ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第1回 03月05日 林少陽

思想、文化としての「鏡」──主体との関係を中心に

2015/3/5-3/6

 本講は以下の三部から構成される。
まず第一部では、導入として、中国と日本における「鏡」の文化史を簡単に説明する。また「鏡」にまつわる日中の文化的関係や、「鏡」のもつ文化的、宗教的機能の共通点と相違点についても論じたい。第一部で論じられる漢字文化圏の歴史的背景は、本年度南京大学集中講義「鏡」の、とりわけ文系諸講義の導入として位置づけられよう。
第二部、第三部は本講の中心的議題であり、ともに「鏡」と認識の関係性を論じる。第二部はヨーロッパ近現代思想における、主体の形成と「鏡」の関係をめぐる議論である。ここでは特に精神分析とイデオロギー論において「鏡」が果たした役割に着目したい。そして第三部では仏教思想における「鏡」を論じる。
本講では「鏡」をめぐって展開した思想、文化を、主として思想史的観点から論じることとなる。

講師紹介

林少陽
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻准教授。 1983年7月に廈門大学卒業、吉林大学修士。東大総合文化研究科助手、東大教養学部特任准教授 、香港城市大学(City University of Hong Kong)文化遺産プログラム准教授等を経て現職。専門は近代日本と中国の思想史及び文学。
授業風景

南京大学集中講義「鏡」第1講(2015年3月5日)

 

 今年の南京大集中講義が無事に始まりました。第一講の林少陽先生の講義は、教室が満員となり、立ち見が出るほどでした。日本語科だけでなく、ほかの多くの科や、南京大以外の大学からも聴講者が集まったようです。

 

rin.lectuer1-3.jpg  林先生の講義において、第一部分は簡単に中国および日本の鏡にかかわる文化史と思想史を紹介した。この部分は鏡が道教との関係が密接であるため、道教に重点を置いて紹介した。まず、二つの問題を提出した。

1、中国の伝統をよりよく代表するのは以下のどっちでしょうか。選択肢は二つのである。一つはおみくじを引く男女たち。もう一つは宋元時代の山水画。
2、中国の根本的な文化は儒家だろうか、それとも道家だろうか。
続いて、歴史的な文献における鏡のイメージを紹介した。たとえば、「詩」の「大雅」の中で書かれている「殷镜不远」、「荘子・外篇」の「万物之境」がある。歴史上の有名な鏡の写真を展示した。それから銅鏡の成分、発音、意味について、簡単に紹介した。
 斉家文化鏡、西漢透光鏡、晋の時代の仁寿鏡、唐の時代の四神十二生肖銅鏡などの鏡の紹介によって、銅鏡に道家の影響が大きいという事実を明らかにした。福永光司の「道教思想史研究」、「道教における鏡と剣」などの著作は道教が現在の社会に対する重要な価値を指摘した。今までの道教は抑制されて、その影響力も大きくおろそかにしてしまったという事実を説明した。唐の時代の道教巨匠、司馬承禎の鏡の宗教哲学を紹介した。
 銅鏡が道教における文化的な意味と応用を紹介した。一、銅鏡は神仙などの物語から取材される。そして、「照妖鏡」などの法器として使用されている。風水をバランスする機能も備えている。副葬品として使用されている。続いて、銅鏡が儒家における文化意味と応用を紹介した。まず、儒家において、鏡は心を正しくし、自分を反省するという意味を含んでいる。二、鏡は真、誠、徳、仁などの概念を表す。三、歴史を鏡とするという概念。四、「明鏡高懸」などの言葉の中で、鏡は法の公平を意味している。
 林少陽先生は第二部分よりまず第三部分を紹介した。第三部分は、近代の日本を鏡として、近代の中国を深く理解することである。十八世紀末期の江戸時代の日本を重点として検討した。以下の順序で説明した。一、江戸がなければ、明治は現せない。二、江戸末期、学校史研究の可能性。三、幕府末期の官学教育政策。四、幕府末期の官学教育政策は蘭学および漢学漢文との関係。五、結論。
 本発表の討論の時間区切りは1786年から1872年までである。ミシェル・フーコー、Doreなどの統計学データによれば、漢語文語文が江戸の日本に占める割合と位置を明らかにした。多くの人が単に明治維新だけを重んじて、明治と江戸との関連性をおろそかにすることを指摘し、そういうことは中国の知識人が現代の日本への認識にかかわる。
 そして、江戸日本教育史の研究は中国の現代性を再び検討することのためにもう一つの視角を提供する。一つの例を挙げた。名古屋藩の藩校「明倫館」である。明倫館の課程設置、漢学と和学について紹介した。文と武の両面に配慮することはほとんどあらゆる藩校の特徴である。その次、一般庶民の教育課程の設置と農村部の教育について紹介した。

(記録:南京大学・許明珠)

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南京大学集中講義「鏡」第2講(2015年3月6日)

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 今日は主に日本古代文化史における鏡、つまり、日本文化と広義の道教について説明した。まず、日本の神道と道教と切ると切れない関係を指摘した。近現代の日本に民族国家の枠組みを建てる学術体系において、日本と儒教の関係について、たびたび否定的な言論を主張した人が出ていたが、道教、道家を否定する話はほとんどない。さらに一部の学者たちは広い意味での道教文化こそが中国と日本の文化の基礎であると考えた。日本の思想家、美術評論家岡倉天心は道家哲学に根ざした美意識が東亜美術の真の主流を構成すると考えた。それによって、道教が、日本文化に及ぼす影響も大きいということがわかった。

 岡倉天心は「東洋の理想」という本の中で、新儒教、すなわち朱子学は、基本的に固有の道教の思想体系を従っているという事実を明らかにした。彼は、「日本の美術史」の中で、「絵画六法」を紹介した。その第一目「気韻生動」は、道教の思想をあらわす。
 唐の時代の李思訓の「金碧山水画」、宋の時代のは米芾の山水画、日本の雪舟の山水画などの芸術作品を展示した。ここで、私たちの予想意外に、これらの絵のなかで、変化に富む「気」、自然に溶け込み、ちっぽけな人は皆、道教思想を含んでいるものである。
 それから私たちに見せたのは日本の歴史で有名な「三角縁神獣鏡」であった。その歴史について簡単に紹介した。また日本の三種の神器、つまり八咫鏡、八尺瓊勾玉と草薙剣を展示した。その三つの神器は、王権の象徴と見なされる。また東亜民族における鏡の応用について説明した。
 次の部分は日本の神道、神社と鏡の関係であった。この部分で、斎藤孝の「日本古代文化の研究・鏡」の話によると、以下の二点を提出した。一、鏡が神社に後世に伝わる。二、鏡はほとんど全部の日本の神道宗教儀式にかかわり、そして大量に必要としていた。また鏡の機能を詳しく述べた。
 その次日本の仏寺と鏡の関係について説明した。奈良时代には、銅鏡は単純に仏陀の象徴としていたが、平安朝に入り、神仏合習の思想とともに、銅鏡がどんどん日本本土の宗教の神具となった。
 仏教の哲学と鏡という部分で、われわれに鏡に関する有名な仏偈、仏経エピソードを展示し、それらの解読によって、仏教では鏡はすべての色相を反映するもので、また心の中の自分の様子が、すべてありのままに身の回りの物事に映って、そこで见える世界も自分の心理の跡が付いていた。
 次は、第一講を補完するため、日本の幕末末期の文教政策について紹介した。幕府が儒教をおだて、学校を援助した原因を分析した。その特徴は、朱子をおだてたが、孟子の革命思想は意図的に曖昧にしたことである。徳川幕府の後期の教育システムの中で、漢学と漢語文語文は、ずっと核心であるという事実を指摘した。
 最後の質問部分において、私たちに言葉の「陌生化」とは一体何か、鏡がどのように「鑑」になったのか、表象文化論の定義などの問題を解釈し、また、私たちに道教を理解するためいくつかの著書を推薦した。

(記録:南京大学・許明珠)

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南京大学集中講義「鏡」第2講の質疑応答

 

1、中国語の「陌生化」とはなんですか?

答え:中国語の「陌生化」は言語の秩序がみだれることです。たとえば、「紫罗兰」を「罗兰紫」と書くこと、また前に言ったの「白い皿に一本の焼き魚がある」、それを「ある 火傷を受けた魚は白い手術台に横になる」と書きなおすことは中国語の「陌生化」です。

2、日本の国家神道と海外の神社は中国を侵略する過程でどんなことですか?

答え:もちろんそれは国家主義が植民地に影響を及ぼす結果の一つです。軍事の拡張とともに発生することです。

3、表象文化論の表象はアルトゥル・ショーペンハウアーの言った「表象と世界意志の中の表象」とは同じものですか?

答え:アルトゥル・ショーペンハウアーは仏教とイマヌエル・カントの影響を受けました。カントは、われわれが現象だけを認識することでき、人の認識に限界があります。そして、現象を仏教の中の欲望、人の受難と結びつきました。だから、すべての世界がわれわれの意志、欲望の外的表現です。私個人の考えからいえば、東大の表象文化論は、狭い意味では、演劇、映画、美術、哲学などの言語表象を研究し、つまり、言語表象、芸術表象などの広義のものを言語のレベルに戻り、また、それらの構造、性質を研究することです。

4、道教を理解するため、何か書類がありますか?

答え:福永光司の著作がいい、美術の方面において、岡倉天心の本も読む価値があります。

5、日本にも、「風水」というものがありますか?

答え:あります。渋谷の街頭にも、占い師がいっぱいです。ある日本の専業主婦は占いに熱中しています。テレビにもそういうニュースがあります。だが、風水にはいろいろ流派がありますので、専門家ではない私にとって、この問題を答えられません。

6、日本文化の中の妖怪は、道教と関わりがありますか?

答え:日本にも、陽明学がありますので、すごし関係があると思います。だが、世界中、いろいろな文化の中で、妖怪が出たので、日本の妖怪はいったい、中国から伝説されるものであるか、それともそうではないのか、うまく言えません。

7、中国の道教の山々はほとんど南に位置している。それは南のほうが中国の政治中心に離れていることに何か関係がありますか?

答え:そう考えてもいいと思います。前に言った葛洪も、広東省の羅浮山に行きました。そこは当時の中国にとっても、ずいぶん南の地域にあります。岡倉天心も、道教の南北関係を検討しました。しかし、北の地域にも道教の影響が大きいです。

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