跳出思维框架

第3回 10月09日

信頼の系譜学

评价内容(最新2件 / 26)

Tyuki23    reply

普段の社会では信頼が前提になっており、危機において「信頼」が重要になってくるということは非常に普遍的で包括的な概念だと思った。確かに日常において、すべてのものに対して懐疑的になっているわけでもない限りはどちらかといえば上手く行っているあるいは問題が起きていないことに対しては疑いを持てない。しかし、誰かが問題を起こした時、あるいは何らかの問題が起きた時に初めてそこに疑いが生まれる。しかしこの構図は思わしくないように感じる。まず問題が起きてから初めて信頼について問題にするのではなく日頃から信頼に足るかどうか検討すべきであると感じる。また問題が起きてから信頼を論題にするとそもそも信頼がない状態から始まることが多く、中立の立場から客観的に検討することはどうしても難しい。それが大衆規模となればなおさらであると感じる。しかしある程度以上の信頼がないと社会における何事も成立しない。そして本講義において現代ではその根底の信頼が抜け落ちているという話があり、非常に危機感を覚えた。そのような時代だからこそ自らの中に確固たる判断基準を築くべきであると私は考える。本講義で信頼に変わる概念の提唱があり、その視点でも考えていきたいと思った。

martian5    reply

 貴重なご講義ありがとうございました。
 今回の講義でまず気づいたのは、普段私が日常的にしようしている「信頼」という言葉にも近代西欧まで求めることのできる由来があり、またその語の意味にも変遷の歴史があるという事実です。今現在日本社会や世界で共有されている「信頼」という概念もあくまで一時的に浸透しているものに過ぎず、その合意は比較的最近出来上がったもので、また比較的近い将来に崩れるものであると思います。
 その上で、現代社会における「信頼」という社会合意の有用性と存在意義を確かめる機会を提供していただきました。私が「信頼」という語を聞いて最初に連想するのは個々の人間関係においての用法でしたが、第二回までの講義を受けることで個人対集団や集団対集団のダイナミクスにおいても「信頼」の構造は同様に考察の対象になると思わされました。さらに、今回の授業では、集団が集団内において合意を形成しているとき、その集団を一つの意思を持つ1主体として便宜的に扱うことが可能であり、だからこそ個人対個人の時に有用性を持った「信頼」についての考察が集団と個人、集団と集団の場面においても適用されることができたのでしょう。
 講義で特に興味深かったのは、法などを例に持つ社会秩序のあり方の一つに「信頼」もまた含まれるとした考え方です。また、だからこそ、相手の行為が予測可能で、その帰結も制御可能であるという比較的達成が難しい条件を前提にしているという点で、「信頼」は社会制度としては不安定であると言わざるを得ないでしょう。
 さて、「信頼」は現代社会においてなお威力を発揮するものなのでしょうか。ここで、「信頼」が有効に働くためには主体が相手の行動を予測でき、またその帰結を制御できるという前提がある、という点から出発して考えると、自然災害に二次的な人災や金融危機、テロネットワークなどが、発生頻度は低くても、いつ発生してもおかしくはない現代社会においては「信頼」は機能しないように思えます。これは現代社会において、グローバル化やインターネットなどの拡大によって事象の関係の複雑が進んだことが原因に挙げられるでしょう。この意味では「信頼」はこれからも広範に社会秩序を生み出すのに有効であるか、非常に疑問です。
 一方で、「信頼」は完全に死ぬのかというと、また疑念が残ります。例えば一般的に「信頼」がうまく機能していたと考えられる時代、もっと言えば「信頼」が歴史上でもっとも機能していたと考えられる時代・地域においても、やはり「信頼」が全ての場面において社会秩序の形成への解決策となったとは言えないでしょう。過去に遡れば一般的に「世界」は現在の「世界」よりも小さくなると考えられます。今よりも小さい「世界」に存在した為政者は今よりずっと持っている情報が少なく、知の蓄積も少ないでしょう。彼らもまた、彼らにとっては「信頼」が完全に機能するには複雑すぎる世界を生きていたのかもしれません。そういう意味で、現代社会で「信頼」が機能しない理由、例えば自然災害に二次的な人災や金融危機、テロネットワークなどの問題が、一般的に「信頼」が機能していたと考えられる時代においても、たとえ小規模であったり、または別の形であったりしても、現出していなかったどうか、考察をしてみたいと思いました。

youcan19    reply

これまでの講義とは異なり、今回は文系的な視点、特に哲学的な考え方に触れることができた。「信頼」というものが重視されていた時代はそう多くなく、それが重視されてきたのは危機の時代だということは考えたことがなかった。複雑な社会を単純化するには信頼が不可欠であるが、予見不可能・制御不可能なものに取り巻かれている現代では「信頼」の賞味期限が切れつつあり、それに代わる新たな概念を考える必要があるかもしれないという話はとても興味深かった。

Suzu0705    reply

今回の講義はこれまで受けてきた3回の授業の中で最も難解であった。ホッブズの唱えた、新しい秩序を構築するための方法について、内乱で人びとが武器を持つなか、まず最初に武器を捨てる者は誰かという話が出てきた。信頼のある社会を構築するには、最初に他人も武器を捨てるという信頼が必要だというジレンマはとても興味深く、信頼という概念のはらむ矛盾が垣間見えたような気がした。前述のことを達成するには共通の権力が必要だが、現在その権力がないから内乱状態に陥っている。どうやっても解決できないように思われる。また、現在「信頼」という言葉はもはや賞味期限切れになりつつあるという話も興味深かった。確かに私たちは、度重なる政治家の汚職や原発事故のような悲惨な事故を経験して、信頼という言葉が揺らいでいるのを感じる。現代があまりにも複雑化し、それだけでなく予測不可能性・制御不可能性も高まりつつあるなか、私たちは自らの意思とは無関係に「信頼」というツールを喪失するのではないか。だとすれば、それにとってかわる、複雑さの縮減のための新たなツールは生まれるのだろうか。今日も新聞を読めば関電会長らの金品受領による「信頼失墜」の記事が目に飛び込んできた。この言葉はいつまで、新聞の第一面にでかでかと載るほど重要な概念たり得るのだろう。そのタイムリミットが刻々と近づいているような気がして、神妙な面持ちでそれを眺めた。

lyu39    reply

 現代において信頼を考えることにどんな意味があるかという問いから授業が始まり、現代社会の予見不可能性と制御不可能性によりもはや信頼という概念自体が頼りにならなくなって代わりに何か新しい理論的「装置」を作り出すべきではないかという先生の意見で終わったのだが、大変啓発的な内容だった。信頼は社会の複雑さを(心理的に)軽減することで、より高度な組織と社会構造の構成を可能にする。そのようなルーマンの信頼論は前回と前々回の横山先生・小野先生の話に当てはめても納得できるように思える。企業や国家などにとって、自分よりはるかに専門知識を多く持ち、ある意味では理解しがたい科学者の意見を信頼することができて初めて気候変動や原発などの問題に取り組むことができるわけであり、また薬学に関して完全に無知な人間でも薬品への信頼があったらよくわからない物質を平然に飲み込むことができる。この組織・個人が必ずしも信頼できる、という証拠が足りないとしても、我々は経験的・戦術的な洞察、あるいは日常的な慣れ親しみにより信頼することを選ぶ。
 そもそも信頼とは何かといった抽象的な思考を促す授業が聞けて、すごく興味を抱いた。我々は経験的な判断により誰かを信じることが自然にできるが、信頼関係もまた崩れやすいもののように思える。一回目の授業で横山先生が提示してくれた「価値共有」のもと「能力」と「意図」といった信頼の構成要素はおそらく信頼が長続きするための要件ではないかと思った。社会のさらなる複雑化・多様化によって、この三つの要件が疑われることが増えるのに決まっており、信頼という装置の稼働に頼ることが難しくなっていくという意見も確かに説得的である。

satoshi31    reply

信頼とはプラスの価値を持つものであり、大切なものとされているが、信頼という言葉が信頼されないような時代になってきている。政治家の語る信頼という言葉、信頼回復という言説は選挙を有利に運ぶための、支持を集めるための、政治家自身のためのものになっているのではないか。現代社会の複雑性を縮減し、システムを何とか稼働させるために作られた信頼はフィクションになりつつある。社会の根底を支えていた信頼が底抜けしつつある現代、信頼に代わる概念を生み出すべきなのではないか。たしかに、社会というマクロな視点において、国民と政治との間や国民と企業との間にあった信頼関係は薄れていっているように見える。しかし、個人と個人の間のミクロな関係においては、信頼はまだ正常に機能しているのではないだろうか。社会システムへの信頼はすでに損なわれているとしても、人格的信頼は保ち続けられていると考えべきである。また、内閣や企業の不正といったネガティブな面が新聞やニュースで強調されるため信頼感がなくなっているが、国民と裁判所、司法への信頼は決して失われていない。利権が絡む問題、特に政治や経営といった面においては、そもそも信頼という言葉を使うことが不適切であるような気がする。信頼という言葉が信頼できなくなっているという言説は行き過ぎではないだろうかと思う。

tanyn0580    reply

前の講義は「信頼」の応用に関する話が多いのに対して、今回の講義は「信頼」という概念自体に関する話であり、「信頼」のもう一つの側面が見えるようになったと思う。見えない、あまり気付かない、しかしわたしたちの社会の基盤となるものである信頼という見方はさすがに文系ならではのものだと思った。
英語では、「恋に落ちることは、誰かに弾丸を込めた銃を与え、その銃が自分の心に向いても相手は引き金を引かないと信頼することである」という有名なセリフがある。the first performerの話を聞くと、正にそれではないかと思った。先生が述べたように、大学生は信頼を考えると、最初に頭の中に浮かんでくることはおそらく恋愛または友情関係である。結局のところ、そういう若者っぽいことも実は哲学的な「信頼」と共通していることは興味深いと思った。
やはり一つの講義だけで「信頼」説を完全に説明できないが、これから理解を深めたいと思う。
大したことではないが、PPTの字がちょっと小さく、前の方に座っていたが読みづらかった。

yka710    reply

過去二回の講義が理系的な内容に関する具体的な検証であったのに対し、本講義は社会システムそのものを支える信頼について、その成り立ちを問うという観念的な内容であり、聞き応えがあった。講義の序盤では、信頼には賞味期限が来ているという話を聞いて半信半疑の状態だったが、信頼の成立が17世紀の社会契約論に遡ることを聞いて、信頼は確かに変質していると思い直した。国家の形成とは、皆が社会契約論というフィクションを信頼しさえすれば、いわば成功が約束されているようなものだったが、現代社会における信頼とは、皆が「安全」や「自由」というフィクションを信頼すればするほど手痛いしっぺがえしを受けるものなのではないか。タイタニック号完成時は、誰もがその安全性を疑わなかったというが、結果的に十分な安全対策が行われず、多数の命が奪われた。現代のリスク社会においてこのような例は枚挙にいとまがない。科学技術により生じた問題を解決するのもまた科学技術であるとよく言われるが、AI技術が発達すればその思考過程は人間にも追跡不能なものになる。科学技術への不信が募る所以である。
それでは、我々はいかなるシステムを希求すべきか。自分を含め多くの人はいかにして信頼を回復すべきかを考えるだろう。しかし、信頼には賞味期限が到来したと潔く言い切り、それに代わる新たな概念を思索するところに、鈴木教授の独創性が感じられた。残りの講義を通して、信頼に代わる概念の可能性についても検討してみたい。

kfm1357    reply

このオムニバス講義を受講しようと思った理由の一つは、現在一般に流布する信頼について再考察してみたいと考えたからだった。そう考えた際には、「信頼回復」といった面に意識が向いており、従来の信頼に変わる新たな概念の創出ということには思い至っていなかった。このような考え方で講義に臨んでいたため、鈴木先生が、社会においてこれまで用いられてきた信頼という概念について、限界を迎えつつあるかもしれないといった趣旨の話をなされたとき、はっと驚かされ、講義を受けるまで持っていた思考の枠組みの一部が揺るがされた。今後このオムニバス講義を受ける中で考える視点が加わった。従来の信頼という概念が今後も通用するのか、新たな「信頼」の概念はどのような形で存立しうるものなのか、頭の片隅に置きながら講義を聞き、考えたい。ただ、このオムニバス講義に出る前に持っていた考えも継続して検討していきたい。複数の視点から考察しつつ、このオムニバス講義が終わるときに、ある種の考えにたどり着けば良いと思う。もちろん、最終到達点にたどり着かなくても、むしろ、半年で「信頼」について考えを尽くせる可能性は低いが、考える過程は、今後の人生に役に立つと信じて思考を続けたい。

hikaaaa19    reply

今日において社会が可観測性と可制御性を失っているという主張は否定することは難しいだろう.このような状況において未来を予測することができない以上,信頼というものに過度な期待を寄せることはリスクが伴うだろう.例えば信頼を失った通貨においてハイパーインフレーションが発生し生活が脅かされていることは,信頼に過度な期待を寄せる今日の社会の問題点が明確に発露した良い例として挙げられる.こうした時に社会の潤滑油を代替できるものが必要になってくる.それが信頼の置ける第三者が不在の状況においても取引が可能であるとしているブロックチェーンになるのか,他の方法によるものかはわからない.しかし,トラストレスな社会に追い風が吹いていることは面白いと思った.

ykiki373    reply

今回の講義では哲学の視点から信頼について考えるという内容だった。驚いたことは、信頼という概念が大切に扱われてきたのはホッブスなどが登場する近代に入ってからだということだった。しかも信頼が重視された理由も危機の時代だったということと、現代社会もまた予測も制御もできない危機の時代であることも納得できた。
またルーマンの思想である、信頼を社会との関係で考えることや、信頼をレベルによって分けて考えることも何か複雑な現代社会への対策を見出す上で大切なものになってくるのではないかと思った。

yuto0813    reply

今回は文系の観点からの「信頼」に関する講義で、第一回目と第二回目と全く違った内容だったので興味深かった。「信頼」という言葉はとりわけ危機への対処の中で考えられる概念ということで、「信頼」という言葉が強調される社会に生きることが当たり前になっていた自分自身としては、現代社会が危機的状況の中にいることを改めて感じさせられた。ルーマン曰く、信頼は社会の複雑さを縮減するためのものである、ということでルーマンが著作の中で「信頼」をどのように説明しているか、に関しても分かりやすく講義していただき理解することができた。その上で、先生がおっしゃっていた、「信頼」という概念は賞味期限が過ぎているのではないか、という考え方にはとても考えさせられるものがあった。たしかに不確実性だらけの現代において、予測可能であったり、結果が制御されうることを前提としている「信頼」という概念はもはや回復されることがないかもしれない。しかしもしそうだしたら、信頼に変わる新たな概念も考えだされる必要があるだろう。「信頼」という概念がまだ有効かどうか、またそれに代わる概念は存在するのか、など今後現代社会を生活していく中での考えるきっかけを与えてくれた有意義な講義だった。

RY9248 吉村龍平    reply


授業内でこれから信頼に変わる概念が登場するというお話がありました。現在私たちは予測不可能なことが起こる可能性は十分低いという考えのもと、日常生活を社会への信頼のうちに送っていますが、予測不可能なことが日常茶飯事に起こる世界となると最早恐怖の中でしか生きれなくなると思います。新たな概念とは、何かザックリとプラスな概念なのか、マイナスな概念なのか先生の考えをお聞きしたいです。

sanryo1335    reply

今回の講義では、西洋哲学の諸概念から、リスク社会となった現代では「信頼」という言葉そのものに有効性が失われつつあるのではないかというテーマのもとお話いただきました。本来前提となるべき「信頼」概念そのものを突き詰めて考える人文系の講義は先生がおっしゃっていた通り今回が初でしたので、今後のすべての講義を理解していくための柱になる内容でもありました。
まずホッブズ的秩序問題からの「信頼」についてですが、今回の講義では、自然権の移譲に際して社会に生きる人間皆が同時に移譲を行うという「信頼」をもとに社会契約は成立しうるというお話で、ここでは「信頼」は周囲の人間に対するものという文脈でした。一方で、社会契約に関しては自然権を移譲する「上位権力」なる対象、つまりホッブズにとっての「リヴァイアサン」、ルソーにとっての「一般意志」などの存在に対する「信頼」も考えられると思います。社会契約には、一度すべての権利を完全に放棄した後「上位権力」たる国家によって性質を変えて再び権利が与えられるというモデルと、すべての権利が放棄されるわけではなく、移譲後も個人に残る「生来不可侵の権利」が存在するというモデルという異なるモデルがある、と理解しています。これは、「上位権力」への信頼の度合いが、前者はより高く、後者は低いと読み替えることもできるのではないかと思いました。
また、ルーマンの信頼論では、社会の複雑さを縮減するために「信頼」が存在する、ということでした。これは、情報が溢れかえり複雑化する社会において、すべての不確実な情報を調べるわけにはいかないためにある一定の事柄(「権威」など)には「信頼」を置く、つまり前提として飲み込んでしまおう、という考え方でした。ということは、「信頼」とは手に入り切らない情報に対するある種の「あきらめ」の行動と言えるのではないかと思います。「信頼」に対する新しい見方、定義を得られるような、非常に興味深い講義でした。

ryo7a    reply

信頼は裏切られる可能性を基盤としていることに対し、予測不可能性と制御不可能性がこの基盤を破壊しているという話だったg、この時に「予測不可能性」という語彙が日常的な感覚を思われたが、そのあたりについて詳細な話がなかったので、その後の話もいまいち掴めない結果に終わった。もう少し自分で勉強してみないと理解ができなさそうだ。

k00oosalt    reply

大変中身の詰まった授業、ありがとうございました。
信頼について、その構造を学ぶだけでなく、過去的な視点から、それだけでなく多角的な視点から迫っていくことの重要性を痛感させられました。
ところで、お手数ですが、もう一度講義の内容を学ぶため、レジュメを拝見できればと思うのですが、ITC-LMSなどを用いた配布などは行っていただけませんでしょうか。お気が向けば、ご検討ください。

Satoshi3104    reply

3度目の授業にして、初めて文系の先生からの授業を享受できるということで授業冒頭からとてもワクワクしながら先生の話を聞いていました。1度目、2度目の授業では科学分野に対する信頼をテーマにしており、もちろん傾聴に値するものではあったのですが、個人的には信頼概念についての授業は特に興味深いものでありました。先生が何度も仰っていた「そもそも信頼についてなぜ考えなければならないか」という哲学的な問いを熟考する良いきっかけになりました。

shiori0310    reply

正直な所、1度目、2度目の授業を受けて、受ける前に思っていた授業内容と違うと少々感じていましたが、初めての文系の先生ということもあってか、文系である私にとっては今までで1番面白いと思えるような授業でした。また、「信頼概念の系譜学」という題にもある通り、信頼とはそもそも何かというような内容を含んでおり、このオムニバス形式の授業のイントロダクションとも言えるような授業であると感じました。男女関係における信頼など身近なものを多く引用されていて、最初から最後まであっという間に時間が過ぎ去る非常に楽しい授業でした。

4geta6    reply

信頼は社会の複雑性を縮減するために存在しているとの考えは聞きたことがありましたが、先生がおっしゃるように、様々な場面で信頼が機能不全に陥っていることを考えると、信頼に変わる新しい概念が必要だとの意見には少なからぬ共感を覚えました。
(これに関しては、前回の授業でお話があった、医療の信頼性のことも想起され、大変興味深く感じました。)ただ、その新しい概念とは何なのかは少しもつかめていない状況です。むしろ、その新しい概念も含めて信頼なるものの虚構性が明らかになってきたともいえるのかもしれない、というようなことも考えてしまいした。

Tsyun94    reply

信頼の系譜学ということで今回初めて理系から離れた話をしていただきました、理系の私にとっても非常に面白い内容でした。社会というのが複雑化して人間が予測可能な範囲を超えた時に(複雑さを縮減するための役割としての)信頼の効力が失われてきていてそのいわば賞味期限切れした信頼をどのような概念で代替していくかという議論にはとても興味を持ちました。僕もこの講義を受け始めてからどの分野にも共通することですが複雑な事象(例えば薬とか科学)に対する信頼というのは何も根拠などわからないところにただ信頼という名をつけて相手の人徳などから生まれ得るものだなと考えていましたが今回の授業でよりそのことについて考えさせられました。この何もないところへの信頼、自分ではっきりと予測できないことへの信頼を日常的に回復すると言ってもなかなか難しい中、政治・社会に対する信頼を形成するのには自分も限界がきており、これからのSNS社会での自分の身の振り方にも繋がるなと思いました。今回は講義ありがとうございました。

shooji68    reply

「信頼」というものを成り立ちから追うことによって、その前提となる土台を確認し、それは現代社会では最早通用しないものだということを痛感させられました。
ですがどこかこの話を信じられない気がするのは「信頼」への信頼がある故だと感じました。

ayana2630    reply

17世紀においては内乱や革命などの危機によって、現代においてはその予測不可能性・制御不可能性を持つリスクによって、対処として信頼という概念が呼び起こされ注目されることになるが、今や信頼が揺らぎつつあり、秩序ある社会を効率よく回していくためには何が必要なのかを考え出さなければいけない時代になっているということが分かりました。現在、「信頼」という概念がもはや維持できなくなっている要因として、講義で挙げられた、新たな社会の複雑性による上記の2つの不可能性に加えて、人々の信頼を満たす基準が上がっていることと社会と人々の関係性が変化していることも考えられるのではないかと思いました。つまり、社会の中での関係性が希薄になる一方で人々が社会に求めるものが大きくなっていて、その要求が満たされないと不満が生まれ、信頼のようなものがが裏切られたと感じることになり、結果として、心理的なつながりはさらに弱くなってしまう、という循環が起こっているのではないかと思っています。社会を構成する主体であるはずの市民の多くは、今ではお金と交換にただサービスを受容する存在となってしまっていると。新たな「信頼」の形の構築が可能なのか、もしくは新たな概念の創造が必要なのか、あるとすればそれはどんなものなのか、予測不可能ということが予測される現代を生きる一人として、考えていきたいと思います。
ありがとうございました。

goto114    reply

これまでの人類の歴史で、「信頼」の意味が問われた時代はそれほど多くはない、と鈴木先生は授業の冒頭で仰った。1度目は17世紀、内乱や体制変化にあえぐヨーロッパで。2度目は20世紀、複雑化し制御不可能性が顕在化した現代社会において。それぞれの時代で「信頼」を哲学的・社会学的観点から論じ直したのが、イギリスのホッブスとドイツのルーマンであり、今回の講義は、この2人の展開した論を追いながら、彼らが「信頼」について論じなくてはならなかった背景を明らかにしていく、という内容だった。
しかしながら、講義の初め、鈴木先生の口から、「「信頼」という言葉には賞味期限が来ているのではないか」、とそんな衝撃的な言葉が飛び出した。ルーマンによれば、信頼は情報不足を内的に保障された確かさで補いながら手元の情報を過剰に利用し、行動予期を一般化する、という点で、社会的な複雑さを縮減し、この性質により現代社会にはなくてはならないものだったというのだが、鈴木先生の解説によれば、ここでいわれている「複雑さ」とは、たとえばチェルノブイリ原子力発電所の事件に象徴されるような、「予測不可能で制御不能な複雑さ」を指しているのではないらしい。現代社会は、信頼がその情報不足を補いきるにはあまりに複雑化し、予測不可能で制御不可能になってしまったのだという。
講義の内容からは外れてしまうが、私が「信頼」と切っても切り離せない存在として意識しているものに、「責任」がある。思うに、責任とは「信頼」が裏切られた時、裏切られた側が裏切ったと思う側に対して問うものだ。
ルーマンの信頼の定義によれば、信頼が問題となるのは、「未来における他人の振る舞いによる利益を見越して、未来における他人の振る舞いによる害が生じうることを認識しつつも、現在において決定を行うとき」だということだったが、ここで信頼の定義自身に、他人の振る舞いにより未来に生起するかもしれない害の認識が組み込まれていることはひじょうに興味深く、例えば信頼するという行為が行われる時、信頼する者は他者の未来における行動いかんにかかわらず(関われず)決定を行った、と考えるのならば、責任は他者ではなく決定を行った者自身にあるように思われもする。信頼が裏切られた時の責任は、果たして、信頼した側にあるのでしょうか、それとも、信頼された側にあるのでしょうか。
信頼がもはや現代社会の基盤となれないというのならば、同時に責任を問うことも難しい時代になっているのではないだろうか。
先週先々週と講義を受け、信頼というものは、人間と人間との、相手の人格に対して起こるとき最も根源的なのだろう、となんとなく思っていましたが、今回ルーマンの信頼の類型を知り、その四つの信頼の強弱(つまり、なれ親しみの方が信頼Cより根源的だ、とかいったこと)について、ルーマンが触れているかどうか、気になりました(日常においては、それぞれの信頼の類型は重なり合い、混じり合っているようにも思え、はっきりとどれが根本に近いと定義することはできないようにも思えますけれど……)。

reon2012    reply

今回はとても抽象的な内容の講義で難しい内容だったように感じた。その中でも特に印象に残ったのは、あなたがた学生は私を信頼してこの話を聞いているとおっしゃったことであった。たしかに大学の講義は基本的に受け身であるから内容を疑ってかかるということはあまりなく自分が受け取った情報をそのまま受け入れていることが多い。しかし、思考を深めるためにはその情報を受け入れる前に一度本当にそうなのかを問いかける段階を挟むべきであるように思う。他の講義を受けるときでもこのことを意識したいと思った。

baya0903    reply

ホッブズは、戦争状態を脱し信頼(信託)をとり結ぶための、その理論自体に信頼が不可避的に包含されることを(おそらくは、図らずも)明示しました。このような、信頼を「0から」取り結ぶことの困難性は、グローバル化によってベックのいうところの「個人主義」が基本とされ、さらには新自由主義的な構造転換によって自己責任論がヘゲモニーとなる現代社会において、「福祉」のようなものをいかにして(国民国家の役割が希薄化した中で)再構築するか、という問題に極めて重大な示唆を与えると思いました。

pulpo10    reply

以前コメントを提出し忘れてしまっていたので、再提出いたします。
信頼が現代の複雑化した社会では意味をなさないのではないかという、独自の切り口が、また他の色々な発想を感化されて興味深かったです。ありがとうございました。

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