ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第2回 03月06日 大月敏雄

近居:「家族」と「住居」の関係再考

一つの家族は必ずしも一つの住居に住むとは限らない。そもそも日本では家族という言葉の定義は法律的にはなく、代わりに、世帯という概念を用いることが多いが、必ずしも世帯の概念は、我々が通常考えている家族の概念と同じではない。本講義では、家族と住居の関係において、通常考えられているものと実態とが、かなり異なっていることを示す顕著な例として「近居」をとり上げ、我々が抱いている家族と住居の関係性の認識の幅を広げてみたい。

講師紹介

大月敏雄
人間がより豊かで多様な関わりを持てる環境を作ることを目的とし、人間が環境をどのように知覚・認知しているか、あるいは環境における人間行動、生態など、人間が本来的に持つ性質を実証的な観察・実験により明らかにし、それを基礎とした建築・室内・環境デザインの理論を構築するための研究を行っている。 具体的には、人間個体まわりの空間、住宅内、病室、オフィス、公共的空間などを対象としている。
授業風景

2017年3月6日
大月敏雄「近居——「家族」と「住居」の関係再考」
第一回:近居について
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家の「宀」は家屋から由来するものである。家には危険から人を守る機能があり、「家」というテーマを考える際、住宅も重要な対象の一つとなる。3月6日からの第二講は東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の大月敏雄先生を迎え、「家族」と「住居」の関係についてのご講義をいただいた。
 
日本では「家族」という言葉の定義は法律的にはない。法律に定められているのは「親族(法定血族)」である。すなわち、民法第725条に規定される6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族となる。親族は財産などの「相続」に深く関連している。家族の代わりに「世帯」という概念が日常的に使われている。世帯とは、居住と生計を共にする社会生活常の単位である。「居住」と「生計」の二つが要件とされるため、「住宅」と「経済」に深く関係している。例えば、受講生のみなさんの多くは大学受験までにはずっと実家暮らしをしていた。両親に養われ、同じ住まいに住んでいたため、その頃は同一世帯であった。しかし、大学に入り、寮生活をし始めてからは、両親とは別居となるため、別世帯ということになる。でも、みなさんにとっては、「家族」であることに変わりがないであろう。
 
日本では、「世帯」という単位が使われるのは、行政が国民の状態を客観的に把握するためである。例えば、国勢調査や各種の行政調査。特に重要なのは「徴税」のためである。「世帯」は政府が行う住宅政策の時にも大事な概念として使われている。「住宅不足」という時は、世帯数が住宅数より多いことを指している。行政側にとって、一つの住宅は、一つの家族が住むためのものではなく、一つの世帯のために作ったものとなる。一方、一つの家族も、必ずしも一つの住宅に暮らすとは限らない。当初の設計と住居の実態とが、かなり異なっている。住宅と家族、住宅と世帯の組み合わせが通常考えている以上に多様なものである。
 
それを示す顕著な例として「近居」がとり上げられ、建築計画学の専門領域で行われた住み方調査の実際例が紹介された。例えば、当初独身向けの住宅が、家族メンバーの増減や、家庭内の事情によって、それぞれ上階・外階・同階の住戸へ転居し、何世帯が同じアパートの違う住宅に住む家族もいれば、美濃里町の長屋門のように、約半世紀を渡り、世代交代とともに、同じ敷地にある幾つの家屋の機能も常に移転するような場合もある。さらに、同じ団地の中における家族の移住状況がもっと複雑になる。「近居」のあり方は実に多様でダイナミックなものである。大きな家族が一つの住宅に住むためにはそれなりの経済力が要求される。また、家族とは言え、自分のスペースが欲しいとか、人それぞれのニーズも異なっている。したがって、多人数を一つの住宅に住むよりは、それぞれの小さい世帯単位で同じエリア(町)に分散して住むことも考えられるのではないか。
 
このような調査から学んだ経験を生かし、人間が環境をどのように知覚・認知しているか、あるいは環境における人間行動、生態など、人間が本来的に持つ性質を実証的な観察・実験により明らかにしてから、それを基礎として近隣・交友・血縁関係が反映し、生活実態に合った建築形態を実現した設計もいくつか紹介しれくれた。「町の中の住まいをつくる」から「住まいの中に町をつくる」へと、建築設計や都市計画もこれから徐々に変わっていくでしょう。詳しい内容は大月先生のご著書『近居——少子高齢社会の住まい・地域再生にどう活かすか』をご参照ください。
 
独立した子供と両親の住まいの最も理想的な距離は「スープの冷めない距離」という言い方を聞いたことがあると思います。姑問題など親と子の家庭が一つの屋根の下に暮らすと、様々な現実的な問題が起こります。一方、住まいの距離が遠すぎると、年を取った親の介護や、幼い孫を世話するには手が届かないため困ることも多いです。だから、熱々のスープが冷めないうちに届けるという遠く離れない別々の場所に住むのが親と子の最もいい距離感だという主張です。それも本授業のキーワード「近居」につながる考え方だと思います。
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改めて受講生の皆さんに考えていただきたいですが、あなたの家は何人家族ですか?日本の「世帯」という概念で考えると、何人世帯となりますか?あなたが思う理想の家族の住まいとはどのようなものですか?(文章・朱芸綺)

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2017年3月7日

大月敏雄先生「家族」と「住居」の関係再考

その2 近居の概念がなぜ必要か?

周知のように、日本が直面している課題の一つは少子高齢化である。4人に1人が65歳以上という光景を想像してみてください。今の日本はよく縮小社会と言われ、人口も減少し、家族の数も縮小している。そこから空き家の増加やお年寄りの孤独死など、様々な問題が生まれた。その問題をどう乗り越えるのか、建築に何ができるのかを考えてみよう。

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1966年、住宅建設計画法が実施され、住宅不足を解消するために、住宅が大量に建築された。人々の暮らしにとって、住宅が確かに重要である。しかし、暮らしや町作りは住宅だけでは成り立てないことはまだ建築や計画する側には認識されていない。都市づくりに失敗する例はよく見かける。今の日本は少子高齢化の課題を抱えながら、地域包括ケアシステムの構築と定着を目指している。すなわち、医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供されるシステムである。ところが、このシステムの中心的存在である「住まい」については、まだ十分な議論が展開されていない。例えば、70年代に作ったある団地における年齢別人口構成のデータによれば、同じタイプの住宅を一度に提供すると、30年経つと、高齢化団地になってしまうことがわかる。同じ状況は団地だけではなく、戸建住宅、分譲共同住宅にも見られる。それはまさに今の日本の状況である。

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ところが、上記調査地域における賃貸住宅は状況が違う。築年30年でも、居住者の高齢化は比較的見えない。この結果から、家を買う分譲系住宅と家を借りる賃貸系住宅では、住む人口がかなり異なるということが言える。したがって、賃貸住宅、戸建建築、分譲共同住宅を一定の割合で混ぜ合わせば、時間が経っても住居者の年齢構造のバランスを確保することもできるのではないか。計算によれば、賃貸住宅の割合が20%〜30%の場合が最も理想的であるが、それを実現するには目前の利益をより重視する開発側の理解を得る必要がある。

住まいとは建物だけではない。住宅を計画するには、時間の経過を見ることが大事である。50年〜100年という長いスパーンで考える必要がある。様々な実際例が示されたように、住宅は必ずしも当初計画されていた通りに形成されていくとは限らず、多様なニーズに合わせて常に変化している。また、現代社会の特徴である「人の移動」に着目すると、「循環的な居住」、「ゆるい定住」また「近居」などの住み方が見られる。このように、「時間」と「移動」を念頭に、設計・開発に進むなら、町を高齢化させないことが実現できるのではないか。

最後に、住み方と家族資源・地域資源・制度資源の関係について考えてみよう。主に前回紹介された「近居」という住み方ができたのは家族資源が利用できるからである。人間が生きていくために、家族を頼りにする。しかし、みんなに「家族資源」があるわけではない。また、場合によって、制度資源を利用することもできる。例えば、高齢社会では、シルバーハウジング制度とか、サービス付き高齢者住宅などが利用できる。しかし、それを利用できるのも一部の人に限られている。結局、みんなが頼れなければならないのは「地域資源」となる。近隣を大事にすることが再び重要になる。その重要さを突きつけられるは6年前の東日本大震災である。仮設住宅を設計する際に、高齢者向けに、南北軸に住戸を向かい合わせに設置し、縁側デッキを設定し、自然なコミュニティーを形成させ、孤独死の防止につなげる。また、プライバシー重視の若い世代のニーズに応え、一般向けの住宅も建てられる。コミュニティーとプライバシーのどちらが大事かというと、どちらも大事である。ただそれも年齢など個人状況の変化によって変わっていく。都市計画や街づくりするには、このダイナミックな動きを常に注意しなければならない。

そもそも家族というのは主観的な概念である。血が繋がっているから家族だというのは近代的な発想である。血が繋がっていないが、小さな人間の助かり合いは昔からの伝統でもある。家族を超えた人間関係によって自分のニーズが満たされることはよくある。現代社会における人間の多様な関係性から、これからもより多様な住み方が生まれてくるでしょう。(文章・朱芸綺)

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