I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.10 2024.12.18

comments(最新2件 / 11)

esf315    reply

服装が政治的、社会的に強く意味を持っていたために、駆け引きの道具のひとつとして使われていたという話がすごくおもしろかった。
高級ブティックに行く際の服装によって店員の態度が変わるという事例は、装いが力の発露となっている例の1つだと考えた。ブランド服を着て、自身の裕福さを示し売買で起こる駆け引きの時に自分に有利になるようにするといった点は平安貴族と同じであるが、すべての店員が客の服装によって態度を変える訳では無いという点は平安貴族社会とは異なると考えた。現代は平安時代ほど服装が強い意味を持たないため、他の事例でも同じような相違点が見られると思った。

kaki06    reply

歴史学において語られる主体について、それがあくまでもカテゴリを示す便宜的な言葉であることを忘れてはならないというお話に共感した。カテゴリは物事を考えたり、大きな流れを理解する上で欠かせない思考の型であるけれども、あくまで思考のために必要なツールであって、必ずしも現実とは一致しないことを絶えず振り返りながら覚えておきたいと思った。また、平安時代における服装と権力の関連性について、高校時代に古文で勉強した、服装と人の地位の関連について久しぶりに思い出した。権力を持つものは、その権力を確実に行使するために権威を感じさせられる存在でなければならず、そのためには視覚的な装いはきっと効果的であるし、不可欠でもあったのだろうと思った。

0524yuta    reply

今回の授業では、平安時代の貴族社会において服装がどのような意味を持ち、それが現実にもどう影響していたのかを学んだ。直衣がはじめは正装ではなく着る場所や時間を選ぶ服であったが、いろいろな事象の積み重ねや時の流れによりその持つ意味は変わり、権力を象徴するかのような服として捉えられるようになった。この事象は自分にとって非常に面白いと感じたことであった。歴史は一つ一つの細かな個性的な事象が積み重なって作られていくことがよくわかるからである。

tahi2024    reply

平安時代の服装は身分の階層秩序を固定化していたとのお話であったが、現代においても特に中学校や高校でその意味合いが感じられると思った。卒業式では生徒は学生の象徴である制服を着て自分が社会の中学生の役割を負っていることを示し、先生たちはスーツや着物で清廉な服装を装い、校長先生は背広を着てボスのような厳粛なかたいイメージを装う。これは、校長、教員、生徒という身分秩序を服装という媒体で表しているのだと思った。

Yukki35    reply

服を纏うことは、視覚に多くを頼る人間において、その印象を大きく変えることだと考える。そのため、装いを管理することで権力を管理する、と考えるのは自然であり、実際にそういう側面もあっただろうが、しかし過去の人間が大人しく管理されていたと決めつけるのは、それ自体もステレオタイプ的に過去の人々を管理しかねない。大切なのは、文献に記されたもの、記した人を唯一の事例として向き合い、そこから何が読み取れるかを知ることが大事だと感じた。

highriv21    reply

元々直衣や直垂のことは、高校のときの古典の授業である程度話を聞いており、多少身分の違いがあるということは聞いたことがあったが、ここまで厳しく決められているのは初めて知った。一番印象的だったのは授業中に見せていただいた「信貴山縁起」の本で、現代でも当時のものがあんなにはっきりと絵の内容がわかる状態で保存されていることに感銘を受けた。また、私は次のSセメスターから中井先生と同じように考古学を勉強する予定なので、実際に自分の先輩にあたる人がどのような研究を今しているのかを知ることもできていい機会となった。

awe83    reply

日常において装いが権力の発露(権力→装い)となる、あるいは現状の支配関係の変更の手段(装い→権力)となる事象としては、やはり高価な服装を身につけることが真っ先に思いついた。経済力がある(=そもそも優位性・支配力)→高級な装いをする→社会的地位(=周囲の人への支配力)というもので、例えばアウトドアを愛好する者の装備が、ワークマンや100円ショップのものなのか、モンベルのものなのか、あるいはより高級なものなのか、で他者との人間関係には多少影響を与えうることは容易に想像できる。資本主義社会である現代では装いである服装そのものの価値やブランド力が装いに権力を付す一方で、平安貴族社会では家柄などに基づく身分が中心的な価値観をなすためか天皇からの懇意が装いに権力を付すと区別して捉えられそうだと考えた。
また経済力だけでなく、流行に敏感、オシャレ・センスがある、"イケてる"といった要素も支配関係を生み出せる例だと思った。何となく芋っぽかったりださかったりすると潜在的にナメられることもありえ、特に中学・高校までの未熟で権力関係がわりあい見えやすい環境ではいわゆる「夏休み明けイメチェン」「大学デビュー」的なことを経て周囲からの印象が変わる(支配関係の変更)こともあるだろう。
平安貴族社会において特定の装いには許可が必要という、誰でもできることではない希少性、特別性が、その人を周囲から一目置かれる存在にしたて権力を与える。それは、天皇からの懇意も経済やセンスも同じことだと思う。

ak10    reply

これまで歴史を研究する目的はは過去の事象から教訓を見つけそれを現在に生かすことだと考えていた。そのため今回お話しされていた事象の唯一性・一回性を追究するというのは今まで持ったことのない考え方であった。しかし今回お話しされていた例を聞くと、確かに歴史の通説には当てはまらないことも多くあるのだと気づかされた。平安時代において装束は身分を示す標識という側面もあっただろうが、その規律は時とともに変化するものでもあるし、一律に決められた規律を破ることで自己を示すことができることもあるのだと今回の授業を受けて考えた。現代では規律で定められていたり、マナーであるとき以外は、決まった服装をすることは少ないと思う。これは自身が好きな服装をしようという自由な動きが広がりつつあるからだろう。

ouin3173    reply

服装という視点で権力構造の歴史を初めて学び、現代とは異なる規則や文化から社会的効果を生んでいることが面白かった。現代はむしろ固定概念や潜在的な支配被支配関係に抵抗する文脈で服装についての決められたマナーなどを厳しく守ろうとしない動きがあるが、相手に敬意や感謝を伝えるなどプラスの目的で服装のマナーという共通認識が利用されることもあるので、今後そういったバランスをどのようにとりながら服装の文化が変容していくのか興味が湧いた。

att1re    reply

まず,芯つよく,ゆえに先行研究への懐疑の念をなに憚らず節節に滲ませる先生の謦咳に接することができ幸甚だった。マスプロの授業ばかりを受けていると余計に有難い。そういう意味では歴史を研究することそのものの講義だったかもしれない。
稲田先生のご講義と較べるに,ハレとケ(という概念自体「慎重になりたい」とされていらしたが),非日常と日常という対比を汲取ることができよう。非日常の物事が装いの儀礼性を顕わにし,つぶさに見れば日常の物事が装いと切り結び難いゆえに,装いそれ自体をある程度曖昧にさせているといえる。

choshi70    reply

先生が授業の初めでおっしゃっていた歴史学の定義は、他の学問分野にも通じる極めて重要なものと感じた。その歴史学の定義にも重要な、テキストに即した具体性のある議論を実際に聞けたのは良かった。その具体的なところは私自身の知識不足もありなかなか難しかったが、それでも、通説に対して例外を出して反論するというやり方だったために何とか理解できた。できることなら通説側の言い分も聞いて検討してみたいものである。

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