跳出思维框架

第9回 11月27日

信頼の現場──南京で一日本人として生きる

评价内容(最新2件 / 21)

Tyuki23    reply

本日の講義では現代の日本と中国の関係を語る上でも欠かせない南京事件と事件に関連する最近の出来事を学んだ。まず南京事件という約80年前に起こった事件がいまだに様々な議論や対立を呼び起こしていることから信頼を回復するということの困難さを感じた。また様々な分野で長い間の議論を経て論理的と思われる主張がある程度確立されている中で現代においても本講義で扱った河村氏のような発言、最近では東京大学の特任准教授の人種差別的な発言など前時代的な主張を公にしている人がいることに驚きを隠せない。政治家など影響力のある人物の失言は今に始まった事ではないが現代ではSNSの発達などによって誰でもそのような発言によって炎上し、国家的な問題となるなど信頼を失う速度は非常に早くなっている。そのような中で大切なのはそのような発言を過度に肥大しないことである。確かにとりわけ影響力のある人物の失言は国家の威信に関わる重要な問題であるが、そうでない場合でも、一つの発言に対してその主張を持つ人の数を過度に増加させ歴史的背景なども絡めて過度な反応を示すのは得策ではないと考える。そのような反応は
感情的なものであり論理的な思考を失わないことが大切である。つまり主語を過度に大きくせず発言の言葉尻を捉えるのではなく論理的な姿勢を保つべきである。これまでの講義を踏まえて今一度考えると信頼は失われるのは一瞬であり、その方法は発言であれ行動であれ感情的であっても良いのだが、信頼を取り戻すあるいは信頼を獲得する場合には論理的な行動によって長期の間示していかなければならないということを強く感じた。これは危険の兆候を見逃さないための本能的な反応であるとも考えられるため信頼はやはり感情的な側面と深く関わっていると思った。

youcan19    reply

本日は講義をありがとうございました。
今日のお話では中国で生活されているからこその視点から日中関係、特に南京大虐殺に関しての日中の見識の相違について知ることができました。河村たかし氏の件のように日本国内でも多数派ではないような意言だとしても中国国内で日本国民の総意だと捉えられうるということや、そのような発言により失望したり悲しむ方もいるということを改めて知ることができたので、私個人としても歴史上の出来事に関してより理解を深めていこうと感じました。
また尖閣諸島問題で日中関係が冷え込んでいるときでも日本の建築物(代々木競技場)に対する評価は変わらなかったということについては、建築家の作品、腕前に対する中国からの信頼があったためであり、その信頼は国家間の社会的、政治的な関係を超えて成り立っていたのではないかと考えました。自らの立場にかかわらず物事に正しい評価をするというのはとても難しいことであると思うがそのような行動ができるよう自らの意見をしっかり持てるようになりたいと思いました。

baya0903    reply

南京の学生の訴えから、日中の「信頼」を回復するために声明を挙げられたという経験談が印象的でした。しかし、その一方、歴史認識を巡っては、現在的視点からの友好関係の維持回復のみを目的とす「べき」であるかどうか、という問題の次元が存在するのではないでしょうか。ネット上の言説を中心に、日中間の外交関係や人間関係を共時的にのみ把握するがゆえに、その歴史的非対称性を無視した考えが、現在主流になりつつあります。この 潮流の中で、「信頼」の名の下に過去の克服が行われないままになることは、日中関係のみならず、今後の日本じしんにとっての対外関係の根本的視座を頽落させかねないと考えます。

yka710    reply

信頼の授業の中でも国境を跨いだ信頼について考察することはなかったので新鮮な気持ちで受講することができた。とはいえ、過去の悲劇を巡って日中両国の間には深い溝があること、そしてその悲しみは日本人が想像するよりも深く中国人の心に焼き付いているということを感じずにはいられなかった。両者の不和は無知からくるところも多いように思う。しかし、それは裏を返せば、松本教授が茶室の研究や近代建築の講演をする中で感じたとおっしゃったように、知を共有することで信頼が構築されるということでもある。とすれば、やや楽観視がすぎるかもしれないが、南京事件から目を背けずに、理解を共有する努力を続ける先に、両国の友好関係が築かれ得るのだと思った。

lyu39    reply

直接的に信頼そのものを論じるというよりは、先生自身の経験をメインに講義をして、「信頼の現場」での見聞から信頼の在り方を示唆したような授業だったが、文科一類で法学部政治コース志望の中国人留学生の私から見れば特に興味深かった。先生の話は私の経験に照らしても結構中国の事情に踏み込んだものだと言える。やはり、「自明とされていること」の不一致と個人レベルでのコミュニケーションの現実的難しさが、日中両国の国民が互いに対して信頼感を抱くことを困難にする主な障壁だと思うのだが、それらを乗り越えて南京で現地の人々と信頼関係を築こうと努力する先生の姿勢にも感心できるものがある。中国(日本もある程度そうだが)はいくつかの分断のある社会であり、都市部と農村部の経済的格差も激しいし、それに伴う価値観の違いもかなりの水準で見られる。グロバールな場で活躍するエリート、大学教授、とネット上で散見するナショナリストはそれぞれ全く異なる世界観・価値観を共有し、自分のサブカルチャーを生きている。特に近年当局の宣伝効果などいろいろな要因でナショナリズムが高騰し、異論が許される空間も著しく縮小してきて、公共事項について議論すること自体が中国では難しくなっていき、分断も拡大しているように感じる。個人レベルでの信頼の形成のために、国の社会環境を変えることが困難としても、個人同士のための交流の場がもっと増えてほしい.

tanyn0580    reply

単にありがちの「異文化体験」というテーマだけではなく、それに加えて日本と中国との関係の歴史的背景、さらに専門の建築学のことも含まれており、非常に面白い講義になったと思う。
ひとつ少し気になった点は、日本の男性が中国の女性と結婚することでトラブルが起こらないのか?シンガポール人としての経験から見ると、年上の世代は戦争の記憶が未だに残っているかもしれないし、中国の場合は、女性も男性と比べると少ないので、(歴史的背景も踏まえ、)国際結婚は困難に遭うのであろうかと気になった。
また、The Rape of Nankingを読んだことがあり、本当に非常に、信じられないほど悲惨な事実が書かれており、それを実際に経験した人々が永遠に日本人を許さなくても分からなくはない。しかし、今の南京では日本人が普通に暮らせ、中国人とも親しい関係になることができるのは、人々の心の中にお互いを理解し、尊敬し、信頼する性質はあることを示すんだなと思った。
もし中国人の立場も聴くことができればより深い理解が得られると思った。

Suzu0705    reply

今回の講義は、これまでのものとは異なり、先生の自伝的な色彩が強かったように思われる。これまでのご自身の研究内容やその変遷、さらには研究のため渡った中国での人々との出会いなどがエッセイのような形で語られていた。「信頼とは何か」、「人から信頼されるにはどうすればよいか」を明示するのではなく、生きていく中で出会った様々な信頼の形—日本人教師と中国人学生との間の信頼や中国人によるアジアの同胞としての日本人建築家に対する信頼など—を紹介する形式は、聞き手の興味を惹きやすいが、その本質が端的に示されていない分、自分で整理して考え直さなければならない部分が多かったように思われる。
歴史認識を含む様々な問題が、私たち日本人と他国の人々との間に溝を作っている。特に歴史認識に関する問題は、ナショナリズム的な側面が強いため、解決することは少なく、むしろ話題にするたびに話がこじれていくように思われる。中国と日本は、そういった扱いの難しい歴史問題を抱えている。松本先生は日本と中国の間の信頼を保つものとして東アジアの文人文化の蓄積をあげたが、なるほど芸術や文化は外交関係の垣根を越えて人々を結びつける。しかしそれはあくまでも個人レベルの話であり、国同士の関係を改善するには有効とは言えないだろう。現に日本では若者を中心に韓流ブームが再燃しているが、日韓関係はかつてないほどに冷え込んでいる。現在の若者の世代が社会人になれば、日韓関係は改善するのだろうか。人々の間には、たとえ他国の文化は評価・称賛しても、それは「日本人の一人として」相手国の国民を信頼することには直結しないのではないだろうか。

martian5    reply

 貴重なご講義ありがとうございました。
 南京に現に住んでいらっしゃる日本人のみしか体験し得ない様々な体験を聞けたことは、大変貴重なことだったと思います。
 講義を受けて浮かんだ疑問なのですが、松本先生は中国に移住してから、自分のことを日本人だと意識する頻度、度合いは強くなったのでしょうか?あるいは、中国文化圏に生きる人々、南京の人々と同化する中で日本人としての意識が薄れていくのでしょうか。また、何れにせよ、日本にいたときに抱いた日本人像と、中国にいる現在で抱く日本人像の間に変遷はあるのでしょうか?
 疑問に答えていただければ幸いです。
 ありがとうございました。

yuto0813    reply

日本建築の話も面白かったが、なにより、南京での実体験に関する話が、興味深かった。南京といえば、自分自身南京大虐殺のことを思い浮かべるため、実際に南京では日本人がどのように認識されているのかについて深く知ることができた。虐殺された人数が20万であれ、2万であれ、それより少なかったとしても、大虐殺であることには変わりないと感じる。戦時においてもしてはいけないことを相互認識しておく、という点は、今回の「信頼」のテーマに通じるところがあるのではないかと感じた。

ryo7a    reply

正直に言って話の趣旨が解らなかった。それを理解するのが生徒のしごとなのかもしれないが、酷く個人的な経験から一般的な理論を組み立てるという作業ができるのであればもう少し高等な授業を受けているだろう。

RY9248 吉村龍平    reply

海外に住む人にとって、住んでいる国と、生まれた国の間で何か問題があると、「お前はどっち側なんだ」と選択を迫られることはなんとなく想像ができますが、その際どのように行動すれば、自分のアイデンティティを保ちつつ、現地の人の信頼も得ることができるかは非常に難しい問題に感じました。そのジレンマにどうやって対処するかはもちろんその時の状況次第ですが、自分がそのような境遇に置かれた際には、真剣に身の振り方を考えようと思いました。

satoshi31    reply

南京大虐殺について河村たかし氏が発言したときのニュースは覚えているが、当時は尖閣諸島問題などで中国の歴史認識に対する不信感があったため、自分がいたクラスでも何が問題なんだというような雰囲気が漂っていた。今回のお話で南京の日本語学校のその時の状況を聞いて、発言の影響はこういったところに波及していたのだなと感じた。実際南京や中国にいれば、身の安全が危ぶまれるかもしれないし、日本人としての威厳が保てなくなってしまうのではないかと思った。
丹下健三の国立競技場が建て替えられると誤ってスピーチしてしまい、思わぬ反響があったというのは今回の主題である信頼というワードに強く結びついているなと思った。歴史認識での対立はあったとしても、文化や建築といった面でつながれるということは素晴らしいことだと思うし、文化や建築の遺産を後世に残そうとする人々の遺産に対する信頼が、国籍を超えた関係を作り出していると考えると、本当にすごいことであると感じた。

kfm1357    reply

南京の日本人研究者の会での、声明の公表・非公表をめぐるやり取りは、非常に興味深いものでした。特に印象に残ったのは、冷静な状況認識による懸念を松本先生に伝えた方の意見でした。その概要は、信頼関係がない状況では、いくら良い文章でも意図・目的が完全には伝わらない、というものです。実行したい物事に対し前のめりになっている場合、その物事に対し、相当の時間をかけ、これ以上ない、完璧であると思う出来栄えに至ります。そこで一旦、ふと立ち止まってみて、その物事を本当に実行して良い状況にあるのか検討することの意義を今回実感しました。努力したものを取りやめるという決断はなかなかできないものですが、再検討を加えるというプロセスは無視できないと感じます。特に、今回のように、信頼関係が十分でない場面においては、物事を実行する困難さがより高まります。これに気づくことも大切であると感じました。

shiori0310    reply

個人的に中華圏にとても興味があるので大変楽しく講義を聞くことができました。日中関係が険悪になる中で、日本人として中国にいらっしゃった経験は大変興味深かったです。関係が悪い期間はどうしても日本人というステレオタイプで判断されてしまいがちですが、国籍という枠組みを超えて個人としての信頼を獲得することが大事だとわかりました。貴重なお話をありがとうございました。

Satoshi1024    reply

日中関係が悪化した時期に実際に中国にいらっしゃったという、大変な経験についてのお話を伺うことができ興味深かった。今までの講義は信頼についての理論的な話や事業を行う際などの組織としての信頼の話が主だったが、今回は個人の経験に基づいていて、実践的であると思った。貴重なお話をありがとうございました。

phu884    reply

政治的な対立から中国は日本政府に対して否定的な一方で、日本の文化や建築は高評価されているというのは、文化の共有や蓄積という点で深く考えさせられました。
ただ、個人的には体験談だけでなく信頼についての分析や新しい観点なども聞きたかったので、その点が多く聞けなかったのは残念でした。

ayana2630    reply

日中関係について、若い世代は抗日ドラマの影響を比較的受けておらず、日本に対して好意的に捉えている人も多いということでしたが、やはり、戦時のことが忘れられたり記憶が薄れたりすることによってではなく、「事実」を知った上で、互いに向き合って友好な関係を築いていきたいと思いました。そのためには、政府などの大きな主体間の関係改善ももちろん大切ですが、個人的な小さなつながりを積み重ねることがとても重要なのだと思います。
河村市長の発言や尖閣諸島国有化の問題はニュースなどで知っていて、これは日中関係に大きな影響が出るだろうと思って見ていました。それでも、中国国内の特に一般の人々の反応は、南京ということもありますが、予想以上に大きいものだと感じました。今回、東大の特任准教授の発言の問題について、重く見るべきものだとすでにいくつかの授業で話題になっていて、中国国内や日本にいる中国人にどのように受け止められているのか知りたいと思いました。

chihi0315    reply

南京大虐殺についての一人の見解が、日本に対する信頼や、日本語を学習する中国人学生に対する信頼をも揺るがす要因となることは考えもしなかったので驚いた。今日中国社会と日本社会は信頼関係を築くのが難しい状況にあるからこそ、そのような一個人の発言に対しても敏感になるのだろうと思った。

4geta6    reply

会話・コミュニケーションというのは、当然のことながら、単なる言葉のやり取りではない。場の空気、話者の立ち位置、さらにはボディーランゲージといった「そのときその場」の要素が重要な役割を果たすのはもちろんのこと、逆説的ではあるが、会話は会話以前の関係性に規定されているところがある。先生の「昔は、東アジア圏に共有されていた教養・文化が、異文化交流の潤滑油となっていた」とのお話からそんなことを考えた。翻って現代社会に目を向けてみれば、オンライン上で、見知らぬ不特定多数の他者を相手にしばしば対面では切り出せないようなデリケートな話題について持論が展開されていたり、相手への配慮を欠いた激論が交わされていたりする。見方によっては、これがネットの長所なのだろうが、どこでであれ、建設的な議論をするには、本題に入る前に相手と信頼関係を築いておくことが必要なのかもしれない。効率化など諸々の理由により礼儀やマナーを簡略化していく動きも見られる昨今にあるが、一見無意味で古臭く思えるルールのなかには、実は充実した対話を実現するための堅実な準備をなすものもあるのではないだろうか、と少し立ち止まって考えてみたいと思った。

pulpo10    reply

先日は為になる講義、ありがとうございました。

goto114    reply

松本先生の専門である日本の伝統建築、数寄屋造研究のうちに見つけた変な茶室から、明清時代の文人茶であったところの忘れられたもう一つの茶道「煎茶道」へと探求が広がり、煎茶道の本場中国南京へ向かったこと、またその先で日本語を学ぶ中国人学生との出会いや、都市計画が専門の李先生との出会いがあり、河村名古屋市長の「南京事件はなかった」発言に対して声明を出そうと試みたり、近代建築の講演をしたりしたことをお聞きし、たった105分の授業でしたが、その中に松本先生の人生の一端を、一つのドラマのように見せていただいたと感じました。

More

评价内容

 
参见其他课程

Loading...