中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 東大×南大共同フィールドワークin東京【11月】2012年度

「変容」についてわかってきたこと/意見・感想(南大M2)

今度、フィールドワークで初めて浅草に行った。そこに着いたら、まず目に映ったのは「雷門」であった。その門をくぐって、道の両側にはお土産や着物などの品物を売っている仲見世がある。こういう店は、私はいつも立ち留まって、中を見てみたい。この道を通ってから、浅草寺、花やしき、ひさご商店街、六区の映画街などの所を回った。正直に言うと、現実に私が見た浅草と行った前に頭の中に浮かんでいた浅草のイメージとはだいぶ違っている。私が思っていた浅草はもっと古い感じがする。しかし、浅草に行って、「雷門」や「浅草寺」以外にほとんど新しくできた、すこし古い雰囲気のあるものばかりである。無論、地震や戦災などで、何回も立て直されたという原因があって、もはや昔の浅草の姿がだんだんなくなっていた。それにしても、浅草の町を歩いている間に、何となく何かが変わっていない、何かが残されているという感じがしていた。いったい、それは何であろう。

外見が変わっていても
中身が変わっていないところが浅草の魅力

最近、『銀魂』というアニメを見ている。歌舞伎町に住んでいて、本来町の人間ではない人(華陀)がその町をつぶれようとしているというエピソードがある。その状況に面して、町中の人は協力して、その華陀と戦って、最後に町を救った。彼達が必死に町を守ろうとしている姿を見て、私は考えていた。どうしてその町の人がそこまでその薄汚れている町を大切にしているのか。それに、おかま、キャバ嬢、ホストなどふだんこの世に無関心の人間も黙ってその町を人の手に渡すことを見ていられない。その人たちこそ、その町の魂ではなかろうかと私は考えている。建物が壊されても、前と同じように立て直すことができる。もし人々の町を大切にする気持ちが変わらなければ、その町は永遠に生きている。同じことが浅草にも言えると思う。インタービューされた喫茶店の人も、評判堂の人も、浅草のことを親切に、詳しく教えてくれた。それに、いつも「浅草のこと、よろしく」と言っていた。町が何回も立て直されても、町を愛する人々の気持ちはいつまでも変わっていない。その人々こそがその町の魂ではなかろうか。やはり、外見が変わっていても、なかみがかわっていないのは浅草だと思っている。たぶん、そういうところは浅草の魅力である。

共同研究は
一つのテーマをめぐって一緒に考えて話し合って
お互いへの理解も深める

今度の一週間体験プログラムで、一番おもしろかったと考えているのは共同研究である。みんなと一緒に一つのテーマをめぐって、何か新しいものを作るのは意味深いことである。そして、みんなと頑張っているうちに、一緒に考えて話し合って、お互いへの理解も深める。同じことが中国ではこうなのか、日本ではああなのか、いつもお互いをびっくりさせていた。おかげで、日本の学生の考え方は中国のそれと違っていることが分かってきた。しかし、共同研究の時間が足りないかなと私は考えていた。スケージュールには共同研究の時間が決められていたが、その時間は、南大生のほうは大丈夫だが、東大生は授業やアルバイトなどのことがあって、人はほとんどそろえない。人がそろわないと、一人や二人ではやる気が出ないのである。無論、うちの班の場合はサブテーマが小さく絞っていなかったので、フィールドワークの際、明確な目的がなかった。それで、時間の無駄遣いをした。しかし、全部で一週間なので、ほかにしなけれなならないこともあるので、一応共同研究の雰囲気だけでも馴染めばいいことである。東京に行く前に、スケージュールを見て、受けてみたい授業がいっぱいあったが、東大に行って、あちこちを回りたくて、全然授業を受ける気がなくなってしまった。しかし、せっかく東京大学に来たので、そこで授業を受けて雰囲気を味わわないと、このチャンスには申し訳ない。しかし、授業のほかに、部活やサークルなど、東大生の学生生活もすこし見たい。

(南京大学日本語科修士2年)

Loading...