ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 03月17日 三浦篤

美術と「色」

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絵画を見ればわかるように、美術において「色」の占める位置がとても重要であることは言うまでもない。美術作品に色彩が表れる場合、その機能や意味は多種多様である。色は基本的に現実を再現する役割を担うのだが、古い時代には象徴的、宗教的意味を帯びることも多い。さらに、近代になると色彩の科学が発達し、色は理論的に捉えられるようになるが、それとともに印象派以降の絵画においては感覚的な意味合いが強くなり、20世紀の現代美術に向かっていく。以上のような「色」の美術史を西洋美術に即して、具体的に作品を見ながらたどってみたい。その上で、西洋美術とは異なる日本美術において「色」がどのような文化的な意味を持つのかを、近代美術に焦点を当てながら検討する。人間が感じる色に西洋、東洋の違いはなく、生物学的にある範囲の中で色を認識しているのだが、色の名称の示す範囲は文化圏によって違っているのが興味深い。

講師紹介

三浦篤
専門は西洋近代美術史、特に19世紀フランス絵画史(マネ、ファンタン=ラトゥール、アカデミスム絵画など)と日仏美術交流史(ジャポニスム研究、日本近代洋画史など)。
授業風景

・南京大学の中国語でのブログでも授業風景が紹介されています。どうぞご覧ください。→饱览美术作品,探索色彩奥秘——东京大学三浦笃教授第一讲

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【南京大学集中講義「色」第8講2016年3月17日】
美術と「色」
三浦篤
 
 本日より二日間は、主として西洋近代美術史の研究をなさっている総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化分野教授・三浦篤先生による「美術と 「色」」の講義である。この南京大学集中講義は1日2コマの講義となっているため、三浦先生は今日からの講義を4つに分けてお話しになるという。


 それでは、「西洋絵画と色の役割、象徴的な意味」を扱う第一回目の内容から記録していきたい。三浦先生は、西洋絵画における色の役割についてから、講義 を始められた。その役割は、以下の三点に大別できる。一点目は、現実再現の役割である。これは、現実の色彩に即して色を塗るという意味であり、写実主義に おいて重視される役割といえる。二点目は、象徴的な役割だ。これは、色の約束事によって特定の意味を伝えるということである。そして、三点目は、感覚的、 造形的な役割である。現実の色彩に捉われずに自分の感じたままの色を塗ることを意味し、印象派から抽象絵画へと移り変わるなかで重きを置かれるようになっ ていった点である。もちろん、この三つの役割は重なり合っており、ひとつの絵に同時に現れてくることもある。しかしながら、どの役割を重視するは時代に よって異なっており、西洋絵画史上では、象徴的な役割→現実再現的な役割→感覚的、造形的な役割の順に、その力点は移り変わっていく。
 

 まず、テオドール・ルソーの『フォンテーヌブローの森の出口』、クールベの『フラジェの樫の木』という19世紀半ばの絵が、現実再現的な役割の例示とし て提示された。この両者はどちらも、写実的に木をモチーフに描いた作品であるが、前者は後者に比べると、日没を描いたものであるためやや黄色がかった色調 をしている。色というのは、時刻・季節・光の加減などの条件によって変化するものであり決して単一ではないが、それを写実主義の画家たちは、なるべく再現 するように描いていた。最終的に画家は、絵具を用いて描くしかないため、現実とまったく同じ色を表すことは不可能なのであるが、極力現実そっくりの色を探 そうと試みていたといえる。


 次に三浦先生は、時代を遡って、象徴的な役割の例としてルネサンス期の宗教画を何枚も見せてくださった。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告 知』(1472-75)が、それに該当する。この絵では、14世紀にありそうな建物を背景にしながら、聖母マリアのもとに天使ガブリエルが受胎を知らせに 来る様子が描かれている。もちろん、画家が聖母マリアや天使を実際の眼で見ているわけではないため、これは現実的な場面を描きながらも、想像上の人物が描 きこまれているものであるといえる。そして、想像上の聖母マリアは、赤い服に青いマントを羽織っている。その赤い服と青いマントこそが、色の象徴的な役割 の代表例であると三浦先生は解説なさった。青いマントは、空の青さを想起させるために天の真実を意味しており、赤い服は、血の色を連想するために天の愛情 を示しているのだという。そして画家たちは必ず、この約束事を守って、聖母マリアを描いている。ピエロ・デラ・フランチェスカの『慈悲の聖母』 (1445-55)もやはり、赤い服に青いマントである。さらに、この絵は金地を背景にしており、荘厳な宗教画のイメージを醸成している。付言すれば、金 と青(ラピスラズリに由来)は当時、最も高価な顔料であったため、金や青を用いることで宗教画の壮麗さを高めていたといえる。14世紀、イタリアに建てら れたスクロヴェーニ礼拝堂の壁画はやはり、青く塗られ、金色の星が鏤められている。同礼拝堂には、ジョットによる『受胎告知』がある。この絵の聖母マリア もまた赤い服を着ているのであるが、例外的に青いマントを羽織っていない。よく見てみれば、天使の羽や背景もまた赤であることが解る。礼拝堂自体が青い色 に塗られているため、色のバランスを考えてのことであろうと推測できるという。つまり、マリアの服の色には象徴的意味のほかに、画面をいかなる色で塗るか という配慮が含まれているのである。それは、チマブーエの『荘厳の聖女』(1280)でも同じことがいえる。この絵におけるマリアは青いマントにほとんど 覆われていており、赤い服はあまり見えなくなっているが、その理由はマリアを取り囲む天使が赤く描かれているからなのだ。 

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 チマブーエのマリアなどは大変平面的であったが、時代が下っていくにつれて、空間の奥行や体の厚みが表現されるようになり、繊細な描写によって人間的な マリアが描かれるように変化していく。その例としては、ボッティチェリの『聖母子』(15Ⅽ)、ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』 (1503-1519)、ラファエロの『聖母子像』などが挙げられていた。しかし、いくら表現が写実的になったとしても、赤い服に青いマントという約束事 は遵守されていることが解る。なかでも、ラファエロは聖母子像を多く描いた画家として知られている。ラファエロは、約束事を守りながらも、独自の工夫をし てみせている。『美しき庭師の聖母』(1507)という通称を持つ聖母子像では、マリアの青いマントが片側のみ、ずり落ちている。このような工夫をするこ とによって、画面における赤の面積を増やすことに成功していると三浦先生は指摘なさる。ここでもやはり、色における象徴的な意味合いと、画面における色の バランスへの気配りの両者が存在しているといえよう。受胎告知における象徴的な色はほかにもあるという。それは、処女である聖母マリアの純潔を表す白い百 合である。受胎告知の場面には必ず、白い百合が描かれている。シモーネ・マルティーニ、バルベリーニ、フィリッポ・リッピという三人の画家の受胎告知に は、いずれにもはっきりと白い百合が描かれている。


 また、もともと聖母マリアは人間であり父と母もいたのであるが、キリスト教信仰の強まりとともに、天から遣わされた存在へと変化していった。神の子・キ リストの母として、天から遣わされたマリアを描くときには、白い衣服を纏っている姿で描くという約束も存在していた。三浦先生は、その具体例として、17 世紀にスペインで活躍したムリーリョの『無原罪のお宿り』を挙げる。マリアの純粋さが白によって表現されている。ひとつ、気をつけなくてはならないのは、 同じ雲に乗っているマリアであっても、地上から天へと召されていく場合は、赤い服に青いマントを身に着けているという点である。ティツィアーノの『聖母被 昇天』(1516-18)などがそれに該当する。


 色は、今まで見てきたように象徴的な意味を持っている。その意味は、文化に依拠しているため、通用する範囲というものがある。その一方で、色には、人に 感覚的に印象を与えるという側面もある。寒色と暖色というのがその好例で、青と赤があり、水とお湯を示しているとき、ほとんどの人が青と水、赤とお湯を結 びつけるであろう。すなわち、絵画における色を見るとき、ある程度までは知識がなくても理解が可能である。しかし、どんな色が何を象徴しているかという共 通のコードを知らなければ、深い意味までは至れない。そのような色の用い方が重視されているのが古い時代の宗教画であり、三浦先生はこの講義で象徴的な意 味を担った色の鑑賞方法を鮮やかに示してくださった。
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 引き続いて、第二回「印象派と色彩表現」の記録に進みたい。第二回目の冒頭において、三浦先生は西洋絵画史と色の役割の重点の変遷について、おさらいを してくださった。中世からルネサンス期までは、色は象徴的な役割を強く持っていた。これは、第一回で確認してきたことである。それが、ルネサンス期から 19世紀までの時期になると、色の現実再現的な役割が重視されるようになる。そして、19世紀後半以降は、色の感覚的、造形的な役割が前面に押し出されて くる。また、この3つの役割が、常に重なり合っているという様子は、これもまた第一回の『受胎告知』の分析のなかでも確認してきたことである。


 第二回の講義は、19世紀の写実主義的な絵画を見ていくところに始まった。たとえば、クールベの『波』(1870)という作品は、色を持っている「物 質」として波を描いた作品であると三浦先生は分析なさる。つまりこの作品における波は、白く見えるところは白、青く見えるところは青の色を与えられてい る。これに対して、モネをはじめとする印象派の画家たちは、まったく異なった描き方をしている。成熟したモネの作品としては初期に該当する、『ラ・グルヌ イエール』における水面の描き方を近くで観察してみると、白、黒、黄緑、青の4色の線によるものであると解る。しかし、距離を置いて絵を見れば、それが見 事に水面の揺らめきを表現しているのである。これは、パレットのなかで色を混ぜるのではなく、眼の中で色を混ざるという発想から生まれたもので「色彩分割 (筆触分割)」と呼ばれる技法だ。この技法が確立する背景には、色彩理論の発達があった。光はすべての色を混ぜると太陽光の白色になるが、絵具はすべての 色を混ぜると黒色になる。つまり、いくら色を混ぜても現実の色と一致せず、明度が下がるだけであることが画家たちに理解されたのである。明るい画面を作り 出すために、赤・青・黄の三原色と、それを二色ずつ混ぜた紫・橙・緑の第一次混合色が中心として用いられるようになった。また、赤と緑、青と代々、黄と紫 がそれぞれ補色の関係にあり、互いの色を引き立て合うということも解り、印象派以降は補色の関係を意識的に利用するようになっていく。
このような経緯で、色彩分割の技法が編みだされたのである。この色彩分割の技法を用いると、『ラ・グルヌイエール』における水面の描写からも解るように、 絵から輪郭線が失われていく。そのため、印象派の技法は人物を描く方法としては適していないといえよう。しかし、印象派の画家たちはそれをむしろ逆手に取 り、草原、水、雲、空などの不定形のモチーフを好んで描いていった。モネの『アルジャンのレガッタ』(1872)などは、典型的な印象派の絵であるといえ るという。揺曳する水面には、舟の帆をはじめとしてさまざまなものが移り込んでいるように見えるが、その実その帆の影は白の絵の具を太い横線で表現してい るだけだ。これは、決して写実的であるとはいえない。モネをはじめとする印象派の画家たちは、揺らめく水面などを写実的に再現するために色彩分割という技 法を突き詰め、次第に現実から離れ、自分の感じたままの色を塗るという色彩の世界へと入っていく。


 ここで、三浦先生は晩年のモネの連作の数々を見せてくださった。『積みわら、夕日』(1889)や、『ポプラ並木』(1891)、『ルーアン大聖堂』 (1892-93)が例として挙げられていたが、これらは違う時間帯や、異なった季節に同じモチーフを20~30枚描くというものである。その瞬間に見え たヴィジョンを、自分の感覚に基づいてどのような色で描くかという点に力点が置かれているという。たとえば、『ルーアン大聖堂』の連作を並べてみると、大 聖堂は相当に異なった色で塗られていることが看取できる。現実の大聖堂も光の加減で違う色を見せるであろうが、ここまで差異はないだろうと思わせる描き分 け方である。晩年のモネの興味は、色で対象を描くというより、絵をどうやって色で造っていくかという色の持つ造形的な力のほうに移っていったといえる。 『緑のハーモニー』(1899)や『青い睡蓮の池』(1916-19)といった、色を題名に持つ絵が現れてくることもその証左である。


 モネが連作を描いていたころ、新印象派と呼ばれる一派も出現していた。彼らは、科学的な手法を以て印象派理論を推し進め、点描画法を用いた。代表的な画家 はスーラである。スーラの代表作は、『グランドジャット島 日曜日の午後』(1884-86)である。三浦先生は、この絵を拡大したスライドを用意してく ださっていたが、それを見ると、非常に細かい点が、赤青黄の三原色や補色の関係など色彩理論を踏まえて配置されていることが解る。ほかに新印象派に属する 画家に、シニャクがいる。シニャクの作品はスーラのものに比べると大きな点で構成されているが、それでも赤青黄の三原色を意識して描かれた作品であるとい える。この時期以降、三原色を主体に描く画家が増加していくという。


 最後に三浦先生が解説してくださったのは、セザンヌであった。セザンヌは、少ない色数を用いて、画面を造形していく画家であるそうだ。つまり、形があって そこに色を塗るのではなく、色で形を造っていくのである。リズミカルな筆触もまた、セザンヌの特徴であるという。『サント・ヴィクトワール山とシャトー・ ノワール』(1904-06)という絵では、真ん中にピントが合っており、外側やぼけているようにも見える。三浦先生は、真ん中にピントが合い周囲がぼや けるというのは、人間の眼の働きと同じであるため、自分の感覚に合わせて絵を描いていたセザンヌなら、眼でみた通りを表現した可能性すらあると推測なさっ た。セザンヌは、印象派の技法を用いて、自分の感覚を描出していたのである。
 このようにして、色の担わされてきた役割は、現実をそっくりそのまま写しとることから、絵を造形するものへと変遷していったという。現実を写しとることを 徹底した結果、現実から乖離していくという転倒が起ったのである。明日の第三回目では、「後期印象派から抽象画絵画」をテーマに、これ以降の移り変わりを 講義してくださるとのことだ。色の持つ役割が、さらにどのような変化を遂げていくのか、それは明日までのお楽しみである。

(文・石川真奈実)

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【南京大学集中講義「色」第10講2016年3月18日】
美術と「色」
三浦篤
 
 昨日に引き続き、今日も三浦先生による「美術と「色」」についての講義が開講された。それでは、さっそく第三回「後期印象派から抽象絵画へ」の講義内容を記録していきたい。
 
 まず三浦先生は、後期印象派について説明をしてくださった。後期印象派の代表的な画家としては、ゴッホとゴーギャンが挙げられるという。そして色の感覚 的な力や表現力を用いて、情感や理念という心の世界を描いていった。これは、印象派が風景、すなわち外界を描いたことと対照的である。色で以て情念や理念 を描いた後期印象派の絵は、「約束事」を知らないと絵の真の意味を理解できないという点で宗教絵画と似ているが、宗教絵画の約束事がどの画家にも共通して いるものであったのに対して、後期印象派の絵での「約束事」は個人的な意味づけである点が決定的に異なっている。
 
 たとえば、有名なゴッホの『ひまわり』(1889)は、黄色の壁を背景に、黄色の花瓶にひまわりが飾っている様子が描かれている。黄色はゴッホにとっ て、生命やエネルギー、太陽を象徴する色であったため、ゴッホの家にあった花瓶は青かったにも拘らず、黄色の花瓶として描いたということが解っている。ま た、同じくゴッホの『星月夜』(1889)には、紫がかった空に、黄色い巨大な星の瞬く空と、黒い糸杉が描かれている。ここには、紫と黄という補色の関係 が用いられている。ゴッホは、色彩の理論書や美術批評も多く読んだ画家としても知られている。『星月夜』を描いたころゴッホは自殺を考えており、この絵 は、黒い糸杉(墓に植わっている木)は死を象徴し、死を星に向かって昇るイメージとして描き出したものとして解されているという。この二例から、ゴッホが 心的世界を、色の力を用いて描出しようと試みていたことが確認できる。
 
 ゴーギャンの『説教のあとの幻影、天使とヤコブの闘い』(1888)は、信心深い農婦たちという現実と、その農婦たちのみた幻影という非現実が、一本の 木を境にしながら一枚の絵に描かれている。地面の色を一面非現実的な強烈な赤く塗ることで、現実と非現実の世界が結合しているように感じられる仕組みに なっている。この絵もまた、外的な世界のみならず、心的世界を、色によって表現した作品といえよう。
 
 また、ポール・セルジエの『タリスマン』(1888)という作品は、ゴーギャンに指導を受けたものであるという。その際のゴーギャンの指導は、「風景が どういう色に見えるのか、その見えた色で塗りなさい」というものであった。つまり、後期印象派の画家たちは、ものを描くことよりもどういう色を塗るかとい うことを重視していたことが窺える。彼らが、色そのものの表現力に力点を置き、色彩そのものを描こうとした習作である。
 
 続いて、三浦先生がお話しになったのは、20世紀の野獣主義(野獣派)以降の絵画についてである。この野獣主義の代表的な画家としては、マティスやブラマンテがいる。彼らの絵では、色彩の解放と独立が進んでいくという。
 
 そこで三浦先生は、マティスの『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905)や、『赤い部屋(赤のハーモニー)』(1908)を例として提示なさっ た。前者では夫人の鼻筋が緑で描かれており、後者では室内の赤いテーブルクロスが壁に繋がっている。どちらも現実再現性の低下が進んだ絵であることが窺え る。そして、題名からも解るように、赤、緑といった原色や一次混合色が目立つ絵となっている。原色や一次混合色で構成されているのは、ブラマンテの『セー ヌの曳き船』(1906)も同じことであり、ジャスパー・ジョーンズの『地図』(1961)になるとほとんど三原色で描かれている。これらを、1830年 代のドラクロアの絵や、1870年代のモネの絵と並べてみると、時代を追うに従って、絵における三原色の重要性が高まっていることが一目瞭然だ。
 
 そして、それはヨーロッパ抽象絵画においても引き継がれていくという。抽象絵画の代表的な画家には、カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ、ド ローネー、クレーなどがいる。カンディンスキーの『印象3(松明行列)』は、その副題からも解るようにまだ具象性が残っているが、稀に見る多色遣いの『コ ンポジション7』(1913)、『黄・赤・青』(1925)などに到ると、色そのものが主題となり、具象性はなくなっていく。また、モンドリアンは黒い垂 直線で区切った四角を三原色で塗るというルールを自らに課して、絵を描いた画家である。三浦先生は『直線のリズム』(1937-42)と題された、左上に 青、右下寄りに黄、一番右の狭い一角に赤が配置されたモンドリアンの絵を絶賛なさった。シュプレマティズム(至高主義)を自称したマレーヴィチの絵は、 『白地の上の黒い正方形』(1915)、『青い三角形と黒い長方形』(1915)、『白の上の白』(1918)などを見せていただいた。これらは感覚の絶 対性、至高性を表わしたというもので、ある種の宗教性を帯びたものだともいえる。しかし、このような抽象絵画を突き詰めてしまうと、絵が描けなくなってし まうことが多くあり、マレーヴィチもまた完全に現実再現の世界に戻ってしまうというのが興味深い。また、普通20世紀になると三原色を基調とする画家が多 いのであるが、それ以外の微妙な色調も使用したクレーという画家もいる。
 
 次に三浦先生は、アメリカの抽象絵画についても触れられた。アメリカの抽象絵画では、ロスコ、ニューマン、ステラが有名である。ロスコはユダヤ人である が、暗い色、抑えた色で塗られた『シーグラムの壁画』(1958-59)で悲劇的な感情を現わしたという。ロスコの絵は見ていると、気持ちが落ち着くよう な印象を受ける。実際、アメリカのヒューストンには、ロスコの絵を飾ったチャペルもできているそうだ。そして、三浦先生は「大胆な言い方をすると」と前置 きしたうえで、「抽象絵画は現代の宗教画だと思う」との見解を述べられた。一種の宗教性は、ニューマンの『英雄的にして崇高なる人』(1950-51)と いう一面が赤く塗られており、そこに五本の縦のすじが引かれた絵からも窺える。また、ニューマンには『アンナの光』(1968)というやはり一面が赤く、 両端が細く白く塗られたような絵もある。ニューマンがユダヤ教徒であることから考えて、アンナとは聖母マリアの母の名である可能性が高く、この絵の背後に は宗教的、神秘的なものがあることが窺えるという。その一方で、私の作品はそこに見えるものがすべてだ、背後になにかがあるわけではないと言い切ったステ ラのような画家もいる。ステラには連作が多く、『ブラック・ペインティング』のシリーズや『分度器シリーズ』など様々なものがあり、非常に割り切った数学 的な絵を残しているが、ステラの絵においても三原色はとても重要だったといえる。
 
 現代画家は、自分にルールを課したモンドリアン、宗教的な背景を持つニューマン、数学的な表現を好んだステラ、さらにはポップアートと、自らの表現した いものは異なっていたが、それを現わすために三原色という強烈な色の持つ力を利用していた点において、多くの場合、共通していたといえよう。
 
 それでは、引き続き、第四回「日本美術と色」についての講義の記録に移りたいと思う。日本美術の特徴についての説明の前に、三浦先生は日本人の色彩感覚 について言及なさった。そもそも、人類の持つ色彩感覚に生物学上の差はないのだが、色の範囲の命名の仕方が異なっているため、そこには普遍性と文化的差異 が併存することになるという。たとえば、日本語における「緑」という色は、英語の「グリーン」よりも狭い範囲を表わしていると考えられる。英語の「グリー ン」は、日本語の「黄緑」や「青緑」をも包含しているといえる。
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 また、興味深い例として、三浦先生が見せて下さったのは、第三回で扱った黒い垂直線のなかを三原色で塗るという絵を描いたモンドリアンと、五行説で用い られる色の奇妙な一致である。もちろん、両者の意味するところは異なっているが、五行説で用いられている色もまた、三原色の赤・青・黄と、モンドリアンが 「非色」と呼んだ白・黒の五色なのである。ここからは、色の持つ一種の「普遍性」が窺えよう。
 
 そして三浦先生は、時代を追いながら、日本絵画の特徴を紹介してくださった。まず、最初に言及なさったのが、仏画と絵巻である。平安の仏画や『源氏物語 絵巻』の一場面が例として挙げられていた。平安の仏画で三原色が用いられていたり、『源氏物語絵巻』(12世紀前半)で赤と緑の関係が用いられていたり と、西洋絵画との共通点も観察可能であった。その一方で、人物が紫の衣服を着ており、その紫の衣服が高貴さを表わすという日本独自の風習も窺えた。次は、 雪舟の『秋冬山水図』(15世紀後半)が水墨画の例として挙げられていた。水墨画は、西洋絵画とはまったく異なった趣きを持っており、白と黒の世界である にも拘らず、色のある世界を喚起するという点にひとつの特色があるという。また、日本絵画はどちらかといえば平面的でもある。さらに、日本絵画の興味深い 点として金地や銀地がある。狩野永徳『洛中洛外図屏風』(1565)は、京都を描いており、金色の雲の間から町の様子が見える構図となっている。尾形光琳 の『紅白梅図屏風』なども金地であり、写実性を欠いている。日本絵画における金地は世俗的なものに用いられており、これは西洋での金地が宗教画のみに用い られたことと対照的である。日本絵画の装飾性の高さを示す好例だ。また、酒井抱一『夏秋草図屏風』(1821-22)などに見られる冷たいイメージの銀地 は、西洋では用いられず、日本独特のものであるという。
 
 このあと、三浦先生は浮世絵版画についてお話になった。東洲斎写楽や喜多川歌麿、葛飾北斎を例としながら、江戸時代には赤青黄の三原色のほかに、役者を 中心に茶色が流行していたことを見せて下さった。また、近代絵画が脂(やに)派と紫派に分かれており、浅井忠などの脂派は暗いイメージの色彩を用いていた が、新派とも呼ばれる紫派の黒田清輝は、パリでフランス絵画を学んだ結果、明るい色調で絵を描き始める。さらに、黒田清輝はフランスで、ヌードというジャ ンルがあることを知り、日本のヌードを描こうと試みたこともあった。『智・感・情』(1897-99)と題された作品には、三人の女性の裸体が描かれてい る。女性の身体の立体感は西洋から学んだものであったが、背景は金地を用いてあり、仏画などで用いられる赤い輪郭線を採用し、日本らしさを加えたため、や や平面的な印象を受けるものになっているという。しかし、この作品はパリの万国博覧会に出展された際に評価されず、これ以降、黒田清輝が日本のヌードを描 くことはなかった。
 
 最後に先生は、現代にも継承されている五行説的な色の影響について二つの例を挙げられた。一つは、村上隆の『五百羅漢図』(2016)である。これは、 「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」と題された作品からなり、それぞれ100メートルほどある巨大な絵である。すべての絵を合わせると、ちゃんと五百羅漢と なるように描かれている。もう一つは、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』である。この作品には、多崎の他に、赤・黒・白・青が名字 に入った重要な登場人物がいる。つまり、色彩を持たない多崎が黄色の位置を占めているとすれば、やはりこれも五行説と関係していると読めるのである。
 
 西洋絵画史を見たのちに、日本絵画の特色を確認してみると、三原色と白黒の重要性など共通している面もある。しかし、金地の用い方の違いや、茶色の流行 など、日本にしか見られないことも多くある。三浦先生は、色について考えることは、人間の普遍性や文化の違いを考えることでもあると述べられた。
 また三浦先生は、これを契機に芸術に興味を持って、絵をたくさん見てほしいともおっしゃった。そして、今回の講義で扱った作品を、実際の眼で見ることを 勧められた。象徴的な役割、現実再現的な役割、造形的な役割と色の役割を学んだ今、実際の絵画を見れば、今までとは異なった側面を受け取ることができるよ うな気がする。スクリーンで見た絵も美しいと思えたが、実際に美術館に足を運び、生で迫ってくる「色の力」を体験したいと強く感じた。

(文・石川真奈実)

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 三浦先生は、授業の冒頭で昨日のコメントペーパーにあった質問に答えてくださり、授業の最後にはその場で学生からの質問を受け付けて下さった。非常に多くの質問が寄せられたので、以下、できうるかぎり記録しておきたい。

―――昨日の講義への質問

質問1 ラファエロの『美しき女庭師の聖母』において、青いマントが片側のみ脱げ落ちているが、それにはなにか意味があるのか。

回答1 象徴的な意味の他に、私(三浦先生)の考えだと赤い色をより多く見せたいという意図があると思う。青のマントで覆ってしまうのではなくて、赤い服のほうを多く見せたいというラファエロの配慮があったのではないか。それ以上、なにか特に深い意味があるとは考えない。

質問2 天上に昇った聖母は白い服を着ている。地上にいるときは赤である。この一種の約束事を破った絵はあるのか。

回答2 私が知る限りではほぼないといっていい。やはりこれは、重要な宗教的な規則のようなものであるため、それを破るような絵は簡単には見つからない。もし見つけたら、是非教えてほしい。

質問3 色を用いて描くことがなかった、ずっと昔、画家はどのようにして自分の考えや感じたことを表現したのか。

回答3 しかし、色は最初の頃からいろいろな形で使っている。先史時代の古い時代の洞窟壁画でも色はあるため、最初からある程度、絵を描く人たちは色というものを使っていたわけである。

質問4 シモーヌ・マルティーユの『受胎告知』(文字が口から出ているもの)における天使と聖母の表情ははっきり読み取れないのではないか。

回答4 やはり宗教絵画であるため、厳かに描くときはあまり表情をつけない。ラファエロくらい後の時代になると、人間的で優しい表情をつけるのであるが、たしかにそれ以前の絵画というのは、やや硬い印象の表情であることが多い。これは普通のことであり、そのことに特に意味があるわけではない。

―――印象派に関して

質問5 印象派の色彩を分割する技法が、風景にはあって人物には合わないのではないか。そのため、ルノワールは印象派の技法をやめたという昨日の話に関して。

回答5 私は決して批判するつもりはなかった。ルノワールもすばらしい画家だと思う。ただ、ルノワールはある時期、印象派の技法で人物画を描いたのだが、やはり少し違和感を自分で覚えて、それからは印象派の技法をやめている。昨日は触れなかったのだが、そのあと、もう少しあとの時代になってから、ルノワール自身の様式と印象派の様式を融合したような、すばらしい様式で描くようになる。そのため、人物画家であるルノワールにとっても、印象派の様式は無駄であったわけではまったくなく、ルノワールのやり方で活かしている。

質問6 モネはパリから少し離れたジヴェルニーというところに家を持っていたが、そこに庭を作り、日本風の庭園を持っていたという話が昨日あった。その家のなかには、モネの集めた浮世絵がたくさん飾ってある。その日本美術のモネへの影響についてなにか研究はあるのか。

回答6 これはたくさんある。実を言うと、印象派の画家たちに与えた浮世絵版画、特に日本美術の影響というのはすでに研究されており、モネの浮世絵についてもちゃんとカタログができている。たしか、二百三十数点ほどあった。全部モネが集めたのか、あるいはモネの子孫が買い足したのか、そこが微妙ではあるが、少なくともモネは二百点以上の浮世絵版画を持っていた。なにを持っていたのかも全部判っている。そして、モネの作品に対して、ある浮世絵版画が影響を与えたのではないかという、そういった研究もすでにある。たくさんあると言ってもいい。これをジャポニスム(日本趣味)研究といい、すでにかなりたくさんの業績をあげている。

――新印象派に関して

質問7 色や筆遣い以外に、構図という点から見て、なにか普通のリアリズムと異なった点はあるのか。

回答7 以下は、特にスーラという画家についていえることである。新印象派は点描を用い、色の点を打っていくが、構図からするとむしろ古典的なむきがある。印象派は、構図をかなり大胆に変えたり、ずらしたり、端の方に物を寄せたり、ある意味で伝統とは違う大胆な構図をたくさん試した。ところが新印象派の画家たちは、あまりに技法が大胆であるため、構図に関していえばむしろ正統的・伝統的な構図を使う。昨日見せたスーラの『グランドジャット島 日曜日の午後』という作品も、非常に整然とした人物配置で、古典的な構図といってもよい。

質問8 スーラの初期の作品はどうであったのか。

回答8 たしかに、新印象主義の技法を採用するときになると非常に大胆になるが、最初からあのように描いていたかといえば、そうではない。実はスーラは最初、非常にアカデミックな古典的な教育を受けていた人である。しかし、ある時期から次第に印象派風になり、そのあと自分自身の新印象派の技法を開発した。そのため、最初の出発点はむしろ、クラシックなところにある。ただ物の輪郭に関しては、初期のころからややきちんとした輪郭ではなく、少しぼけたような輪郭で描くというようなことはあった。

――(再び)印象派について

質問9 『緑のハーモニー』というモネの睡蓮の絵における緑はいろいろな深みがあって、その深さや色彩が異なっている。どのようにモネは調和させたのか。

回答9 これはモネに聞いてもらいたい――それは難しいことであると思う。やはり、同じ緑でも濃い色、薄い色、中間くらいといろいろある。しかも、池を描くのか、橋を描くのか、木を描くのか、ということも違っている。見ている人に、うまく調和を持って伝わるように、モネは計算して緑を配置したと思う。具体的に、どういう色を、どういう順番で置いていったのかは判らないが、見てきちんとした絵になるように配置していったというのは間違いないと思う。それは、普通は二つか三つの色を組み合わせて行うが、あの絵に関しては、少しだけ青は使っているものの、ほとんど緑の濃淡だけであのように描いた。

質問10 印象派の画家は、今までにない原色を中心とした鮮やかな色彩を用いるということと、自分自身の感情や感覚を伝えたいというのと、どちらのほうが重要であったか。

回答10 どちらも重要であったと思う。ただ、最初に重要なのは感覚のほうであると思う。モネはモネなりの自分で受ける印象や感覚を非常に大事にしており、その感覚を表現するために、一番適切な色彩を使ったわけであるため、どちらも重要だということがいえると思う。ただ、おそらく、モネよりあとの画家――たとえば、今日後で言及するゴッホなどになると、自分の感覚や感情を表現することがもっと大事になってくる。しかし、印象派の段階ではどちらも同じくらい大事である。

質問11 たとえばピカソのような、20世紀のなかなか解りにくい絵はどうやって見ればいいのか。

回答11 これは難しい。ただ、私がひとつ思うのは、われわれは絵を見るときに、現実と同じようなものが描かれていると無意識に思ってみてしまう。人にせよ、何にせよ、現実と似ていたら、なんてそっくりなのだろうというように思うのが普通の感覚である。そのため、ピカソのように最初から人でも物でもどんどんと変形しようと考える人の描く絵はおかしく見えてしまう。しかし、それはでたらめに行っているわけではない。やはり変形するなら変形するなりにやり方があり、意図があるわけである。だから、どのように色や形などを変えていったのか――それは一見するとめちゃくちゃに見えるかもしれないが――そこにはやはり、ピカソなりのロジックはある。それを探すようにして見るというのが大切である。そのためには、いろいろたくさん見ることも大切であるし、画家が書いていたり喋ったりしたことを学んでみるのもひとつのやり方であるが、現実と違っていてもそれはなにか意味がある・理由があるということを前提として見ることも大事であると思う。

質問12 今のポストモダンの時代は、落書きでもなんでも描けば、芸術といえるような時代になったのではないか。

回答12 まさにその通りだと思う。今は、誰が何を描いたとしても、「芸術である」と言えば、芸術になってしまう時代になってしまったと私も思っている。では、どこで芸術と芸術でないか、芸術として認められるかどうかということが決まるかといえば、これはアート・ワールド、美術の世界に認められるかどうかである。つまり、美術という制度のなかに入るということである。たとえば、美術館で展示される、展覧会に出るといったように、あるいは美術批評家に認められるように、つまりアートの世界に認知されたら、芸術となる。そうでなかったら、芸術にはならない。そのものだけでは、芸術かどうかは決められない時代となった。物だけでは無理であり、それは芸術であると言うだれかがいないかぎり無理だ。非常に難しい時代となった。

―――以下、講義後の質問

質問13 今の日本のアニメーション作品やコミック作品は、古代の日本絵画とはどのようなつながりがあるか。

回答13 どうであろうか。ただ、おそらくよく言われるのは、漫画であれば、おそらく『鳥獣戯画』までは遡れるのではないかということだ。ほんとうに漫画の起源であるかどうかは議論があるものの、『鳥獣戯画』くらいまでは遡れる。しかし、もっと古代になるとものがあまり残っていないため、較べようがないから解らないが、たとえば縄文や弥生くらいの時代から今までなにか続いているものがあるかと言われると、微かにあるような気がしないでもない。ただ、非常に大きな質問すぎるため、はっきりと答えることはできない。

質問14 先生の専門は西洋美術ということだが、その西洋美術とは油絵のことであると理解している。現代の中国で、だれか特色のある画家を紹介してほしい。

回答14 最近日本で展覧会が開かれた蔡国強などはおもしろいと思う。今、中国の現代作家の人は世界中で活躍しているので、おもしろい人はいると思う。私はあまり詳しくはないが、今日も江蘇省の美術館ですごくおもしろいと思った。蔡国強の展覧会は非常によかった。

質問15 わたしたち素人が印象派の絵画を鑑賞するときには、なにかポイントがあるのか。

回答15 それについては、昨日説明したつもりだったのであるが……。昨日は、色や筆触からどのように絵を見ればいいのかについて話したが、あと印象派の絵でもうひとつ言及しておきたいのは、意外に風景画だけではなく、人物を描くことがあるということだ。ルノワールだけではなく、ドガも描いている。また、パリの街を描いている場合もある。自然の風景だけではなく、街を描いていることもある。いろいろな主題を描いているのでそういった主題ごとに見ていってもおもしろいし、技法から見ていってもおもしろい。あとは、やはり画家別に見てみてほしい。昨日はモネの話をしたが、ほかにもシスレー、ピサロ、ドガ、マネ……まだまだたくさんいるので、個々の画家の特徴をまず捉えるというのが良いのではないかと思う。

質問16 印象派の絵画と浮世絵はどのような区別があるか。

回答16 区別というより、浮世絵は印象派の画家たちが集めていったものである。モネもたくさん集めていたが、ほかの画家たちもみな知っており、大変影響を受けていた。浮世絵版画はまさに、印象派の画家たちにとって非常に重要な芸術上の刺激になったということがいえる。特に、色彩表現や平面性――印象派の絵も平面的なところがある―――、線描など、いろいろなところを印象派の画家たちは浮世絵版画から学んでいる。ピサロという画家がこのようなことを言っている。「私は浮世絵版画を見て、自分が描いている絵が、今自分の進んでいる道が正しいと確信した」というように言っている。印象派にとって、浮世絵版画はそれくらい重要であった。でも、もうひとつ言っておくと、浮世絵版画は版画(木版画)である。それに対して、印象派の絵画は油絵である。そこは大変大きな違いである。

質問17 浮世絵を鑑賞するうえで、重要なことはあるか。

回答17 これも、印象派の絵画と同じで、好きな浮世絵師――たとえば広重、北斎、歌麿、写楽などを探すというのが重要である。これいいな、と思うものに出会うかどうかである。すべてに通じる、なにか見方があるわけではない。

質問18 先生はどのようなテーマがお好きか。

回答18 テーマではないが、私が好きなのは、浮世絵版画であれば春信である。写楽や北斎や歌麿ほど有名ではないが、春信という版画師がいて、とても繊細でデリケートな女性を描く人である。私は女性を描いた、そういう主題の版画が好きなので、春信が好きである。

質問19 日本の芸術の動向や芸術に関する研究に興味があったら、どういう方法で情報を得ることができるのか。メディア、雑誌、ウェブサイトなどを勧めていただきたい。

回答19 たとえば、今、日本でどのような展覧会をやっているのかということを知りたければ、それはそれなりにある。Artscapeなどのウェブサイトを使えば、今、どのような展覧会が開かれているかを知ることができる。今、どういった美術が流行っているのか、評価されているのか知るのであれば、美術の雑誌もある。たとえば、『美術手帖』や『芸術新潮』などの雑誌を見れば、カラーも載っているので、今のいちばん流行している・評価されているものについてある程度知ることはできる。研究ということに関しては、そう簡単ではない。

もし、フランス近代美術を研究したいという大学院生がいれば、私の研究室のホームページにさまざまなリンクを紹介している。そこから辿ってもらえれば、いろいろな情報が得られるようにしてあるので、私の研究に近いところであれば、アクセスしてもらえればと思う。

質問20 先生は西洋絵画研究をなさっているとのことであるが、先生がお好きな西洋の画家はだれか。

回答20 私の好きな西洋の画家ははっきりしていて、二人いる。三人といってもいいかもしれない。一人は、別格的にレオナルド・ダ・ヴィンチである。レオナルド・ダ・ヴィンチは、別格的に飛び抜けてすごいと思う。それ以外に、もっと個人的に好きなのは二人いて、一人は17世紀スペインの画家のベラスケス、もう一人は19世紀フランスの画家のマネである。マネに関しては研究もしている。

質問21 今の時代の抽象絵画はある意味では宗教に近いというお話があったが、逆にいえば、古い時代の宗教絵画はある意味ではその時代の抽象絵画ではないか。

回答21 逆は真ならず、であると思う。抽象絵画はたしかに現代の抽象絵画であるが、古い時代の宗教絵画は抽象絵画とはいえないであろう。たしかに、イタリアのルネサンスよりもっと前の中世のあたりだと、もう少し抽象的な形態がなくはないが、しかしやはり違う。逆はいえない。

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