ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第8回 11月30日 伊藤啓

9(11/30)色の見え方の多様性と カラーユニバーサルデザイン(1)

人間の目は、光を感じる細胞を何種類か持っている。どのような細胞を持つかには個人差があるため、人によって色の違いが分かりにくかったり、色の名前が分かりにくかったりする。
交通機関や町の案内標識、電気製品、電子機器の操作画面、地図や案内図、本や教科書の説明図などは、分かりやすいように色分けされることが多い。どのような人にも違いが分かりやすいように工夫するのが、カラーユニバーサルデザインだ。色を微調整したり、デザインを工夫することで、分かりやすさは大きく変わる。
カラーユニバーサルデザインは10年ほど前に日本で始まった。実際の例をいろいろ示しながら、色の見え方の多様性と、それに配慮したカラーユニバーサルデザインを解説する。
講師紹介

伊藤啓
東京大学分子細胞生物学研究所准教授/NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構副理事長1963年 兵庫県生まれ。東京大学理学部物理学科、同大学院博士課程修了。ドイツ・マインツ大学研究員、国立基礎生物学研究所助手等を経て、2002年より現職。自身もP型強度の色弱者。脳の分子神経生物学の研究と並行して、色彩認知に関する脳科学の知見をバリアフリーに応用したカラーユニバーサルデザインを創始。2004年 特定非営利活動法人カラーユニバーサルデザイン機構を設立。
授業風景

「色弱」の人にとって、改善される前の地下鉄の表示は識別しづらかった。しかし、わかりやすく色分けすることで、誰もが使いやすいようにするカラーユニバーサルは、現在では、交通機関や案内標識、教科書や電子機器の操作説明など、多岐にわたって広がっている。しかし、浸透するまでには、1、できるだけ多くの人に見分けやすい配色を選ぶこと、2、色を見分けにくい人にも情報が伝わるようにすること、3、色の名前を用いたコミュニケーションを可能にすることという基本理念をもとに、企業や社会に働きかける実践があった。伊藤先生の講義は、科学的な知見を社会の中で実践する視座を教えてくれるものだった。

コメント(最新2件 / 4)

しんすけtj16    reply

今回の授業は色を見分けにくい人についてより深く考えるものだった。ちょっとした看板や標識もすべての人に分かってもらうことが大切なので、色を見分けにくい人の存在を心に留めて社会に出ていこうと思えました。ありごとうございました。

小三元4vj8u5    reply

 今回の授業では、色弱の人々にも配慮したバリアフリー社会を実現するため、実際にCUDOを中心としてどのような取り組みが行われているかに焦点が当てられた。必要不可欠なものとして先生から提示されたのは、科学者がその知見を公共に還元するという道義的責任を果たすことであった。私も一介の学生に過ぎぬとはいえ、学問の道を志す者であり、特に直接現実で役に立つような応用ではなく基礎の研究に関心を持っている。今回の「ダークな側面」として提示されたこの学者の孤高を貫こうとする態度、応用研究を目指す同僚に圧力をかけるような態度は、正に私自身が将来取りかねない危険な姿勢だ。学問がそれ自身のためにある面も否定はできないだろうが、しかし社会に還元されてこそという面もまた欠かせぬものだ。多様な学問への取り組みを認め、実際に革新を齎そうという風土を応援してゆかねばならぬということを、肝に命じたい。

Kai0508    reply

僕には色弱の友達がいる。
ある時ぼくはカフェラテを飲んでいた。そのとき彼は「お前それなにのんでんの?抹茶??」ときいた。僕は驚いて、「は??笑。全然色違うじゃん笑」と言った。このとき僕は彼が色弱であることを知らなくそもそも色弱についてよく知らなかったので、全く仕方のないことであったし、彼も全く怒る様子も見せなかった。
また、彼はこんな体験もしたという。小学校のとき塾で、先生にある地図についての説明を求められたのだが、全くわからず、怒られた。その地図は、赤と緑に塗り分けられていたのだ。
この講義を聞いて、上記の体験を思い出しながら、色弱の人への理解を深めることの大切さを深く感じた。ユニバーサルデザインはとても重要であり、世の中を出来るだけ多くの人の住みやすいものにしていく必要があると思った。
ありがとうございました。

iroww55    reply

色の見え方の違いが社会においてどう反映されているのか、もしくはされるべきなのかについて考える良い機会だった。何が少数派であり何が異常なのかということについてはよく考えられている以上に恣意的なのだと思う。

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