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《记忆与记录》东京大学×南京大学同时开讲 参与策划集中讲座(教养学部报第540号 (2011.07.06))

渡边 雄一郎

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John Rabeの家(博物館となっている)

私にとっての初めての訪中で南京に向かった。そして南京大学の日本語学科の学生と東大の学生が一緒になった教室で講義に臨んだ。私の場合、3月13~17 日の予定であったために、出発直前の東日本大震災の発生によって、出発について議論があった。個人的に過去3回、訪中が果たせなかった経緯があった。最初 が天安門事件、2回のSARSの発生による中止判断であった。なのであの震災のとき、一瞬また駄目か、とも思った。

ちょうどデスクに向かっていた。「記憶と記録」と題して、植物を対象に研究をしている私がどのように流れを作って、話をするかを正直考えあぐねていた。 幸運にも振幅の大きな揺れのタイミングで、目の前の書類たちがノートパソコンの上に落ちてくるのを予感し、退けることができ、ディジタル記憶を失うことを 避けることができた。これは行くしかない。

千年に一度といわれても、今生きている人間には想定外規模の震災である。過去の人たちが記録を残していたものが、現代人に教訓として活かされていれば、 間接的であっても生きた記憶となったであろう。実質的に物理的なものとして存在するかだけではなく、活かされるかどうかがあってこそ記憶ではないか。

あの3月11日、電車が止まった夜、三時間かけて歩きながら思った。記録自体も存在を知られなければ、無いに等しい。歴史とは厳然たる事実に基づく記録 であると思っていたのだが、かつて米中ソにとって第二次世界大戦の終わりの日は9月2日(V-J Day)であると知ったときに、記録も絶対的なものでは ないと感じたことを想起した。記憶、記録ともに絶対的なものでなく、人間の活動、経験、文化、教育、社会背景によって変化することさえあるのである。

記憶、記録という高等生物の営みは人間活動の一環としてとらえるのが普通であろう。神経や脳というものを舞台に考えると、確かにそうだが、他の生物には 記憶、記録は存在しないのか。そういう問いについて、準備や授業中、そのあとの学生のやりとりを通じて考えてみた。神経や脳にももちろん当てはまるが、 もっと広く一般則としてないであろうか。もっている能力をいつも全部発揮しているわけではない。状況や環境によって、ひとりひとりの能力や活動を絞ってい るのではないか。その環境も、それ以前の生物たちの営みの財産、遺産を背負っている。まわりまわって、われわれの精神活動も、完全な独立なものではなく、 生を受けたものは過去の影響をうけている。

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今回の授業を行った教室の看板

シアノバクテリア(蓝藻)の作り出した酸素、さらに酸素が蓄積した結果生まれたオゾン層(臭氧层)の誕生などは、陸上生物の誕生を促し、今の人間は日常意 識しないが恩恵を間違いなく受けている。中国文化の4000年という時間スケールも、地球環境の変化の時空間の中では短い。それを忘れて、産業革命以降の200 年というスケールで、人間は地球環境を変えるところまで来てしまった。専門とは距離をおいて、横断的に考えることを試みたが、本授業の趣旨に沿っていたか は、若い世代の人たちの感想、考えに判断を委ねたい。ただ、これまでになく、本来の駒場の特権である、分野横断型、文理融合型の授業ができたという点には 満足感を得ることができた。

日中両国の学生の感性を見ることも狙い、議論しながら南京の梅の名所に出かけた。西欧の園芸技術による花の愛し方と比較しながら、中国、日本の若い世代 が植物に対して同じような接し方をしていたことは興味深かった。教室では音についても試してみた。日本人ならば知っているラジオ体操のあの音楽に対して、 中国の学生も同様の反応を示したことは興味深いものであった。花と接し、聴いた音のトーン、リズムが共通に共有している記憶を喚起した気がした。視覚的な ものだけでなく、五感を織り交ぜた試みを行うことができれば、あらたな記憶、記録のストーリーが組めそうである。

これだけ共通部分が多いのに、過去になぜ一方が他方を支配しようとしたのかについての個人的な悩みが、滞在中つきまとった。ジョン=ラーベ(ドイツ人商社員、南京大虐殺の際に多くの南京市民を囲って救った)の家も訪ねながら、悩みは広がった。

このタイミングで訪中できたことで、震災の前後における中国側の日本に対する態度の変化を直接感じることができた。今年になっての世界情勢変化はめまぐるしい。中東でのジャスミン革命、それが中国に広がらないかなど気になることは多かったが、思いがけない変化をしていたのである。今年初めに、温家宝首相 が半年も満たないうちに三陸海岸で慰問している姿を想像できた人がいるであろうか。最後の日、私は街中の乗用車のナンバープレートの写真を撮っていた。江 蘇省の苏の字が、東日本の復興を願っているように見えたからである。

生命科学の分野でも現在、国をあげて研究を推進している中国は将来にわたって重要なパートナーとなるであろう。欧米との科学交流のみならず、アジア中国との科学交流の重要性を感じていたときだけに、今回の経験は貴重なものとなった。

以上教養学部報第540号 (2011.07.06)より転載いたしました。

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