ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 03月18日 横山広美

科学者の信頼

科学者は、社会に信頼をされているのか。社会の中で、高い専門性をもった研究者や技術者は、一定の信頼を得ていることが重要である。日本では2011年の東日本大震災、そして科学者の不正行為の報道が増えた近年、科学者の信頼問題がふたたび注目を浴びている。本講義では、科学者の信頼について、心理学的な説明に加え、科学技術社会論での言説を、多くの事例と共に紹介し構造的理解を促す。

講師紹介
横山広美
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構・教授 専門は現代科学論。科学と科学者の信頼問題、SNSと科学、ジェンダーと科学、巨大科学の在り方、大学論に興味がある。
授業風景

3月18日

 生活の至るところに科学技術が浸透した現代社会において、研究者は適切な科学の知識を提供し、政治はそれに基づいた判断を下す必要がある。従って政治への信頼とともに科学に対する信頼が必要不可欠であり、社会と科学を繋ぐサイエンス・コミュニケーションと呼ばれる分野の活動もまた極めて重要になってくる。サイエンス・コミュニケーションとは科学史や科学哲学の延長上にある領域で、科学と社会の関係を検討する学問領域である。

 サイエンス・コミュニケーションの研究は、科学によって問うことはできるが科学によって答えることができない問題、即ちトランス・サイエンスの問題を扱うことが多い。実験室内部で扱う科学であれば基本的には制御可能であるが、例えば原発などの社会の中の科学に関しては、多くの科学者にとってその全貌を想像し把握することは極めて困難である。また社会の中の科学に対しては、多少の程度差はあれ大勢の人々が不信を抱いているが、サイエンス・コミュニケーション研究はそうした不信の原因が知識の不足にあるのではなく、複数の見解が存在する中で誰の主張を信じてよいのかわからないという状況にあることを明らかにしている。

 サイエンス・コミュニケーションの核は、対話にある。サイエンス・コミュニケーションとは科学のより適切な社会への活用や政策提言のために、多様な人々がお互いの情報の見方や共有を行う活動であると定義することができ、これは単に人々の安心を誘導しようとする活動とは似て非なるものである。サイエンス・コミュニケーションの目的は人々の不安や不信の解消にあるのではなく、あくまで正しい科学技術・科学知識を適切に提供し説明することにある。

 現代社会ではSNSが広く普及しているが、SNS上では真偽を確かめることが難しいフェイクニュースが氾濫し、また多様な情報の海において結局は自らの知りたい情報環境に埋もれてしまうという状況もあり(フィルターバブル)、ますます多様な知から離れる傾向がある。そしてこうした状況下において、大学や研究所による情報発信は極めて需要な意味をもつ。大学や研究所が直接情報を発信できるようになったいま、「事実」を提示でき信頼できる大学・研究所からの情報提供はますます必要になってきていると言えるだろう。

ゆえに科学ジャーナリズムや研究者には、自らが重要だと判断するものを積極的に発信し、また同時に強い批判意識をもって既存の権力を監視してゆくことが求められる。そうした発信のすべてが人々の関心を集めるわけではないが、発信した情報がニュースになるかどうかはあくまでメディアの判断であり、科学ジャーナリズムは自らが科学の応援団かつ番犬であることを自覚して情報発信を行わなければならない。

 日本では2005年ごろから活発になりはじめたサイエンス・コミュニケーションであるが、その発祥の地はイギリスである。イギリスでは1986年にBSE感染牛が発見され、政府は専門家を招集し、肉骨粉の使用禁止と危険部位の除去という2つの対策をとった。またその際のレポートでは「見積もりの評価が誤っていれば大変危険」という但し書き付きながらも人への感染可能性を否定し、またイギリス政府も牛肉の売り上げが落ちる中で積極的に牛肉の安全性をアピールした。

 しかし1996年、イギリス政府は一転して人への感染を認め、その結果政治と科学に対する信頼の危機が発生した。イギリス政府はこれを受けて反省し、以降は社会における反応を重視し対話を重ねることが重要視されるようになった。原因が不明ながらも政治判断が必要とされる際の科学的不定性の扱いが問題となったこのBSE危機以前では、人々の科学に対する反感は科学への無理解に起因しており、従って国民の科学の理解を増進することによってそうした反感は取り除かれるというのが政府の基本的な考え方であった。

 しかしこの危機を受けて活発化したサイエンス・コミュニケーションはこうした考え方(欠如モデル)を批判し、個別の立場に沿った対応を模索する文脈モデルや、意志決定の上流から市民が関与する関与モデルをそれに代わる新たなモデルとして提案してきた。一般市民とオープンに話す環境を設けて互いの観点を尊重することが重要であり、従来の一方向的な伝達から双方向的やり取りへの転換が求められるようになってきている。また2015年前後からはRRI(Responsible Research and Innovation)という概念も議論されるようになり、結果を伝えるのみでなく応答することによって、ダイバーシティを保とうする試みが行われている。

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3月19日

 1日目の講義を踏まえ、ニセ科学が科学のイメージに与える悪影響、および研究者の関心と人々の関心の乖離に関して質問が寄せられた。これらの質問に対して講師からは、ニセ科学にせよ研究結果とは異なる意見の存在にせよ、研究者は正しい情報を開示し市民に向けて発信することが大事であるとの応答がなされた。

 科学情報の発信に際して重要になるのが科学者に対する信頼である。各個人が自ら専門的な情報を処理するためには大きなコストや一定の能力が必要となるため、現代社会には信頼できる科学者の存在が欠かせない。テレビ番組や科学イベント、講演会や書籍の出版など複数のメディアに露出する科学者たちであるが、オルテガ・イ・ガセットは狭い専門分野に囚われた科学者たちには複雑な事象を単純化する傾向が存在することを指摘しており、科学者もまた自分でものを考えずに他人の意見に流される大衆の一人であるとしている。またその他にも専門性の高い人・メディア露出の多い人・信頼される人の違いや、信頼の非対称性ないし信頼の二重非対称性といった問題もあり、正しい情報を発信しつつ人々の信頼を勝ち取ることは一筋縄ではゆかない課題であると言える。

 なお科学者の信頼と科学の信頼の違いに関しても、注意を払う必要がある。科学者と市民の間で信頼が構成されるためには、能力と意図の二つの要素が不可欠である。例えば原子力発電所の建設を想定した場合、住民は電力会社の意図を疑うのに対し、電力会社は住民は自分たちの能力を疑っているのだと誤解することが多々ある。この場合に電力会社が仮にどれほど正確な科学情報を携えて住民の説得を試みたとしても、住民の不信の原因は電力会社の意図にあるため問題は解決し得ない。

 また安全と安心の違いも極めて重要である。安全は科学情報を含めた現実の状態を指すが、一方で安心とは心の状態を指す。ゆえに単に人々の安心を誘導するという行為は正しいとは言えず、科学者の社会的役割はあくまで社会に対して忠実であることである。政府や科学者が責を負うべきは安全であり、安心はあくまで心の問題に過ぎない。なおこの両者が乖離する要因としては、メディア報道・専門家の対応・個人の心のしくみなどを挙げることができる。

 ここで科学とメディアの関係に目を向けてみれば、SNSの登場は社会における信頼の在り方に大きな変化をもたらしたと言える。SNSが登場し始めた2009年頃には、フラットな熟議の場として期待されていたが、2010年のアラブの春においてはSNSの存在が寧ろ人々の分断を深めることが確認された。それ以降、同じ意見の人同士がまとまりやすく、また理性的な議論よりも感情面での動きを刺激するといったSNSの特徴が明らかになるにつれ、SNSは当初の期待とは大きくことなる様相を呈している。

 こうした議論の空間は、大きく3つに分類することができる。特定の人たちの空間や意見の統一を目指す公共圏、多様な意見があることを相互に認め合う公共的空間、相互をよく理解できる関係性である親密圏がそれであるが、これらの内でも多様性を担保する公共的空間の確保は特に重要である。

但し共通の強い目的がある場合で成功したケースもあり、そうした例は大きな公共圏の成功として見做すことができる。例えばblablacarやuberのような配車サービスがそうした例の一つである。本来であれば全く知らない人の車に乗るということはあり得ないにも関わらず、成功を収めた同サービスはまさしく信頼の革新であり、間接的に科学コミュニケーションにも役立つ事例であると言える。

 なお科学者と社会の関係以前の問題としては、科学者の非倫理的な振舞いを挙げることができる。過去の気温予測データの一部を改竄してグラフにしたクライメートゲート事件は、論文ではなく国際学会の表紙における改竄であったが、科学者への信頼に疑問符を投げかけた。例え分かり易さのためであっても説明資料を改変することは許されず、科学者は常に正直にふるまうべきである。またイタリアのラクイラ地震では、安心を誘導するべくメディア操作を行う政府を学者が黙認し、結果的に多くの人命が失われた。科学者の責任はあくまで科学情報を発表するところまでであり(踏み越え問題)、特にトランス・サイエンスにおいて踏み越えはしてはならない行為である。

 科学者の責任は大きく三つの相に分けて考えることができる。第1相のResponsible-conduct(研究の質を管理し、研究不正をしない)、第2相のResponsible-product(科学技術が悪い用途に使用されないように注意し、責任をもって社会に送り出す)、第3相のResponsible-ability(社会から科学技術について問われたときの説明責任)の三つがそれである。科学者はこうした責任を全うしながら、科学と社会のコミュニケーションを進めてゆくことが求められている。(文責・田中雄大)

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