I Want to Learn How to Think Beyond Academic Disciplines

Vol.2 2010.10.13 Kazuyuki HARA

The Body in the History of Thought – With a Focus on Psychoanalysis Ⅱ

As introduced in the Preliminary Lecture, although ideas on the body in the history of Western thought was firmly defined by the framework called mind-body split, particularly into the 20th century numerous attempts emerged that sought to look beyond such framework and explore the body. Among such attempts, in this lecture I will focus on the concept of the "Body" in psychoanalysis. In seeking to respond to the concrete issue of "hysteria" that manifested itself both in physical and psychological symptoms, psychoanalysis was forced to reconfigure the relationship between the "physical" and "psychological" from a unique perspective. We will examine how the body has been perceived in the ensuing psychoanalytical discussions, focusing for Day 1 on Project for a Scientific Psychology, an early draft work by the founder of psychoanalysis, Sigmund Freud; for Day 2, we will focus on arguments by Jacques Lacan, French psychoanalyst, surrounding the Oedipus complex.

Instructor

Kazuyuki HARA
Associate Professor at Multidimensional Analysis of World Structure, Department of Area Studies, Graduate School of Arts and Sciences, University of Tokyo. Majored in Area Studies (France) at University of Tokyo's Undergraduate Program and subsequently its Graduate School. Studied Philosophy at Université Paris 1 as well as Université Paris 4. Ph.D. from Université Paris 4 (History of Philosophy). Assistant Professor (Associate Professor) at the Department of Area Studies, Graduate School of Arts and Sciences, University of Tokyo since April, 2004, after serving as Full-Time Lecturer and Assistant Professor at University of Electro-Communications. Publications include Lacan: an Exodus of Philosophical Space (Kodansha).
Reference : books
  • アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(全2巻,弘文堂,1980年)
  • ピーター・ゲイ『フロイト』(全2巻,みすず書房,1997/2004年)
  • Ch・G・ゲッツ編著『シャルコー神経学講義』(白揚社,1987年)
  • L・シェルトーク,R.ド・ソシュール『精神分析学の誕生』(岩波書店,1973年)
  • アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』(紀伊国屋書店,1969年)
  • P・シルダー『身体図式―自己身体意識の学説への寄与』(金剛出版,1983年)[Das Körperschema : ein Beitrag zur Lehre vom Bewusstsein des eigenen Körpers(1923)]
  • P・シルダー『身体の心理学―身体のイメージとその現象』(星和書店,1987年)[The image and appearance of the human body(1935)の抄訳]
  • D・N・スターン『乳児の対人世界』(全2巻,岩崎学術出版社,1989年)
  • J・ディディ=ユベルマン『アウラ・ヒステリカ パリ精神病院の写真図像集』(リブロポート,1990年)
  • エティエンヌ・トリヤ『ヒステリーの歴史』(青土社,1998年)
  • ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生』(みすず書房,1969年)
  • サンドラ・ブレイクスリー,マシュー・ブレイクスリー『脳の中の身体地図』(インターシフト,2009年)
  •  
  • 〈フロイトの著作〉
  • ジグムント・フロイト『フロイト全集』(岩波書店)
  • ジグムント・フロイト『フロイト著作集』(全11巻,人文書院)(第7巻に「草稿」および『ヒステリー研究』)
  • ジグムント・フロイト『失語論』(平凡社,1995年)
  • ジグムント・フロイト『フロイト フリースへの手紙 1887-1904』(誠信書房,2001年)
  • [以下は入手しやすい文庫本のもの]
  • ジグムント・フロイト『ヒステリー研究』(全2巻,ちくま学芸文庫,2004年)
  • ジグムント・フロイト『精神分析入門』(全2巻,新潮文庫,1977年)
  • ジグムント・フロイト『夢判断』(全2巻,新潮文庫,1969年)
  • ジグムント・フロイト『エロス論集』(ちくま学芸文庫,1997年)
  • ジグムント・フロイト『自我論集』(ちくま学芸文庫,1996年)
  • ジグムント・フロイト『あるヒステリー分析の断片―ドーラの症例』(ちくま学芸文庫,2006年)
  •  
  • なお、授業では取り上げませんでしたが、アンリ・コルバン『身体の歴史』(全3巻、藤原書店、2010年)はぜひ手にとって見てください。
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comments(最新2件 / 7)

tomykaira    reply

私は第一回の講義に出席できず、今回から参加させていただきましたが、それでも非常に分かりやすく、興味深いお話でした。

さて、質問は2つあります。
ひとつは確認になりますが、Burgによる「金属との接触でヒステリーが治癒した」という報告はプラセボ効果に近いものと考えて良いのでしょうか。古代から水銀などを使って病気を治そうという試みは数多く行われていますが、それとおなじように、患者と医師がともにその効果を信じたことでヒステリーが治ったのでしょうか。

もうひとつはヒステリーの原因についてです。講義で紹介された実例のなかにも、世間で言われる例にも、普通の人にとっては何でもないようなことでヒステリーを発症した例があります(本日であれば、父親の足をのせていたことで足が痛むようになった)。一般的な心的外傷となりうる出来事(近しい人の死など)ではない出来事がそれほど強い心理的ストレスを引き起こしうるのはなぜでしょうか。

meg    reply

 前回に引き続き、好奇心を刺激される講義でした。コメント欄に寄せられた質問にも非常に詳しくお答えいただけて、一層理解が深まりました。最後に時間が足りなくなってしまったのが非常に残念でしたので、補足等ありましたらweb上に公開するなどしていただけると幸いです。

 フロイトは言語化によってヒステリーの症状が消失するとしていますが、この場合の「言語化」とは「自己のトラウマを言語を用いて整理、認知することそのものが重要であって、必ずしも他者に語るという行為自体は必要ない」のか、「他者に自己のトラウマを語るという過程が重要なのであって、言語化というのはあくまで語るという行為に付随しているものである」のか、あるいはもっと別の意味であるのかが気になりました。確かに他者に語ることを通じた方がトラウマは言葉に変換されやすい(されないと語れない)ですが、もし語る行為を介すことなく自己の中でそれができるならば語る行為は不必要なのでは、と思いました。それとも変換されたものを’放出’すべき相手の存在も意味を持つのでしょうか。フロイトがこの点についてどのように考えたのかご存知でしたら教えていただきたいです。

jump坊主    reply

ヒステリーについて興味深い話ありがとうございました。

質問の前にお願いがあるのですが、レジュメだけではなくスライドもアップして頂けると、大変参考になるのでお願いします。
また、アンナ・Oの例で記憶装置としての『通道』とありましたが、もう1度説明をお願いします。

質問ですが、
フロイトの転換モデルでは、外部からの刺激が、ある種の心理装置を経てエネルギーとして放出されるとありました。
また、その刺激が、心理装置の異なる回路を経てエネルギーとして放出されることでヒステリーが発症すると説明されていましたが、このモデルでは、自分にとって未知の、即ち1度も心理装置を経たことのない外部からの刺激は、既知の刺激と同じように振る舞うのでしょうか?
またモデルが既知、未知問わず成立するならば、心理装置の異なる回路を通る確率は同じなのでしょうか?

久保田悠介    reply

今回の授業はよくわかりませんでした。そもそもヒステリーというものがどういうものかよくわかりません。
前回の抗議と関連から考えると、ヒステリーを発症すると理性による身体の統御が(部分的に)不可能になるということで、ヒステリーは自明だと思われる身体の領域が実は曖昧であるという例だと考えられますが、この関連がいまいちよくわかりません。今回のテーマの本質から外れるのかもしれませんが、もっと身体に関連させた話を聞きたかったです。
ヒステリーは医者が下す診断ですから、患者の身体の領域が狭まったのだとするなら、身体の領域というのは他者によっても決定されうるものなのですか?
明らかに痙攣していて医学的にはその部分が完全に統御不能だと確かめられていても、患者が自ら動かしていると思い込んでいたら、このときは身体領域はどのように判断するべきなのでしょうか?

mare    reply

"ヒステリー"の身体についてのご講義ありがとうございました。
身体図式と身体像との差、"拡張"する身体と"縮小"する身体との対比から展開されるヒステリーという概念の説明など、前回の授業とリンクした内容に興味を惹かれました。
しかし前回の講義に比べ、やや概論的な説明にとどまってしまったこと・教科書的になってしまったことが少し残念に思われます。
非常に興味深い題目で、自分でもっと考えていきたいと思うので、講義で使用されたスライドをアップしてくださるようお願いいたします。

ren    reply

以前から精神分析学といった分野に興味があり、
授業を興味深く拝聴しました。ありがとうございました。

tantan    reply

前回のおさらいとして、身体的な意味での「私」という感覚は人間に特有のものではないか、というお話をされたのが心に残りました。前回の終わりに質問させて頂いたとき、先生が、その点に関して人文社会科学からのアプローチが有効だと思う、とおっしゃったのも、なるほどと思っています。
 データに関して、乳幼児からは動作というデータをとるが、その解釈に主観や、その時点で優勢な理論が影響することは避けられないということが考察されてきた、というお話がありましたが、大切なことなのだろうなと思いました。
 ヒステリーに関して、シャルコーは「ヒステリーと言うのはこういう症状、こういう症状、こういう症状が出る」と言ったのに対し、フロイトはヒステリーを心的な出来事の身体的帰結とみなして「こういう症状が出るのはこれこれのトラウマ的な出来事があったからだ」と言ったというお話もありました。今日のカウンセリングの現場においては精神分析以外の心理療法が用いられることも多いそうですが、シャルコーを超えたフロイトの功績というのもあるのだと思いました。

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