I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.1 2012.10.10 HARA, Kazuyuki

Changes of the Subject in Psychoanalysis

"Something is not going right. I want to change. But I cannot change."
Such is one way in which agonies we encounter in our daily lives often manifest themselves. However, what exactly changes here? And how does it change? Psychoanalysis tried to answer this question with a concept called "desire," in devising treatments for such mental illnesses as hysteria. In this lecture, we will examine how psychoanalysis perceives "changes" by referring to the works of Sigmund Freud, founder of psychoanalysis, and Jacques Lacan, who produced his own unique version of psychoanalysis in France.

Instructor

HARA, Kazuyuki
Associate Professor at Multidimensional Analysis of World Structure, Department of Area Studies, Graduate School of Arts and Sciences, University of Tokyo. Majored in Area Studies (France) at University of Tokyo's Undergraduate Program and subsequently its Graduate School. Studied Philosophy at Université Paris 1 as well as Université Paris 4. Ph.D. from Université Paris 4 (History of Philosophy). Assistant Professor (Associate Professor) at the Department of Area Studies, Graduate School of Arts and Sciences, University of Tokyo since April, 2004, after serving as Full-Time Lecturer and Assistant Professor at University of Electro-Communications. Publications include Lacan: an Exodus of Philosophical Space (Kodansha).
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comments(最新2件 / 7)

koco2    reply

精神分析の「欲望」の観点がヒポクラテスの時代から見いだせることに驚きました。子宮の「欲望」、ヒステリー患者の「欲望」、そしてフロイトが皆に共通する「欲望」を提唱することで花開く精神分析の流れは一貫しており、「欲望」を「私」に近づけるという変容の在り方はとても興味深いものでした。

meri    reply

陳腐な意見ですが、西洋思想において、デカルトが言うような「自己は変容しない」ということは唯一絶対の神を崇拝するキリスト教の影響を受けているのだと、自然と思えました。キリスト教神学と自然科学を分離して、理性で物事を捉えようとしたときに、混沌とした外界における定点として確固たる自意識を定めたことは、それまで神が占めていた位置を自己に置き換えたようで、皮肉に思えます。

安藤友人 mushamusha    reply

このたび講義拝聴しましたが、ヒステリーと変容の文脈はあまりつながりを強く感じませんでした。メタモルフォーゼといった言葉がサブカルチャーの中で強く根を張っています。現代人に重くのしかかっているのは何かわからない閉塞感であり、だれもがそれを打開しようと強く願っています。その深層心理は変身という非現実的なものへの憧れを抱かせました。しかし我々の内部は常に変化を続けている。教授のおっしゃったとおり、人間を突き動かすのはただの動物とは違った根深い欲望です。欲望は達成されるか、諦められるか、別の形に昇華されるというのはフロイトの言った言葉だったでしょうか?本来性欲を中心としている人間が夢や大望を抱くことの意味は、まさしく欲望の高次なメタモルフォシスである、と考えます。人間はもっともわかりにくい形で変身して言っている。アニメや漫画では内面の変化が外貌さえ変えていきます。変わりたいという思いは病理なのでしょうか?それをわかりやすい安易な形で求めようとすることはいけないことなのでしょうか。私が感じずにいられないことは、人間の変容はいつも思い通りにはいかないということです。私たちは厳密に科学的な存在であり、心もまた科学的な存在として帰着できます。心が遂げる変化が本人にとって望ましくない場合が多いのは、まさしく精神が漫画のように短絡的に支配されるものではなく、科学的な制約を受けているからかもしれない。変化を止めることができないとしたら、それを受容することこそが人間のあるべき姿なのではないかと思います。

西井克弥    reply

今回の講義で「変容」というテーマが「欲望」をキーワードに医学や哲学など複数の分野にわたり語られることを知りました。私は戦争も同じ文脈で語ることができると考えます。戦争は穀物の貯蔵が可能になった頃、食欲という人間の生物学的な「欲望」を満たすため始まったとされています。中世には神を根拠に戦争が行われました。近代以降宗教意識が衰退し神による裏付けを失った「私」は自らの「変容」を認め、新たに国家や主義を自らの根拠としました。ここで生まれた「私」は本来的に「変容」を手段として持っており、他国への亡命など自らの「欲望」に基づき行動するようになりました。現在戦争が否定されるだけでなく様々な「欲望」が抑圧される状況にあるなかで、私たちは「欲望の変容」についてより深く考えていく必要があると思います。

tayumu_nst    reply

今回の講義は「精神分析における主体の変容」と、私の知識レベルではやや理解するのに苦労する内容でした。人間は本来自己を「変容」させることで目まぐるしく発展そして衰退を繰り返してゆく世の中を生き残ってきたのであり、「我思う、故に我あり」という考え方はあまりに独善的で、当時の西洋において勃興していた理性中心の啓蒙思想が見え隠れするように思われます。そしてその後のロマン主義に始まる「感情の復権」を基盤として、「欲望」と自己との関係に言及する素地が出来上がったのではないかと考えます。「変容」というテーマを様々な切り口から捉えるこの講義の、第一回にふさわしい内容だったのではないかと思います。

m1733    reply

我々人間は流動的知性、すなわち自己の客観視および言語による自己説明能力の獲得により文明化への道を歩み始めたという話を以前聞いたことがあります。それは大枠で捉えてみると人間が一番始めに迎えた大きな変容であり、私たちは変容によって人間たりえたと考えることもできると思います。今回の講義で取り上げられた欲望と自我の変容は、流動的知性の上で成り立つ適応行動であり、変容に支えられる人類史上においても大きな意義を持つものだと感じました。少々話が分かりにくくなってしまいましたが、このテーマを深めることで人間とは何かを明らかにする手がかりがつかめるように思えます。本日は貴重な講義をありがとうございました。

HAT    reply

テーマ講義「変容」、一体どんなお話が聞けるのか大変楽しみにしておりました。
今回の講義は「欲望」をキーワードに精神分析における「変容」を扱われましたが、「かたち」を持つ「欲望」の変容とともに「私」も変容していくという序論は、「変容」というテーマが持つ多様性を予感させるものでした。
学際的なテーマ講義として、これとないほどしっくりくるキーワードであると思います。
次回も原先生の講義ということで、今から待ち遠しいです。

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