ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい
第6回 03月21日 藤原晴彦
色によるだましと攪乱―昆虫の擬態の不思議
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- 講師紹介
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- 藤原晴彦
- 環境に適応した昆虫の形態・形質の進化と昆虫特異なゲノム進化を研究している。(1)アゲハ・カイコなどの幼虫体表の擬態紋様の遺伝的制御機構を調べている。(2)変態時の翅形成に着目し、末梢ホルモンによる組織分化制御と遺伝子の活性化機構を調べている。(3)テロメアに特異的に挿入するレトロトランスポゾンの転移機構と適応戦略を調べるとともに、テロメアの機能と起源を探っている。
- 授業風景
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【南京大学集中講義「第11講2016年3月21日色」】
「色によるだましと攪乱――昆虫の擬態の不思議」
藤原晴彦先生
本日から二日間、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授・藤原晴彦先生による「色によるだましと攪乱――昆虫の擬態の不思議」をテーマとした講義が開講 された。藤原先生は、新しい学問を創造することを目的とした柏キャンパスにて、生態学ではなく、分子生物学者として、昆虫の擬態を扱った研究をなさってい る。
藤原先生によると、現在、生命科学において、最後に残されたフロンティアとなっているのは、脳科学と進化というふたつの領域であるという。そのうち、進 化という学問は、ダーウィンの進化論とともに始まったといってもよいため、まだ200年程度しか研究が進められていない分野となっている。ダーウィンの進 化論とは、「自然選択」と「適応」を理論的に確立したものだ。しかし、進化という分野は、実験的にその過程を証明することが困難であるため、科学として 扱ってよいのか疑問視されてきたという歴史もあった。それが、近年、ゲノム上の文脈(これにより遺伝子への命令が行われている)の変化を解読することに よって、進化の過程を明らかにする方法が開発されてきた。藤原先生は、この方法を利用しながら、昆虫の擬態がどのように行われるようになってきたのか解き 明かそうとなさっているのである。
昆虫の擬態についての解説のまえに、藤原先生は昆虫がなぜ繁栄しているのかという基礎的な知識について説明してくださった。昆虫は、推定1000万種類 程度あるとされている生物種の半分を占めているといわれている。昆虫の個体自体には環境に適応して変化していく力はないが、多くの種類がいるという利点に よって、他の種が生き延びるというからくりで繁栄しているのである。その適応のひとつの形として、擬態がある。
擬態のほとんどは、捕食者から身を守るためのものであるが、例外的に攻撃型の擬態があるということに、藤原先生は言及なさった。その例として、挙げられ ていたのがハナカマキリであった。実際に花に擬態している写真を何枚か見せていただいたが、それと指摘されなければ気付かないほど巧妙に花と一体化してい る様子が解った。捕食者から身を守るための擬態にも、いくつか種類がある。隠蔽型擬態では、昆虫は枯れ葉や草の芽などに擬態し、捕食を免れようとする。ま た、ダーウィンと同時代に活躍したイギリス人・ベーツによって発見されたベーツ型擬態なるものも存在する。この擬態の代表的な例がシロオビという蝶であ り、シロオビは雌の一部だけが、毒蝶であるベニモンアゲハとよく似た羽の紋様をしている。興味深いことに、非擬態のメスと擬態のメスの異なった羽の紋様を 決定しているのは、ただ一つの遺伝子であるという。その遺伝子がなにかということは200年ほど不明であったのであるが、それをなんと藤原先生の研究室は 昨年、ついに解明したというのだ。シロオビについての研究については2日目に詳しくお話ししてくださるとのことだ。
昆虫の擬態とはどのような仕組みであるかをまとめるなら、モデルと捕食者との関係があらかじめ成立していることを前提とし、モデルを真似ることによっ て、自らと捕食者のあいだにも同じ関係を気付こうと試みたものであるといえる。以上、昆虫の繁栄した理由、さらには擬態している昆虫の写真の紹介など、昆 虫の擬態について分子生物学的に研究なさっている先生の研究を理解するうえでの導入的な事項であった。そして、ここから講義は、実際に先生がなさった研究 についての解説へと移っていった。
それは、アゲハの擬態についてである。アゲハの幼虫は、4齢までは鳥の糞に擬態するが、5齢以降は自らの餌となる葉に擬態する。蛹となると、自分が蛹と なった場所が木の幹であるか細い枝であるかを触り心地によって感知し、それによって茶色および緑色を選択する。そして成虫となると、種類によるが、シロオ ビのようにベーツ型擬態をするものもある。このように、アゲハは、成長段階によって異なった擬態をする昆虫なのである。
藤原先生はまず、アゲハの幼虫がどのようにして、鳥の糞の擬態から葉の擬態へと自らの身体の色を変化させるのかについての研究を説明してくださった。幼 虫の表面はクチクラ層に覆われているが、その下にある細胞の層からさまざまな色素が合成・分泌され、クチクラ層に点描のように色がつき、複雑な紋様を描く ことを可能にしているという。藤原先生は、4齢と5齢で紋様が様変わりすることから、紋様と脱皮が深く関係していると推測なさった。脱皮の時期には、エク ジソンと呼ばれる脱皮ホルモンが分泌され、古いクチクラ層が剥がれる仕組みになっている。ここで問題となるのは、3齢から4齢に脱皮するときは鳥の糞のま まであるのに、4齢から5齢となったときは葉の擬態へと変じるのはなぜかという点である。これには、前から幼若ホルモンというものが関係しているといわれ ており、幼若ホルモンが4齢から5齢へと変化するときに分泌されなくなるため、5齢では葉の擬態となるという仮説があった。それに対して、藤原先生はふた つの実験を行って反証を試みた。ひとつは、4齢から5齢の間のさまざまな時期の幼虫にエジクソンを早めに投与するというものであった。この結果、4齢に なったばかりのときにエジクソンを投与したものほど5齢の幼虫は鳥の糞に似ており、投与の時期があとになればなるほど、緑色の5齢幼虫となった。つまり、 グラデーションのような結果が得られたということだ。この結果から、幼若ホルモンは一気に分泌されなくなるのではなく、徐々に減少していくものであるので はないかという予測が得られた。そこで、二つ目の実験として、幼若ホルモンを4齢の幼虫に投与した。結果、幼若ホルモンの濃度が5齢幼虫の紋様を決定して いることが示されたという。ふたつの実験によって、藤原先生は通説を覆し、アゲハの幼虫の擬態が変化する謎を解いてみせたのであった。
藤原先生が多くの写真を見せてくださりながら、解りやすい解説をしてくださったおかげで、文系理系の学生問わず、昆虫の擬態という不思議な世に引き込ま れた講義であった。明日は引き続き、先生がなさった研究について紹介してくださるという。擬態の謎に関する最先端の研究に触れ得る、藤原先生の明日の講義 を心待ちにしたい。(文・石川真奈実)
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【南京大学集中講義「色」第12講2016年3月22日】
「色によるだましと攪乱――昆虫の擬態の不思議」
藤原晴彦先生本日も、昨日に引き続き、藤原先生による「色によるだましと攪乱――昆虫の擬態の不思議」についての講義が開講された。今日の講義は、昨日の講義よりも深く先生の研究について教えていただけるとのことである。
まず、藤原先生はアゲハの幼虫に、どのようにして色がつけられているかについてである。色のもとになっているのは、昆虫の血液に含まれているフェニルアラニンやチロシンである。そして、フェニルアラニン→チロシン→ドーパ→ドーパミンという変遷をたどったのち、ドーパミンからは、ドーパミンメラニンという黒の色素や、ebonyがあった場合や黄の色素ができるという。色素の作られ方は解ったが、ここで問題となるのは、どのようにしてその色素が特定の場所に色をつけ、幼虫の紋様を描いているかということである。これに対しては、ふたつの仮説が立てられる。一方は領域特異的な色素合成が行われている(=色素を合成するための酵素が特定の場所でしか発現しない)という仮説であり、もう一方は領域特異的な前駆体取り込みが行われている(=色素を合成するための酵素はどこにでも発現しているが、その材料となるものが特定の場所にしかはいらない)というものだ。この両仮説のいずれが正しいかは、5齢幼虫の黒い部分と赤い部分のふたつの部分において、どのような酵素が発現しているかを確認することによって、明らかになる。結果、赤い部分でのみebonyが確認されることや、黒い部分でのみ確認される酵素があることから、前者の仮説が正しいことが解った。これをさらに裏付けるために藤原先生は、フェニルアラニンからチロシンへ変化するのに必要な酵素、チロシンからドーパへ変化するために必要な酵素を、それぞれ阻害する薬品を用いた実験を行った。その結果、どちらの阻害剤を入れた場合も、正常に培養すると赤や黒の紋様が出現するはずの皮膚には、何の紋様も現れなかったという。これによって、領域特異的な色素合成が行われていることが証明されたのであった。さらに問題となるのは、その紋様を決めているのはなにであるかという点についてである。黒い紋様の部分を調べてみると、三種類の異なった黒の色素に関する遺伝子がまったく同じように発現していたり、緑の部分では青と黄の遺伝子が発現していたりする。それはなぜなのか。まだまだ興味深い疑問尽きない。
次に先生が言及なさったのは、目玉紋様についてである。これまでの実験から、目玉模様を持っていると、捕食者に襲われにくくなることが解っているという。この目玉紋様というのは、円の模様を作る遺伝子産物の濃度勾配によって生まれることが解っており、それは昆虫の肢を形成するものと同じである。これに関しても、藤原先生は興味深い実験をなさった。それは、羽の目玉紋様と幼虫の目玉紋様の中心部となる部分をあらかじめ焼却するという実験であった。アゲハの羽の紋様については、目玉紋様が小さくなるという結果が得られる。しかし、アゲハの幼虫のほうは、その部分の紋様が消えてしまう。つまり、この実験から、アゲハの幼虫に見られる目玉紋様は、それとは異なった仕組みで作られていることが明らかになったという。
さらに先生は、昨日すこし触れられたアゲハの蛹の色の変化について、簡単に説明してくださった。アゲハの蛹は、足ですべすべした感覚やごつごつした感覚を感知することで、何色の蛹になるかを決めるということであった。決して、眼で色を見ているわけではない。しかし、蛹の表面の色については未解決の問題も多いのだという。
最後に、藤原先生がお話になったのは、これも昨日にすこし言及のあったベイツ型擬態の典型例・シロオビについてであった。シロオビとは、一部のメスだけがベニモンアゲハという毒蝶と同じ羽の紋様をしている蝶であった。藤原先生によると、ここで生じてくる疑問が、三つあるという。①どうしてメスだけが擬態をするのか。②野生の群れのなかにおいて、どうして二つの種類(擬態型と非擬態型)のメスが存在しつづけられたのか。③その羽の紋様を変えている遺伝子Hの正体とはなんなのか。(一説によると、一箇所に紋様形成に関与する複数の遺伝子が固まっている超遺伝子supergeneが関係しているのではないかと言われていた。この超遺伝子とは昔からあるのではないかと言われてきたが、その存在は証明されていなかった)
このシロオビに関する最近の研究では、連鎖解析という方法が用いられてきている。この連鎖解析によって、個体間のヌクレオチドの差異がマーカーできるという。この連鎖解析を、ヘテロの型(Hh)を持つシロオビのメスに行ってみると、常染色体上に一箇所だけ配列が極端に異なっている部分が発見された。それは25番目の染色体であり、その染色体上では逆位(染色体の配列が一部さかさまになること)が起っていた。この部分にあるのはdoublesexと呼ばれる遺伝子であるが、おそらくこの遺伝子が紋様の変更に関与しているだろうことが予想される。そこで、藤原先生は、SiRNAを利用し、doublesexのはたらきをブロックすることによって、シロオビの擬態型の羽の紋様を、非擬態型のものに一部変更するという実験をし、成功なさった。この実験などにより、doublesexがシロオビの擬態型と非擬態型の決定に関与が明らかになったという。
なお、②の問いについては、逆位が起った染色体は組換えができなくなってしまうため、擬態型Hと非擬態型hの染色体の差が維持される結果となり、二種類のメスが今なお存在するという状況を発生させていると答えられる。また、③の問いについては、逆位の起きている部分の周辺には、転写調節を司っている部分などもあることが判明しており、このシロオビの紋様形成を行っているのは、今まで存在が証明されていなかったsupergeneであろうことも解ってきているという。
昨日、今日の二日にわたって、昆虫の擬態について学んできたわけであるが、体の色や紋様を変化させることによって、捕食者から身を守ろうとする方法が大変興味深く感じられた。そして、色や紋様が変化するためには、ほんとうに複雑なメカニズムが存在しているという一端を垣間見ることができたと思う。藤原先生の貴重な研究のお話によって、生物の身体の色はまた多くの生物学的な工夫によってこの世界に現れ出ており、そのメカニズムにはまだまだ謎が詰まっていることが実感できた。
(文・石川真奈実)
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