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第2回 03月04日 中岛 隆博

水与哲学

2013/3/4 - 2013/3/5

时间

2013年3月4日(演讲会)/3月5日(讲座)

概要

本讲座首先以水作为一种起源的象征,在希腊哲学中是如何被表象的问题为线索,从与雅典不同的爱奥尼亚自然科学的意义上去探究。其次,作为中国哲学中水的表象,我们选取老子为例。近代中国哲学时常将老子与古希腊做比较,我们将思考这种比较意味着什么。然后,选取近代欧洲哲学中对老子的水的哲学的解读,去讨论水为何是“抵抗”的隐喻。
演讲中,将会举出日本神道的具体例子,来说明中国哲学中的“太一”概念是怎样被日本哲学继承的。

講師紹介

中岛 隆博
东京大学大学院东洋文化研究所教授。 从东京大学法学部毕业后,升入东大大学院人文科学研究科主攻中国哲学。获得东京大学博士(学术)学位。经任东京大学文学部助手、立命馆大学助教授、东京大学大学院综合文化研究课助教授/准教授(表象文化论)之后,从2012年10月起任现职。著述有《The Chinese Turn in Philosophy (UTCP)》、《残响的中国哲学——语言与政治》(东京大学出版会)、《Humanities 哲学》(岩波书店)、《庄子 雄鸡报时》(岩波书店)、《结构与重建——中国哲学的可能性》(UTCP)、《共生的实践——国家与宗教》(东京大学出版会)、Practicing Philosophy between China and Japan (UTCP)、《恶的哲学——中国哲学的想象力》(筑摩书房)等。

评价内容(1)

胡津与    reply

首先,非常感谢老师来到南京大学讲学。这次讲义让我感到受益匪浅,了解到了许多从新鲜的观点与全新的知识。
在听完讲义后,我通过总结,发现自己还有一些问题和想法,希望能够受到老师的指导。
1.关于神道教中的太一,我还是有些不大明白。在中国传统文化中的太一,有着许多不同的含义。比如太一是万物的本源、是最高的天神、是类似于道的终极真理甚至有时还被直接解释为星星。而在神道中,太一却直接和天照大神相联系或是直接等同。这是否意味着神道在理论化进程中,吸取了太一在中国文化中作为最高神的概念,而更多地忽略了太一作为本源的意义?
2.太一生水的概念在中国哲学里也算是非常著名了,而日本神道中太一也和水紧密结合在了一起。但“太一生水”中的太一更多地是指作为本源而非作为最高神的太一。而且作为太阳神的天照大神明显更偏向于火德,与太一的水德对立。我们是否可以认为,在借鉴太一概念时,神道学者将太一的定义进行了分割,将太一作为神明引入,再在作为神明的太一上增添水的性质?
3.我其实有一点根本性的疑问,即将太一的概念引入神道是否真的具有必要性?老师你说过,太一在神道中的存在更多时候是作为一个秘密,并不能当众公开说明。那这样隐秘的理论系统在神佛斗争中是否具有实际力量呢?而且为何要引入一个这样不能公开的概念呢?难道这只是历史的偶然么?
4.我在听过老师的讲座后,有了一个想法。“太一生水”的创世观念,与日本记纪神话中的记载也颇为相似。在古事记中的创世神话也经历了水(或海洋)这一重要的环节(个人认为这与日本作为岛国的特殊地理位置有着密不可分的联系)。记纪神话的形成,与吸收中国传统文化有着密不可分的关系,古事记中系统的创世神话应该也或多或少地受到了中国文化的影响。太一观念在中世时的引入是否可以认为是当时的神道学者通过日本传统的记纪神话,再次回归水本源的观点。而太一生水的观念或概念又与这个观点相吻合,于是太一才被引入到神道的系统之中呢?希望老师能谈一谈自己的看法。
以上是我个人的一些看法,希望能得到老师的知道。万分感谢。

-----(以下日本語訳)-----

中島先生、南京大学にご講義に来て下さり、本当に有難うございます。この度のご講義は、私にとって本当に得るものが多く、新鮮な観点と全く新しい知識から、沢山のことを知りました。
ご講義が終わってから、まとめる中で、まだ少し疑問や気になる点があることに気づきました。よろしければ、ご指導くださいませ。
1.神道の中の太一について、まだちょっとよくわからないところがあります。中国伝統文化における太一とは、ニュアンスがだいぶ異なるようです。例えば、太一は万物の本源にして最高の神であり、道の究極の真理にも近く、場合によっては直接空の星を指すこともあります。一方神道では、太一は天照大神と直に関連付けられるか、或いは天照大神そのものであったりします。これは、神道が理論化される過程の中で、中国文化の中での、最高神としての太一という概念を吸収し、本源という意味についてはなおざりにされてしまったということを意味するのでしょうか。
2.中国哲学の中では、太一生水という概念は非常に有名ということになりますが、日本の神道における太一もまた、水と密接に結びついています。しかし、「太一生水」の太一は、基本的に本源という意味で、最高神を指すものではありません。更に、天照大神は太陽神ですから、明らかに火の恵みの側であり、太一の水の恵みとは対立します。太一という概念を参考にする際に、神道の学者は、太一の定義を分割し、太一を神として取り入れ、更に、神とした太一に、水の性質を付け加えたと考えて良いのでしょうか。
3.実は、ある点に関して根本的な疑問があります。それは、太一という概念を神道に取り入れたのは、本当に必要だったのだろうかということです。先生は、神道における太一の存在は、基本的には秘密とされてきて、公に説明をすることができなかったと仰っておられましたが、そんな秘密の理論系統が、神仏闘争の中で影響力を持っていたのでしょうか。そのような、公開できない概念を取り入れたのは、何故なのでしょう。まさか、これも単に歴史の偶然だというのでしょうか。
4.ご講義を拝聴してから、一つ考えたことがあります。「太一生水」という創世観は、日本の記紀神話における記述とも、非常に似通った点があると思うのです。古事記における創世神話も、水(海)という重要なポイントを通過しています(個人的には、これと、日本が島国で特殊な地理条件下にあるということは、不可分の関係があると思います)。記紀神話の形成は、中国の伝統文化の吸収とも密接な関係があり、古事記における創世神話の体系は、当然ながら、多かれ少なかれ中国文化の影響を受けています。太一という観念が中世になって取り入れられたというのは、当時の神道学者が、日本の伝統的な記紀神話を通じて、再び水の本源的観念に戻ったことを意味すると考えることは出来ないでしょうか。太一生水という観念・概念は、この観点とも互いに一致するので、そこで太一はようやく神道の体系の中に組み込まれたのではないでしょうか。よろしければ、是非先生のご意見をお聞かせください。
以上が、私個人の考えです。先生のご意見をお聞かせいただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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