ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第4回 03月16日 四本裕子

脳・心と鏡

2015/3/16-3/17

講義では「脳・心と鏡」をテーマに、鏡にまつわる認知脳科学的・心理学的知見を扱う。特に「鏡像の認知」「鏡像描写」「ミラーセラピー」「ミラーニューロン」について、その機序を検証する実験的手法とともに概説する。「鏡像の認知」では、我々が、鏡に映った自己を自己と認知できるのはなぜか、動物が鏡に映った自己を自己と認知できるか否かをいかに検証するか、鏡に映った像は左右反転するのに上下は反転しないのはなぜか、等を議論する。「鏡像描写」では、脳の左右半球の役割を学び、左右半球間の情報伝達の性質を、鏡像描写というデモ実験を通して体験する。「ミラーセラピー」では、大脳皮質内の感覚野と運動野の仕組みを学び、それら感覚運動情報処理と視覚情報の交互作用を利用して、脳梗塞や脳出血で失った感覚運動機能を回復させるミラーセラピーの仕組みを理解する。「ミラーニューロン」では、世紀の発見であるといわれるミラーニューロンの仕組みや、その発見がもたらした科学的功績について議論する。認知神経科学や心理学の分野における鏡に関する理論や実験を通して、ヒトの認知のメカニズムについて理解を深めることを目的とする。(鏡像描写では、時間測定をともなうデモンストレーション実験を行うので、持っている人は、ストップウォッチか秒針のある時計を持参すること。)

講師紹介

四本裕子
東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系准教授。 ブランダイス大学にて心理学の博士号を取得。認知神経科学を通して、さまざまな情報が脳内で処理され統合されて「知覚・意識」となる過程を、行動実験や脳活動の測定を通して研究している。
授業風景

●南京大学集中講義「鏡」第7講(2015年3月16日

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 鏡をキーワードとし、認知心理学の講義が行われた。講義の内容は、鏡像認知、鏡像描写、そして鏡箱の3つに大分される。

 鏡像認知とは、動物が鏡に写った自分を自分であると分かる能力のことで、体の一部に印をつけ、鏡に写った自分の姿を見てその印を取ろうとするかによって能力の有無が検証される。一般的に認知心理学ではある機能について考える時、メカニズム、個体の機能習得過程、生存や繁殖に対するメリット、そして機能が発生した系統樹上の分岐点の4つの観点からアプローチする。本講義でもこの4つの観点から鏡像認知についてアプローチがなされた。

 まず、鏡像認知機能が発生した系統樹上の分岐点について、鏡像認知機能の有無を種間比較すると、テナガザルよりもヒトに近い種ではすべて鏡像認知が行え、またテナガザルよりもヒトから遠い種、たとえばイルカやゾウ、カササギも鏡像認知を行える。このことから、テナガザルと、ヒトを含む一部の霊長類の分岐点上で鏡像認知が発生したこと、そしてこの分岐点以外の別の分岐点上でも独立して鏡像認知機能が発生したことが分かる。すなわち「ヒトに近いから知性が高く鏡像認知ができる」というわけではないのである。

 次に鏡像認知のメカニズムとしてオブジェクトの知覚と神経活動測定実験が紹介された。神経科学が発達する以前の仮説として、ある特定のオブジェクト、例えば車などについて、それを表す神経細胞が脳内のどこかにあるのではないかという仮説がある。しかし近年の神経活動測定の結果、1つのオブジェクトと1つの細胞という1対1の関係はなく、たくさんの神経細胞がパターンとして1つのオブジェクトを表すことが明らかになった。

 個体の機能習得過程については、ピアジェの思考発達論と実際のヒトの幼児を対象とした実験が紹介された。ピアジェの思考発達論では0~2歳の感覚運動期ではその瞬間の感覚と運動のみが知覚される、2~7歳の前操作期では心のなかにオブジェクトの表象を持っているとされる。実際に幼児を対象として、①鏡に写った自分を自分だと分かるか②写真に写った自分を自分だと分かるかについて検証すると、まず鏡に写った自分を自分だと分かるようになり、一定の期間の後に写真に写った自分を自分だと分かるようになる。そして写真に写った自分を自分だと分かるようになる時期は、ちょうど前操作期への変遷と一致するのである。

 最後に生存や繁殖に対するメリットについては、東京大学の学生と南京大学の学生がペアになってディスカッションが行われた。その一部の意見を抜粋すると、水を飲んでいる際に、水面に写った自己と他の個体が見分けられることによって他の個体の接近に対してのみ逃避行動をとることができたことが適応的だったのではないか、という意見が出た。ディスカッションの後、四本先生から、鏡像認知は自他の分離と密接な関係があり、自己の表象を有することは他個体から見た自己の姿について想定できることであり、このことが社会的コミュニケーションにとって有利に働いたのだろう、という補足が与えられた。

 次のテーマである鏡像描写では、主に脳という神経的な実体と、運動をうまく行うという心の機能の関係に焦点を絞って講義が行われた。我々の脳は、場所によって異なる機能を有する。そのうちの一つに運動の機能があり、左脳を刺激すると右半身の一部が、右脳を刺激すると左半身の一部が動くことから、右半身の運動は左脳で、左半身の運動は右の脳に機能があるとされてきた。

 ある図形を描く際に、直接手を見ることなく、鏡に写った手だけを見て描くと、始めはぎこちなく、うまく図形を描くことができないが、繰り返しによって、うまく図形を描くことができるようになる。この課題は鏡像描写と呼ばれ、繰り返しによる上達は学習と呼ばれる。もし、右半身の運動の機能のすべてが左脳に、左半身の運動の機能のすべてが右脳にあるのであれば、神経的な実体に連絡がないのだから、右手を使って学習しても、左手の技能は向上しないはずである。逆に右手を使って学習をした後、左手にも技能の向上が見られるとき、右半身と左半身の運動機能の両方に寄与する神経的な実体があり、その部位が学習によって変化していると考えられる。講義の最後に学生たちを対象として実験演習を行った。

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●南京大学集中講義「鏡」第8講(2015年3月17日)

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 前日の講義では実際に学生たちを対象として実験演習を行った。その結果として利き手による学習は非利き手の技能を向上させた。このことから古典的な運動制御の神経実体に関する考えとは異なり、右半身と左半身の両方に寄与する神経的な実体があることを示唆している。事実として、より最近の研究によって、左右の脳をつなぐ神経線維を介して、両方の半身の制御に寄与する神経的な実体が見つかっており、鏡像描写の学習はその神経的実体で起こっていると考えられる。

 このように両半身を制御する部位があることによって、右手と左手で異なる動きをすることは難しい。しかし、左右の脳をつなぐ脳梁が先天的、あるいは後天的に失われていると、右手と左手で容易に異なる動きをすることができるようになる。このように脳梁が失われている状態を分離脳といい、左右の脳の機能差の研究に大きな知見をもたらしている。分離脳の臨床研究から、左右の脳の機能局在について多くの知見が得られており、特に左脳に入ってくる情報しか意識はできないが、行動には両方の情報が影響することが明らかになっている。講義では実際の実験風景を捉えた映像資料が映された。

 最後のテーマである鏡箱では、鏡がもたらす臨床的な貢献について紹介された。事故などの理由によって手足を失った時に、失った手足がまだあるように感じられることがある。この現象は幻肢とよばれる。鏡は臨床的に幻肢がつらい姿勢で固定されたように感じられる、あるいは幻肢が痛むときに用いられ、ミラーセラピーと呼ばれる。ミラーセラピーでは、患者は失った側と反対側の手足を鏡に写し、両方の手足を同時に動かそうと試みる。すると、あたかも自分の指令通りに手足が動いたかのように感じられ、幻肢の固定感や痛みが改善する。ミラーセラピーは脳梗塞による半身不随のリハビリテーションにも使われる。鏡像描写のテーマで見たように、両半身の運動を制御する脳の部位が存在するため、仮に右脳が障害を受けても、左脳によって左半身を動かすことができる。この際、ミラーセラピーを行うと、より効率よくリハビリテーションができるとされている。

 以上の3テーマで見たように、鏡は心理学の発展において重要な役割を果たしてきた。神経的実体と心理的機能の関係性についてはまだ分かっていないことの方が多いが、鏡を使った実験に代表されるような、工夫の凝らされた行動実験と、fMRIに代表されるような新しい神経活動測定技術が更なる「心」について理解をもたらすであろう。

(文責:東京大学 橋本侑樹)

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