ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい
第6回 03月17日 中井 真木
装いと力:服装から平安貴族社会を読み解く
歴史学は、事象に普遍性や繰り返しを見出したい誘惑に争いながら、事象の唯一性・一回性を追究し、人の営みの複雑さに迫ろうとする学問である。装いは時に他者の支配に用いられ、人間関係を固定し、また時に抵抗の象徴となり、人間関係を変容させるが、その力学が具体的にどのように発露するのかはまったく多様である。約千年前の貴族社会を事例に、服装と権力や財力の関係について、ともに考えてみたい。
- 講師紹介
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- 中井 真木
- 明治大学大学院特任准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。服装文化を中心に平安・鎌倉時代の歴史を研究している。著作に『王朝社会の権力と服装―直衣参内の成立と意義』(東京大学出版会、2018年)等。
- 授業風景
2025年2月28日、ウクライナのゼレンスキー大統領とアメリカのトランプ大統領はホワイトハウスで会談し、激しい口論となった。同時中継されていた会見は、たちまちニュースを巻き起こし、世界中の注目を浴びた。この記事を読んでいる、あなたが今2025年の住人であれば、まだ記憶に新しいかもしれないし、もっと先の未来にいるのであれば、過ぎ去った歴史の一部として認識しているかもしれない。
この会談で槍玉にあげられた点の一つに、ゼレンスキー大統領がスーツを着ていないことがある。「なぜスーツを着ないのですか?持ってはいますか?」「(アメリカ)大統領職に敬意を払っていないとアメリカ国民は感じていますよ。」と挑発気味に質問されると、「戦争が終わったら着るでしょう。」とゼレンスキー大統領は応酬する。戦争の勃発以降、ゼレンスキー大統領は公の場でもカーキ色のシャツを着用しているが、その装いによって軍への連帯を示していると言われている[1]。
実は、このやり取りから、「装いと力」の関係性が読み解ける。一日目の授業のあとに質問されて、先生は以下のように解釈していた。
トランプ大統領らにとっては、ここはウクライナの未来はアメリカに依存しているという意味で、両国の主従関係を確認するものであっただろう。その意味でゼレンスキー大統領がその場に相応しくないスーツを着てきたことは、不服従を表すかもしれない。一方、ゼレンスキー大統領にとっては、戦時の大統領としての姿を即時的にメディアを通じて自国民にアピールする機能があっただろう。実際に、この会談を経て大統領の支持率は上昇している。
とは言っても、先生のご専門は現代政治ではなく、平安貴族の装束である。以上の話を踏まえて、現代の衣装のあり方が、古代とどのように連続しているか、あるいは連続していないかを考えつつ、ここからの話もぜひ続けて読んでほしい。
折り入って紹介するのは、平安貴族の特権的な装束であった「直衣」である。直衣を着ることができたのは、摂政や関白、天皇の側近などの位の高い貴族であった。平安貴族の服装は身分と密接な関連があるため、服装は身分の絶対的な標識である、と従来の有職故実の研究では説明されてきた。
しかし、先生はその絶対性にあえて疑問を投げかける。例えば藤原道長は言わずと知れた、時の最高権力者であったが、直衣が許可されていたという記録はどうも見当たらない。それどころか、着たことによってひんしゅくを買ったり、あるいは一条天皇との蜜月期にはなぜか容認されていたりする。藤原道長ほどの力を持った人物でも、他者の視線や思惑に配慮する必要があったことが分かる。
藤原実資のころにも、直衣の着用を巡るひと悶着があり、緊急事態の際に他の人が直衣で参内しているのを実資は目にして、苦言を呈している。ここから読み取れるのは、その時々の情勢や天皇との関係性によって、直衣を着ることの許容度、あるいは直衣を着るということの意味合い自体が変化したことだ。
また、こうした服装の規範は空間・時間に応じて変化するものでもあった。位の低い殿上人であっても、夜に、より私的な空間において、直衣を着るのは許されていたが、位の高い左大臣が、昼に、より公的な空間において、直衣を着るのはかえって許されていなかった。こうしたことから、内裏における公的な空間や私的な空間、そして時間によって、守るべき程度の通念が異なったことが分かる。
時代は下って12世紀ごろになると、直衣着用の勅許は「手続き化」されるようになり、院や摂政の命令によって、一部の公卿には直衣参内が許可されるようになった。こうした制度化によって、直衣を許された者は、天皇との関係性のなかで選ばれた公卿の集団として、権力を持つようになる。この中で力を持ったのが、平氏を始めとする武士であった。直衣が、権力そのものとなったのである。
ここでの権力とは、あくまで関係のなかで生成されるものである。フーコーの唱える権力論において、問うべきは誰が権力を握っていたかではなく、それがどのような作用を及ぼしたかなのである。
武士が台頭してくると、新しい衣装が登場する。「直垂」である。武士のアイデンティティの中核となるような衣装だと通説では言われてきた。しかし、実際には武士以外も直垂を着用してきたし、武士も直垂以外を着用していた。後鳥羽上皇の側近であった藤原頼実は、直垂を着て狩りに出かけていたし、平氏政権の中枢であった平宗盛や平時忠は、直衣勅許を得て、直衣を着用していた。
直垂の着用に関しても、やはり揺らぎがあることが分かる。衣装というのは身分を表す絶対的な標識である、という通説的な考えを捨てて、実際の衣装の運用を観察することで、着る着ないのなかに立ち現れる人と人との関係性のなかのせめぎ合いが見て取れるだろう。衣装は確かに身分を表すが、その身分は絶対的ではなく常にダイナミックに変容するものだ。
このように、中井先生の授業において鍵を握るのは、装いと権力を巡る、複雑でダイナミックな歴史のなかに立ち現れる揺らぎであり、それを捉えるためには、歴史の成立背景を丹念に追い、日常生活にこっそりと潜んでいる装いの「力」を観測する必要がある。
さて、この身分が服装を規定しているという考え方は、現代はなくなったのだろうか。 駅員の服や軍服などからは古代の貴族の官位制のように、今も階級の区別を観察することができる。
先生が学生に投げかけた質問のなかで興味深いものに、「今日着ている服は何かによって選ばされていますか」というものがある。学生は「自由に選んでいると思います」と答えた。
しかし、一見自由に服装を選んでいると思われる現代でも、実は何か(モード・ファッション・大学生らしい服装)に選ばされているのではないか。中井先生はそう投げかける。グローバル化の進展に伴って、日本・中国の大学生の服装は驚くほど似てきている。確かに服が貴重だった中世と比べて、現代の状況はあまりに違うものではあるが、服をめぐって通底するものもあるのではないか、そう考えてみると、歴史も、現代も少し面白い視点から見られるかもしれない。
ちなみに、この問いかけに応えるかのように、先生が授業に着ていた際の服のストーリーを聞く学生もいた。日本の服ではなくスペインのブランドだが、下に着ている服はユニクロのものだそうだ。もっとも、ユニクロなどは学生とかぶるため、出来るだけ避けているそうである。
やはり権力と服の関係性は、時代背景の違いこそあれ、連綿と続くものがある。今生きる私たちの見方を出発点として、過去のことを見返すと面白いことがあるし、過去の事柄を踏まえて、今の事象を見返すとまた面白い発見があったりする。
最後に歴史の話をしたい。平安貴族の社会を通して見て来たのは、衣装の歴史であるとも言えるだろう。そこで気をつけたいのは、歴史をパターン化して考えることだけでなく、歴史の複雑性・一回性に注意して、パターンからこぼれ落ちてしまうものを拾いとることである。
そういった批判的な視点でみることで、今日の天皇が着ている復古調の平安装束は、実はあくまでも平安風を装ったものに過ぎず、完全に平安そのものではないことに気づくかもしれない。江戸時代以前の天皇は中国風の衣装なども着ていたので、今の衣装は脈々と続く伝統では決してない。また、儀式の際に天皇と皇后が並んでいるが、これは非常に近代的なものである。
南京大学での授業では、学生の様々な視点からの質問が印象的であった。近代化やグローバル化のなかでの衣装の意味合いの変化、階級社会でのなかの服装と現代との関係、歴史の意味など、様々な質問が飛び交った。
また、日本の天皇の衣装は、歴史的に中国の皇帝の衣装の影響を強く受けている。日本が強く影響を受けている中国で講義ができたこともとても意義深いことであっただろう。
とりわけ印象的だったのは、授業中も、講義外でも、質問に対して、事象に対して、問い続ける先生の姿勢である。この姿勢こそが、歴史学の目指す姿勢そのものに違いないだろう。
通訳:南京大学日本語学科M1馮小麗・李慧玲
(文責:丸山)
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