I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.7 2025.11.19

comments(最新2件 / 7)

taisei2025    reply

絵画の世界で、「具象」から「抽象」への流れや印象派の台頭という歴史があったことは色々なところでお聞きしますが、同時期に詩や小説の世界でも大きな革命があったことを知りませんでした。
実は、講義の中でご紹介いただいた「The Mark of The Wall」は英語の授業で読んだことがあります。当時は「読みにくい本だな」という認識だったこの小説が歴史の中で重要な意味を持っていたことを知り、なぜ文法を無視した読みにくい文章構成を選んだのかを理解することができました。

ryo0312    reply

今回の講義では、モダニズム前後の芸術観の変化が、ジョイスやウルフの文章表現とどのように結びつくかを具体的に理解できました。特に客観的な芸術から主観的な芸術への価値基準の転換が、彼らの文章の流れとして実際に体感できた点が印象に残りました。また、ジョイスやウルフの意識の断片化と滑らかな連続性は、どちらも内面そのものを芸術の中心に据えるというモダニズムの姿勢を鮮明に示しており、文章技法が単なるスタイルではなく時代の価値観の変化そのものを映し出す表現であることを深く実感しました。

yakitori2005    reply

芸術において、ルールを壊して全く新しい手法を編み出すには、アウトサイダーの視点が必要な事が分かった。
意識の流れを書く手法自体については、その縮尺にも振り幅はあると思った。例えば、本当に意識の流れに沿おうとしたら、英語の文法である、最初に主語を持ってくるルールは正しいのかということがある。

yuki1229    reply

ジョイスやウルフに代表される「意識の流れ」という技法は、私が今まで好んできた日本文学にはほとんど見られないものであり、ある種の異質さに新鮮さを感じた。英語での原文における語り手の移り変わりは英語非ネイティブである私にとって容易ではなかったが、まさしく「流れ」と形容されるに相応しいその効果は非常に興味深いものであった。

doradora1115    reply

「意識の流れ」という手法は、一読するとナンセンスだと思えるほどには実験的なものでしたが、テクストを注意深く読んでみると、確かに人間のリアルな意識ってこういうとりとめもないものだよなあと思えてきて、ジョイスやウルフらの着眼には感嘆しました。また、こうした手法が登場する前提となる芸術界の大きな流れをざっと概観しておくことで理解しやすい部分もあり、文学に限らず今後の芸術鑑賞の参考にしていきたいと思いました。今さらこの手法を実践しても二番煎じになるだけだから誰もやらないというのは確かにそうなのでしょうが、後継者がおらずとも、「意識の流れ」なる手法が一度実験され、ある程度確立されたということに意義があるのだろうと考えました。

kurokawa0706    reply

人間の思考の流れを、映画とは違い、動かない媒体である文字によって表現しようとした作家たちの様々な技法やその意図に驚かされるばかりの90分だった。実際に生活へ緊密な関係を持つ自然科学における革新性と違い、文学における革新性についてはあまりどういうものかイメージがついていなかったが、それについてより深掘りすることができ、文学への興味が強まったように思えた。

olk2006    reply

ジョイスやウルフのような意識の流れを描く作家が同時代に複数現れた理由として、多くの情報が渦巻く大都市の登場によって起こった時間感覚の鋭敏化に伴う我々自身の意識の流れの変化の影響もあるという指摘は、文学史上の転換の同時性に意義を与えるもので興味深かった。
確かに普通の文体の小説によって描かれる意識の流れに慣れているが、それはあくまでも既存の文法や表現に縛られた“不自然”なものであり、実際の意識の流れを捉え表現するには不十分なのかもしれない。

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