ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 03月18日 福島 智

盲ろう者の視点で考える障害学と身体

「障害」とはなんだろうか。一般にはなんらかの原因によって心身の諸機能が通常の場合のように働かない状態を意味するが、はたしてそれは客観的で固 定的、絶対的な概念なのだろうか。
たとえば、近視のために遠くのものがよく見えない人でも眼鏡で矯正できる場合、その人を「障害者」とは呼ばない。それはなぜだろうか? 障害学 (disability studies)は、こうした問題を考える学問である。
障害学とは、障害を分析の切り口とする思想的営為であり、知の運動である。それは障害や障害者を把握する際、治療や訓練による快復を至上命題とする従来型 の医療やリハビリテーション学などの視点とは異なる、新たな視点で障害に光を当てる学問である。
「障害」は人工的な概念である。それは、ある時代のある社会が、ある目的を持って便宜上規定する概念である。つまり、障害はなにか固定的な実体を伴うもの ではなく、その本質は、社会によって「作られ」、「再生産される」状態や状況、関係性そのものなのだ。こう考えると、そこには探求してみるべきテーマがい ろいろ含まれていることがわかる。
その中で本授業では、「能力」と「文化」という二つの側面について考える。その際私自身が経験している、「盲ろう」という状態を出発点とする。
まず受講者に「盲ろうシミュレーション体験」をしてもらうことで、見ること、聴くことという感覚能力の障害とそれを補う営みとしての他者によるサポートに ついて考える。能力は本来、個人内部に完結されたものではないことを体感する。
そして、感覚障害が新たなコミュニケーション世界と繋がる可能性を持っていることを把握することで、障害が秘める「異文化」の側面について考える。

「盲ろう者の視点で考える障害学と身体」
「障害」とはなんだろうか。一般にはなんらかの原因によって心身の諸機能が通常の場合のように働かない状態を意味するが、はたしてそれは客観的で固定的、絶対的な概念なのだろうか。
たとえば、近視のために遠くのものがよく見えない人でも眼鏡で矯正できる場合、その人を「障害者」とは呼ばない。それはなぜだろうか? 障害学(disability studies)は、こうした問題を考える学問である。
障害学とは、障害を分析の切り口とする思想的営為であり、知の運動である。それは障害や障害者を把握する際、治療や訓練による快復を至上命題とする従来型の医療やリハビリテーション学などの視点とは異なる、新たな視点で障害に光を当てる学問である。
「障害」は人工的な概念である。それは、ある時代のある社会が、ある目的を持って便宜上規定する概念である。つまり、障害はなにか固定的な実体を伴うものではなく、その本質は、社会によって「作られ」、「再生産される」状態や状況、関係性そのものなのだ。こう考えると、そこには探求してみるべきテーマがいろいろ含まれていることがわかる。
その中で本授業では、「能力」と「文化」という二つの側面について考える。その際私自身が経験している、「盲ろう」という状態を出発点とする。
まず受講者に「盲ろうシミュレーション体験」をしてもらうことで、見ること、聴くことという感覚能力の障害とそれを補う営みとしての他者によるサポートについて考える。能力は本来、個人内部に完結されたものではないことを体感する。
そして、感覚障害が新たなコミュニケーション世界と繋がる可能性を持っていることを把握することで、障害が秘める「異文化」の側
講師紹介

福島 智
先端科学技術研究センター教授(バリアフリー分野)東京大学先端科学技術研究センター教授。 9歳で失明、18歳で失聴、全盲ろうとなる。指先に触れて言葉を伝える“指点字”というコミュニケーション方法を母親とともに考案、指点字通訳者を介しての同時通訳で日常生活を送り、企業との共同研究、行政への政策提言など、精力的に活動・研究を行う。著書に、『盲ろう者とノーマライゼーション ――癒しと共生の社会をもとめて――』(明石書店)など多数。受賞多数。
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