I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.12 2022.01.05 Yoshikazu NANGO

Instructor

Yoshikazu NANGO

comments(最新2件 / 22)

face1030    reply

コロナによる自粛によって見直す機会のできた孤立のあり方を、様々な型で分類することでその認識が深まりました。各国間の比較が特に興味深く感じたので、外国の状況ももっと知りたいと思いました。今回も含め、コロナ禍に関連してアイドルやyoutubeの話がよく出てくるので、今後もその動向に注目していきたいです。

q1350    reply

日本人のひとり空間の特徴の一つで、エドワードホールが述べた外国と比べた比較文化の特徴は、とても納得できた。視線と音の観点は、それぞれが作るひとり空間の作り方にも影響し、それがひとり空間の課金性を生み出しているのではないかとも思った。つまり、視覚を遮るためには物理的な空間のアレンジが必要であるからである。

taisei0303    reply

「みんなでひとりでいる」空間では、沈黙のコミュニケーションが交わされているというのが、専有型のひとり空間とは違う特徴で、興味深かったです。また、コロナ禍において裏舞台が表舞台化しているというのは、非常に共感できることだなと思いました。離接型のコミュニケーションのいい所もあると思いますが、対面でしか得られない偶然性が失われているのは悲しいことだとも感じます。

sk0515    reply

ひとり空間の分析・類型化は非常にわかりやすかったです。外出機会が減っているコロナ禍において、ひとり空間が持つ役割はこれから大きくなっていくと思います。私は昨年の春に地方から上京してきて一人暮らしをしているのですが、一日中家にこもっている日も少なくありません。ひとりでいるのは居心地がいい側面がある一方で、ひとりで色々思い悩んで時々気分が沈んでしまうことがあります。これは、ひきこもりの要因なのかもしれないと私は感じています。私はひきこもったことはないですが、これが続けばひきこもりになりそうだなという感覚を覚えました。ひとり空間が精神面に与える影響について研究してみるのも面白いと感じました。

taisei0303    reply

「みんなでひとりでいる」空間では、沈黙のコミュニケーションが交わされているというのが、専有型のひとり空間とは違う特徴で、興味深かったです。また、コロナ禍において裏舞台が表舞台化しているというのは、非常に共感できることだなと思いました。離接型のコミュニケーションのいい所もあると思いますが、対面でしか得られない偶然性が失われているのは悲しいことだとも感じます。

283ama    reply

コロナ禍によって対面での交流の機会が著しく損なわれ、孤立感が強まったというのが一般的な認識だと思いますが、そこに地理的、歴史的な分析を加えると非常に興味深い知見が得られることに気がつきました。確かにコロナ禍である種の「ひとり空間」が広まりを見せたわけですが、その多くは近隔型だと考えられます。しかし「ひとり空間」にはほかにも、カプセルホテルやネットカフェなどの半占有型のものや、趣味や好みの合うもの同士が集まる共有型空間などがあり、地域ごとの文化的な差異も含めると極めて多様なのだということを知りました。特に、日本ではもともと独自の「ひとり空間」が発達していたというのは、コロナ禍において盲点となっていたことなのではないかと思います。こうした「ひとり」のあり方の多様性を認識することで、今後のオンラインでの交流で重視すべき要素や、逆に保存すべき従来の「ひとり空間」が見えてくるのではないかと思いました。

DonnyHathaway21    reply

「ひとり空間」の中にも日本の地域性が現れていて面白かった。狭小空間に多機能を詰め込んだウォークマンが日本で生まれたのも納得できた。また、他会社の機種と比べると比較的サイズの小さい、狭小なiPhoneが日本において支配的なのも偶然ではないだろう。
また、日本人は視線に敏感であるというのは、zoomでの対面感の喪失に繋がっていると思う。カメラをオンにしていても目線が合うような気がせず、同じ空間状態を共有している感覚が薄い。もしかすると、欧米圏では「音」中心のコミュニケーションであるzoomはもっと馴染みやすいのかもしれない。翻ってみれば、私たち日本人が再び対面に戻った時の「対面らしさ」というのも、そこに求めることが出来ると思う。

samiru618    reply

日本は有料なひとり空間が多いというお話の際に、川のすぐ横に座って仕事をしていたり、芝生の上で仕事をしている海外の写真を見て、日本で生きているとそもそもそのような場所で仕事をしようという発想に至らないなと気付きました。また、日本人は視線に関して敏感であり、カフェでも壁に向かって座ることが多いのに対し、海外では視線をより多く感じる、壁と反対側に向かって座っている写真など、文化の違いを目の当たりにし、興味深かったです。

赤尾竜将    reply

僕は、人の視線を気にせずにいたいというニーズと、他者と交流したいというニーズが両方存在するので、ひとり空間と仕切りのない開けた空間が併存する状態が最も良いと思います。そのため、飲食店などの物理的な空間で一人空間が増えてきていることはよいことだと思いました。情報空間内ではオンライン通信などで開けた空間が増えてきていますが、それでもまだひとり空間が大半を占めてしまっているのでもっと開けた区間が増えてほしいと思いました。

L1F2    reply

メディアの変化や社会の変化に伴ってひとりの空間のあり方も変容してきたということが興味深かった。これからの社会を考えてみたとき、(最近メタバースという言葉だけ独り歩きしているが)仮想空間上で活動をすることが当たり前になったら、「ひとり空間」はどうなるのだろうかと思った。おそらく仮想空間上では、専有型や共有型など既存の様々な形の「ひとり空間」が任意に容易に再現可能であるだろうが、そうなったとき人々はどんな「ひとり空間」を選択する、あるいは作り出すのだろうか。

mhy2135    reply

空間について、社会変化と地域、という二方向から考えるきっかけになった。カプセルホテルの例で紹介されたように社会構造の変化による影響を受けてきた空間利用の仕方・ひとり空間に、現在パンデミックという最大級の社会変化がさらなる変化をもたらしている、という構図をはっきり実感した。また地域性という話だと、日本は海外よりもひとり空間の充実が見られる、という事実が、ワンルーム・1Kの住宅の割合という客観的データからも示される、というのは私にとっては新事実で驚きだった。一方でひとり空間の創出にも国によって違いが見られるのは興味深かった。特に、日本人が音に鈍感・視線に敏感、というのは実体験から強く感じる。
かつてから、どうして日本には、広場のような空間で人々と音楽を楽しむ海外みたいな習慣があまり根付いていないのだろう、という疑問を抱いていたため、このことについて考える糸口を本講義で見たように感じられ嬉しい。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。海外の公園などでみられた、仕切りのない一人空間は、日本との文化の差を感じました。コロナ禍で、対面するという機会が制限されており、僕自身も一人暮らしをしていると人と会う機会というのはかなり限られてしまっています。視線を合わせる機会、他者の顔をみる機会は必然的に減っていますが、やはり日本人は、逆に言うとこうした機会に対面らしさを感じるのだろうな、と思いました。Zoomのような、大人数のものだと、対面の幹事は感じられませんが、1対1のテレビ電話だと、ある程度対面感を感じられるように思います。

lmn7    reply

コロナの影響からか〈ひとり空間〉と聞いたときに、なんとなく近隔型の〈ひとり空間〉を思い浮かべていましたが、講義を通して〈ひとり空間〉の多くの側面について考えることができて面白かったです。モバイル端末によって物理的な間仕切りがなくても〈ひとり空間〉を立ち現せさせることができることができるようになった一方で、常時誰かに接続しているという意識どによって〈ひとり空間〉が脅かされてしまうということから、現代の〈ひとり空間〉の複雑さのようなものが感じられた気がしました。また、「ひとり」という状態がそもそも如何なるものかということにも興味が湧きました。

nv0824    reply

コロナ以前から「ひとり〇〇」や「ソロ〇〇」という言葉はよく耳にしていたと思いますが、コロナ渦になってからよりこのような一人行動にスポットが当てられるようになったと思います。コロナ渦にいたっては、人々がそれぞれ一人行動をすれば複数人で同じことをするよりも感染拡大のリスクは低くなると思うので、コロナ渦で様々なサービス業が苦境に立たされるなかで、このように「ひとり〇〇」ということを商売に上手く生かすことができればコロナによるダメージを小さくすることができるのではないかと思いました。コロナ以前の「ひとり〇〇」はあえて一人で何かをすることを選択するというものでしたが、コロナ渦では逆に複数人や大人数で何かをするこよは許容されず、それよりも一人で何かをすることが好ましいとされているので、この「ひとり〇〇」のあり方や捉え方も変わってきていると思います。元々一人行動が好きな人にとっては今の世の中はより過ごしやすいものになっているのではないでしょうか。

noguchi5rohgoya    reply

僕は中高時代を親の仕事の都合で田舎で過ごしたのですが、そこでの血縁や地縁の強さに驚かされ、また都会に出たいという人の多くがそれらからの解放を目指していたことを興味深く思いました。そこで都会の「ひとり」について気付いたのですが、今回の授業でひとり空間という出発点からそれが出てきたときは頭の中でまったく独立していた二つの物事がつながったように感じました。パンデミックでますますひとり空間化が進む中、都会の「ひとり」がどういった形をとっていくのか気になります。

mehikari18    reply

一括りに「ひとり」と言っても、自室で孤独にいるという意味での「ひとり」と「みんなでひとりでいる」という意味での「ひとり」では、沈黙のコミュニティーの有無という点で異なることは印象的だった。今回の授業で、意外ときちんと理解できていなかったひとり空間について色々知ることができた。

dta28    reply

講義ありがとうございました。コロナ禍を契機に「ひとり」であることに注目が集まるようになりましたが、個人的にはコロナ禍以前からその風潮は強かったのだと思います。私個人的には、部屋の中でひとりでいるよりも、都会の喧騒の中でひとりでいるときのほうが安心感を覚えます。社会の中の匿名の個人であるという状態が、常時接続社会ではそのような安心感を生むことを体系的に理解できました。一方で、個人主義が進む現在ではありますが、個人ができることには限界があることを考慮すると、今後は利他の精神が重要になるとも思えました。

yk0819    reply

「ひとり空間」のタイプを見ると、日本は非常に有料の空間が充実していると感じた。日本人が視線に敏感だというのは、例に挙げられていたラーメン店など、必ずしも隣と仕切られている必要はないのに仕切られている空間が多いことから常日頃実感している。皆が中心を向いて座っているが、互いのことは気にせずに過ごすという空間は面白いと思ったが日本では難しいのかもしれない。また、物理空間でひとりになれたとしても、情報空間では、常にひとりでいられず返信などを求められる現代の状況はストレスになっていると思う。

sakasaka05    reply

コロナの影響で「一人でいること」あるいは「人と空間を共有しないこと」に注目が集まっている状況での今回の先生の授業は非常に興味深かったです。日本における「ひとり空間」を類型化する発想は私にとって新鮮であり、同じ一人でいる状況でも様々な型があることがわかりました。今までは多くの人が、他者が集団内で過ごしている中、自分だけ一人であることには抵抗意識がありましたが、コロナ禍では「みんながひとり」であるため一人でいることへの抵抗が少なくなったと思います。しかし、現在の状況に慣れてしまった現代人の中にはコロナ収束後に再び集団に属することに支障をきたす人も現れるのではないかという懸念も同時に生まれました。

jacky07    reply

コロナ禍以前から存在したという群衆の中の孤独をあまり感じたことがなかったのだが、コロナ禍で在宅の時間が増え、家族と一緒に過ごす時間は増えたにもかかわらず、一緒に話したり出かける機会はむしろ減ったように思える。外出は当然コロナの影響であるが、あまりに家族と近づきすぎて先生がおっしゃったように近隔型の一人空間が形成されているようだった。こうした一人空間は主にスマホやイヤホンによって形成されており、冒頭の見えない仕切りの話も実感があるだけに理解しやすかった。

Ruru    reply

講義を聞いて、これまでの社会では、現実の空間における他者との関係性がその空間における空間利用を決めることがほとんどであったが、電子機器の普及や、コロナ禍でのオンラインの繋がり強化によって、スマホやパソコンで人が自ら空間利用を操作できることが圧倒的に増えた、ということに気づいた。個人的には、頻繁に空間利用を自分で切り替える生活は少し疲れる。電車に乗るや否や、真っ先にスマホを取り出す人々の姿を見ていると、空間を他者と共有することを過剰に怖がっているのではないか、とも感じる。

gyoza0141    reply

日本でひとり空間が多いのは、日本人が他人の目線を過剰に気にしているということもあると思いますが、人口密度が高いとか広場や通りを建設するだけの空間がないなど地理的な側面も大きいような気がしました。ただやはり日本人が視線に敏感ということは感じていて、自分も多少敏感になっている部分があると思います。特に図書館の自習室や電車の中で席を探しているときとかは周りからの視線が気になります。すでにそこに座っている人たちはその空間の居住者で、僕は外から来た変な奴みたいなそういう関係になっている気分になります。だから僕は特に「駆け込み乗車」が苦手で、電車に乗り込んだ瞬間に別世界に来たみたいなそんな感覚に陥ります。あとは僕は家に一人でいる時よりも、ネットカフェとかで一人でいる時のほうが一人でいる感が強くて、なぜだろうと考えてみると、その違いは声が出せるか出せないかにあるような気がします。家では声が出せる、つまり独り言が言えるので自分が二人いるというわけじゃないけど、考えている自分と話している自分がいるみたいな感覚になり、ネットカフェとかでは声が出せないので本当に一人でいる感覚になるという風に。だから、「声」というのも何か自己や他者を考えるうえで重要なのかなと思いました。

More

Post a Comment

 
Other Lessons

Loading...