ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第4回 03月10日 有澤 晶子

「型を装う」ということ

日本の伝統芸能は「型の表象」を特徴とする。中国の伝統演劇も同様である。だがどちらもその認識は否定の中で生まれた。型は時と民族の審美眼によって練磨された象徴表現である。自分たちの表現の独自性に気づかず、装っていた固有の「型の文化」を捨て去り、全否定した時期がある。捨て去ってみてはじめてそれこそが価値あるものと気づくことになる。その発見の過程を「型を装う」ことの否定と肯定という視点から考えてみたい。

講師紹介

有澤 晶子
東洋大学文学部日本文学文化学科教授 博士(日本語・日本文学) 文化現象の深層を探るために比較の観点でアプローチする研究をおこなっている。主な著書:『見立の文化表象 中国・日本―比較の観点』(研文出版 2020年)、『比較文学―比較を生きた時代 日本・中国』(研文出版 2011年)、『中国伝統演劇様式の研究』(研文出版 2006年)等。
授業風景

 二日間の講義で、アジアの演劇における表現の特徴としての「型」は、簡単に得られた価値観ではなく、その過程を考察することの重要性について学んだ。型によって芸術的に自由な表現がアジアの演劇には存在し、それがその民族の特徴を表すことは、異文化との比較を通じてはじめて自らの文化を再発見していくことになる。

 初日の講義では、まず、現代のヨーロッパの人の視点から、東西演劇の特徴の違いが示された後、具体的に中国演劇の特徴について学んだ。中国には300以上の地方劇があり、特に京劇や昆劇が同時代演劇として評価されてきた。しかし、近代化の中で観客の嗜好に合わせて、西洋演劇の影響を受けた「時装劇」など型を無視した創作がおこなわれた。京劇・昆劇は旧劇と呼ばれ、内容も表現も時代に合わないとして否定する意見が大勢を占めた。それに対してまだ学生だった張厚載はこれらの演劇の特徴として「象徴表現」「程式」「音楽」を挙げ、最小限の舞台装置に型の演技を用いることで観客の想像力を喚起するという真逆の主張をおこなった。ただ、時代の潮流の中で、この主張は認められなかった。その後、国劇運動と称した演劇の研究、創作の中で、はじめて型を意味する「程式」という言葉が誕生し、「中国演劇の程式は芸術の本質」であることが明確に表明された。また、京劇など伝統演劇がなぜ中国的といえるのか、について、文学、音楽、美術、演技が融合した「総合芸術」なのだという見方が示された。

 一方で、京劇を中国の代表的な芸術として位置づけて伝承していくためには、型の意味を明確にし、理論づけることが必要と考えた齊如山は、「型」のルーツを探究し、梅蘭芳と共に舞譜を作成して演技の型の記録と体系化を進めた。さらに、役柄ごとの演技の型を明確にし、絵図を作成して視覚的な説明を取り入れることで、伝統芸術としての継承を図った。このように型の認識は平坦ではなく、紆余曲折を経て、漸く型という独自の価値を意識的に保ち続けることになった。

 二日目の講義では、前半で日本の伝統演劇である能、狂言と、中国の昆劇との共通項について考え、後半では歌舞伎の型の認識の過程を学んだ。狂言師・野村万作と南京の昆劇俳優・張継青の合作を通じて、異なる芸術が共演できる理由が探求された。日本と中国の伝統演劇には共通点として、舞台空間の無から有を生む概念や身体表現の「型」がその例である。「型」は伝承されて成りたち、「型から入って型をでる」ことで花開く。この伝承の考え方は、両国の伝統演劇に共通する。

 江戸時代において、歌舞伎は同時代演劇として流行し、歌舞伎独自の型の表現を作り出したがその特徴については無自覚だった。明治期には、欧米を歴訪した政府による「洋風改良」の方針のもと、全面的な改良案が公にされる。これに対して、作家や文化人が異を唱えた。作り手側は、河竹黙阿弥が現代劇風の「散切物」を創作し、九代目團十郎が、時代考証を重視した「活歴劇」を生み出した。しかしいずれも観客の反発もあり、却って否定してきた歌舞伎本来の特徴である荒唐無稽さや、誇張した型の演技などの表現が価値あるものとして、再認識される契機となった。このように政治家や役者の試行錯誤の末、型を特徴とする独自の伝統演劇としての地位を確立した。

 文化の伝承は革新と共に進む。異文化との比較を通じて伝統の本質が明確になり、新たな創造へとつながることが、日本と中国の伝統演劇の事例から理解できた。

 学生からの質問には、日本の文化に対する疑問がいくつか含まれていた。これは、中国の文化に親しんでいるからこそ生じた視点だと言える。その中からいくつかを紹介する。

 「型の演技は写意表現といわれるが、細かな演技動作はとても具象的に見える。矛盾しているのではないか?」

 写意とは物事の本質を描く手法であり、よく水墨画の写意表現でたとえられる。水墨画では、物の特徴をつかんで凝縮した筆法を組み合わせて一つの作品が生まれる。たとえば伝統演劇で衣裳の水袖をつかった型の動作は一気呵成の写意表現で描かれる。衣装を使った表現の型を連続して組合せることで怒りや悲しみといった心情を象徴的に表現することができる。

 「中国の伝統演劇の地位や伝承の仕方は日本の伝統芸能とは異なるように感じるが、それはどこに要因があるのか」、「中国では伝統演劇を見る人が少なくなっているが、今後、型はどこまで継続されていく可能性があるのか」といった質問が一日目の感想として複数あったが、二日目の講義内容の中で説明がなされた。

 また、中国の演劇の歴史を学んだことがあるが、演劇表現を否定的にとらえて後に、型を認識し肯定したといった内容は初めて聞いた。この捉え方は新たに考えを深化させるものだと思う、といった感想も複数みられた。

通訳:南京大学日本語学科M1張暁行・佐々木結衣

(文責:松村)

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