中国の学生との共同フィールドワークを体験したい

学生による意見・感想 東大×南大共同フィールドワークin東京【11月】2013年度

「津波」(加藤照之先生)・「新しい時代のリベラルアーツを考える」(山邉昭則先生)・「教養教育とは何か」(斎藤兆史先生)を聴講して

DSC04630_2.jpg共同研究のほか、私たちはまた東京大学の授業を受けてみた。加藤照之先生の授業で、津波に関して、日本では最古の津波記事は「日本書紀」の天武天皇12年(684年)にさかのぼるが、「津波」という語は初めて出たのは慶長16年(1700年)であった。もともと、英語では、tidal wave やseismic sea waveを使われていたが、1946年アリューシャン地震津波がハワイを襲い、日系人が使っていたtsunamiが英語でも用いられるようになった。1968年、米国Van Dorn がtsunamiを正式に用いることを提案し、以後、tsunamiという言い方は急速に定着した。

また、海底で地震が発生すると津波を生じると、津波は原因として海底の地震が挙げられる。実は、3.11大震災のとき、当時私は日本にいた。京都で始めて地震を体験した。ちょうど高いビルで買い物をしていたところ、地が震え始め、怖かった。しかし、隣の人はそれほど慌しくなかったみたいで、東北で地震の情報はすでに放送されているようである。私は留学生の寮に住んでいたとき、地震防災訓練に参加したが、地震が起きたとき、はやりしょうがなくて怖かった。ふだんこのような訓練のおかげでいざとなる時、日本の人はそれほど慌てなくていられるだろう。

5分間で自分の考えを発表するのは新鮮
南京大学でもそのような授業があれば良い

木曜日の時、私は山邊先生の「新しい時代に必要な教養とは何か」という授業をも体験した。その授業のやり方はゼミのようで、みんないくつかのグループに分けて授業を受けている。2人の学生が発表した後、5分間自分で準備し、その後グループの中で自分の意見をみんなに発表するという形であった。私にとって、五分間で大きな紙に小さい紙を貼り、スライドみたいなものを作り、自分の考えを整理して発表するのは新鮮で、これからうちの学校もそのような形の授業があればと考えていた。

新しい時代のリベラルアーツについて、新實さんのプレゼンで、これから単一の分野のことではなく、文系も理系もいろいろな知識を備えなければならないと、文理融合ということで、たとえば、そもそも理系の宇宙空間に文系の法律学を加えて、宇宙空間法律という学科とか、将来の方向ではないかと言った。もう一人の阿部さんも、一つの問題に、たとえば「国はなぜ存在するか」について、歴史や政治だけではなく、いろいろな分野の目から、それを考えた方がいいと話した。そこで私は考えたのは専門の知識は需要であるが、やはりこの新しい時代には、専門以外についても、文学、音楽、映画、ファッション、技術などいろいろ知っておく必要があるだろう。

情報化・技術科した現代に重要な古典
それが人格を養うことかもしれない

CA3K04880001_4.jpgリベラルアーツ、新時代の教養を考えれば、斎藤先生は教養教育について講義をしてくれた。先生は授業で新時代の教養のあり方として「情報選別の能力」、「迷ったら古典に帰れ」、「精神の平衡感覚」などを提言した。情報が溢れているこの新しい時代に、いろいろな手段ではやく情報を手に入れられる。しかし、それをどう選別するか、たとえば、情報提供源が信頼できるかどうか、その主張は論理性があるかどうか、またその情報の「たたずまい」はどうであるかは問題である。この新しい時代に情報の選択は時には人を迷わせる。その時、斎藤先生は「古典」に帰って、それの読み解き方をもう一度見直すと言ってくれた。情報が溢れていて、技術がすばやく進歩している今の時代に、古典がかえって需要になってくるだろうと思う。それは先生が指摘した教養の第三の部分、「人格」を養うことかもしれない。そこで「精神の平衡感覚」がとれ、「知識」、「知的技術」と「人格」を含めて総合的な「教養人」といえよう。

(南京大学日本語科 大学院生 H.H.)

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