I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.12 2019.12.18

comments(最新2件 / 18)

Tyuki23    reply

近代小説は「世界」と「個人」のあいだの「ズレ」を「宿命」とするという捉え方は非常に広範であり、世界と個人という概念は小説に限らず、近代から現代に至るまでのあらゆるフィクションを考える上で核となるものであると思う。大学に入ってからシャーリー=ジャクソンの『The Lottery』を授業で読んだが、そこに反映されているイデオロギーの強さにとても驚いたとともに、当時のアメリカにおいて非常に強い批判があったことから小説とその小説が発表された当時の社会との関係性に目を向けるようになった。本日扱ったアメリカ近代文学では、アメリカが歩んできた思想的変遷と密接に関連した作品が多く小説が持つ意識的・無意識的な影響力というものを強く感じた。特に無意識的な影響力についてはまだまだ検討する余地があり、アメリカだけでなく、近年の日本でも流行した作品というのは少なからず社会の根底にある無意識的な要求に対応したものであるように思われる。アメリカ近代文学を主義的な面だけでなくその根底にある信頼から捉えるという試みは非常に興味深く、これまで学んできた現代的な信頼についての考察と合わせて考えたい。

shooji68    reply

ホラー映画への恐怖は安全な現実を確認するメタファという考えがとても新鮮でした。また、「読書」という行為そのものにも興味が湧いてきました。貴重なお話ありがとうございました。

baya0903    reply

「信頼」が主題化するということは、前提としての信頼が失われているということは、改めて考えさせられる問題であると思いました。しかし、ホッブズの信託論が実は前提としての信頼(共同体的協調)抜きには考えられなかったように、二項対立的前近代/近代=神への絶対的信頼/個人の重視と社会への疑念という構図は、互いに侵犯しあう抜け道があるように思います。このような脱構築的態度と現代文学に現れる思想との具体的な関連がまだはっきりわからなかったので、今後勉強しようと思いました。

lyu39    reply

 アメリカ文学の沿革と性質を簡明に紹介する、教養が詰まった授業だった。
 特に腑に落ちたのは、大衆小説・ロマンス・リアリズムの分類のところだった。確かに今で言うジャンル小説では大体すべての人物が現実的な在り方ではなく、その身分・特徴に合わせた「あるべき姿」で存在するし、物語もこういった単純化・一面化された人物を通して理想化された「現実の一面」にしか光を当てない特徴がある(ゆえに「ジャンル小説」と名付けられたのも納得できる)。こういった小説は、人物や特定の価値観への信頼というよりも、探偵はちゃんと探偵の役を担っていて、胡散臭くあるべき人物もちゃんと「信頼できなさそう」であってくれているという、理解しやすい「想定通り」の世界への信頼を保障してくれる。しかし現実は常に複雑で、他者はいつも信頼できるかどうか分からない謎の存在で、信頼できるか判断するのに自分が使っている基準でさえ信頼できるか分からない。
 そして、アメリカ小説の独自性についても納得ができた。ディケンズの『大いなる遺産」などはおそらくイギリス「教養小説」に分類されるのに対し、同時代のアメリカ小説は確かに個人主義的な性格が強い印象だ。信頼できない・認めない世界の何かと戦うが、その「何か」が定かではないし、自分を疑いつつ主人公はいずれ失敗するという流れが多く見られる気もする。そのような個人主義的な主人公像を描くロマンスは、確かに固定した、当たり前とされた世界の在り方を「現実」として表現するリアリズムの小説を超えるものがあると思った。

satoshi31    reply

人間という存在がいない物語では信頼は主題化ないということは、当たり前でありながら小説という題材から考える前には気づけないようなポイントではないかと思った。人間がいて初めて、人間の神に対する信頼や、人間の人間に対する信頼が生まれ、信頼が崩れそうなところに人間の中に葛藤が生じて読み応えのある内容になっていくという小説の面白さのようなものを改めて感じた。信頼が主題化されていない小説というのは現代ではあまりないのではないかと思った。
また、紹介されていた文学作品や小説家をほとんど知らなかったため、同世代の人々はこれくらいの作品名は聞いたことがあるのが当たり前であるということに驚いた。勉強不足であるなと感じた。

youcan19    reply

自分が何者であるかが生まれた瞬間にある程度決まってしまう時代は終わり、自分の存在を自分で創ることができる時代を迎えた。
そう言うと聞こえは良い一方、そのような時代になったということは各人のアイデンティティーが無条件に保障されることはなくなり、自らアイデンティティーを獲得するために活動する必要があり、なおかつ自分の思う自分のアイデンティティーと他者から認識されるアイデンティティーを一致させる努力が必要となる。
そして、そのことにより人々の自己に対する信頼がゆらぎ、世界への信頼も揺らいでいく。信頼を失った世界では契約が必要となり、それに基づく契約社会が発展する。
こうした背景をもって小説の姿が変わってきたということが興味深かった。また、小説は言葉によって表現されるが、モダニズムではその言葉に対して絶対的に信頼しているわけではなく言語が透明な媒体ではないとしつつも、読者は作者の伝えたいことを読み取ってくれると信頼して表現しているということはこれまで考えたことがなかったが、そのような考えを知ったうえで小説を読むと、より深いところまで読み取ろうとすることができると思う。

Suzu0705    reply

今回の講義は今まで受けてきた「信頼」の講義の中で、最も難解なものであると感じられた。そもそも、「世界」と「自分」の間のズレというものが、私にはピンとこない。そのギャップを無視している文学作品(今回の講義で「ロマンス」とか「小説未満」とされていたものも含む)は、現在ほとんどないように思われる。世界と自分の間のズレとは、一体何なのであろうか。その時代に支配的だったイデオロギーと自分の考えの間のズレということなのか。それとも他者から見た自分と、自分の考える本当の自分の間のズレなのか。それらすべてを包含する言葉として使われていたのなら、やはりほぼすべての本が「ズレ」を扱っているような気がする。
一方で、リアリズム文学の特徴に関しては理解できた。リアリズム文学においては、現実を「ありのままに」描くために、読者が考える現実に寄り添う形で現実が描かれるため、読者と著者の間に一種の信頼関係(共犯関係)が成立するということには、深く納得した。高校生のときに○○主義とか○○派を暗記するのに苦戦したが、このようにそれぞれの文学史上の主義を詳しく説明してくれれば、もっと国語に興味が出たし、苦手意識も軽減されるだろうと思った。

ryo7a    reply

この授業で繰り返し指摘されれていたことでもあるが、信頼が問題になるのは機器であるということが良く表れていた。やはり小説を書くような層は社会的な問題を考えられる人々だということだろうか。授業そのものは読み上げるだけのように見受けられたがその分しっかりとした出来になっていたと思う。

kfm1357    reply

諏訪部先生は歴史的経緯から講義されましたが、自分の中では、小説が近代になって誕生した形態であることが盲点になっていました。近代より前の時代と近代の文章では、叙述される対象が異なるということは、文学における転換点であると気づかされました。そして、当初の小説は、近代国民国家の読者を想定しているということも、小説の存在において特筆すべき事実であると感じました。その著者・読者・国家もしくは社会の間での信頼というものも、小説を成立させる条件であるということも印象に残りました。

ayana2630    reply

社会の安定への信頼からリアリズム文学が可能になり、その小説がまた現実を規定する、という再生産の関係がとてもおもしろいと思いました。小説と社会との連関はかなり大きいのだと感じました。
書かれた当時のリアルタイムで小説に触れるのと、その後の歴史を知った上で現在我々が読むのとでは、その小説から受け止められるものがかなり異なるのだろうと思いました。特にロスト・ジェネレーションに関しては、そのような視点を持ちつつ読むと新たなものが見えてきておもしろそうだと思いました。
普段、「小説」というジャンルに(明治・大正期の日本のものはある程度読むものの、英米のものは特に)あまり手を伸ばすことがないので、これを機に、まだ読んだことがないけれど気になっているヘミングウェイなどを読んでみようと思います。
講義ありがとうございました。

phu884    reply

神や身分、社会規範といった既存の社会体制への不信が世界と個人の間のズレを扱う小説につながるという説明が分かりやすく、信頼と小説の関係がよく理解できました。
時代背景に応じて小説の背後にある信頼関係が変化し、小説の表現方法にも影響を及ぼすという事は、自分が日頃小説を読んでいて感じる現在の風潮にも共通するものがあると感じました。

yka710    reply

普段自分はいわゆる大衆小説しか読まないような人間だったが、今回の講義を聞いてアメリカの純文学に興味を惹かれた。小説をその発展の経緯から考えるというのは、言われてみると自分にはない視点だったが、社会状況と作品とを照らし合わせることで、小説が次々に我々の信頼に疑問を投げかけてきた歴史が見えてきた。それは小説そのものへの信頼を問うという、やや知的遊戯じみた次元にも至っているのだが、我々の視野を広げる示唆を与えるものに違いない。ことデジタル世界と現実の境界が薄れる現代においては、現実世界への信頼について考えを巡らす絶好の機会なのかもしれない。単なる物語的な面白さを超えた深みがあるところに、名著が名著たる所以があるのだと思った。

shiori0310    reply

信頼と小説を結びつけて考えるという発想が私には新しく、興味深かったです。他の芸術や文化的な営みに対しても、社会や日常に対する信頼がなかったら発展していなかっただろうという考えは当てはまると感じ、人間関係だけでなく文化的な物事の土台にも信頼は必要不可欠なのだとわかりました。小説とは、様々な時代の中で社会と個人の間の葛藤を描き出し、物語の中で社会に対する信頼を揺るがすことで読者の精神世界に変化を促すものなのではないかと考えました。

hiaaaa19    reply

この授業を受講するまでは,人々の宗教観によって小説の内容が変化するという考えが無かったのでそれを知ることができただけでも非常に有意義な授業であると感じた.講義の内容にて特に印象に残ったのが,小説はフィクションに過ぎない現実というものから目を覚まさせうるということである.我々は小説を読むことによって他人の視点に立つことが出来る.それは,日々の生活においては行わない思考を可能にするという点において非常に強力であり,魅力的であると感じた.今回の授業を通して改めて小説の持つ力を感じることができた.

yuto0813    reply

アメリカ文学にこれまであまり触れてくることはなかったが、ロマン主義対リアリズムの対立構造で展開された講義は今までの知識が有機的に結びついていく気がしてとても面白かった。「信頼」のテーマと結びついた内容ももちろん面白かったが、純粋に興味を持てるようなアメリカ文学をいくつも紹介して頂けたので、実物の本を手に取ってみたいと思った。

Satishi1024    reply

小説は信頼を前提としていながらも、その存在としては社会や日常への信頼を揺るがしているという点が非常に興味深く感じた。各時代において小説の特徴は変わっているものの、世界と個人の間のズレを内包しているという点では変わらないと考えた。

martian5    reply

 貴重なご講義ありがとうございました。 
 小説家は作品の中で完結して一貫した作者像を保たないような気がして、そのためにテクストと読者の間に築かれる信頼関係が重要な特殊な事例だと思いました。
 また考察を深めたいと思います。 
 ありがとうございました。

pulpo10    reply

為になる授業をありがとうございました。

More

Post a Comment

 
Other Lessons

Loading...