ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第3回 10月22日 辻信一

新スロー・イズ・ビューティフル ― ムダのてつがく

タイパ、コスパなどの言葉が表わしているように、効率化への流れは速く、激しくなるばかり。そしてその背後には、より速く、より大きく、より多くという一方向をひたすら目指す近現代の流れがある。社会には、「役に立つかどうか」という物差しでヒト、コト、モノを測ろうとする傾向が強まる。その先にあるのは一体どんな世界だろう。この授業では、「ムダ」と「スロー」という言葉を切り口に、この流れをいかに“ナマケル”かを考えたい。

講師紹介

辻信一
文化人類学者、明治学院大学名誉教授。環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」の代表。アクティビストとして、「スローライフ」、「ハチドリのひとしずく」、「キャンドルナイト」、「しあわせの経済」、「ローカリゼーション」などの社会ムーブメントの先頭に立つ。 『スロー・イズ・ビューティフル』、『ナマケモノ教授のムダのてつがく』など著書多数。映像作品に『レイジーマン物語 タイの森で出会った”なまけ者”』など、「アジアの叡智」DVDブックシリーズ(現在8巻)、訳書に『ラディカル・ラブ』(サティシュ・クマール著)など。

コメント(最新2件 / 8)

taisei2025    reply

辻先生の立場は非常に明快で一貫していたため、とても理解しやすかった反面、その考え方がどのように実生活で役立つのだろうと疑問でした。
ですが、そのような「役に立つ」ことにのみ価値を見出す思考の枠組みこそ、先生が現代社会の問題点と考えているそのものであることに気がつきました。
ですから、(いつもそれでは困るのですが)今日の授業くらいは生産性ではなく「楽しかった」「面白かった」という感情を大切にしたいなと思います。
これからは、恋愛や遊びなどムダだと言われがちなことに対してもその価値に気づき前向きに取り組める気がします。

ryo0312    reply

怠け者とは単に働かない人ではなく、立ち止まって考える人や流れに流されない人、自分の時間を生きる人などのことを指していて、つまり現代社会の過剰な「がんばり文化」に抗い、ゆっくりと丁寧に生きる勇気を持つ人を表しているという考え方を知りました。効率や成果を重視する社会だからこそ、あえて「怠け」や「ムダ」を大切にする姿勢は人間の心の豊かさや創造性を取り戻すために重要だと感じました。ただ、現代社会の経済的・時間的制約の中で誰もがその余裕を持てるのかという問題点があるようにも感じました。

kurokawa0706    reply

非常に興味深い内容だった。今まで大学受験などで他の人と競争してきた自分も当然ながら、相手を蹴落としつつ加速を目指していく方向へ社会そのものが進んでいく中で、一歩立ち止まって、ゆっくり、楽観的という新しい自分のライフプランをもう一度模索してみたくなるように思えた。ただ講義中で、梁塵秘抄を引用しつつ、遊びを人間存在の本質に据えるようなお話があったが、その遊びを実現するための時間的空間的余裕やお金はやはり労働という痛苦を必ず経験しなければならないもので、そことどう向き合えばいいのか疑問に思った。

yakitori2005    reply

加速主義という言葉は以前から聞いていたが、その危険性については初めて知った。
また、芸術を志すものとして、ムダが取り除かれる社会に焦りを覚えた。
人は愛し愛されるために生まれてきたという言葉は、人との断絶やAIの発展が顕著な世相を生きる人間として、響いた。

olk2006    reply

徹底的に無駄を省いた先に優生思想に行き着くだろうという指摘にはハッとさせられた。
講義の中で登場したアーレントの思想に基づけば、我々は、人間の活動力によって活動(action)を起こすことで目的意識から逃れ、自由な行為が可能となる。スローライフは生活の手段化を回避し、目的への抵抗を体現するような生活様式で、人間の尊厳を支える生き方だといえると思った。

doradora1115    reply

現代人があまりにも無駄を省きすぎているというのは本当にその通りで、そんなに効率を求めてどうするんだと思うこともしばしばだなあと思いました。でもこの傾向がなぜ急激に加速しているのかと考えたときに、科学技術の発達のせいだとか言ってしまうと安易なテクノロジー批判になってしまうというか、「わかっていること」に飛びついているだけのような気もして難しいと感じました。我々一人ひとりが、なぜみんなそんなに焦っているんだろうと考えつつ、ムダも大切にしようと心掛けることが大切だと考えました。

yuki1229    reply

生活する上で、「タイパ」や「コスパ」などをどうしても考えてしまう私にとって、まず「ムダ」を巡る哲学というものが突き刺さるようなものであった。考えてみれば、そもそも今所属しているこの前期教養課程というものはある種の類の「ムダ」に満ち溢れていて、これは東大生という属性を持つ我々が陥りがちな功利主義とか能力主義のようなものへのアンチテーゼとして働く、とてもぜいたくな「余暇」なのかもしれない。

choyang1224    reply

自分は駒場東大前駅の改札からホームに降りる途中、電車が来ていても閉まりそうだったらたとえ乗る余裕があっても次の電車に急いで乗らずに次の電車に乗ることにしているのだが、それを友人に酷く驚かれたことがあり、私も逆に驚かれたことに驚いた。そういった日々の行動ひとつひとつにも現代人の忙しなさが現れていると思った。

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