I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.8 2021.12.01 Takuji NARUMI

Instructor

Takuji NARUMI

comments(最新2件 / 25)

q1350    reply

今日の講義を聞いて、VRの可能性の多様さを感じた。特に身体延長による心の変化は差別問題などに有効であると思った。また、vrによる自己イメージの更新から、各個人が持つ個性と、身体が深く関係していると思った。一見個性や性格は一貫したものでアイデンティティは人生を通して同じであると考えたくなるが、VRによって身体延長が可能になることによって、身体による人の性格面への作用を如実に感じられていると思った。

taisei0303    reply

自分は何者かと思うことでパフォーマンスが変わるというのは面白かったです。スポーツなどにおいて子供の頃の成功体験は大切で、VRによって擬似成功体験を与えるという発想は斬新でした。VRの世界ではなりたい自分になれるので、自信をつけるのにはもってこいだと思います。また、自分の顔の表情を見て自分の中に感情が芽生えるというのはすごく実感できて、表情の擬似的な変化はコミュニケーションを円滑にするのに役立つのだろうなと感じました。

sk0515    reply

VRやアバターの技術がここまで発展していることを知り驚きました。私は、インターネット・情報通信技術の発展が複数の自己を作り出していると考えました。SNSで受け取ったメッセージを返信する時間を割と気にしているところが私にはあります。ちょっと寝るのが遅くなってしまった時には、夜ふかしをするような人だと思われたくないため、メッセージを返さないようにしたりしています。これは「なりたい自己」を作っていると言えるのではないかと思いました。こういった操作が可能になったことも、インターネットのメリットでありデメリットでもあるのではないかと思います。

face1030    reply

vrゲーム、vtuberなど身近で親しみの持てる話の絡んだ内容の講義で、興味を持って聞くことができました。前半の、身体は不明瞭なものであるという話で、脳は簡単に自分の体ではないものを自身の体だと錯覚してしまうことに、面白いと思いながらも少し恐怖を感じました。性別や外見を大きく変えてアバターを作ることができる時代になり、色々な未来が開けそうだとおもいました。ただ同時に個人的には、本当の自分をみたくなくなってしまうのではないか、とも思いました。

赤尾竜将    reply

用いるアバターによって現実世界では現れない自身の性格や能力が得られるということでしたが、そうなってくると未自覚の自身を見ることができる期待がある一方で、果たしてどちらが本来の自分なのかが分からなくなってしまいそうで恐ろしいなとも感じました。今回の講義は、新たな自己・社会を発見・構築する糸口としての可能性を知ることができ、とても面白かったです。

choi1125    reply

VRは良い好みでも悪い意味でも様々な可能性を秘めているなと感じ、とても興味が湧いた。また自己のアイデンティティーが不断に変化するプロテウス的人間という概念を初めて知った。身分が与えられてそれがアイデンティティーとなった昔と違い、今では行動が自己のアイデンティティーを作っていくため、SNSなどにより複数の自己が産まれていくというのに納得した。また、サトシのピカチュー問題・マサラタウンのサトシ問題は例えが面白く分かりやすかった。

豊田裕大    reply

授業ありがとうございました。今日の授業を聞いて、人はこんなにも簡単に騙されてしまうものなのかと驚きました。いい面、便利な面もありますが、やはり没個性的になってしまうことが個人的にはすごく心配でした。例えば、アニメのキャラクターのヒロインの顔など、どれも同じに見えてしまい、正直違いがよくわかりません。それでもやはり、僕自身としては、もっと自信を持つため、より積極的な人になるためにアバタを使えたらいいなとは思いました。

samiru618    reply

講義全体を通して、自分が思っているより人間は単純で、思い込みが与える影響は大きいのだなと感じました。自分が何者かによって、出せるパフォーマンスが変わってくるというお話が興味深かったです。このお話を聞いて、「超能力を使えるなら何の超能力がいいか」という質問の答えが、変身術になりました。私もプロテウスのように変身術を身につけて、テストの時にアインシュタインになりきりたいです。これからはテストの時、気持ちだけでも違う人になりきってテストを乗り越えようと思いました。最後に、「なりたい自分はどんな自分か」という問題に対する答えを考えてみましたが、自分も自我があまりないのか、あまり「なりたい自分」がないなと思いました。考えてみれば、外見や性格を変えたいというよりも、今の自分の外見や性格はそのままでどうしたらもっと楽しく生きていけるかを考えることが多いからかなと思いました。

0326ema    reply

今までバーチャルリアリティについて、最近のゲームで利用されるようになった高度な技術という程度の知識しかありませんでしたが、今回のお話を聞いて、この技術の活用でできること、もしくはこれからできるようになるかもしれないことが非常に多いと知り驚きました。特に、アバターの姿を変えることによってここまで自分の思考や好みが変化してしまうものかと驚きました。高齢者が若者のアバターを使うことで心を若々しく保つ、というような活用はこれからの高齢化社会で大いに役立つのではないかと思いました。一方で、美少女のアバターを使い続けた人が現実世界においても自分を美少女だと思ってしまうという例は、一種の洗脳のようでかなり怖いと感じました。技術の開発と並行して技術の適切な利用法を考えていく必要があると感じました。

mhy2135    reply

太鼓の実験が例として挙げられた、自分自身に対する認識によってその人のパフォーマンスも変化する、という話は、私自身も楽器を演奏する身として特に興味を引かれました。こういう問題は心理的な要素が強いと思っていましたが、アバターの使用によって、実験において客観的に条件を設定、区別することが可能になっている、というのが面白いと感じました。
また、「マサラタウンのサトシ」問題が紹介されたことにより、人のイメージや感覚に変化をもたらすことでその人の行動や思考にも変化を生み出すアバターの、今の社会にもたらす影響の大きさを理解しました。身分なら(その場しのぎにはなるでしょうが)口先でいくらでも簡単に偽れそうですが、行動はそうはいかない、というのは感覚でわかります。

gyoza0141    reply

どんな自分になりたいですかと聞かれたら自分は満足できる回答をできないなと感じました。そもそも「私」とはみたいなアイデンティティにかかわる問題にもなりうるし、自分の欲求、内的な欲求は本当にあるのかと考えさせられました。というのも、現代ではあらゆる情報がインターネットを通じて飛び交っていて、そういった情報や広告に自分の欲求が左右されているというか支配されているような感覚を抱くことが多々あります。例えば、昨日マクドナルドでグラコロが販売開始されたという広告を見て突然猛烈にグラコロが食べたくなりました。そんな風に自分の欲求の問題にもつながってくるような気がしました。今日の話を聞いて、一貫した自己を持たなければならないという観念から逃れて、いろんな自分があっていい、なんにでもなれるという希望のある世界にワクワクしました。

tugariz    reply

最新のVR技術の紹介はどれも興味深いものでした。どのような外見のアバターを使うかによって能力や態度が変わるということに驚きました。他者との身体の融合という概念も自分にとっては新しく、魅力的に感じました。今まではそのようなVR体験は一時の遊びとして行うものだと思っていたので、今回の講義は、これから先のVR技術がもっと日常生活に浸透した社会を考えるきっかけになりました。自分が常にアバターを使って生活したいかというと、本物の身体を忘れてしまうといったことが怖くてそうは思えませんが、ここぞという時に自由に切り替えられたらもっと自分に自信が持てるようになりそうです。

noguchi5rohgoya    reply

我々は、私という確固たる主体が存在して、それが確固たる意志を持って行動しているのだと想定して社会の中で生きていますが、今回の講義のあと考えてみると我々はさほど確固たる存在ではないのではないかという気がしてきました。個性、あるいは私とはなんなのでしょうか。バーチャルリアリティが確固たるものと思われたもののうち外観などを変えてしまうことで我々の存在についての根本的な疑問に光をあててしまったというのは興味深いことです。

nv0824    reply

バーチャルリアリティから始まり、最後は自分とは一体何なのかという人間の根源的な問いについてのお話があり、非常に興味深かったです。アバタの活用について興味を持ちました。例えばZoomで特に発言をせず傍聴の立場のときはカメラをオフかつミュートにすると思いますが、傍聴者の欄が黒い画面で表示されるのではなく、その代わりにそれぞれのアバタが表示されれば、発言者側も、自分の発言に耳を傾けている人がいるのだということをより実感でき、快適に発言ができるようになるのではないかと思いました。

ken0712    reply

私はアバタを使って活動している人たちに対して完全に見る側の視点からしか考えておらず、彼女ら彼らの見た目は見る人を喜ばせるためのものであるというふうにしか捉えられていなかったのですが、それは同時に演者(いわゆる中の人)のなりたい自分という意味合いを含んでいるというのは今まで気付いていなかったことだったので面白かったです。また、一見夢物語のように思える「今の自分に束縛されず、なりたい自分になる」ということが実はすでに部分的に実現されつつあるということにも気づかされ、とてもワクワクしました。

L1F2    reply

どんな自分になりたいか、ということを真剣に考えてみた。私自身VroidStudioを使って理想の外見(美少女)のアバターを作って楽しんでおり、外見は現実の自分とかけ離れたものでも理想の自分になりたい。声も同様である。一方で、性格が変わればそれは自分でなくなる気がする。能力に関しては、その能力に見合っていると主観的に思える苦労をしたうえでならば手に入れたい(現実ではどんなに苦労しても天井がある。苦労なしで能力を手に入れるのは後ろめたいが、その天井を取っ払うことに対しては罪悪感はそこまで起こらないと思う)。自分にとって、それを獲得するまでの物語がある部分は変えると違和感があるが、外見など物語なしに勝手に与えられた(と主観的に思う)部分は変えたいように変えると思う。

lmn7    reply

日常的にああなりたい、こうしたいというと思うことはあるのに、なりたい自分と言われると、そういった「こうなりたい」という要素を詰め込んで一つのアバタに実現しようとしても、それらが整合性を持ちかつ自分に合った形で現れないのではないかと悩んでしまいました。また、それが実現したとして本当に自分がより良い状態になるのかと疑問に感じました。自分はVRに触れる機会が今までにあまりなかったので、これからより普及していくであろうVR技術に実際に触れながら、より考えを深めていけたらなと思いました。先生の講義とても面白かったです。

touko8230    reply

ゲームやVtuberといった、VR技術の応用はここ数年で急激に私たちの身の回りに侵入して来ましたが、私個人としてはあまり馴染みがなく、今回の講義はそれらについて考えを深めるよいきっかけになりました。
私は楽器を最近熱心に練習しているので、自分が何者だと思うかでパフォーマンスが変わる実験や、擬似成功体験を与えて成績をアップさせる実験例を見て、楽器の演奏などにもこの技術を適用して効率的に上手くなれないかな、などと考えました笑。このようにVR技術の可能性を感じ、わくわくすると同時に
、ナラティブセルフへの理解を深める必要性を強く感じました。「確固たる自己」というものの重要性がいかに世の中で極端に持ち上げられているかを考えると、ミニマルセルフが容易に変容可能なことで混乱し、人々が私的な領域の内側に引きこもってしまう未来が私には見えました。VR技術が、より多様な人がパブリックな空間で行いをする際に活かされていけばよいな、と思いました。

yk0819    reply

偽の手を本物と思い込んで痛みや冷たさを感じるなど人間は相当騙されやすいのだなと感じた。この騙されやすさを有効的に利用してパフォーマンスを上げるなどの手法が多々登場してきているというのは面白いし自分も活用したい。しかし、騙されたことでパフォーマンスが上がるというのは確かにうれしいが同時に自分がいかに単純かということも実感させられてしまうため複雑な気持ちである。また、魅力的なアバターを使うとプロテウス効果によって積極的になれるとしても、人物の魅力度の高低に対する社会的な差別意識や偏見が根本的になくなった訳ではなく、対症療法的であるという認識は持っておくべきだと考えた。他にも、自分をスーパーヒーローだと思い込んでしまうことで現実において危険な動きをしてしまい事故に遭うなどの好ましくない作用もありそうで用法には注意が必要だと思った。

sakasaka05    reply

VR確かに画期的な技術であり、アバタを通じてなりたい自分になるというのは誰しもが求めるような状態だとは思いました。しかし一方でVR技術によって現実の自分を直視出来なくなったり、仮想の自分に心酔してしまうのではないかという危険性も同時に感じました。いずれにしてもVR技術の進展により人類の姿が変化していくというのは人間の進化の第一歩に繋がると思いました。

283ama    reply

VR技術を用いて身体拡張を行うと、我々の心や認知機能に想像以上に大きな影響がもたらされるということを知り、大変興味深く感じました。場面やなりたい自己像にあわせてヴァーチャル身体を使い分ける社会になれば、人間関係の構築などにおいて新たな可能性が生まれると思います。分人という考え方にあるように、一貫した自己があるという常識的な考え方は幻想であるようにも思われます。しかしながら、いわば人工的に不安定な自己をつくるというVR技術の試みを耳にすると、そこはかとない不安感を覚えたというのも正直な事実です。また、「VR技術でなりたい自分になる」というキャッチフレーズを聞いて、そもそもなりたい自分というものがよくわからない、あるいはそもそも存在しないのではないか、というふうに思ってしまいました。技術的な問題だけでなく、自己とはそもそもどういうものなのかについて、複合的な観点から考察し理解を深めていくことが必要だと思いました。

dta28    reply

講義ありがとうございました。自分が何者かと思うかによってパフォーマンスが変わるというお話がとても印象的で、人間の可能性を感じさせてもらえました。精神疾患を患っている方の、症状の原因として、自己への批判や自信のなさが挙げられると思います。それらの解決策として、思い込みによる目に見えるパフォーマンスの向上に可能性を感じました。

mehikari18    reply

これまでの講義や、世間一般では、コロナ禍の非対面が主流となったコミュニケーションを比較的ネガティブに捉えることが多かったが、今回の講義では、この非対面型コミュニケーションがVRなどの技術を用いることで「自分」というものの可能性を広げてくれるということを知ることができた。特に、人が、アバターによってその行動様式に変化が生じるというのは驚きだった。

Ruru    reply

他者や架空のアイデンティティをアバターを通じて取り入れることは、スポーツの練習など一時的な取り組みにおいては、利用者自身の能力向上につながる有益なことである。一方で、アバターを通じて強化された自己は、常に本来の自己よりも優れているため、アバターを慢性的に利用する人々も出てくるのではないか。そうなると、人々はアバターをとった自己を受け入れられなくなったり、皆一様な価値観の下、同じような人間ばかりになり、虚しさが残るのでないかと思ってしまう。また、アバターによって恣意的に自己を操作してばかりだと、苦痛も含めた自然な感覚や、どうしようもなく立ち現れてくる個性が失われてしまう気もする。

DonnyHathaway21    reply

どこまでが自分なのかはっきりとは分からないことを示したエルンスト・マッハの自画像は新鮮であると同時に、『自分』という凝り固まった概念を疑わせてくれるものだった。
表象で中身まで変わりうるというプロテウス効果から、表象ははただの上っ面では無く、本質、中身の表出であると思った。その中で、最も本質的な表象としての顔、faceの重要性にも改めて気付かされた。
また、ルーティンワークのジャンプゲームの例から、VRが仮想現実ではなく、実質現実であることが理解出来た。現実とは、『自分』が認識する、周囲(surroundings)であると考える。その『自分』がマッハの自画像のように不定で伸び縮みするものである以上、VRの可能性は文字通り無限大であると感じられた。

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