ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第4回 03月15日 村松真理子

食べる、読む、考えるー食の人文学

「食べる」ということは、人間の生命の維持にとって欠かせないだけでなく、さまざまな地域において文化と社会に人間がつながる行為となっています。日本とイタリアを中心に、食文化や国民料理について、関連する文学テクストや芸術・祭儀の例をひろいながら、その象徴的な意味や歴史について考えます。「食べる」ことの意味や象徴的はたらきとは何なのか、イタリア料理・和食・中国料理など料理が「国民料理」とされるときには何が起こっているのか、「国語」・「国民文学」とのアナロジーは何なのか、、、さらに、「国家」の枠組みが現代のグロバリゼーションの中で変わろうとしている現在、「食」を通して問いかけられる地域性や生命多様性の問題を、スローフード運動などを例に、人文学としてどう捉えられるか、いっしょに考えてみましょう。

講師紹介

村松真理子
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻。専門はイタリア文学、地域文化研究。
授業風景

第四回第一講「イタリアの食文化1」(2018年3月15日)

今回の講義では、総合文化研究科の村松真理子先生を迎え、「食べる、読む、考えるー食の人文学」についてお話していただいた。

「食べる」ということは、人間の生命の維持にとって欠かせないことだけではなく、さまざまな地域において文化と社会に人間がつながる行為となっている。今回の講義は日本とイタリアを中心に、食文化や国民料理について、関連する文学テクストや芸術·祭儀の例をひろいながら、その象徴的な意味や歴史について考える。

昔から、食べ物は私たちの理想の生活の一部である。中国の陶淵明は、『桃花源記』の中で「良田美池」「鷄犬相聞」のような表現で、理想の豊かな食生活を描いた。イタリアのボッカッチョは、「デカメロン」でカランドリーノとマーゾの口を借りて、パルメザンチーズの山、マカロニ、ラヴィオリ、去勢雄鶏のスープ、ヴェルナッチャのワインなどの美食で満ちる空想の国を描いた。

「古事記」と「新約聖書」の中で、食事の起源が描かれた。「古事記」によると、日本神話の中の女神である大気都比売の屍体から様々な食物の種などが生まれた。頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれた。つまり、食べ物の起源は犠牲や汚れである。誰かの体によって、汚れたものが神聖なものになる。食べ物を得るために、人間は自然と共存する。

ヨーロッパの文化の源流である新約聖書の中には、キリストと弟子たちの「最後の晩餐」の様子が描かれた。ダ·ヴィンチもその名場面を壁画として描いたことがある。イエスが賛美の祈りののち、パン葡萄酒をそれぞれ「自分の体」「自分の血」として弟子たちに与えた。弟子たちは食事を通じてキリストと繋がり、キリストの体や血をいただく。

聖書はまた、イエスがパンと魚を分け与えると食べ物が増える奇跡、水をぶどう酒に変える奇跡を記録した。パオロ・ヴェロネーゼがイエスと饗宴を題材にして、『レヴィ家の饗宴』『カナの婚礼』という世俗的な風俗画を創作した。この作品が同時代のベネツィアのお祭りの豊かさを描き、当時の「共に食し、共に生きる」という食文化と人間関係も描いた。

ダンテにとって、食事は知の象徴である。彼は『饗宴』の中で、知(哲学)は「天使たちのパン」であり、作者は人々に「パン」をわけあたえる者であると宣言した。そして、「パンくず」である詩は、知の伝達手段になる。

東洋の古典も世俗の饗宴を描いたことがある。『源氏物語』の食事シーンは、恋の悩みとの対比として使われている。今の和食と違い、源氏の時代の食べ物はもっとさっぱりとしたものである。

講義の最後は食の毒で締め括った。芭蕉は「あら何ともなやきのふは過ぎてふくと汁」という句で、ふぐの危ない美味しさを描いた。

講義で紹介された多様の作品を通じて、食は身体と官能の象徴だけではなく、共同体と国家の象徴でもある、ということがわかった。

第四回第一講「イタリアの食文化2」(2018年3月16日)

村松真理子先生の第二回講義は昨日の続きとして、スローフード運動とイタリア料理の成立を紹介し、食文化や国民料理の象徴的な意味や歴史について考えた。

「食べる」ということは、人間の生命の維持にとって欠かせないだけでなく、さまざまな地域において文化と社会に人間がつながる行為となっている。「国家」の枠組みが現代のグロバリゼーションの中で変わろうとしている現在、「食」を通して問いかけられる地域性や生命多様性の問題が極めて重要である。

イタリア料理といえば、多くの人はパスタとピザを思い出す。しかし、イタリアにはたくさんの種類の料理が存在している。イタリアにはイタリア料理というものは無い、あるのは郷土料理だけだ、という格言さえある。では、世界的に知られているイタリア料理、そしてイタリアの国民アイデンティティーがどのように誕生したのか。

昔のイタリアはたくさんの都市国家によって構成されていて、統一された国民アイデンティティーは存在しなかった。イタリア作家マンゾーニはイタリア語の統一に力を入れ、文学作品でイタリアの国民アイデンティティーを作り出そうとしていた。彼の作品によって、近代イタリア標準語をいちおう完成させたといえる。

国家統一に貢献したのは言語だけではない。1891年、様々な地方料理の様々なレセピーが収録された料理本、『料理の科学とおいしく食べる技法』が出版され、国民的な料理本になった。この料理本を通じて、イタリア料理の標準が定着され、地方の料理が全国に広がった。イタリアには「マンゾーニよりアルトゥージが先」という表現がある。つまり、言語より食が先に国民アイデンティティーを定着させる、という説がある。

イタリア料理が定着され、時代は進み続けていく。大量生産方式が発展される一方、様々な郷土料理や食材が消えてしまう。失われつつある食文化を守るために、スローフード運動が生まれた。スローフード運動は、1986年にイタリアのカルロ・ペトリーニによって提唱された国際的な社会運動。ファストフードに対して唱えられた考え方で、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動である。

先生はイタリアで行われたスローフードのイベントで撮った写真を見せた。写真の中に、色々な種類のりんごがカタツムリの形で並んでいる。イタリアにはもともと、多種多様のりんごがあるにも関わらず、今はごく一部の種類しか食べられていない。現代農業の発展に伴い、りんごだけではなく、世界中のたくさんの食材や食べ物が消えつつある。食べ物の多様性を守る為に、北極で現代版「ノアの箱舟」とも称する種子銀行が設置された。

食は様々の歴史の中で発展していくものである。しかし、今の食文化の変化は急激すぎて、食の多様性がだんだん消えてゆく。そのため、スローフード運動が世界中で広がっている。食べ物を守ることによって、いろんな文化や地域の暮らしを守ることができる。

(TA・氷)

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