ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 03月21日 丹野義彦

信頼と共感──心理学から共感のメカニズムを探る

人間同士の信頼を支える心のメカニズムに「共感」がある。共感とは他者の心を自分のことのようにわかることである。

 共感について熱心に研究されてきたのは心理療法の領域である。治療者が患者にどれだけ共感できるかにより治療成績が異なるからである。クライエント中心療法の提唱者C. R. Rogersは、エンカウンターグループという方法で集団の共感性を高める実践をおこない、ノーベル平和賞の候補になった。

 また、共感を支える心のメカニズムに「心の理論」がある。発達障害のひとつである自閉スペクトラム症では心の理論の獲得が遅れる。心の理論を司る脳の部位もわかってきた。共感能力の個人差は、性格5因子のひとつである協調性Agreeablenessである。

 こうした研究によると、他者に正しく共感するためには、逆説的だが、自分を正しく理解する必要がある。本講では、以上のような心理学研究を概観し、共感と信頼の関係を考えてみたい。

講師紹介
丹野義彦
東京大学大学院総合文化研究科・教授  心の健康と異常について基礎から臨床まで幅広く研究.テーマは,人はなぜ不適応をおこすのか(精神病理学),感情は認知によってコントロールできるか(感情心理学),精神病理や個人差を解明する「性格ビッグ5理論」等.
授業風景

3月21日

 人間同士の信頼を支える心のメカニズムに「共感」がある。共感とは他者の心を自分のことのようにわかることである。心理療法の領域では、カウンセラーのクライエントに対する共感がカウンセリング成績を向上させるため、共感に関する研究が多く蓄積されてきた。クライエント中心療法の提唱者ロジャースは、エンカウンターグループという方法で集団の共感性を高める実践をおこない、ノーベル平和賞の候補になった。1日目の講義ではロジャースの理論を紹介する。

 ロジャースは成功したカウンセリング事例において、自己概念の変化が行動の改善に繋がることを発見した。ロジャースの理論においては体験と自己概念の一致が問題となる。体験とは時々刻々と変化する感情や感覚のことであり、流動的なプロセスである。自己概念とは「自分はこうである、こうあるべきだ」など自分に対する意識的な捉え方のことであり、人は流動的な体験を自己概念によって概念的・意識的に捉えようとする。人は自己概念を柔軟に動かすことにより、流動的な体験を意識化しようとするのである。

 自己概念が体験をうまく捉え、体験を意識化できている領域を一致と呼ぶが、この領域が広いほど精神的に健康と言える。一方で自己概念を柔軟に動かすことができず一致の領域が狭くなれば、精神的健康の低い不適応状態となる。そうした状態では歪曲や否認の領域が広くなる。歪曲とは自分が体験していないことを体験したと思いこんでいる自己概念の領域を指し、否認とは体験しているにも関わらず、それが自己概念と合わないために無視される領域を指す。一致の領域が広い人は自己概念を変えることによって自分の感情を受け入れることができるが、一致の領域が狭い人は自己概念が固定化しているために歪曲や否認の領域が広くなり、それが自己概念に混乱や恐怖をもたらし不適応行動として現れることになる。

 故にカウンセリングでは錆び付いた自己概念の柔軟性を取り戻し、自らの体験を否認・歪曲することなく、ありのままに受容できるようにすることが重要である。カウンセラーの仕事とはクライエントの自己概念の変化を促し、自己受容を援助することであるが、カウンセラーに必要とされるのは次の三点である。一点目はカウンセラー自身が自己受容を遂げており、自分に正直であること。二点目はクライエントに対して無条件の肯定的な配慮を示すこと。条件付きの配慮という形を取るとクライエントの自己概念を固定化し体験との不一致をもたらしてしまうため、無条件であることが重要となる。三点目はクライエントに対して共感的理解を体験することである。

 この共感的理解にとって重要なのが他者理解である。自分の認知の枠組みを通して他者を評価する他者認知と異なり、相手の認知の枠組みを推測し、その枠組みに則って他者を評価する他者理解のプロセスは主に①自分から相手への視点の移動②相手の内面の推測という二段階に分けて考えることができる。このうち相手の内面を推測するプロセスにおいては自己認知からの類推が行われており、カウンセラーの自己認知の能力が重要になる。カウンセラーは自分の過去の経験から類似のものを見いだし相手の内面を推測するのであり、類似体験がないと共感はできない。共感的理解のためには自己理解が不可欠であると言える。そしてカウンセラーの共感的理解によって、クライエントは自分の本当の体験と直面し、今まで目を背けてきた自分の感情と対決することになる。

 カウンセリング後期になると、体験の仕方はさらに柔軟で流動的になり、「流れのなかを生きる」ように感じられる。他者との関係が開放的になり、クライエントは不適応状態を持たないのみならず、創造的な生活に向かうのである。不適応状態から「十分に機能する人間」へと導く内的な力をロジャースは自己実現傾向と呼ぶが、この傾向は誰もが潜在的に持っているものである。しかし不適応状態においては、自己概念と体験の不一致によってこの自己実現傾向が妨げられる。従ってカウンセリングにおいては自己実現傾向を取り戻し、健康なパーソナリティを獲得することが目指される。

 但しカウンセラーの高度な共感やクライエントの積極的参加が必須となるため、カウンセリング中心療法には限界もある。例えば言語的表現力が低い人・深刻な環境ストレスに悩む人・子ども・精神病を持つ人・知的能力の低い人などに対してはこの療法はあまり有効ではなく、他の治療法を採用する必要がある。

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3月22日

 一日目の講義で紹介された、無条件の肯定的配慮というカウンセラーに必要な態度に関して、もしすべての人が無条件の肯定的配慮を以て交流したらどうなるかという質問が寄せられた。これに対して講師は、そもそも無条件の肯定的配慮とは極めて人工的なものであり日常生活では起こりにくく、また仮に日常生活でそうした配慮を強行した場合は、他人に騙されるなどの不適応が生じる可能性が高いという見解を示した。

 二日目の講義では、科学的な心理学の角度から共感のメカニズムを探る。共感を支える心のメカニズムに「心の理論」がある。心の理論とはイギリスの心理学者バロン・コーエンが提唱した理論であり、他者が何を求め、何を考えているか、他者の心の中で何が起こっているかを推測する能力、他者の内面を理解して他者とのコミュニケーションを円滑に行う能力を指す。バロン・コーエンはこの心の理論を一つのモジュールであると見なしているが、講師の見解によれば心の理論は①視点移動 ②感情移入 ③自己認知という三つのモジュールから成り立っている。

 そして現在ではこれらのモジュールに対応する脳の部位が解明されている。中でも前頭葉内側部は感情移入モジュールと自己認知モジュールの両方を担っているが、この事実は「他者理解には自己理解が必要である」という心理学の知見が脳の構造から見ても正しいことを証明していると言える。 

 心の理論と関係する症状として、自閉スペクトラム症(以下、自閉症)を挙げることができる。自閉症の症状は対人相互反応の障害・コミュニケーションの障害・活動と興味の偏りなどが挙げられるが、特に前者の二つは共感と関わる症状であり、自閉症児は一般的に心の理論の獲得が遅れる傾向がある。但し自閉症が心の理論の障害であるからといって、心の理論を教えることで自閉症の症状が簡単に改善するわけではない。心の理論獲得の有無を測る方法の一つに誤信念課題というテストがある。このテストの正答率を上げるべく訓練することは、困難であるが時間をかければ可能である。しかし心の理論の課題に正しく答えることができるようになっても、共感能力自体はなかなか育たないという結果が報告されている。

 共感と関連する他の例としては協調性の問題がある。人間の性格は五つの因子によってほぼ記述できるとする説があり、その因子をビッグ5と呼ぶが、その五つの因子の一つが協調性である。協調性に関しては、生物学・心理学・社会学といった複数の観点から考察することが可能であり必要である。例えば協調性に関する研究のパイオニアであるドイツの精神医学者クレッチマンは、体格の研究を行った。クレッチマンは肥満型の健常な人の性格を循環気質という語で定義したが、その循環気質の基本性格は同調性(協調性)であると指摘している。

 但し協調性は高ければ高いほど良いということではなく、協調性が高すぎると生じる問題もまた存在する。そうした問題の一つが集団の斉一性である。集団の斉一性とは多数からの同調の圧力が大きな力を持つということであるが、協調性が高い人は例えそれが間違った意見であったとしても、多数派の意見に流されやすいという欠点がある。

 また内集団と外集団の問題も重要である。集団主義の社会は安心を生み出す一方で、他者一般に対する信頼を損なうという研究結果が提出されている。つまり協調性ないし共感は、内集団(身内)においては相互の信頼を高めるのに対し、外集団(身内以外の集団)に対する信頼を低める傾向がある。内集団と外集団という区別が明確に存在する場合、高い協調性は身内以外に対する強い排他性となって表れる場合がある。

 シャーデンフロイデ、即ち他者の不幸や苦しみをみて喜ぶ感情の存在も協調性の問題の一つである。シャーデンフロイデの場合は他者の不幸や苦しみを理解しているので、他者理解は成立している。しかしそのように相手の苦しみを共感できるからこそ、自分はその苦しみを楽しむことができるのであり、共感が必ず相手に対する優しい態度を導くわけではないことをこうした感情の存在は示していると言える。共感が社会的に大切な機能であることは確かであるが、「共感」と「相手と同じ感情になる」のは別のことであるという事実に我々は注意する必要がある。

(文責・田中雄大)

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