I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.4 2020.10.21 Izumi SUZUKI

Instructor

Izumi SUZUKI

comments(最新2件 / 27)

musashi1825    reply

「コロナ的還元」によって、我々が生の基盤である呼吸することに自覚的になっているということは、難しかったですが、デカルトの考え方を引用されたことで、なんとなく理解できた気がしています。コロナで世界が変わってしまうことに恐れ慄くようなこの世の中で、コロナの前後で本質的に変わらないことがあることに気づけたことは、良かったと思いました。

mermaid592229    reply

コロナによる社会の変容が重要視される中で、コロナは私たちの生活を変容させたかもしれないけれど、基本的な人間の生活は変わっていないという視点に気づかされました。
確かに、普段から常にマスクをする必要があり、体調の悪そうな人や咳をしている人がいると気をつけなければならないという息苦しさを感じるようになったことで、マスクをする必要のなかったとき、あるいはする必要のないときの呼吸、空気の大切さが浮き彫りになったと感じています。当たり前のようで普段は意識していないけれど、「私は呼吸をしていると感じる、故に私は存在している」という、自分の生について改めて感じることができるという点は、コロナがもたらした正の影響なのかもしれないと共感しました。
今回は呼吸にフォーカスした講義でしたが、講義の後半で触れられていたように、私はコロナ禍を通じてコミュニケーションも浮き彫りになった大切なものとして認識しています。人と気軽に会うことができなくなった現在であるからこそ、人とのコミュニケーションの大切さ、それが自分にもたらす影響について改めて実感することができ、大切にしようと思うことができています。
今回の講義をきっかけに、そういった、コロナによって浮き彫りになった私たちにとって本当に大切なこととは何かを自問自答していけたらと思いました。

spring1359    reply

興味深い講義をありがとうございました。実際この半年以上をコロナが猛威を振るう中で過ごして、生活の中から失われたものがある一方でむしろ存在感がむき出しになるものもあるように感じました。人間は身体に対し、病気になって思うように動かせないなど意思との乖離が生じて初めてその存在を認識するという文章を読んだことがありましたが、私たちは感染していないとしても生活に縛りを受けることである種それと同じ状態を体験しているのかもしれないと思いました。良くも悪くも生々しい気付きですが、もしコロナ禍が落ち着いて生活に縛りがなくなったとしても今回の講義でいうところの「呼吸」は存在し続け、実感は薄れながらも私たちの体験として蓄積されるのだろうと思います。

ultra100    reply

哲学的観点からコロナ的還元というテーマでお話を聞かせてもらった。ここまで長引き続けているというのは、たしかに改めて驚きに値するものだし、人それぞれいろんな考えがあると思う。今までの9.11や3.11のような事件後の世界を考えてみても、今回のコロナは生活様式を大きく変える契機にはならないという見解も理解できるものであるし、また、コロナ的経験を通して、浮かび上がってきたこと、見えてくるものもあるだろうという意見も理解できる。自分は、生活様式が大きく変わるとは思わないが、コロナという環境下で、コロナとともに生きていく生活は長く続いていくのかなとは思う。そういう意味で、生活様式にある種の変化や意識の変化が生まれるとは思う。また、デカルトの話にもあったように、私が呼吸する、故に私がいるということも十分可能なように思えたが、たしかに私が呼吸すると思う、そのように味わう、故に私がいるという方が命題として確実であるということには納得した。コロナとこれからもともに生きていく世界で、マスクをする自分だったり、コミュニケーションの機会が減らされてしまっている自分だったりを、外側から考えて、人間の生活の基盤となるものや人間の生において重要となってくるものを自分なりに考えられればいいのかなと思う。

mizutatsu0116    reply

私たちはコロナが社会にもたらす影響を考えるとき、ついつい社会がどう変化するのかについて考えてしまう。しかしよくよく考えれば、コロナという非常に大きな事態が発生しても、私たち人間の生活の基本は変わらない。コロナという非日常の生活を経験し、それが生のミニマムな点を意識するきっかけになるという考えは非常に新鮮味があり、納得のできるものだった。確かにこのコロナ渦で呼吸を感じる機会は増えたように感じる。息苦しいマスクを外した時、そこにはスムーズにそして肺の奥まで呼吸ができるという快感が待っており、その時確かに私たちは呼吸することの喜びや気持ちよさを感じられる。普段から行っている何気ない営みを享受し味わう経験は、コロナのような非常事態だからこそ経験できるものであり、まさに我々が生きていることを感じる良い機会となるだろう。非日常の中で、私たちはついこれからの変わりゆく世の中について考えてしまうが、そこで発想を変えて人間のミニマムな生について考える面白さを感じられてよかった。また社会全体がある一面の方向から考察を進めていく中で、少し違った視点から物事を見つめると新鮮な気づきが得られることも体感できた。

morita1016    reply

「ポストコロナの生活は今までと全く異なるものになるだろう」というようなことが口々に唱えられる中、「IT技術の発達などと比べれば、コロナによってそこまで生活が変わるものでは無い」という視点は新鮮なものでした。外出時にマスクをつけることを強いられ、呼吸の自由が失われている今だからこそ、普段は気付くことのない呼吸の喜びが感じやすいのかもしれません。講義前は「哲学とコロナは関係あるのか?」と思っていましたが、今回の講義によって哲学はコロナだけでなくあらゆる事件に関連する学問であると認識を改めることができました。

mytm1187    reply

講義ありがとうございました。呼吸すること一つでここまで深く考えたことはなかったので、とても新鮮でした。自分は今まで理系なので呼吸と言えば体に必要な酸素を享受するという生物学的な呼吸を想像していましたが、今の時代コロナが流行ったことにより常時マスクをつけて外を歩くようになり、身体運動の授業までマスクを着用するようになったので息苦しさを感じるようになって、呼吸を思う存分にできることの喜びが少し感じられているように思います。デカルトの考えも今までは文字をなぞるだけで意味を理解していませんでしたが、本日の講義で少し理解が深まったように思えます。ところで呼吸の議論は、呼吸そのものすなわち心臓の活動を生と捉えるのか、認知すなわち脳の活動を生として認識するのかという問題として取ると、現在の医療現場が認知の停止すなわち脳死を死と定義したときに議論が上がったように、この議論は答えの出しにくい難しい議論なんだなと実感しました。

yasu1026    reply

呼吸の人類における必要性、僕にとっては考えたこともない概念でした。理系の学生として普段触れる機会がほぼない哲学的視点からの現代の諸問題に対する考察、単純な感想ではありますが、大変貴重な経験であったと感じました。人類の生命の根元に呼吸ということが欠かせない要素として存在しているということは至極当然であるのかもしれませんが、このCOVID-19の中での社会の変容ではそれが妨げられるという現象が起きている、そのことが特異的であると感じ驚きながら同時に一種の感動に似た不思議な気持ちを抱きました。自分の中で新たな視点が導入されたように感じた講義でした。

minami373    reply

コロナによる心理的変化というのは私たちひとりひとりが生活の中で感じやすいものであり、この学術フロンティア講義で一番聞きたいと思っていたものでした。コロナはただの一つの機会であり、これまでの歴史上の大きな出来事と大差ないというのは本当にその通りだと思います。しかし、人は区切りを大切にするし、変化のスピード自体は劇的に速くなる。そこで変化に疲れてしまうのではなく、変わらないもの、生活の基本的なことに目を向け、希望を持って行動する勇気が得られました。
呼吸の大切さには実際のところ気付いていませんでした。これはマスクへの抵抗感に個人差があるためだと思います。私は冬の間常にマスクをしていたからか、マスクをしていても息苦しさを感じたことがありませんでした。それでも、オンライン授業で屋内に籠りっぱなしでいる息苦しさはこのコロナ禍で経験しました。そんなとき、休憩時間にベランダにでて大きく深呼吸したときの気分は素晴らしいものでした。その時には分からずにいましたが、これが「生きているということを享受する喜び」という壮大なものであったのだなと気付き、不思議な気持ちになりました。

TS34    reply

コロナにより世界中が影響を受け人々はこれまでとは大きく異なる生活を強いられることになるという論調が主流である昨今、実際のところ我々の生活は多少の変化はあれどそこまで大きく変容したわけではなく、その中で変わらない生活の部分が生きていくためのミニマムなものとして浮き彫りになるという考え方はとても新鮮で、自分の中でコロナに対する視点が一つ増えた気がしました。
また、今までほとんど意識したことのない呼吸について意識することができたのはとても有意義でした。呼吸は生命の基盤であり生物学的な生の定義である一方、デカルトの考え方では人間に固有な思考や物事の享受こそが生の定義であり、この二つの考え方は異なりますがどちらも間違いとは言えません。だからこそ医療における死の定義にも議論が起こるのだと思うし、この二つの考え方に関しては深く議論する余地があると思いました。
今までコロナについては感染防止や経済への影響などいわば実利的な視点でしか考えたことがありませんでしたが、今回の講義を通して普段は触れることのない哲学的な視点からコロナについて考えられたのはとてもいい機会になったと思います。貴重なお話ありがとうございました。

kohei8192    reply

哲学には、デカルトのような、精神的、抽象的な世界だけでなく、人間の肉体的な側面に寄り添おうとする考えもあるのだとわかった。変化の仕方の中にある変わらなさという視点は、世界の現状を楽観ではなく達観したうえで、将来への希望を持つのに役立つと思う。

yjiro1638    reply

呼吸するということは普段特別意識することはなかったですが、コロナの時代の中でその意味を深く考えてみるということはとても新鮮で興味深かったです。普段見えなかったことが、特別な状況のなかでその価値が浮き彫りになるということは、私たちへの何かのメッセージなのではないかと感じました。「私は呼吸する」と「私は呼吸すると思う」の違いは一見些細なもののように感じますが、「私は存在する」という理由(哲学的には不正確な表現かもしれませんが)としての意味合いの違いの大きさは、様々な場面で考察対象に出てくるように思いました。いずれにせよ、この講義を通じて、ただ呼吸をするだけのことに新しい意味合いの喜びが生まれたように感じます。

1k_neru    reply

私もコロナ以前とポストコロナ、特にコロナ禍の真っ只中である現在では社会も生活もすっかり変容してしまった、という感覚でいたので、コロナがあってもなくても変わらない人間の習性や社会の変化の仕方こそが重要だという視点はとても新鮮でした。
特に呼吸については、我々が普段から意識せずに行っていることであり、それを享受するとか、呼吸できるというこの現状に幸福感を覚えるというのは普通に暮らしているだけでは覚えない感覚だと思います。ただ、仰る通りこんな現状では皆がマスクをして息苦しい生活を送っており、新鮮な外の空気を吸う機会が失われているとも感じました。デカルトによれば「我呼吸する、故に我あり」ではなく「我呼吸すると思う、故に我あり」のほうが正しいということでしたが、こんな状況だからこそ、単に生命活動の維持のためだけに呼吸するのではなく呼吸ができるということを味わいながら深呼吸してみたいと思いました。

cf1133    reply

興味深い講義をありがとうございました。コロナウイルスは社会のあり方を大きく変容させるだろうという論が主流であり、自分も当たり前のようにそう考え始めているなかで、変わらないものに目を向けるという体験は非常に新鮮でした。我々は何かを失ったり不自由な状況に置かれたりしなければ存在の大きさに気づかない、というのはしばしば生じる皮肉ですが、ただ呼吸するのではなくそれを味わうという感覚は、このような状況だからこそ得られるものであり、大切にしたいなと感じました。

yuki28    reply

ポストコロナの時代に自分たちの生活はそれまでと比べて大きく変化すると漠然と思っていたが、今回の講義で基本的な生活は変わらないという考えは興味深かった。確かに、コロナの影響で様々な活動が制限される中でも私たちが生きていけていることを考えると、基本的な生活は大きく変化するわけでもないのだと感じた。そして、だからこそ呼吸は人間の生物学的な生と人間的な生のどちらにとっても重要なのだと分かった。呼吸という視点から人間の生について考えることは難しかったが、とても新鮮だった。

fro1014cd    reply

コロナによる生活やワークライフバランス、経済への影響が重視されている現在においてコロナ禍においても変容しないものを探るというのは非常に面白く感じた。例に挙げられた呼吸はどんな状況になっても他者が奪うことができない最も基本的なものではなくともコロナ禍において変容しないものに着目することで生活の根幹がなんなのか考えてみようと思った。

tetsuya1221    reply

生きることへの洞察の中で、呼吸だけが特殊な地位をしめるということに初めて気づかされました。誰もが当たり前にできるという前提は人の生を考えるうえで非常に大切なものであると感じました。ただ、呼吸と生が結びついてはいなくとも呼吸に自覚的になる契機はコロナの体験以前にもあったと思います。例えば歌や楽器、武術、またはそれらを元にした創作物です。
今回は本題としてあがらなかった部分、特に変化するという言説が広く出回った「日常」についての考察も同じぐらい重要であると思います。確かに代替可能なものではあります。しかし、日常は変化してもなお日常として意識されますが同時に日常は変化してしまったとも感じます。ここに人の経験の感じ方のクセのような者を感じました。日常の根本とは何なのか、果たして存在するのかと考えさせられました。
また、コロナ的還元を違うレベルで行うことも大切であると感じました。例えば、夜の帰り道の独りで歩く時間は自分にとっては大切な時間だったという気づきやひとと会って会話することは自分の学習のモチベーションになっていたという気づきなどです。

GFree59    reply

考えがうまくまとまらず、再三遅れながらのコメント提出となります。自分自身、大学から合唱サークルで活動していた中で今回のコロナ禍に見舞われて、「合唱すること」を長期間奪われていた(最近活動再開の目処が立った)ので、呼吸すること・それを享受し味わうことを考えるにあたって自分の経験に合わない(というより素直に納得のできない)部分と納得のできる部分の両方が出てきました。大学から合唱を始めた自分でも意外なことだったのですが、多人数で集まって歌えないことや単に歌う機会を奪われたことは、自粛の続けていく自分にとって結構なストレスに感じていました。サークルの話し合いの中で度々話題に、「東日本大震災のあおりを受けてサークル活動が厳しくなった時期があったが、その時は「歌うこと」の活力でもってその年を切り抜けることができた。だが今のこの状況はその「歌うこと」が奪われてしまい、当時以上に実務的にも精神的にも厳しいものだ」というものがあり、牽強付会じみてはいますが「呼吸すること」の中にもふくまれている「歌うこと」が奪われているように長期間感じていて、そのことが今回の講義のテーマについて考えるにあたって違和感を覚えました。ただ、それでもやはり呼吸すること、それを享受することは依然としてあって奪われていないということも今回の講義を聴いて再認識することができました。中学入試の際に、試験前に受験生が講堂に集められて先生(その先生が音楽の教員であると後から知った)が試験上の注意をするときに言っていたことで、「深呼吸するときは、呼が先にあるのでまず自分の中の古い空気を出した、そして新しい空気を吸い込みましょう」といった内容がこの講義を聞く前から印象にのこっていました。その他にも、合唱サークルに入って初めての指揮者による練習において「(楽譜にならって歌う上で息が途切れないよう)はくこと・歌い出すことの準備をするために吸う、はききる・歌い切る間に吸う準備をする」という内容もまた印象に残っています。今回の講義で改めて呼吸すること、それを享受することについて考えてみて、吸うこととはくことの2つの工程に分かれていて、はいて自分の中の古いものを追い出すことの喜び、吸ってあたらしいものを取り込むことの喜びがあることが再認識させられました。また、呼吸には外界と人間を結びつける象徴としての側面もあるように感じられました。

nori1121    reply

哲学科の先生からのコロナに対する見解をお聞きできたことは非常に参考になりました。感染予防のために、なんでもかんでもオンライン化が進み、世界のありようが一変したように思えましたが、実際には先生のおっしゃっていたように必要最低限なミニマムな部分だけが浮き彫りになっただけで、世界が大きく変容したわけでは無いのだ、と妙に納得する部分がありました。コロナに関して、日本では特にマスクの着用に対して厳しい部分がありますが(同調圧力の強さに起因すると思うのですが)、それが議論を呼んだりもします。そこで先生のおっしゃる呼吸の不自由性という観点から考えると、呼吸の自由度がマスクによってある程度奪われたことによるストレスがそのようなマスク着用に関する衝突の一因となっているのではないでしょうか。感染防止という意味ではなく、「こっちも息苦しいのをがまんしてるんだからマスクつけろよ」という人々と、「ただでさえ空気が悪い都内や電車内でマスクなんかつけられるか」という人々の主張がぶつかっているのではないかと感じました。昨今ではワクチンの開発も進展しているようですし、新しいマスクもたくさん出てきています。早く人々の呼吸の自由性が再獲得されるように願っています。

Kon1019    reply

コロナ禍によって私たちの生活は大きく変容した。しかし、そのことによって浮き彫りとなった私たちの生活の基盤、ミニマムな部分に注目するというのは自分でも少し考えていたことだが、理系で哲学に全く関わりを持ってこなかった自分からするとそういったことを学問として研究するフィールドがあることに驚きました。自分が考えていたことよりももっと人間の根源的な活動である「呼吸」について過去も今も様々な考察がなされていると知り、呼吸し、それを享受することの重要性やありがたみを逆説的に感じました。ただ一方で、じゃあ人間の生活の基本を覆すような事柄はあるのだろうかと疑問に思いました。コロナ含め9.11や3.11などの出来事はある人にとっては生命を脅かす問題であり、一方で全く変わらない生活を送る人がいるとなればどこにその基準があるのだろうかと思いました。

kamiwafu8746    reply

コロナ的還元は、呼吸が生のもっとも基本的な要素であることを求めなくとも明らかにする。コロナ禍で明らかになるまでは、多くの人がもっとも当たり前にさえ思われるこの事実に気づいていないことに愕然とした。欲について調べていたときに呼吸欲がもっとも高次の欲求であるという考え方に触れたことがあったので理解しやすい内容であった。

Polaris_737    reply

今回は大変興味深いお話をしていただき、本当にありがとうございました。普段生きている中で、呼吸のありがたみというのは全く意識したことがなかったので、今回のお話は本当に新鮮でした。授業が終わった後、先生がおっしゃっていたように大きく呼吸をしてみたところ、難解だったお話がスッと腑に落ちたような気がしました。また、コロナで様々なことが変わってしまったと思っていたので、実は思想的な面では本質的な変化が起こっていない、というお話は驚きでした。ただ、一つ気になって、今後も調べていきたいと思ったのが、「我思う、故に我あり」という言葉の「故に」は議論が分かれる個所である、ということです。自分の考えでは、考えているという自分が存在することこそが自分の存在証明に十分なっている気がするため、実はその論理構成が盤石ではないというのはどのようなことから言えるのかについて、これから勉強していきたいと思いました。

Ugetsu5    reply

コロナ禍から人間存在の本質や、人間社会の最小限の核の部分を問い直すという視点、それから「息を吸うことの喜び」という言葉が新鮮に感じました。二つほど前の西先生の講義では、防護服を着ることによる閉塞感やストレスが指摘されていたように思いますが、或いは(呼吸が感染を広げうる状況のみならず)マスクという物質自体も同様に精神的な閉塞感を生むところがあるのではないかと思います。肉体的な閉塞感が精神的な閉塞感、肉体的な快不快が精神的な快不快に影響しうる点で、(デカルトが本質に据えた)「私」という考える主体も肉体的な感覚とは不可分であって、呼吸を人間のコロナ的還元に据えることも納得がいきました。
呼吸の点に限らず、自分なりにコロナ禍について考えてみようと思います。

aim180    reply

講義前に講義内容の説明部分を見てはいましたが、「コロナ的還元」から見える最もミニマムな姿というのが「呼吸」であり、しかも呼吸の話が授業の大半をしめたことには驚きました。呼吸だけは全ての人間に等しく許されているという考えが提示されたおかげで、呼吸のミニマムな姿たるゆえんはよく理解できました。
災害なんてなければいいのにという考えは誰もが持つものだと思います。しかし、もし災害による還元がなければ、人間活動はあらゆる領域に際限なく広がっていくはずです。そして、私の知る人間がたどり着く究極の姿は「電極に繋がれた脳が水槽に浮いている」というよくあるSF的イメージです。この「呼吸」すら見失う世界観には非常に嫌悪感を覚えます。過激な考えに聞こえてしまうかもしれませんが、災害が人間らしさを保つのかもしれないと考えます。コロナ禍を(いい意味での)退行と捉え、人間らしさを確認する機会とするという視点が生まれました。

taki3    reply

我々の生活の基盤に呼吸がある一方で、呼吸は非意識的に行われるか、人工呼吸器などで半強制的に行われるかが主であるように感じます。また、正常な空気が存在しないと呼吸は行いきれません。であるため、呼吸は我々の意識によって実現させるものではないといえると思います。そうなると、我々の意識は生存に必要不可欠ではないのでしょうか。もちろん、生命の基盤となる行為は呼吸以外にも様々にあるが、それらはいずれも必要であるがゆえに意識せずとも行えているだろう。では、意識は一体何のために存在しているのだろうか。生きる上で必要がない機能だとするならばなぜ現れたのだろうか。コロナによって生きるということの意味や人間の持つ機能についても見出せるのかもしれない。この機会に改めて考えていきたい。

1mae61    reply

コロナ的還元という考えがとても興味深いもので、デカルトの方法的懐疑を追体験できたように思えて非常に有意義でした。重大事件が発生しても私たちにとって変わらないものとは何かと考えたことはありませんでした。確かに社会システム等の目に見えない制度や文化はそれらによって変えられていきますが、生命の根源として呼吸は変わりようがありません。呼吸を哲学するというのは研究者さんの間では古典的かもしれませんが素人の私にとっては斬新なものでした。「何か変わらないものがあるのではないか」という視点をこれからも持って色々思考していきたいと思います。

somanypeople    reply

コロナの前後では人間の生きる本質的な部分に変化はなく、コロナによってそれが浮き彫りにされた、という視点が自分には全くなくてハッとさせられました。この講義を聞いて、コロナウィルスが脅威的だと世界に認知され始めた時各国で食品の買い占めが起きたのを思い出しました。コロナウィルスによって生活が脅かされるかもしれないという恐怖から逃れるため、生きるのに最低限必要な食品を手に入れて安心しようとした人々の心理も理由の一つではないかと思いました。
コロナという特殊な事例の中でも本質を見失わない冷静な視点がとても重要であることがよく分かりました。

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