかし、実際参加してみて、中国とは大いに違うと思い知らされました。ここで「思い知らされる」とありますが、これは私の正直な感想です。結論から言えば、中国の教育は日本の教育に比べ、決定的に何か足りないものが存在する、ということです。

まず一番初めに受けた授業として「食ゼミ」*1がありました。このゼミは食を中心に各グループの人がある具体的なテーマを決め、それについて討論していくということでした。その際に、私たちはあるグループの討論に参加しました。なぜかというと、そのグループのテーマがちょうど中国の食文化についてだったからです。彼らはこの時のために多くの質問を準備していたようで、一時間ほどずっと彼らの質問に答え続けました。大したことは話していないと自負していましたが、それでも一人真剣にメモを取り、ほかの人も皆色々と考えているようでした。そして最後の三十分程度でなにやら意見を交換し始め、その光景を目の前にして、私は感嘆せざるを得ませんでした。

そして次は「科学コミュニケーション」*2というゼミでした。このゼミでは何について討論するかと思いきや、いきなり大きな張り紙一枚を渡されました。続いて、「科学と社会人との間ではどうコミュニケーションを取るべきか、自分の考えを書きなさい」と先生に言われました。そして、これまたグループ内で何十分かの討論を経て、皆各々書き始めました。書き終えたものをすべて回収してから、一人ひとり前へ出て発表し始めました。この発表がとても印象に残りました。使い方が複雑な機器の説明書を、科学をあまり知らない一般の人にも分かるように絵をつけるようにするとか、まずは興味を持つこととか、とにかく様々な見解が発表されました。私も見学者ということで、一応自分なりの考えも内心まとめていましたが、彼らの柔軟な考え方を聞いて、結局は言うに言えませんでした。当時は心のどこで、とても恥ずかしく思ってしまいました。

今回の体験授業は
「考える」大切さを知るいいきっかけになった

日本人ははっきりと自分の意見を言わないと聞いていたが、少なくとも東京大学の学生にはこのような「日本人の特徴」はあまり見られませんでした。むしろ、活発で積極的な姿勢を見せながら、自分の思ったこと考えたことを述べ、時には鋭い見方を提出してきます。しかし、中国では、こういった「ゼミ」もあるにはあるが、普段の授業と変わらず、発表どころか、学生同士の討論すらあまり設けられません。そして、ただひたすら奥深い理論を学び、最終的には筆記試験が行われ、単位だけを獲得して終わりとなります。つまり、日本のような、学生を主体として、学生に自分たちだけで考えさせ、「考える」力を身に着けさせるのではなく、あくまで卒業するためだけに嫌々授業を取り、最後には何も身につかないまま終わってしまうのです。私たちは物事を難しく考える傾向があるのも、これが原因なのだと私は思います。時には難しく考えすぎず、簡単に考えたほうが物事はより解決しやすくなる、そうできるためには、やはり普段からよく「考える」ことをしておいたほうがいいのだと気付かされました。今回の体験授業は、「考える」大切さを知るいいきっかけになったと心から思っています。

(南京大学日本語科3年)

*1 2012年度冬学期全学自由研究ゼミナール:駒場で「食」を考える
*2 2012年度冬学期全学自由研究ゼミナール:科学コミュニケーション/新しい時代の新しい教養

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