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对教养教育的思考——南京大学的“东大一周体验”项目(教养学部报第545号(2012.02.01))

石井 弓

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共同研究発表
リベラルアーツ・プログラム(LAP)というとまだ耳慣れない方もいるかもしれないが、教養教育を 考える上で新しい試みをしている。そのひとつに、南京大学との教育研究交流がある。両校の交流十周年にあたる今年は、日本語科の学生十二名に加え、楊忠副 学長をはじめとする教員四名を招いて「南京大学DAY 2011 in 東京大学」として開催した。楊副学長による特別講演、葉玲先生による日中比較文学論の他、賀暁星先生と福島智先生(先端研)による日中障碍者問題の比較な ど、いずれも日本では知り得ない中国の問題の最先端を論じて刺激的だった。また、本学の日本語教育担当教員との教育交流も行われた。紹介したいことは山ほ どあるが、ここでは学生たちの交流に的を絞ってお伝えしたい。

第一回目の昨年は「駒場の日常を体験する」をテーマに、東大生が推薦した授業を共に受講し議論する交流活動を行ったが、今年は教養学部の授業に加え、日 中学生の共同研究を試みた。リベラルアーツを実践してもらおうという趣旨だ。テーマは「空間と記憶」、インタビューを含めることを条件にした。四つの班の 研究対象は、「写真の記憶」、「東京タワー」、「となりのトトロ」、「明治神宮」と様々、最終日に研究発表会を行った。議論が盛り上がり、日中双方の観点 の違いも鮮明になったようだ。

中国の学生に、このプロジェクトはどう受け止められたのか、提出されたレポートを簡単に紹介してみたい。雰囲気を伝えるため誤字はそのまま掲載する。

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教科書を提示しながら日本語教育に
関する意見交換が行われた
まず、「空間と記憶」を巡る素朴だが鋭い感性が表現されている。「東京タワーに近づけば近づくほ ど、まぶしいばかりに美しいです。これはきっと以前夢に見たことがあるといつかから、不思議な考え方が心に思い出しました。しかし、明治神宮に来たとき、 そんな奇妙な感じがぜんぜんありませんでした。(略)これはおかしいではありませんか。(略)記憶が空間を記録するのではありません。実は空間が私たちの 記憶を想像しているのだと思いました。あの空間が私たちに思い出になろうと命令するのかもしれません」。

明治神宮調査班では、「印象深いのは砂利道である。インタビューの時「その道を踏みしめる音を聞くと、なんとなく快くなれます」とあるおばあさんが言っ た。全く同感だ。少し奥にはいると、(略)ふと中山陵のことを思い出される」。明治神宮から中山陵(孫文の墓)が連想されるのは新鮮だし、砂利道に快さを 感じるとは渋い。

また、「記憶はやはり実在の空間とつながっている。実際に行かないと、正直、その「記憶」というのはただの「想像」に過ぎない」と結論付けたレポートも あれば、「見られることや言われることや聞かれることなどもみんな時間のたつにつれて自分の記憶になれる。個人にとってはどれが真の記憶(実体験の保存) か、どれが偽の記憶(他人の体験の保存)なのかを区別するのは容易ではない」というのもあった。いずれもフィールド調査を通した彼らなりの考察だ。教養教 育という観点では、「自分自身に変わったことが確かにある。まずは発想が前より広げられた。(略)空間を選んで記憶の研究、こんなやり方は斬新だ。いろん な研究方法を使ったということも勉強になった。(略)これから勉強や研究するとき、もっといろんな角度から物事を見たい」という感想が目を引いた。今回の 企画が、彼らの思考の可能性を広げたなら成功と言えるのではないか。

補足だが、なぜかコンビニの「笑顔」とサークル活動の活発さについて書いているものが多かった。「コンビニまでも親切にしてくれました。どこへ行っても 「いらっしゃいませ」と言ってくれました。皆、笑顔をして、見ただけ、買う欲が湧いてきました」。そういえば、本郷図書館については、「あそこに入ると、 不思議なことに、すごく勉強する気になりました」とある。初心を忘れてはならないと気付かされた。

学生たちのレポートには、教養教育を考えるヒントが溢れている。その他の活動も含めて続きはLAPの「学生交流報告集」にまとめるので、是非手に取って読んでいただきたい。

以上、教養学部報第545号(2012.02.01)より転載いたしました。

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