I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.1 2021.10.06 Shinichiro KUMAGAYA

Instructor

Shinichiro KUMAGAYA

comments(最新2件 / 20)

濱口泰征    reply

自助グループにおいて、例えば相手のリアクションを気にして本音を吐けない人々のグループであれば、相槌を打つことなく対話を進めていくというのが非常に興味深かったです。障害は身体の内に宿るものではなく、社会環境にあるのだという考え方はとても新鮮でした。また、本人に問題があると考えるのではなく、問題を本人から切り離すという、外在化の概念も目新しかったです。

sk0515    reply

当事者研究というものを今回の講義で初めて知りました。「わたし」の感覚は当然自分自身にしか分からないものであり、自分自身を研究対象にするということは非常に合理的だと感じました。また、障害は自身の体の内側に宿るのではなく、そのインペアメントがあることが生きづらさにつながってしまう社会環境の方にあるのだという考え方にも非常に納得しました。

ken0712    reply

今まで身体障がいや精神疾患を持った人に対して、健常者の立場から何ができるか?というようなことを考える機会しかなかったので、障がいを持った人の視点に立つ今回の講義はとても興味深かったです。お互いを理解するための対話の重要性を実感させられました。

yk0819    reply

当事者自身が、類似した問題を抱えている人々と協力しながら自分を研究するというのは非常に興味深いと感じた。医師は決まった型にそれぞれの人の抱えている問題・障害をはめる傾向がある。そして、この問題はこういう風に治療して最終的にはこういう状態になるべきなんですというようなことを押し付けてくる。精神科のみならず一般の内科・外科でもこのような医師は少なからずいる。だから、当事者研究が大事になってくる、当事者自身の感覚が大事になってくるということがよくわかった。また、当事者活動と一口に言っても障害者と依存症では方向性が真逆な部分も多いのはなぜだろうと考えていたが、説明を聞くうちに系譜の違いの原因もある程度わかった。

非常に驚いたのが、統合失調症の患者でも他人の妄想については妄想だと判断できるというところで、自分の妄想だけは別というのが不思議だ。また、他者の反応が気になってしまう人のために反応をなくすというところも意外だった。なぜなら、うんうんというような受け入れてもらえていると思えるような反応をするんだろうなと思ったからである。

gyoza0141    reply

この講義を通して感じたことが2つあります。1つは、人とのかかわり方についてです。当事者研究の場においては、類似した他者との対話の中で自分の姿を見つけていく過程があることについて言及されていましたが、僕は自分とは考え方がまったく異なる他者との対話の必要性についても実感したことがあります。考え方がここまで違うと、自分の考えてきたことが全然正しいようには思えてこなくなる、そんな経験でした。これは自己を変革していく上でのいい体験になると思っています。以上のことから、類似した他者との対話で自己を規定し、全く異なる他者との対話で自己を変えていく、そういった様々な人とのコミュニケーションが大切だと感じました。また、そのコミュニケーションの方法についてですが、オンライン授業が始まってから僕は対面でのコミュニケーションのほうが自分にとってはやりやすいと感じていました。しかし、今回の講義でASDについて"side by side"なコミュニケーションが向いているという話を聞いて、そういった見方もあるのかと発見になりました。そういった意味で誰もが“生きやすい”社会を作ることはやはり容易ではないが目指していかなければならないということが、僕の感じたことの2つ目です。そのような社会を作っていくために研究や議論を活発にしていくことも重要だと感じましたが、それと同時に、"生きづらい"という感覚もまた人間らしく、それと向き合っていくことで“生きている”と実感させてくれる重要な要素だとも感じました。

0326ema    reply

初めて聞くことばかりで、非常に学ぶところの多い講義でした。中でも、コミュニケーション障害についての考え方を非常に興味深く思いました。場に合わせた個人の無理な適応を強要し、うまく適応できない人をコミュ障と呼んで対話を諦めるのではなく、対話の場自体を柔軟に変えて各人にとって心地よいコミュニケーションを目指す努力は、多様な他者と関わる上で忘れてはならない視点だと感じました。

samiru618    reply

当事者研究において、自分の変えられるところと変えられないところを見極めることの重要性を教えていただきました。障害者の場合では周りの環境が変わること、依存症の場合では身近な人に依存できないことや過去の遮断を緩和することのように、変えられるものを変えていくという考えはとても合理的だと思う一方で、当事者でない人にとってはやはり変えられるものと変えられないものの区別は難しいのかなと思い、当事者研究の意義を感じました。

283ama    reply

さまざまな形の困難に対する当事者研究のあり方を見ていく中で、例えば障害者などというようなカテゴリーの中に当てはまらない、自分だけが抱えている問題や気づきも、普遍的なものと同様に重要なのではないかという考えが浮かんできました。
私自身とある障害を抱えているのですが、自分の悩みや苦しみが普遍的なものでなく、自分だけが感じているようなことであった場合、それを発信する意味が果たしてどれほどあるのか、という問題に納得のいく答えを出せず、今まで自身の障害について語ることをあまりしてきませんでした。私が困っているからといって、同じ障害を持つ人が同じように困っているとは限りません。私が見落としている、些細なバリアもたくさんあることでしょう。結局自分は自分という特殊なケースの症例しか体験していないのに、時には自分の発言が同じ障害を持つ人々、ましてや障害者全体の総意を体現したものかのように思われてしまうこともあります。それが怖いと思ったのです。
ですが、さまざまな当事者研究に触れてみて、一人一人が抱えている問題を科学的に分析し、研究の形に落とし込むことで、想像以上の豊かな知見が得られるのだということに気がつきました。何が多くの人に当てはまるもので、何がそうでないのかを知るために、個々の事例を丁寧に研究していくことが必要だとも考えられます。当事者研究を参考にしながら、自分の障害との向き合い方、発信の仕方についてもう一度考えてみようと思います。

shachi123    reply

当事者研究ということについてこの講義で初めて知りました。特に興味深かったのは、当事者と専門家で求めることが異なるというお話です。専門家と患者という構造になるとどうしても専門家の権力が強くなってしまうというのは想像できますが、その上で当事者の声を尊重する姿勢が浸透していないということ、または当事者の声を聴く必要性が浸透していないことが問題なのかもしれないと感じました。また、(私が無知であっただけかもしれませんが、今まで当事者研究を耳にしたことがなかったので)当事者研究を行う機会がもっと身近になると良いなと思いました。

L1F2    reply

外在化や分かち合いにより問題に向き合うという当事者研究のメソッドは、障害を持っていないとされるが日々生きづらさを感じている人々(社会環境とのミスマッチを障害とする考え方からすれば、こうした人々も障害に苦しんでいるということになるのでしょうか)にも応用できるのではと思いました。当事者研究の考え方が普及し、現在はっきりとした症名がないこうした人々のための分かち合いの場もできれば、一人でも多くの人が生きやすい社会になるのではと感じました。

DonnyHathaway21    reply

障害とは個人内部で完結するものではなく、社会機構とのズレから生じるものだ、という観点は新鮮だった一方、それは私たちがなんとなく目を背けてきた現実でもあったように感じました。"Covid19で障害が普遍化した"という一節にもあったように、障害は私たちに身近なものになり得ます。更に言うならば、社会機構と全く一致するような生き方の個人などいるはずがありません。私たちは、ある意味では全員がディスアビリティを抱えて生きているはずです。"当事者研究"は、個人と社会との間のそのような差異が見えにくくなっている現代への、重要な視座であると思いました。

sakasaka05    reply

専門家と当事者のアプローチのずれについて関心を持ちました。専門家は基本的に障害や病状そのものの改善を目標としているのに対し、当事者は現状を受け入れた上での過ごしやすい環境を求めているという違いがあったと思います。それに関連して、アメリカでは自助グループが積極的に立ち上がったという話も興味深かったです。

dta28    reply

当事者研究が自分の「変えられる/変えられない」を把握する態度であると聞いて、「ニーバーの祈り」を想起しました。神学者によるこの言葉には、次のような一節があります。

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ

多くの人は、心的にも身体的にも様々な悩みや苦しみを抱いているものです。その現状に目を背けることなく問題解決につなげるためには、まずはその苦しみの要因が「変えられるのか、変えられないのか」を判断することが大切なのだと思います。当事者研究は民間の活動から生まれた比較的新しい解決手法であるとおっしゃっていましたが、その判断を客観的にできるという点で非常に理にかなったもののように感じました。

mhy2135    reply

障害は社会環境、あるいは社会環境と人の相互関係に宿っているという考え方は私にとって新しいものでしたがものすごく腑に落ちました。また当事者たちは自分で自分にアクセスできない状況にさせられ症状の内容やアプローチ方法など様々なことが専門家らによって決定されている、ということをこれまではあまり認識できていませんでしたが、自分のことにも関わらず他者に決めつけられてしまっている状況には違和感を覚えました。講義内にて「回復定義の民主化」という表現が登場しましたが、当事者研究はこうした様々なことに関する民主化への第一歩であるように感じました。

lmn7    reply

COVID-19により障害が普遍化したという話が特に印象的でした。身体だけでなく社会環境の急速な変化によっても新たに障害を持ち得ると考えたとき、障害を広い視野で捉えることの重要をひしひしと感じました。また、精神障害を持った方の研究からスタートした当事者研究が今後、今まで認知されてこなかったような困難を抱えている方々においても行われていくのかなと期待を寄せました。

q1350    reply

当事者研究を通した自分自身の固有のFaceの発見は、分野の専門家が進み自分自身の状態すらも他人に依拠してしまっている現代において、新手目て見つめ直さなくてはならない手法であると思いました。また、その研究対象として、大きく身体的自己と歴史的自己に分け、似通った経験を持った他者とのコミュニケーションを行うことで、社会のデザインを変えるためのアイデアにつなげたり、自らの生きやすさを獲得していくという流れは、まさにこの方法が最適なように思いました.

mehikari18    reply

授業の中で例として挙げられていた、「依存症は何かに依存しているというより依存できるものがない状態」ということは思いついたことがなかったし、まさに当事者研究のおかげで明らかになることだと感じた。そういった点からも、当事者研究の意義・重要性を知ることができた。また、今までの障害者に対する取り組みが、「世間で「普通」とみなされる人」が「世間で障害者とみなされる人」を勝手に解釈して、「普通」を押し付けるという側面が大きかったということにも気づくことができた。

face1030    reply

内容についてほとんど知見がなく、非常に興味深い講義でした。そもそも当事者研究というものを初めて知りましたが、専門機関発祥でないことに驚き、さらに広く普及していくだろうと思いました。自身の変える、変えられない線を探るということは、生きていく際、全ての人が他者と関わる上で考えておくべきことだと思ったので、自身も意識していきます。

tugariz    reply

当事者研究の具体例として、爆発という現象を抱えた方が、その現象に対する価値判断を保留してそのメカニズムを客観的に分析したという話が印象的でした。周囲の人が問題を抱えた本人に反省や改善を押し付けるのではなく、問題と本人を切り離して考えるという発想の転換になるほどと思いました。このような形で問題を捉えられれば、当事者は気持ちの面で過度な負担を感じることなく、周りの人は同じ目線に立って考えることができるだろうと思います。

nv0824    reply

今回の授業で当事者団体というものを初めて知りましたが、このようなものは障害を抱える人々にとってとても大きな支えになると思います。状況は異なりますが、私自身も自分の悩みを他人に相談したり打ち明けたりするときには、自分とは性格が正反対であまりその悩みに共感してくれなさそうな人よりは、自分と性格が比較的似ていてその悩みに共感してくれそうな人に相談することが多いので、当事者団体の実践についてとても腑に落ちるなと感じました。

More

Post a Comment

 
Other Lessons

Loading...