中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 南京大学フィールドワーク研修【3月】2012年度

南京大学感想(第1グループ 1年)

講義について

南京大学で、中国人学生の質問をヘッドホンを通じ同時通訳の日本語で聞いていると、何か日本語がひどく異質なものに思え、その異質な言語が自分の中で何らの変換もなしに脳に浸透していくことに驚きを感じる。中国語に囲まれて、その豊かなイントネーションに慣れてしまうと、日本語の平坦な音声がツー、ツーというノイズのように聞こえる。

音としては中国語に慣れているのに、意味としては日本語しか分からない。中国語の流れの中で孤島のような日本語の思考回路の上に佇んでいる。それは孤独なことのように思えるが、不思議と私はむしろ街に溶け込むような安心感を感じていた。

日本にいると、分かり合うことが時として当然視される。街でも道でも、私たちは顔のない群衆として風景に溶けていく。だから、人と違う行為をした際に群衆の中で浮き出てしまう。それが、中国にいると、分からなくても大丈夫、という安心感の中で街は風景として機能し、私は当然のように浮き出ることなしに実体感のある自己として歩いていられる。

中国について

以前上海に行った際にも感じたことだが、庶民感の残る街並みがこんな気持ちにさせるのだろうか。気を張ることなく暮らすことができる。英語が通じないという面では欧州諸国より不自由だが、雰囲気がそう思わせるのだろう。物価が安いので気軽に食べ歩きが出来ることはいつも楽しんでいる。ただ、砂埃があまりに酷いのには閉口させられた…。今回の旅では、大きな書店に行く機会があった。私の趣味にあった絵本とイラスト集を見つけ一目惚れ。中国画の技法書も購入。一気にお金がなくなる。それにしても特に絵本は死神と女の子の禁断の恋で、中国語は読めないけれど、絵で判断する限り最後にどっちかが死んでしまうみたいで、まさに私という感じである。その人の他の作品もぜひ読みたかったのだけど、中国ではバックナンバーの取り扱いなどは少ないようで、見当たらなかった残念。もう一冊のイラスト集はpixivとかに投稿してそうな人の作品。その編集者の人は中国での漫画っぽい作品大抵関わっている郭敬明という方。金髪の若い男性で、相当やり手の編集者兼ヤングアダルト小説家のようだ。日本の出版社とも関わりあるようで、中国漫画業界に興味津々の私としては、是非お知り合いになりたい。

本屋の漫画の技法書の量には心から驚いた。日本より圧倒的に量が多い。ただ、どれも「日本的技法書」みたいなタイトルが書いてあって、中には違法に使われている公式キャラクターの書き方などもある。いずれにせよ、日本の漫画キャラがモデルになっており、日本作品がブランドとして定着している印象を受ける。こんなに多くの人に人気で、漫画書く人も多いのであれば、実質的な面で日本が中韓に対抗しようとするのは量でも質でも無理だと思う。だから、ブランド化して、イタリアとかフランスのファッションみたいにやっていくのが日本のアニメ産業の生き残る道だと思う。

南京大虐殺記念館について

金曜日に体調を崩して以来具合が悪いまま。しかし今日は一番行くことを心待ちにしていた南京大虐殺記念館訪問の日。しかも天気もいいし。頑張って朝皆に付いていく。話すと気力を消耗してしまいそうで、ろくに人と話せなくて申し訳ない。展示もじっくりは見れず。ただ、行けて本当に良かった。人が人を直接殺す分、広島の原爆記念館を訪れた時よりもショックは大きかった。戦時中、日本兵は100人斬りゲームとかしてたという。あとは矢張女の人を、老女に至るまで陵辱して回った日本兵の行いが改めて展示としてみると衝撃的だった。あとは、展示の全てが、これが南京大虐殺の動かぬ証拠である、とその事実性を示していて、それがすごく不自然な感じがした。こんな展示の仕方でなくすためにも、日本は早く虐殺の事実を国民の相違として認めるべきだと思う。絶対に否定するような発言をするべきではない。ただ、日本との融和の歴史みたいな最後の展示は見ている人が少なくて、あと、こうした悲劇は中国が弱体だったゆえであり、今後に悲劇を防ぐためには国体の強化と一党独裁が必要なのだみたいな展示もあって、それが少し不安だった。30万という数字も盛んに強調されていたけれど、数字の問題じゃないだろ、人間の命って一個二個って数えられるものじゃないだろ、と思ってしまった。あとは、これはHCAPで広島に行ったときに比較して考えたことだが、原爆ドームはあまり苦しみを強調していない。そこでは、巨なるものへの無力、消滅。そしてさだこさんの像とかに見られるように、得体の知れないその巨なるものと戦っていこうという姿勢が感じられる。ただ、南京大虐殺記念館では、明らかに人への憎しみを感じる。悪魔や鬼といった文字が入口前の道路から、凡ゆるところに見て取れた。広島と南京、これら二つは異質なものに感じた。悲しみと憎しみ。もしも私がアウシュビッツへ行けば、更に悔恨などを感じるのだろう。

私は思う。現代の人々は不幸せだ。そして人が不幸せにしかなれないこの正しすぎる世界が悲しい。しかし戦火に生きる人々は、不幸せではない。彼らはそもそも幸せ不幸せという概念から隔離されているように感じる。いや、その概念さえをも奪われたと言うべきか。ただ、その戦争という帰結を生んだのは、きっと不幸なこの世界なのだ。不幸な世界が、不幸という概念を破壊するために、云わばアポトーシスのために導いた最後の自死の手段が戦争なのだ。私たちはまだ戦争以外に、人間の手でこの世界を根本から変え得る方法を知らない。それでも、私はビルの屋上に立って両手を天に捧げたとき、「滅びよ」とは言わない。代わりにこう言う。「救いを」。

…などということを虐殺記念館を見学しながら考えた。

(文Ⅱ1年(第1グループ))

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